*2001年09月17日:「豚もおだてりゃ木に登る..
*2001年09月18日:飢餓礼賛
*2001年09月19日:Nimda 襲来
*2001年09月20日:IE の陥穽
*2001年09月21日:「クレオパトラ」
*2001年09月22日:信号機の逆説
*2001年09月23日:ガーデン・コンサート
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*2001年09月17日:「豚もおだてりゃ木に登る..



 ..登ったところで、豚は豚」



 ..適用範囲の広い箴言である。さまざまな対象に有効活用していただきたい。(例えば、小林よしのりなど。)

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*2001年09月18日:飢餓礼賛


 叱られることを承知の上で書く。

 私は、日本社会がまだ全体として貧しかった時代が、羨ましい。より正確に言えば、モノが溢れかえっていなかった時代が、羨ましい。さらに正確に言うと、情報が溢れかえっていなかった時代が、羨ましい。

 書物を例に取ろう。

 一体、一軒の書店(あるいは古書店)の在庫を読み尽くす、などということが、こんにち可能であろうか? よほど小さな、キオスクあるいはコンビニの文庫本コーナー程度の(書店と呼べるかどうかの限界ギリギリの)規模の書店であれば、可能かも知れないが..しかしこの場合でも、毎週毎週あとからあとから、追加・補充され続けるのである。

 終戦直後(乃至数年後)までは、「読み尽くす」ことが可能だったらしい。なぜなら、在庫が極端に少なかったからである。そして読み尽くしてしまった人々は、飢えに耐えきれず、露店の怪しげな赤本やら、進駐軍の読み捨てたペーパーバック(勿論、英語)やらを貪り集め、貪り読んだのである。

 私は、この状況が羨ましくって、仕方がないのだ。

 なぜなら、必然的に、バランスが取れるからである。とんでもない雑食であり、あるいは悪食であるかも知れないが、とにかく、「ありとあらゆるものを摂取している」からである。古今東西の古典から漫画から大衆小説から実用書から映画や芝居の台本から教養小説から哲学書からエロ本まで。それぞれのジャンルの書籍のタマ数が少ない(十分に手に入らない)ので、好みや贅沢を言っていられる状況ではないからである。それを読まなければ、他に読むものが無いからである。

 当時の人々にとっては、「羨ましい」どころではなかっただろう。例えば、19世紀のイギリス小説をもっともっと読みたいのに、市場にほとんど出てこないから、やむを得ず、近現代の日本の小説に手を出さざるを得なかった、という人は少なくないはずだ。それは不本意なことであったには違いあるまいが、しかし確実に、見聞を広めることにつながっていたはずである。

 こんにちの我々が手にしているのは、ありとあらゆるジャンルにわたる、豊穣な(豊穣すぎる)ストックである。中には、すでに「新作」が活発に生み出されることは無くなっている、その意味では「終わりつつある」ジャンルもあるであろうが、しかしその場合でも、ストックは膨大である。新刊書店や古書店では手に入りにくいかも知れないが、それなら図書館に行けば良いのだ。

 この豊かさのまっただ中に放り出されている我々が、「古今東西の古典から漫画から大衆小説から実用書から映画や芝居の台本から教養小説から哲学書からエロ本まで」目配りすることは、非常に難しい。それぞれのジャンルのタマ数が絶望的に豊富であり、読んでも読んでも読み尽くせるものでは無いからである。注意深く「読むべき本」と「読む必要の無い本」を選別しないと、そのジャンルから出てこれない。極端にバランスを欠いた読書歴を残すことになる。

 例えばこんにち、全ての(新作)SFを読むことは、ほぼ不可能である。(30年乃至35年前には、可能だったとされているが。)新作SFの全てを読もうとすれば、それだけで全ての時間を使い尽くす。他のジャンルの大切な「必読書」を読むことができなくなる。「SF」を「ミステリ」その他に置き換えても、同じことだ。そしてこれら全てのジャンルについて、読んでも読んでも読み尽くせぬ「過去の名作」が、大山脈をなしているのである。

 結局、われわれ現代人に必要とされているのは、(読む前の)「嗅覚」と、(読む前の)「鑑識眼」なのだ。それらが必要とされない「貧しい」時代に憧れるのは、それはそれで知的怠慢。楽な状況に流されたい、という、甘えた姿勢なのではあろうが..

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*2001年09月19日:Nimda 襲来


 Code Red II の興奮も冷めやらぬうちに、またまた凄い奴がやってきた。Code Red II が仕掛けていった「バックドア」も利用するあたり、「ヒール(悪役)の連係プレイ」を彷彿とさせて、いっそ、痛快である。

 とはいえ、技術的なブレイクスルーは無い。Nimda の画期的な点は、4種類もの方法で侵入・拡散を試みることであり、基本的には既存技術の組み合わせに過ぎないのだが、いずれも、有用さが実証されている効果的な技術であるところが、一筋縄ではいかない。

 なかでも、「ウェブサイトやメール本文を見るだけで感染」、という奴が、強烈である。技術的には既知のトリックであるが、これほど感染力の強いウィルスで採用(活用)されたのは、初めてではあるまいか。

 なんにせよ、ウィルス(ワーム)が、今後も右肩上がりで急成長を続けることは、確実である。それは、一見して「きれいな犯罪」だからである。

 「昨年一年間のウィルス被害総額は、何百億ドル相当」などと報道されるが、その「何百億ドル」には、「流血」が伴っていない。(少なくとも、見えない。)それに加えて、「何百億ドル」という数字の巨額さは、クラクラするほどの魅力である。ここに(病んだ精神の)クラッカーたちが、殺到しないわけがない。

 「何百億ドル相当の被害」と言えば、ニューヨークのテロ事件の被害総額と、オーダーはほぼ同じである。あれだけの大犯罪を犯す度胸のある奴は(幸いにも)ほとんどおるまい。数千人を殺して発狂もせずに生きていられる奴は..しかし、それに匹敵する(何百億ドルの)金銭的被害を、手を汚さず、(少なくとも表面的には)血も流さずに、大企業(あるいは米国や日本のような大国の国庫)に負わせることができるとすれば..これは痛快!、と考える(病んだ精神の)クラッカーたちは、枚挙にいとまが無いのではあるまいか。

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*2001年09月20日:IE の陥穽


 IE(Internet Explorer)は落とし穴だらけに決まってるじゃん、と、たった今あなたが突っ込んだことは承知しているが、少し意味が違う。

 Nimda から身を(PCを)護るためには、IE に(5.01 系列でも 5.5 系列でも)SP2(Service Pack 2)を適用しなくてはならない。(SP2 を当てれば安全、というわけではないが、少なくとも、メールの本文やウェブページを読んだだけでいきなり感染する、ということはなくなる。)普段、ブラウザやメールリーダとして IE を使っていなくても、である。なぜなら、「普段使うブラウザ」として例えば Netscape を設定しておいたとしても、Windows が、裏で勝手に IE(の一部)を起動することがあるからである。

 さて、職場のPCの全部を調べたわけではないが、サンプリング調査してみた感触では..どうやら、職場のPCにインストールされている IE の大多数には、SP2 が当たっていない気配である。

 「なんたるセキュリティ意識の低さ!」、と、誹られても言い訳できない。全くお恥ずかしい次第だが..ある意味、無理も無いのだ。なぜなら私の勤務先では、全社的に IE は使用禁止になっているからである。

 人間の意識として..どうしても、使っていないものは放っておく。

 手入れしない。

 世間で、IE をターゲットとする攻撃が繰り返されていることを知っていても、「普段使うブラウザではないから、大丈夫(関係ない)」、という意識になる。

 これが、タイトル(「IE の陥穽」)の真意なのであった。やれやれ、全部アップデートしなくては。

 (ちなみに、私のリブ100の IE に至っては、3.02 であった [;^J^]。全く使ってないもんなぁ。)

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*2001年09月21日:「クレオパトラ」


 「レコード芸術」誌の10月号。

 私はこの雑誌を、数年前からほとんど、「ムーサの贈り物 絵画・詩・音楽の出会うところ」(喜多尾道冬)という連載コラムのためだけに購入していると言って良い。「こんな文章をつづって食っていければ良いな」、と、「ほんわかと」憧れてしまうような、素敵なコラムなのである。

 毎回、設定したテーマを巡る、文学作品(“詩”とは限らない)、美術作品、音楽作品について書きつづり、それらの相互(相関)関係を解きほぐして行く..

 今号のテーマは、「クレオパトラ」の2回目であり、特に「クレオパトラの死」に焦点が当てられていた。美術作品からは、モロー、ロラン、ボワフルモンらの作品の図版が引かれ、文学作品からは、バーナード・ショウの「シーザーとクレオパトラ」が引用され、音楽作品としては、グラウン、ヘンデル、バーバーらの諸作が取りあげられている。また、コルトーヌの絵画作品をジャケットに採用したヘンデルの歌劇のCDのジャケットが、都合3点、紹介されている。

 「クレオパトラの死」の特集なのだから..くるぞ、くるぞ..と期待しながら読んでいたら..やはり来た! ベルリオーズのカンタータ「クレオパトラの死」も取りあげられている! が..(10月号の261頁から引用)


 きわめて特異なのは、ベルリオーズのカンタータ《クレオパトラの死》だ。彼は死の臭いに敏感な作曲家で、ほかにも《オフェーリアの死》や《ハムレットの葬送行進曲》、《サルダナパルの死》などの作品で、死臭フェティシズムをさらけ出している。

 ..し、死臭フェティシズム..[;^.^]..まぁ私も、「新・ベルリオーズ入門講座 第13講 補遺:声楽作品」で「ハムレットの終場の葬送行進曲」に触れたところで、「葬送音楽の大家」とか書いてはいますけどね [;^J^]..(引用を続ける。[;^J^])


この《クレオパトラの死》は、オクタヴィアヌスに突き放され、死を決意した女王が、胸に毒蛇をあてがうシーンを音楽化している。

 胸を這う蛇の感触が弦のぬるっとしたボーイングによってあらわされ、その直後の鋭く甲高いひびきは蛇の噛みつく一瞬の擬音化にほかならない。低弦のトレモロがその痙攣の震撼的なシーンを強調し、同時に毒が漸進的に身体にまわってゆく様子を伝える。まるで皮膚が変色してゆくのを目のあたりにさせるほどの映画的な描写力だ。そして女王は死の浸食を自らの眼で確かめながら、最後はトレモロの痙攣でこと切れる。ほとんど猟奇的と言えるほどの隠微な音楽だ。

 ちなみに、私は上記「第13講」で「クレオパトラ」の解説も書いているのだが、それは、


まるで新ウィーン派である。苦痛と動悸の鮮烈な描写と、それを見つめる圧倒的に冷たい視線。凄まじいリアリズム。これはある意味で、のちの「ロメオとジュリエット」の死の場面よりも先鋭的である。

 ..といった具合である。これと比べてみても、やはりプロの文章は違う。「まるで皮膚が変色してゆくのを目のあたりにさせるほどの」、とは、よくぞ書いた! このイメージ換起力には、かなわない。私はまだまだ、文章修行が足りんなぁ..

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*2001年09月22日:信号機の逆説


 私が「そのこと」に気がついたのは、確か小学校の低学年であるから、30年以上昔のことになるだろうか。

 それは、「青信号は不安をかきたて、赤信号は希望を紡ぐ」、という事実である。

 どういうことかと言うと..自家用車なりバスなりに乗っていて、前方に信号が見える時、歩行者用信号が無い限り、その青信号が、どの瞬間に黄色になるか、また、赤信号が、どの瞬間に青になるか、予想できないのである。(その道を走り慣れたドライバーなら、交差点の車の流量からある程度正確に予想できるが、無論、この場合はこのようなケースは考えない。)

 つまり、前方の信号が「青」である限り、いつ「黄色」になるか、つまり「駄目」になるか、不安で不安で仕方がない。嬉しくない。「速く! 速く! 黄色になっちゃうから!」、と、焦燥感に駆られて、心の中で叫び続けることになる。

 逆に、前方の信号が「赤」であれば、いつ「青」になるか、つまり「OK!」になるか予想できないのだから、「まだかな」「もうかな」「一秒後かな!」、と、絶えずワクワクし続けることになる。この高揚感! 多幸感!

 当時の私は、この心理状態(心理現象)を、「恐怖の青、希望の赤」、と、呼んでいた。この言語感覚は、悪く無い。今でも通用すると思う、何かに適用できるようであれば、遠慮なくお使い下さい > 読者諸氏。

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*2001年09月23日:ガーデン・コンサート


 「まんだらけZENBU 12号」から、とにかく何か申し込めるブツは無いかと、必死に再読・三読する..

 ..つまり、そこまでしないと(無理矢理にでも捻り出さないと)買うブツが無いほど、この「12号」は不作なのである。(あくまでも、「私にとっては」、である。ジブリ特集なので、読む人が読めば、宝の山なのかも知れない。)

 いつもの「天狗」から歩いて2分ほどの距離にある、浜松駅前の小広場にて、「ガーデン・コンサート」。午後3時から5時まで。ほとんど直前に社内のネットニュースで告知されるまで気がついていなかったのだが、今回演奏する4バンドが、全てR社系で、知りあい(先輩社員・後輩社員)が多数参加している。あまりライヴに顔を出さない(職種を考えると怠慢としか言い様のない)私であるが、こういう機会を利用しない手はない。終われば、天狗が開いている時刻なんだし [;^J^]。

 ま、なかなか結構でした。ここ浜松でも休日には色々イベントがあるし、決して興味が無いことは無いのだが、休日出勤している日が多いこともあって、ついつい目配りがきいていなかった。アクトシティの大ホール・中ホールにも、しばらくご無沙汰しているし、少し反省しよう。(猿程度には。)

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*解説


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Last Updated: Sep 26 2001 
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