*2001年09月24日:「10月1日では遅すぎる」
*2001年09月25日:「写真集」考
*2001年09月26日:「報復」について
*2001年09月27日:馬鹿は世界に遍在する
*2001年09月28日:0.001の幻想空間
*2001年09月29日:類推について
*2001年09月30日:リブ100、ピーンチ!
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*2001年09月24日:「10月1日では遅すぎる」


 フレッド・ホイルが亡くなってから、もう一ヶ月になる。いささか遅くなったが、追悼企画として「10月1日では遅すぎる」(ハヤカワ文庫)を再読してみた..というか、追悼にかこつけて、昔は釈然としなかった点をチェックしてみたというわけ。(今週で9月が終わってしまうから..というわけでは無い [;^J^]。)なぜなら、本書について必ず語られるのが、「独自の時間理論」というやつなのであるが、その印象が、全く記憶に無いからである。

 で、再読してみても..う〜ん、やはりピンとこない [;^J^]。ややこしいし、完全に理解できているか自信が無いので、その理論の説明は省略するが、ようするに、本書の中で“重きが置かれていない”のである。非常に魅力的な設定(地球上の各地域に、古代から未来に至るさまざまな時代が現れた)を成立させるための道具(便法)として、使われているだけなのだ。そして、この理論が、意外な結末とかどんでん返しとかを導出していないので、「時間理論ハードSF」とは言えない(と思う)。昔は、それを期待して読んで、それが裏切られたので、印象が薄かったようだ。

 再読して確認したのだが、本書の魅力は別のところにある。それは「音楽」である。

 主人公が音楽家(作曲家兼演奏家)なので、至る所に主人公の(恐らくは作者の)音楽論、作曲論、作曲家論、演奏論が散りばめられており、それらが滅法、面白いのである。

 「音楽」が重要なキーになっているかというと、「SF的な仕掛け」としては、そうは言えない。しかし、現代・過去・未来の全てのパートにおいて、主人公のピアノ演奏と音楽の教養が、物語を動かしている。「古代ギリシャ世界」においては、音楽演奏で当時の人々の心をつなぎとめるばかりではなく、作曲熱に憑かれた「祭司」となって、デルポイの巫女と音楽争いをしたことがきっかけとなって..また、「未来世界」においては、既に失われた18世紀から20世紀の音楽を再現できる者であり、また、もはや「演奏」する者がいなくなった世界における、唯一の「演奏者」であり..(大体、古代ギリシャ世界にタイムトラベル(航海)をするというのに、グランドピアノを持っていくんだぜ、こいつは [;^J^]。)


 かなり前から、この社会では楽器を演奏するものはいないのではないかと考えはじめていたのだが、それは事実だったのである。エレクトロニクスの技術を応用すれば、音楽を作ることはたやすい。だから熟練した演奏をしようにも、それにどうしても必要な長年月の練習に耐える動機が人びとに欠けているのだ。
(本書 225頁)

 そうだよ、そのとおりだよ! [;^.^] それで困っているんだよ! [;^.^] 自業自得だなんて、言われたくはないがな! [;^.^](..すみません、仕事の話をしてしまいました。[;_ _][;^J^])

 音楽つながりと言うべきか..ヴァイオリニストのアイザック・スターン、逝去。さて..どの盤で追悼しようか..

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*2001年09月25日:「写真集」考


 会社帰りの書店の平積みのコーナーで、嫌なものを見たような気がする。「小泉純一郎写真集」..[;^J^] 視界の隅に引っかかった瞬間、脊髄反射で首が反対側を(我ながら信じがたいコマ落としの瞬速で)向いていたので、正確な書名とかは判らないのだが..おかげで、首の筋を違えてしまった(← 実話)[;^J^]。

 政治家のアイドル化も、ほどほどにしましょーね。ただの写真集ならともかく、しまいにはヘ(我ながら己の想像力のあまりのおぞましさに爆沈し、自主検閲)

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*2001年09月26日:「報復」について


 SFマガジン11月号の 177頁。鹿野司のコラムから引用する。


 なかでも、民間人が乗っている航空機を、燃料満載で超高層ビルなどにぶつけるという自爆テロを、フィクションではなく、現実に実行にうつすことができる人々が生まれてしまったことにたいしては、そう単純にわかってしまうべきではない。宗教的な狂信に駆り立てられているとか、そういう単純な図式を当てはめたがる人は多いと思うけど、あの犯人たちの心理はそう単純ではないはずだ。

 自爆テロ実行犯とされる者たちの経歴を見ると、欧米の大学で建築学などを学んだインテリがいたり、航空機の操縦訓練で少なくとも半年から一年以上はアメリカなどに滞在していたりしていたらしい。つまり、彼らはかなり長い期間にわたって、西欧文明の何たるかを体感してきた経験がある。殉教を決意し、そのモチベーションをこれほど長い期間にわたって持ち続ける精神性は、そう簡単に納得できるものではない。そこには深い怨念と絶望があるはずだ。そういう人間が、少なくとも十数人も存在できる状態が、今の世界にはあるのだ。それをどう受けとめるかが、今問われているのだ。

 「報復」が、この状況を止められるのだろうか? 事態が“遙かに”悪化するだけではないか。

 当面の「敵」の全てと、「敵」に連なる(想いを受け継ぐ可能性のある)全ての者共を、地球上から抹殺できれば、あるいは、「解決」になるのかも知れないが..それは、ヒトラーが夢見たことと、非常に良く似ているのだが..いまのアメリカには、その程度のことは気にしない人々が、残念ながら極めて大勢いるように見える..

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*2001年09月27日:馬鹿は世界に遍在する


 ちっ! またか!

 どこかの馬鹿が、私をわけの判らんML(?)に登録した。これだけならば、まぁいい(本当は良くない)。

 今回起きたのは、私を含めて、少なくとも数十人以上(数百人以上?)が、同時に登録されたことである。これは誰かの(MLのマネージャーの?)誤操作であると推測出来る。これも、まぁいい(本当は良くない)。

 ムカツクのは..そのMLからのメールの「Reply-To:」フィールドが、そのMLの投稿用のアドレスになっているので、(これ自体は普通のことであるが、)これに返信すると、MLに登録された全員に、そのメールが配布されるのだが..そんなことにも気がつかない大馬鹿者が、数十人ないし数百人も存在する、という現実である。

 「えぇー、何これ!?」「私にメールを送らないで下さい」「MLから削除してください」云々というメールを、“スタッフ宛てに”送ったつもりらしい..が、実は全員に送られている。すると、またまた、「ええええぇー、何これ!?」「これ以上私にわけのわからないメールを送らないで下さい」云々..ご丁寧に、来るメール来るメール全てについて、「抗議」を書く馬鹿が“何人も”いる。つまり、ものすごい勢いで「増殖」する。

 事態を悪化させているのは、「海外の」連中も、大勢登録されてしまった、ということである。(そちらがメインなのかも知れない。)つまり彼らは、日本語が読めない。お馬鹿な日本人どもが急速に増殖させたメールの内容が一切読めないので、「読めないメールを送るな!」。そしてこれまた同じ理屈で、大勢のお馬鹿な海外の連中が、自分たち自身に跳ね返ってくる「ええええぇー、何これ!?」「これ以上私にわけのわからないメールを送らないで下さい」を増殖させる。

 そして彼らが“引用”した日本語のメールが、多くの場合、ぐちゃぐちゃに“文字化け”している。日本語環境が無い(日本語のメールを読むことなど想定していなかった)んだから、仕方がないのだが、それを読んだ大馬鹿な日本人が、またまたまたまた、「ええええええええぇー、何これ!?」「これ以上私にわけのわからないメールを送らないで下さい」..そしてそれを読んだ海外の大大馬鹿な連中が、またまたまたまたまたまたまたまた..

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*2001年09月28日:0.001の幻想空間


 私の視力は、0.001以下である。正確にはわからない。というのも、かれこれ10年(15年?)以上、裸眼で視力を測っていないからである。(会社の健康診断では、いちいちコンタクトや眼鏡を外すのは面倒なので、矯正視力しか測定していない。)だから、学生時代に最後に測定した「0.001以下」という数字より、恐らく悪化しているのだろう、としか推定できないのであるが..

 でもまぁ、10センチまで近づければ本は読めるので、それほど酷いわけではない。(15センチだと、全く読めない。)

 面白いのは、夜景である。私は天狗などに行くために夜のバスに乗る時に、できるだけ一番前の席に座り、そこで(読書する元気が無い場合は)眼鏡を外すことにしている。このとき眼前に展開する幻想世界を、視力のいい人々にどう伝えたらいいのか..

 モノの形は、いっさい見えない。そのかわりに、大体、満月の4倍くらいの(500円玉を指先でつまんで、腕をいっぱいに伸ばしたくらいの)直径の、“光の球”というか“円”が、無数に現れる。円の形態(内部構造)は、炸裂した直後の打ち上げ花火に良く似ている。それぞれの円は、ぱっと見には単色なのであるが、良く見ると、他の円からの映り込みによって、二色以上が微妙にブレンドしている。そしてそれらは脈動し、近づき、現れては消える..

 この美しい幻想世界は、まともな視力の持ち主には見ることは出来ないのだ。なかなかいい気分である。悔しかったら、視力を0.001に落としなさい。

 昨日から始まっている大馬鹿MLへの投稿の増殖が止まらない(というか、さらに加速度的に増殖している)。自分が書いたメールが自分に返ってくることに驚き呆れ憤慨しているのだから、絶望的である。「Reply-To: フィールド」という概念を知らないどころか、恐らく「ヘッダ」という言葉すら知らないのであろう。猿にメールを使わせるんじゃねえよっ!

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*2001年09月29日:類推について


 「イメージの博物誌」第17巻、「眼の世界劇場」の 73頁から引用。


 当時(古代ギリシャ)の葡萄酒は発酵した葡萄の搾り汁に催眠性植物の抽出液を加えて人を酔わせる力を強めたもので、今日のものよりは強烈であった。生(き)であおれば激しい行動に駆り立て、人殺しに行きつかなくとも、飲む人間に疲弊、昏睡そして死さえももたらしかねなかった。水で割るという古い習慣はこうして始まったのである。

 当時は葡萄酒を必ず水で割って飲んでいたのは、昔から知っていましたが..「昔の人は薄い酒が好きだったんだな..」「がぶ飲みするためなんだろうな..」、と理解していました [;^J^]。前提を間違っていた(外していた)わけね [;^J^]。

 訳者解題が面白い。このシリーズ全般に対して「エリアーデ流の連想と引用のアップテンポ」を指摘し、


 「イメージの博物誌」とはうまい命名だ。小栗虫太郎のいわゆる「類推の花弁」が団々奔々と咲き乱れて、頁から頁へ、「似たもの」を捜す象徴狩りの、すばらしい発見と驚異の旅がつづいていく。

 ..と、喝破する。私自身は、エリアーデよりもむしろ、フレイザーを想起していた。フレイザーの著作というよりは、フレイザーの研究対象を、である。すなわち、「誤謬の理論」、「観念連合」..

 糞馬鹿ML、どうやら止まったようである。サーバーの管理者が気がついて、削除したらしい。悪意の悪戯ではなかったということか。

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*2001年09月30日:リブ100、ピーンチ!


 ひええ〜〜!! ふたつあるPCカードスロットの片方に、PCカードを挿せなくなってしまった!!

 非常に奥まったところなので、懐中電灯で覗き込んでも、よく判らないのだが..端子が曲がったか、異物が混入したか? これしきのことで修理に出すわけにはいかない。(何千円もかかるのはともかく、何週間も手放すのは我慢できない。)もう深夜だし眠いし、指先も怪しいので、明日、なんとか修理してみるか。分解しなくちゃなるまい。とにかく見えない場所なのだ..

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Oct 4 2001 
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