新・ベルリオーズ入門講座 第13講

補遺:声楽作品:夏の夜 (1841)・他



“単純な要素で大きな感動の直接的な理由となるものを創り出すには、稀な天才性が必要であるが、残念ながら、私はその部類に属していない。少しの効果を出すためにも、私には沢山の方法が必要です。”

(ベルリオーズ)


 ベルリオーズのこの見事な自己分析は、彼の才能と作品の質を、正確に表現している。この特質故、彼は「瞬間の閃き」が生命である様な小品(例えば歌曲)をあまり残していないし、また、それらは何度も何度も改訂され、ピアノ伴奏版、管弦楽伴奏版が、幾種類も作られることも珍しくはない。ここでは煩雑になるので、版の詳細については、一切触れない。



[歌曲集 夏の夜] (1841)

 ゴーティエの詩に基づく6曲からなる、ベルリオーズの歌曲中最高位に位置する傑作。この様なメロディー(芸術歌曲)も、歌曲集も、これまでフランスには存在しなかった。その内容は、夢と憧れに満ちたものである。


1.ヴィラネル
 ベルリオーズとしては例外的とも言える、軽やかで繊細な旋律の魅惑!
2.バラの幽霊
 舞踏会に行く娘によって摘まれた薔薇の幽霊が、彼女の夢枕に立つ。これぞロマン派と言いたい歌詞につけられた、憧れに満ちた旋律!
3.入江のほとり
 死んだ恋人を想う漁師の悲歌。控え目にして雄弁なオーケストレーションの妙。
4.君なくて
 この曲集中でもとりわけ有名な、去って行った恋人に呼び掛ける歌。冒頭の4度上行のシンプルな音型の、何という雄弁さ!
5.墓場にて
 墓場で幽霊に出会う。情景を暗示する管弦楽の静かな足取り。
6.未知の島
 中間の4曲は暗いムードに満ちているが、両端の曲は明るい。この曲は、なんといっても歌詞が素晴らしい。素敵な舟を用意して娘に行き先を尋ねる船人と、愛の国へ連れて行って! という娘の対話。これに付けられた音楽は、絶品である。ワトーの絵画を想い起こさずにはいられない。


[その他の歌曲]

 [美しい旅人](1830)は、初期の傑作である。ベルリオーズが愛好した6/8拍子の上でゆったりと歌われる。[ブルターニュの若い牧童](1833)は、「美しい旅人」に良く似た楽想を持つ。管弦楽伴奏版ではホルンのオブリガードが素晴らしい。[囚われの女](1832)は、ユゴーの詩による、ベルリオーズの歌曲中屈指の名作。歌詞が故郷のスペインに言及する時、ボレロのリズムが伴奏に現われ、鮮やかな効果をあげている。[デンマークの猟人](1845)は、年老いた猟人の息子が父を起こしに来たら、彼は死んでいた、という情景を描いている。[ザイーデ](1845)は、ボレロのリズムが特徴的な、エキゾチックな魅力に溢れる佳品。



[カンタータ]

 ベルリオーズのカンタータの多くは初期のものであり、ローマ大賞の課題作品である。従って「受賞するための」不本意な作品も含まれており、のちにベルリオーズ自身によって破棄されたものも少なくない。(しかし、忸怩たる思いの作曲者によって破棄された作品を発掘し、あまつさえ録音までしてしまうというのは、道義的に許されることなのだろうか?(聴きたいけど。[^J^]))

 そんな中にも、注目に値する作品は存在する。[オルフェウスの死](1827)からは、いくつかの美しいページが「レリオ」に流出した。楽器法にも注目すべき点があり、彼の個性が現われ始めた最初の作品と言ってよい。[エルミニー](1828)には、前年の「序曲 宗教裁判官」にその原形が見られた、2年後の「幻想交響曲」の固定観念が、ほとんどそのままの形で用いられている。

 [クレオパトラの死](1829)は、初期の注目作である。前年の「エルミニー」で、大賞こそ逃がしたものの2位に食い込んだこともあって、この年はほぼ当確だったのだが、これを提出したばかりに受賞しそこなった、といういわく付きの作品である。「レリオ」や「ベンヴェヌート・チェリーニ」に転用された美しいピースについては、この際どうでも良い。問題は、クレオパトラが毒蛇に乳房を噛ませて死ぬ、暗黒のフィナーレである。私は「レリオ」について、「これはアヴァンギャルドではない、ベルリオーズにはそういう体質は無い」と述べたが、これを聴くと撤回したくなる。まるで新ウィーン派である。苦痛と動悸の鮮烈な描写と、それを見つめる圧倒的に冷たい視線。凄まじいリアリズム。これはある意味で、のちの「ロメオとジュリエット」の死の場面よりも先鋭的である。落選して当然、これこそ彼の勲章であった。

 [サルダナパルの死](1830)は、これによってベルリオーズがローマ大賞を獲得した、少なくとも伝記的には記念すべき作品であるが、こんにち演奏される機会は、まずない。断片しか残されていないようなのである。回想録を読むと、ベルリオーズは、この作品に対して、かなり複雑な感情を抱いていたようである。彼は今度こそ賞を獲得するために、審査の段階では“無難な”スコアにしておいた。そして一等賞が決定し、管弦楽で演奏されることが確実になってから(審査はピアノ演奏で行われる)、クライマックスの火事の場面を書き直し、凄まじい崩壊の音楽に作り直したのである。(最初からこの音楽を提出していたら、「クレオパトラ」の轍を踏むことになったのであろうが..こんなことしていいのか? [;^J^])しかし受賞式では、演奏者が譜面を読み誤って「崩壊は起らず」、演奏は惨めな失敗に終わったのだった。後日、ローマに出発する前の演奏会で再演し、この時は大成功で、大いに面目をほどこしたと言う。

 こんにち、我々が聴くことが出来るのは、このクライマックスの一部だけであり、それはなんと、「ロメオとジュリエット」の「キャピュレット家の宴会」の原型なのである! オーケストレーションは遥かに稚拙であるが、ベルリオーズの最高傑作のひとつとも言える、この饗宴の音楽の主要旋律は、はっきりと聴こえてくる。それも、サルダナパルの破局に至る最後の饗宴を表す、混沌たる音響の中から、浮かび上がってくるのである。まさに、のちの名作が生まれいずる、その現場に立ち会っているかのごとくである。

 ベルリオーズは、「ロメオとジュリエット」を作曲するにあたって、この若き日の、ドラクロワにインスパイアされたに違いない断片を、蘇らせたのだった。(回想録の中では、ドラクロワの1828年の名作については何も語られていないが、彼がこれを観ていたのは確実だと思う。)ドラクロワからシェイクスピアへ。まさしく、ベルリオーズは、ロマン派音楽の戦闘指揮官だったのである。

 [五月五日](1835)は、「葬送と勝利の大交響曲」「テ・デウム」と共に、ナポレオンを題材にした作品であり、1821年5月5日の、セントヘレナにおけるナポレオンの死を悼んでいる。但し、三部作と言う訳ではない。彼の大構想は結局実現されなかったのであり、最終的にどういう作品群が現われるはすだったのかは、今となっては夢想するしかない。このカンタータは、「葬送と勝利の大交響曲」「テ・デウム」と比較できるほどの音楽ではなく、国内現役盤が無いのもやむを得ない。

 後年になって作られた[ランペリアル(12月5日)](1855)は、パリ万国博の閉会式用に依頼された作品で、歯の浮く様な皇帝賛美である。ナポレオンはナポレオンでもボナパルトI世ではなく、時の皇帝ナポレオンIII世を称える音楽であるが、まぁこの歌詞(ラフォンによる)たるや、読んでいて恥ずかしくなるほどのものである。音楽的にも、編成が巨大なことを除けば、特に注目すべき点もない。(こういう作品が、ベルリオーズの「ドンガラガッシャン伝説」を産むのである。[_ _])



[歌劇 ベアトリスとベネディクト] (1862)

 「トロイアの人々」を上演しようと奔走していた時期の作品。保養地のバーデン・バーデンの劇場から依頼されたもので、シェイクスピアの「から騒ぎ」を原作とする、軽い内容。客層(賭博の客)を正確に把握したプランは見事に当たり、彼の晩年の慰めとなるヒット作となった。原作の英語の「しゃべり」の面白さは、仏語に訳した際にかなり失われたが、その代わりに愉快な楽長を登場させるなどして、喜劇としての水準を保っている。円熟した技法に支えられた「軽やかさ」が、聴き物である。

 16世紀のシシリーのメッシナを舞台とする、毒舌家のベアトリスと同じくベネディクトの物語。彼らは会えば口げんかをする間柄なのだが、心の底では、相手を憎からず想わないでもない。周囲の策略で心ならずも(?)愛の告白をした二人は、結婚の契約書に署名をするが、「今日は休戦の署名を行うとも、明日はまた敵になるだろう」と歌うのである。



[その他の声楽作品]

 3曲からなる管弦楽伴奏の合唱曲集[トリスティア](1848)は、まさしく珠玉の名作である。「宗教的瞑想曲」「オフェリアの死」「ハムレットの終場の葬送行進曲」からなり、うち2曲は、言うまでもなく、シェイクスピアにインスパイアされたものである。「宗教的瞑想曲」は清楚な美しさに満ちており、ここでもホルンが素晴らしい効果を醸し出している。「オフェリアの死」は、流れるような旋律(無論、川の流れを暗示しているのだろう)の、むしろ明るい曲想だが、その明るさに秘められた悲しみの表現が絶品である。ベルリオーズにとっても、とりわけ愛着のある題材だったに相違なく、様々なバージョンがあり、彼の声楽作品としては「夏の夜」に次いで録音される機会が多い。「ハムレットの終場の葬送行進曲」の声楽パートには歌詞がない。詠嘆の叫びのみであり、管弦楽作品に分類されることもある。規模こそ小さいが、「葬送音楽の大家ベルリオーズ」の名に相応しい傑作である。

 [水浴するサラ](1834)は、非常に様々な編成の版がある(把握しきれていない[;^J^])、優美な合唱曲(あるいは重唱曲、または独唱曲)。

 声楽のための編曲作品もいくつかあるが、最も有名なのは[ラ・マルセイエーズ](1830 原曲は、1792)であろう。彼は1830年の7月革命に身を投じた世代であり、その熱い想いが結晶した佳作である。この雄大なスケールのアレンジは、確かにのちの壮麗な作品群を予告している。



*推薦CD

[歌曲集 夏の夜(及び、その他の歌曲)]

* キリ・テ・カナワ/バレンボイム/パリ管弦楽団/他
 (ポリドール グラモフォン POCG4022)
* フォン・シュターデ/小澤征爾/ボストン交響楽団/他
 (CBS MASTERWORKS MK39098)
* アメリング/ロバート・ショウ/アトランタ交響楽団
 (日本フォノグラム テラーク 32CD80084)
* オッター/レヴァイン/ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
 (ポリドール グラモフォン POCG4181〜2)
* ガーディナー/リヨン歌劇場管弦楽団/他
 (ワーナー・パイオニア エラート WPCC3243)
* ラプラント/マルク・デュラン/他
 (ビクター カリオペ VDC1250)
 キリ・テ・カナワ盤は、彼女の軽やかな声質について好悪が分かれるかもしれないが、バレンボイムの伴奏は絶妙である。また、ジェシー・ノーマンの独唱による[クレオパトラの死]が併録されている点が、見逃せない。
 国内廃盤中のフォン・シュターデ盤にはドビュッシーの「選ばれた乙女」が、同じく廃盤中のアメリング盤にはフォーレの「ペレアスとメリザンド組曲」が併録されている。オッター盤は、「ロメオとジュリエット」のフィルアップである。この辺は、声質の好みでセレクトしていただければ良いだろう。個人的にはフォン・シュターデが好みだが、ややビブラートが深すぎるかも知れない。
 ガーディナー盤は、6曲を一人で歌わせずに、内容に従って、別々の声域の歌手を起用している。この盤には、上述した他の主要な歌曲も含まれている。お買い得である。
 ラプラント盤は、バリトン独唱であることとピアノ伴奏版であることが、際だった特徴である。音楽史上稀にみる「ピアノの弾けない作曲家」であったベルリオーズには、ピアノ曲が1曲もなく、歌曲や合唱曲の伴奏ピアノパートも、あまり面白いものではない。それを敢えて取り上げているところに文献的価値がある(が、それ以上のものでもない)。
 聴きこむほどに素晴らしい曲集である。出来ればいく種類か揃えて、折に触れて聴き分ける、という贅沢な聴き方をこそ、心からお薦めしたい。

[歌劇 ベアトリスとベネディクト]

* コリン・デイヴィス/ロンドン交響楽団/他
 (日本フォノグラム フィリップス 32CD611〜2)
 外盤ではバレンボイム盤などがあるが、国内で現役なのはこれだけである。作品の性格に相応しい控え目なユーモアと、落ち着いたスタイルが好ましい。バスタン演ずる楽士ソマローヌが、絶品である。

[クレオパトラの死]

* バレンボイム/パリ管弦楽団/他
 (ポリドール グラモフォン POCG4022)
 「夏の夜」との組合せ。ノーマンの歌唱が圧倒的である。バーンスタイン盤(ソニークラシカル SRCR8985〜6)は、トゥーレルの独唱に、今ひとつ疑問が残る。

[ローマ大賞のカンタータ]

* Jean-Claude Casadesus/Orchestre National de Lille/他
 (ハルモニアムンディ・フランス HMC 901542)
 1828年から1830年にかけて、ベルリオーズがローマ大賞の課題曲として作曲しつづけた4曲のカンタータ、「オルフェウスの死」「エルミニー」「クレオパトラの死」「サルダナパルの死」を全て収録した、洒落た企画である。「サルダナパルの死」の断片が聴ける、恐らく唯一のCD。

[その他]

 [トリスティア]は、デイヴィスの振った「イタリアのハロルド」(フィリップス PHCP646)、及びガーディナーの振った「イタリアのハロルド」(フィリップス PHCP1492)に併録されている。一聴をお薦めする。
 [ラ・マルセイエーズ]の編曲は、ジンマン/ボルティモア交響楽団の作品集(日本フォノグラム フィリップス 32CD80164)他で聴くことが出来る。「熱血漢ベルリオーズ」をこれほど実感させる作品は他にはない。


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Feb 5 1998 
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