*2001年09月10日:台風とライオン
*2001年09月11日:空襲
*2001年09月12日:戦争の跫音が聞こえる..
*2001年09月13日:八ヶ岳ツアー2001:第1日
*2001年09月14日:八ヶ岳ツアー2001:第2日
*2001年09月15日:八ヶ岳ツアー2001:第3日
*2001年09月16日:八ヶ岳ツアー2001:第4日
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*2001年09月10日:台風とライオン


 台風が来ているからというわけでも無いが、午後半休を取り、帰宅。先日来、いささか体調不良なのである。体を温めて軽く横になり、午睡を少々。

 晩にはそこそこ回復したし、台風もたいしたことは無いので、久々に有楽街の「銀座ライオン」へ。(ここは浜松なのに「“銀座”ライオン」というのは、どうにも気恥ずかしいので、日常生活においては「銀座」を略して「ライオン」と呼ぶ私であった。まぁ、全国チェーン店なのであろうが。)飲み放題コース(30分刻みで500円単位)は、リーズナブル。

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*2001年09月11日:空襲


 今週後半の小旅行に備えて、ここ数日、早めに寝ている。(昨日書いたように、やや不良な体調を整えているのだ。)今夜も22時過ぎにフトンに入ったのだが、案の定、深夜2時半頃に目が覚めてしまった。仕方がないので、寝惚けまなこでニフのFCLAのRTにつなぎ、呑気な話題を振り始めたら..

「わたる家にはテレビないんだっけ?」
「ないない」
「そか。アメリカの事件のことは知らないんだな」
「なんじゃ?」
「ツインタワー、もうないよ」
「へ?」

 ..ツインタワーって..どのツインタワー?(← 目が覚めきっていない。)

 ..とにかく、asahi.com に接続して..仰天!(眠気が吹っ飛んだ!)


 ..つまり..


 ..つまり、別に(核)ミサイルは必要無かったわけだ。無論、マンハッタンを焼け野原にすることは出来なかったにせよ..心理的には、それと同質の効果が得られたわけだ。

 これは、ブッシュ政権が夢見ている(現時点においては“夢”でしかない)「ミサイル防衛計画」に対する、痛烈な皮肉でもある。攻撃側にはミサイルの必要がなく、防御側にはミサイルの出番がなかった。


 このタイプの「攻撃」を防ぐことは、非常に難しい。

 無論、(民間・商用)航空機よりも、ミサイルの方が速い。「ハイジャックされたと判明した時点で」撃墜することは、論理的には不可能ではない。しかしそれが、現実に可能だろうか? そのハイジャック犯たちは、単に(例えば)政治亡命を望んでいるだけで、人質たちの命を奪う(さらには、この航空機を用いて破壊工作を行う)意志は、全く持ち合わせていない可能性の方が、遙かに高いのである。亡命などが成功すれば、恐らく乗客たちは無事に解放されるであろう..という可能性を勘案した上で、なおかつ、「ハイジャックされたと判明した時点で、(念のために)問答無用で撃墜する」ことが、果たして可能であろうか?

 大多数の乗客が他国民である他国機ならばともかく、大多数の乗客が自国民である自国機を撃墜することが?

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*2001年09月12日:戦争の跫音が聞こえる..


 こう言ってはなんだが、「自爆テロ」自体は、ありふれている。日常茶飯事と言っても良いくらいだ。「ハイジャック」も同様。しかしそのふたつを組み合わせることにより、これほどまでに効率の良い(コストパフォーマンスの高い)攻撃が可能になった。まさに盲点である。

 いずれにせよ、報復戦争は不回避である..無理矢理にでも“敵”と“犯人”を定義して、戦争を始める。良し悪しはともかくとして、合衆国はそういう国であり、合衆国民はそういう国民である。(ブッシュ大統領の支持率は、建国以来の最高水準に跳ね上がるであろう。)

 しかし..その戦争行為の成否に関わらず、これは全く、報われない戦争になるであろう。(憎悪の拡大再生産、という、重大で本質的な側面を度外視しても。)

 まず、合衆国民が“癒されない”。

 なにしろ、マンハッタンの輪郭が変わってしまったのだ。数千人の命が一瞬にして失われた(そしてそれを予知することも防ぐことも合衆国には出来なかった)ことを、どうやって「癒し」「忘れる」ことが出来るのだ。マンハッタンを訪れるたびに、マンハッタンの写真を見るたびに、この悪夢が蘇るであろう。

 あれだけ巨大なビル群が、直ちに「再建」されればまだしも..そんなことは、もちろん不可能なのである。(その意味では、ペンタゴンの方は、まだ“回復可能”だ。あのビルは“直せる”。)今後数十年間(最悪、半世紀以上)に渡って、怒りが持続するであろう。

 次に、そもそも報復戦争の「成功」が、あり得ないのである。

 現時点では、ビンラディン氏の関与が強く推測されているが、私は、その推測(嫌疑)の妥当性を判断する材料を持ち合わせていない。まぁ仮に、彼が犯人(黒幕)だったとしよう。彼の人となり(判断能力や精神状態)は知らないが..こういうことをしでかせば、直ちに自分が疑われ、合衆国は直ちに戦争を開始し、そして、合衆国が戦争を始めた以上、合衆国(というか連合軍)に武力でかなうわけが無い、ということは、事前に、よっく判っていたはずである。

 にも関わらず、マンハッタンとペンタゴンを“空襲”したのだ。

 つまり、「敗戦を恐れていない」どころか、「敗戦は織り込み済み」なのである。こういう“敵”に“戦争”をしかけて、どういう成果をあげられるというのか..

 もうひとつ。

 「これはもはや“テロ”ではなく、“戦争”である!」..大統領だけではなく、大勢の(無数の)合衆国民が、こう叫んだ。

 つまり、“テロ”と“戦争”には本質的な違いはなく、程度問題である、と、承認したことになる。(今回の攻撃の被害が百分の一、あるいは千分の一であれば、「戦争」とは呼ばなかったはずである。ここには、「量的な違い」しかない。)

 従って、「テロ」は許せないが「戦争」ならOKだ、というロジックが、少なくとも「自明」では無くなってしまった。(まぁ、「テロ」だろうが「戦争」だろうが「敵」が行うなら“犯罪”だし、「テロ」だろうが「戦争」だろうが「味方(自分たち)」が行うなら“正義”なのだ..という主張なのであれば、それだけの話だが。)

 さらに言うと..これが「戦争」であると承認した時点で、“敵”の術中にはまってしまったのではないか。これが「戦争」であるとすれば..数千人の死者の命は、個別にカウントされない。彼らは「殺人」の犠牲者なのではなく、「名誉の戦死者」ということになってしまう..

 逆説的だが、「戦争」と認定することによって、事態はむしろ矮小化されてしまうのだ。一撃で数千人を殺すというのは、「犯罪」として見ると異様な規模であるが、「戦争」の一部とみなすのであれば、別に特筆すべき事でもないのである。長きに渡って“戦争の現場”から遠く離れていた国民の想像を絶する出来事であったことは、理解できるが..

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*2001年09月13日:八ヶ岳ツアー2001:第1日


 毎年恒例の八ヶ岳ツアー。といっても、私が初参加したのは一昨年で、去年は都合が合わずに不参加であった。今年が二回目である。基本的には、懇意にしている清里のペンションAに宿泊して星を観るのが目的だが、どうも毎年、天候に恵まれないのである。さて、今年はどうなるか。

 参加者は、Yさん夫妻とA君と私の、計4人。本当はもうひとり参加予定だったのであるが、当日になって、突発事態で参加できなくなったとのこと。勤務先のR社の高丘工場の駐車場に、9:00に集合。トロトロと遅れて、出発は9:45頃。9:50に東名浜松西インター。(この工場は、交通の便が良いのである。)

 牧ノ原SAでの休憩をはさみ、11:15に清水インターを出て、国道1号線に。11:24に国道52号線。12:00に富沢の「道の駅」で昼食。ここで、PHSの完黙状態に気がつく [;^J^]。まずい。PHSを甘く見ていたか [;^J^]。もともとペンションA周辺にはグレ電も(ほとんど)無いということで、モデムカードは持って来ていない。最悪、ツアーの最終日の日曜日まで、ネットから遮断されることになるかも..って、別にいいじゃん [;^J^]。よくよく考えてみれば、一昨年と同じ状況なんだし。4日間ほどネットから離れるのは、良いリハビリだ。(← 病気なのかよ。)(← 自爆突っ込み。)

 12:45に出発。(ちなみに、「12:00から12:45まで昼食休憩」というのは、われわれR社員の体内時計に刷り込まれている、日々のリズムなのである。今日は平日なので、これに逆らえないのである。自動的に(時計も見ずに)12:45に出発してしまったのである。サラリーマンの悲哀なのである。)

 14:23に国道52号線を離脱。ほどなく国道141号線(清里ライン)に入り、14:56に「清里かんとりーくらぶ」着。「ク・ソフト」で有名?だが、今日は休み。隣りの店で生チーズソフトを食べて、15:16発。15:25に清泉寮着。

 凄い霧である。ここに着く直前から、「ザ・フォッグ」かと思うようなガスが流れ始めていたのだが..寒い。ここまで半袖ワイシャツだったのだが、上から長袖を羽織る..

 ..じゃあ、ソフトクリームなんか食ってるんじゃねーよっ [;^J^] この日、ふたつ目。いつもの土産物屋などを冷やかしてから、15:56発。16:00に「まきば公園」着。黒い顔の羊たちと遊ぶ(..つもりだったが、全然、相手にしてくれない [;^J^]。人間を完全に無視して、私の足元の草をむしゃむしゃ食べている)。16:32に発って、16:38にペンションAに着く。

 ここでもPHSは入らない。ここに至るまで、清里に入る前のコンビニの駐車場で1回、PHSが入ったんだが、どうやら、清里圏内ではPHSは使えないようだ。(清里駅前・駅周辺では、あるいは使えるのかも知れないが。)

 今日は霧も凄く、雨もパラついているので、星を観るどころではない。潔く諦めて、部屋でゴロゴロする。

 先日ダウンロードしておいたシェアウェア、「Stella Theater Pro」を使ってみる。(積読書架の奥から引っぱり出して鞄に詰め込んで来た「星座手帖」(草下英明、教養文庫)を読みながら、照合してみたりする。)要は星座早見盤だが、検索機能も充実しており、なかなか使いやすく美しく、感動する。早く送金・登録しなくては。

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*2001年09月14日:八ヶ岳ツアー2001:第2日


 今日も雲が多そうだ。このペンションのすぐ近くに「絵本の樹 美術館」があるということで、10時過ぎからA君とふたり連れだって訪れてみたが、台風がらみで、今日は休館であった。

 11:11に、Yさんの車に4人乗り込み、出発。まず、11:25に「三分の一湧水」。近くの水車小屋まで足をのばしてから、12:05「身曾岐(みそぎ)神社」着。

 ..どうも、これが拙かったらしい [;^J^]。いや、別に、神様をおちょくったわけではない。お賽銭は、4人まとめて硬貨1枚だったりしたが、神様ともあろうものが、この程度のことに目くじら立てるわけもない。

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 この神社には「能楽殿」が併設されており、どうやら、さまざまなTV番組のロケも行われている名所らしい。ご覧のとおりの姿の良さで、手前に池がある。そしてその池に近づくやいなや、不穏な気配が水中を迫り来る..

 ..シーズンオフの、飢えた鯉たちなのであった。

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 決して、彼らをおちょくったわけではない。しかし、水をはね飛ばし、ほとんど上体を空中に乗り出さんばかりにして、われわれが蒔く「お麩」に殺到する鯉の群に、おおいに興趣を覚えて写真を撮りまくったのも、事実である。

 駐車場に戻り、次の目的地に向かって出発した途端、大粒の雨が降り始めた [;^J^]。神罰、いや鯉罰覿面である [;^J^]。

 13:14、雨の中、「リゾートアウトレット」着。服飾系を中心にした、洒落たショッピングセンター。取りあえず、雨の中を食堂に飛び込んで、遅い昼食を食べ始めたのだが..台風のような大雨になってしまった [;^J^]。とにかく半端ではない。やや小止みになったタイミングを見計らって食堂を出て、各店舗を回り始めるが..

 「ショッピングセンター」といっても、単独のビルではなく、いわば「開放構造」である。標高の異なる3つの広場から成っており、各広場は坂と階段で連結されている。そしてそれらの広場を囲んで、店舗が並んでいるのだが..

 ..それらの「広場」が、「沼」と化した [;^J^]。それらの「坂」が、「濁流」と化した [;^.^]。この坂は絶対に歩けない。並行して階段が設置されていたので、なんとか各広場間を移動できたようなものだ。私らか鯉に呪われるのは仕方が無いとしても、無辜の大衆を、どえらい災難に巻き込んでしまった [;^J^]。

 それはともかくとして、ほとんどの店舗は、ファッション系(しかも多くはレディス系)である。おっしゃれー、なのは理解できるが、私は、おっしゃれー、では無いので、関係ない [;^J^]。この類の店は適当にパスして、数少ない食品店で、くるみバターとパスタソースを購入したのち..LEGOの店に捕まってしまった [;^J^]。はまるはまる [;^.^]。

 とにかく、自由にLEGOで遊べるので、時を忘れ(周囲も忘れて)没頭する。最初に試みた建造物は、根本が極細で上階ほど広く(大きく)なっているもの。これは組み立て時に力の入れ加減が難しく、非常に難渋したが..上が大きい建物は、ロマンなのである。未来なのである。

 ふたつ目の建造物は、ひたすら上空を目指す、高い高いもの。私の頭よりも大分高くなり、組み立て時に目で確認できず、指先の感覚しか頼りにならなくなった頃合いで、ものの見事に(力のベクトルを間違えて)崩壊した。バベルである。ロマンである。

 しかしこの日、私が本当に目指していたのは、シュヴァルの「理想宮」なのであった。実物大だと数百万ピースでも足りなかろうが、そのコンセプトだけなら、数百(数千)ピースでも実現できると思うのである。

 それにしても、LEGOは“進化”(と言えるかどうかは判らないが、少なくとも“変化”)している。スターウォーズキット、なんてのもある。動力付きであるが、「正しい手順書」などないので、組み立てかたを間違えると、力の方向が矛盾して、木っ端微塵に崩壊してしまうかも知れない。従って?「正しい手順書」ではないが「組み立てガイド」は附属している。それがなんと、冊子でもビデオでもなく、CD−ROMである。(Win95/98対応。)大概のユーザー(少なくとも、こういう玩具を買うユーザー)は、CD−ROMを読めて当たり前、という状況なのだ。少なくとも本国(米国?)では。

 ふと気がつくと、雨があがっている。15:20に発って、次の目的地に向かったのだが..LEGOで「二重螺旋」を作るのを忘れていたことに気がついて、切歯扼腕したのであった。

 15:27、ティー・ギャラリー森呼吸で、「戸田ヒロコ 装幀の世界」展を鑑賞しつつ、お茶。沖積舎の本の仕事が多い。

 16:25に発ち、となりの玩具屋イカルスを観てから、16:50に発ち、ペンションAに帰る。

 今夜も、星は駄目。今夜はペンションの風呂ではなく、例年利用している近所の温泉に(Yさんの運転する車で)向かうが..霧が凄くて道が良く見えない。恐いこわい。運転席からだと、もう少し視界がまともなのかも知れないが。

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*2001年09月15日:八ヶ岳ツアー2001:第3日


 昨夜は0時前後にうたた寝したせいか、一晩中熟睡できず、軽度の悪夢を見続ける。なにかしらん、女たちに待ち伏せされ、逃げ切れずに捕まる物語である。「女たちにもみくちゃにされるのならいいじゃん」、と思われるかも知れないが..大勢の指と爪で八つ裂きにされる方向 [;^J^]。その(八つ裂きの)後、黒く活発に蠢き輝く幾何学的な「パターン」から、黒い稲妻のごときものがジグザグにビシバシと、私(の意識)に向かって飛んでくる..

 ..どうやら、「オルフェウス」、「髪の毛」、「ゴルゴン」あたりのイメージで、これは「星座手帖」を読みながらうたた寝したためだと、推察される [;^J^]。

 悪夢から醒さめてみれば、今日も曇天..

 朝食前に、「星座手帖」読了。引き続き、同じ著者の「星の百科」を読み始める。読書もいいし、リブで「Stella Theater Pro」を動かすのも素敵である。しかし本当は、ナマの空を観たいのであるが..3日とも駄目か、全敗か。こういうことも珍しい。

 10時過ぎにA君と、昨日は閉まっていた「絵本の樹 美術館」へ。ペンションAからは、徒歩5分。

 非常に結構! 特設の「岡野原八千代展」も良かったが、2階の常設の絵本ギャラリーが、素晴らしい。無論、(外観からは普通のペンションと区別がつかない)小さな美術館なので、蔵書の量は知れているが、非常に優れた絵本や児童書が数多くある。A君とふたりして、ついつい読みふけってしまった。11:00にAに帰る。

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 11:10に、例によってYさんの車に4人全員が乗り、まず、大泉清里スキー場へ。別にスキーをするわけではない。リフトで頂上へ登ると、山小屋というか売店があり、そこから(有料望遠鏡などで)展望してから下山するのが通常のコースであるが、何しろ濃霧で、全く見えない [;^J^]。(右の写真の雲海の奥には、富士山が鎮座しているのだが、見えたら偉い..というか、見えたらどこかが病んでいるので、要注意 [;^.^]。)

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 仕方が無いので、山小屋の裏手に歩を進める。「賽の河原」と名付けられているエリア。霧はなおも濃く、周囲の林が見えにくくなるほど。

 ここで誰もが不審に思うのは、一応ベンチがあるにはあるが、異様に小さく低いこと。子ども用どころか、辛うじて幼稚園児には丁度いいかと思われるほど。何故、こんなに小さいのか?

 考えるまでもない。「現地民」というか「先住民族」が、ごく小柄なのである。見通しのきかない濃霧とあらば、状況証拠は完璧だ。(参考文献:「三つ目がとおる イースター島編」(手塚治虫))危険に身をさらす必要は無いので、ほどほどの頃合いで、下山する。12:50。

 昼食は、ピザ屋「Backstube」。13:00から14:15まで。

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 14:35に、「千ヶ滝」着。小さな渓谷の上の駐車場やホテルは、どうにも貧相でパッとしないのだが、300メートルほど下流に降りていってみたら、これはなかなかのもの。水しぶきが強烈で、爽快である。駐車場に戻り、ついでに、反対側(上流側)の「宮司の滝」にも足をのばしてみる。案内図では、似たような距離に見えたのだが、どうやら500メートルはある。しかも足場が悪く、途中、道無き道(どう考えても、崖沿いの道が崩落したあと、そのまま放置しているとしか思えない岩場)を這い降り這い登り、ようよう「宮司の滝」に着いたのだが..これは元が取れん [;^J^]。いまいち。

 思わぬ強行軍に汗だくになったが、15:40に出発。15:55に「しし岩」。小高い丘の上のごつごつした岩場で、眺めは良い。16:09に発ち、数分後に「野辺山電波天文台」に着く。

 ..が、(私自身も一昨年に訪れているし、)特に天文台に用があったわけではない。駐車場に隣接している土産物屋をチェックしてから、例によってすぐ隣りの「南牧村農村文化情報交流館」を訪れる。「グローブシアター」という全天映画があったりして、なかなか捨てた物ではないのだが、今日は新番組の上映もされていないようなので、結局ここでも、土産物のチェックをしただけ。

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 駐車場に帰る途中、妙なものに気がついた。この「南牧村農村文化情報交流館」の前の広場は、どうみても、「ほげほげサークル」のレプリカである。プランナーにトンデモ系が潜入していたのか? ..あぁぁ! 道の向こうにある、この全く無意味な石の配列は、なんなんだ! [;^.^] 私を含む複数名が、ただちに、「ストーンヘンジ」「三つ目がとおる」「酒船石」「毒薬(霊薬)の調合台」「春分の日の太陽光線」、などなどのキーワードの洪水に襲われた! 一昨年には、どうして気がつかなかったんだろう..[;^.^]

 こんな石碑 まであるし。[;^.^]

 さまざまな不安にかられつつ、16:47出発。途中、JR最高地点を経由して、再び清泉寮へ。またも濃霧。ここ(清泉寮)は霧の国なのか? [;^J^] 喫茶店でお茶してから、17:46に発ち、17:53にAに帰る。

 結局三日目の今日も曇天ということで、夜は格別することも無い。「星の百科」を少し読んだだけで、22時前にはうたた寝してしまったようだが..

 ..23時頃に、起こされる。なにごとかと思ったら、食堂でプラネタリウムの鑑賞である [;^J^]。本格的なプラネタリウムとは違うし、正直言ってチープなのだが、お手軽に壁や天井に映せるし、「ちょっと南半球の星座を」とか「北極点ではどう見えるのか」とかを簡単に試せるのは、なかなか面白い。もちろん、本物の星空とは、比較すべくも無いのだが..

 今夜は、寝苦しい。中途半端にうたた寝して、中途半端な時刻に起こされたせいか、体は寝ているのに、首から上が眠れなくなってしまった。無理矢理眼を閉じると、レム睡眠の素敵な悪夢たち..それからただちに醒めても、時刻はほとんど進んでいない。何度、目が醒めても、真夜中である。もう永久に朝は来ないのではないかと思われた、約10回目の覚醒は、しかし私の自発的なものではなく、Yさんが起こしに来たのである。

 時刻は3時過ぎ。半覚醒状態の私に、「すっごく晴れてるけど、観に行く?」

 行くも行かないも..! 即座に(防寒着、コンタクトレンズ、リブ100を)用意して、3:20にYさんの車に全員乗って、出発。3:30に「まきば公園」の駐車場に着く。この時点で、霧が出始めていたが、まだまだ大丈夫!

 素晴らしい星空である!

 天の川の細々とした輪郭までくっきりと観たのは、今夜が初めてであった!

 肉眼でも十分に堪能出来たが、YさんとA君が直ちに設置した機材(望遠鏡)も覗かせてもらい、肉眼とはまた異なる感動を得る。

 星座早見盤兼星座星雲恒星等検索装置としての、「リブ100 + Stella Theater Pro」も、素晴らしい機動性を発揮した。早く送金しなくては..

 1時間ほど星空を堪能してから、4:55にAに帰り、改めて寝直す。

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*2001年09月16日:八ヶ岳ツアー2001:第4日


 さすがに寝不足気味だが、とにかく最後の夜(というか早朝)に、1時間だけでも満天の星空を観ることが出来て良かった。精算を済ませて、10:00にAを出発。

 10:15に「萌木の村」。オルゴール館などで有名だが、ここでも土産物屋に寄っただけ。私は万華鏡を買う。外の風景をカレイドスコープ化するタイプである。10:32に発つ。10:36に清里かんとりーくらぶ。ここでも土産物を買って、10:58に発つ。

 11:04に、清里フォトアートミュージアム。「井津建郎 「アジアの聖地:石造建築 −− 光と影」」という写真展。基本的に廃墟の写真であり、堪能した。もちろん図録も購入したが、現物(プラチナ・プリントによる、精緻極まりない解像度の写真)のクオリティには遠く及ばないのが、残念である。11:56に発つ。

 12:03、「フィールド・マジック」。カレーを食べる。12:45出発。

 13:03、「ジャムクラフトそりはた」。ジャムを買って、13:18出発。

 あとは、清里ライン(国道141号)に入って浜松に戻るだけだが、途中一個所、道草をした。山梨県巨摩郡白根町の、「白根桃源文化会館」である。14:12着。

 以前から、この付近を通り過ぎるたびに、「パイプオルガンの里」という看板が気になっていたのであった。

 「やはり野生のパイプオルガンが..」「長さの異なるさまざまなパイプが生えているので、過不足なく収穫を..」「1オクターブ12音を、少なくとも3オクターブ分、36種類集めるのはなかなか根気が必要で..」「どうしても揃わない場合は、長いパイプを切れば良いのだが、切りすぎると元も子も無く..」などなど、百出していた議論に決着をつけるべく。

 「パイプオルガンの里」の正体は、この会館に設置されている、おフランス製2914管のパイプオルガン。ピアノリサイタル?のリハが行われているとかで、ホールには入れず「母子席」から見学したので、パイプオルガンサウンドを聴くことも出来なかったのだが、その美しい姿は堪能できた。事前に申し込んで日程が合えば、試奏も出来るとのこと!

 担当(受付)のお姉さんがまた、濃いめの眉のラインがくっきりしている美人であり、わたくし的にはパイプオルガンよりも、実はこちらの方が遙かに収穫であった。

 14:30に出発し、富沢町の「道の駅」、牧ノ原SAで休憩しつつ、高丘工場の駐車場に、18:20頃、帰還。精算して解散。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Sep 19 2001 
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