*2001年09月03日:水を美味しく飲む方法
*2001年09月04日:大が大を呑む
*2001年09月05日:また、財布を拾う
*2001年09月06日:「手塚治虫小説集」
*2001年09月07日:「イメージの博物誌」読破中
*2001年09月08日:「ヴァリス」
*2001年09月09日:アクトシティで大道芸
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*2001年09月03日:水を美味しく飲む方法


 それはあらかじめ、浴びるほど(飽きるほど)酒を飲んで、喉を干上がらせておくことである。

 すると、あ〜ら不思議。ただの氷水が、美味しくて美味しくて、ぐいぐいぐびぐび、何杯でも飲めるではあ〜りませんか。

 私の住処では水道水+ロックアイスで、十分美味しくいただけるが、地方により建物により水道水が不味すぎる場合は、「六甲のおいしい水」などをコンビニで買ってくる必要があるかも知れないが..その場合を除けば、単なる水がこれほど美味しくいただけるのだから、実に安上がりな素晴らしい道楽である。お薦め。(前段階として必要な酒代は、無論、この話題のスコープ外である。)

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*2001年09月04日:大が大を呑む


 なんと、HPがCompaqを買収(併呑)したとな。(水をがぶ飲みしている場合じゃ無いってか。[;^J^])

 CompaqがDECを買収したのが、1998年の1月である。ピーター・ブリューゲルに、「大きい魚は小さい魚を食う」という名画があるが..「大きい魚は大きい魚を食う」というかなんというか。単純計算だと4年以内に、どこかがHPを買収することになるわけだが..[;^J^]

 それにしても、つい先日、確か日経ビジネス誌で、HPは一刻も早くPC事業から撤退しないと会社が傾く、と、危惧されていたと記憶するが..こう来ましたか。合併による合理化効果は莫大な額になるようだが、そもそも「PC業界」に未来があるのか否か、という視点から、ロードマップを呈示する必要があるだろうね。

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*2001年09月05日:また、財布を拾う


 先日に引き続き、今度は浜商前の(上りの)バス停のベンチの上で、また、財布を拾った [;^J^]。クセになるのか? こういうの [;^J^]。

 別に他人の財布の中身なんぞには(少ししか)興味など無いのだが、持ち主を捜すためには仕方がない。ベンチに座って、コンテンツを調べる。

 プリクラたくさん、カラオケボックスの会員カードたくさん、ツタヤのスタンプカードたくさん..前回拾ったのと、ジャンル的には全く同じ。ただ、前回のは、カラオケボックスの会員カードに住所氏名と電話番号が明記されていたので、簡単に連絡が取れたのだが、今回のは、住所氏名しか書かれていない。確かに確実に連絡はつくとはいえ、今日中には無理か..世帯主である可能性は、まずないので、電話番号帳からも検索できないだろうし..おや、一番奥に、学生証が入っている。なんだなんだ、目と鼻の先の、浜商の生徒(女子高生)ではないか。

 ならば話は簡単。受付というか職員室に直接持参して、預けてくる。職員に、お礼がてら名前を訊かれたが、もう果物はいらないので [;^J^] 名乗りもせずに、風と共に立ち去りぬ..

 ..てなことをしているうちに、バスを1本、逃がしてしまった。仕方がない。

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*2001年09月06日:「手塚治虫小説集」


 数日前に読んだ本だが、「手塚治虫小説集」(ちくま文庫)は、人によっては拾い物。立ち読みして(目次をチェックして)から、買うかどうか決めること。というのは、全集収録作品以外は、テレビ番組のシナリオぐらいしか収録されていないからである。

 「テレビ番組のシナリオ」というのは、「手塚治虫の作品」といえるかどうか、やや微妙な点があるのだが、熟考の末、作品リストへの収録は見合わせることにした。とはいえ、作品の出来不出来とは無関係なことである。このジャンルでは、「アトムの初恋」と「太陽の石」が佳作。

 全集にも収録されている作品の中では、(元来は絵物語である)「羽と星くず」が、やはり素晴らしい。「赤旗日曜版」に連載された作品であるせいか、労働者対資本家という図式が“わかりやす過ぎる”きらいはあるが、欠点とはいえない。

 ちなみに手塚治虫は、少なくともある時期、確実に共産党支持者であった。(党員であったかどうかは、知らないが。)彼に「国民栄誉賞」が与えられないのは、そのためである、という、まことしやかな説を聞いたことがあるが..それが事実だとすると、共産党支持者は日本国民たる要件を満たしていない..と、理解して良いのかな?

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*2001年09月07日:「イメージの博物誌」読破中


 平凡社の「イメージの博物誌」シリーズを、順調に読破している。全34巻+別巻2冊らしいが、18冊読了したので、ちょうど半分か。

 これまでに読んだタイトルは、「アトランティス伝説」「魔術」「地霊」「錬金術」「龍とドラゴン」「天使」「夢」「聖なるチベット」「シャーマン」「霊・魂・体」「神殿」「フリーメイソン」「生命の樹」「死者の書」「螺旋の神秘」「魂の航海術」「女神」「天地創造」、であり、一目瞭然、サブカル・異端系である。実際、著者の人選もその系統で、概してほどほどの「トンデモ・オフセット」がかかっている。

 にも関わらず読んでいるのは、その「トンデモ」の度合いがほどほどで、摂取するのに丁度良いからである。(適量の“毒物”が美味であることは、言うまでもあるまい。)そしてどの巻も、珍しい図版を豊富に収録していること。どの巻も薄くて、簡単に目を通せること。「資料」として引用するには不安だが(実際、いくつかの図版のデータに重要な誤りを発見しているが)、「堅物」の頭をほぐして見聞を広めるには丁度良い。(たまには風俗にも行けっ、て言うか..違うちがう。[;^.^])

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*2001年09月08日:「ヴァリス」


 P.K.ディックの「ヴァリス」(創元推理文庫、大瀧啓祐訳)を読了。

 「なぁんだ、いままで読んでなかったの。ケケケッ」、などと嘲笑うなかれ。私は、ディックの邦訳出版された長短編は(ノンSF(普通小説)を除けば)ほとんど全て読んでいるのだが、最晩年の「ヴァリス四部作」(正確には、「ヴァリス二部作」プラス「ヴァリス関連作品」2冊、すなわち、「ヴァリス」「聖なる侵入」「ティモシー・アーチャーの転生」「アルベマス」)だけは、老後の楽しみに取り置いてあったのだ。

 で、別に老後になったわけではないが [;^J^] 「積読書架」の中で、こいつらが妙な存在感を放射していて邪魔なので [;^.^]、片付けにかかった、というわけ。

 ..で、..

 ..う、うぅぅ〜〜ん..傑作..なのかなぁ?..

 確かに、ディック自身の神秘体験に基づいているのであろうが、別に「神懸かり」ではないし、「電波系」とも「オカルト入ってる」とも思わない。神学(宗教)を語っているのは事実だが、新興宗教の教祖の言葉では無い。あくまでも「作家」の言葉である。それは、どうように神秘(幻覚、発狂)体験に基づいていながら、正気の作者の冷静な計算によって組み立てられた「オーレリア」(ネルヴァル)と、同じことである。

 戸惑うのは、まず、啓示を受けた主人公が書きつづる「秘密教典書」(「釈義」)の、底の浅さ。作者自身が実際に受けた啓示の記録であるのならば、それは仕方が無いが、フィクションとして創作されたのであれば、いささか問題である。(この程度のものなら、高校生でもでっち上げられそうな気がする。)

 次に、ストーリーがつまらない [;^J^]。直前の時期に書かれた「暗闇のスキャナー」や「あなたを合成します」にも同じ傾向がみられるのだが、後半に入ると、話がどこかに行ってしまうのである。いや、確かにストーリーは進行しているのだが、作者の気力が前半で尽きている状態というか..心電図が直線になってしまっているというか..

 全然、駄目なわけでは無いのだ。詳述はしないが、実はこの作品にはトリックが仕掛けられており、それが明らかになる瞬間には、確かに「これでこそ、ディックだぜ!」、という、ゾクゾクするような感動がある。それが長続きしない(感動が断片的である)点が、残念なのだ。

 しかし、本書で最悪なのは、実は作品自体ではなく、訳者(大瀧啓祐)の「覚書」であろう。彼の体質の最悪面が、全開なのである。(これを読んでしまったばかりに、「ヴァリス」自体に悪印象を抱いた可能性が、低くない。)

 まず、どうして日本語で「覚書」と書かずに、「Adversaria」なのか。そして、ほとんどの読者には読めないと思われるフランス語(ラテン語?)のエピグラフを置きながら訳もつけないという、鼻持ちならない俗物臭。「俺には読めるんだぜ」、とでも言いたいのか。なんのためにそこに置いたのか。イラスト代わりの装飾か。

 さらに、この「Adversaria」は、実体は70頁にも及ぶ膨大な「脚注」なのであるが、なんと、本文とリンクされていない。本文中に脚注マークを置きたくない、という美学は理解できるが、そういうことなら、この「脚注」群に、本文へのポインタを付すべきである。(こういうのは、編集者の怠慢である可能性もあるのだが、本書の場合、1982年に出たサンリオSF文庫版から8年後の、1990年発行の(創元推理文庫の)新版なのである。翻訳者に(本文への、本文からの)リンクを張るという意志が無かったのだ、と判断して間違いあるまい。)あまりに腹が立ったので、適当に読み飛ばした。「脚注」の内容自体は、悪くないんだが..

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*2001年09月09日:アクトシティで大道芸


 午前中は、ぐだぐだ。午後からアクトシティへ。アクトのガレリアモールで大道芸の催し物がある、と、新聞の差し込み広告にあったからである。

 たいした規模のものではない。芸人はひとりだけ。ブラジル出身(らしい)ミスター・ブルーノ。ヴァイオリンを弾きながら、足踏みペダルで、あやつり人形を操る。さほど難易度の高いものではなく、ショーの最後では、子ども4人にペダルを踏ませていた。

 まずまずの感銘度。操り人形の芸には、それほど感心はしなかったのだが、ヴァイオリン弾きというのが大きい。決して名手では無いのだが、ブラジル、ジプシー、クラシック、日本(美空ひばり)のメロディーを次々と繰り出しながら進めて行くステージは、ほけらー、と観て(聞いて)いても、それなりに幸せになれる。

 台風、接近中..

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Sep 12 2001 
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