*2001年08月13日:環境音楽について
*2001年08月14日:路上の謎
*2001年08月15日:打楽器隊について
*2001年08月16日:吾妻パッチ/手塚パッチ
*2001年08月17日:SirCam、検出&削除
*2001年08月18日:「オーレリア」
*2001年08月19日:「四次元への招待」落札
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*2001年08月13日:環境音楽について


 ブライアン・イーノの「ミュージック・フォー・エアポート」というレコードが、確か、アンビエント・ミュージックの走りだったと思う。

 学生時代、友人からカセットを貸してもらったのだが..実に不思議な音楽体験であり、ある種の感動を覚えたことを記憶している。「環境音楽」がどうのこうのという理屈ではなく..そこにくっきりと、「未来」が見えた(聞こえた)からである。

 知らない人のために説明しておくと..全部で4曲収められているのだが、基本的に全て、ノー・リズム、ノーメロディーであって、さまざまな高さの持続音(和音)が、静かにゆったりと、現れては消えて行く..

 ..それだけのことならば、別に珍しくも新しくもない「手法」なのだが..驚いたのは、これが「空港のための音楽」なのだ、ということである。あの、「轟音」と「騒音」に満ちた「空港」のための。

 聞こえるわけが無い。もちろん、ボリュームを上げれば聞こえるだろうが、この音楽は大音量で聞くと、全くサマにならないのだ。聞こえるか聞こえないか程度までに音量を下げておかなければならない..

 ..ということは、「空港」自体が「静謐」でなければならないことになる。大勢の人間が行き交う空港でありながら、ほとんど無音に近いまでの静寂につつまれ、そこに、この「ミュージック・フォー・エアポート」が、聞こえるともなく漂う..この「未来的」なイメージ! 影絵のような..真鍋博の未来画のような..確か当時のレコードレビューで、「未来のひそやかな喧噪..」と、見事にひとことで要約されていたと記憶する。

 このレコードで、ひとつ、気になっていることがある。

 4曲に、それぞれ確か「8:30」とか「16:30」とか、「時刻」のタイトルが付けられており、「なるほど、これが、朝8:30の環境音楽か..」「夕方16:30の環境音楽というわけか..」、と、納得していたのだが..これは、もしかしたら、「時刻」ではなく、それぞれのピースの「演奏時間」だったのではないだろうか..?(調べればすぐに判ることなのだが、こういう“記憶の混濁”は、面白いので放置しておく主義なのである。)

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*2001年08月14日:路上の謎


 前方を走る車が、路肩付近の何かをよけて内側にふくらむことが、良くある。大概は、自転車か歩行者。あるいは動物の死体などの障害物。当然、後続車である自分もよけなくてはならないので、僅かに緊張する。

 ところが、たまに、先行車がよけたはずの物が、“無い”ことがある。何も落ちていない。歩行者も自転車もいない。脇道に去っていった形跡も無い。

 一体、先行車は、“なに”を見たんだろう..?

 また、普通は、こういう不思議な振舞いをする先行車は、1台だけなのであるが、(例えば、3台先の車が何かをよけたが、そのあとの2台は何もよけない、)..まれに、ことごとくの先行車が何かを避けているのに、そこには何も無いことがある。

 どうして、私にだけは、なにも見えないんだろう..?

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*2001年08月15日:打楽器隊について


 (例えばマーラーの交響曲第2番のような)大編成の曲をコンサートで聴く(観る)ときの楽しみのひとつは、打楽器隊の振舞いを観察することである。

 大概、奏者よりも楽器の数が多く、ひとりで複数の楽器をかけもちしている。また、出番はしばしば断続的なので、座って待機している時間が、結構長い。自然、打楽器隊の各メンバーは、立ったり座ったり、前に出たり後ろに下がったり、楽器を持ち替えたり、別の楽器の準備や調律を始めたり、という、「純然たる演奏行為以外のアクション」が多くなる、というか、目立つ。これが面白いのだ。知的作業に見える..というと、語弊があるかな..音楽を「演奏している」というより「組み立てている」ように見えるのである。

 最初から最後まで(椅子に座りっぱなしで)ほぼ弾きっぱなしのヴァイオリンと対比してみると、判りやすいかも知れない。なにも、ヴァイオリン奏者が「知的に見えない」と言っているのではなく [;^J^]、少なくとも「肉体的行為をしている」ように見える。それに対して打楽器奏者は、(楽器と体が密着していないことが多いせいもあるのか、)「頭脳的行為をしている」ように見えるのだ。音楽/演奏/楽器に対する、距離(客観性)が見えるのである。

 そして、奏者がひとりだけではなく、3人以上のチーム(打楽器隊)ともなると、ますます、その「コンストラクション性」が目立ってくる、というわけだ。

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*2001年08月16日:吾妻パッチ/手塚パッチ


 アップルBOXクリエートに電話して、「大マシン 2」(泉ゆき雄)が発売済みであることを確認する。1800円也。当分上京出来ないが、(送料を足して)通販を頼むまでも有るまい。次の上京時の楽しみに、とっておこう。

 F氏からメール。「吾妻ひでお著作リスト」のうち、「ひでおと素子の愛の交換日記」の一部のサブタイトルに関する注釈(「初出誌では、サブタイトルは**であった」云々)が間違っている、という有り難い指摘である。初出誌からの切り抜きを調べて下さったのだ。

 まさに、ひぇぇ..! である。これらは、国会図書館や大宅壮一文庫で現物を見ている筈なのだ。但し、多くは5年以上前の調査であって、当時の調査ノートも残っていないので、上記の注釈を書くに至った経緯が、わからない。読み間違えたのか、何か勘違いしたのか..

 頼んでいた「たれぱんだ」のビデオが届いた。(1年前に発売されていたということを、知らなかったのである。)全くもって、アニメには向かない素材であるが..[;^J^] 結構、面白い。良く見たら、微妙に動いていたりして..[;^J^](その“微妙な”動きを見落とさないためにも、目を皿のようにして画面を睨んでなければならない、という、倒錯的な状況 [;^.^]。)

 T氏からメール。「われら六稜人【第39回】手塚治虫さん がちゃぼいマンガ道」というURLの情報である。有り難い。(出身校での講演記録。)これを読んでいて気がついたのだが..

 「がちゃい」だったのか! 今の今まで、「がちゃい」だとばっかり、思いこんでいた! [;^.^]

 ..というわけで、作品リストを、


< 	がちゃぽい一代記::43:別冊少年マガジン:70/02:274
---
> 	がちゃぼい一代記::43:別冊少年マガジン:70/02:274

 ..と、そそくさと修正。[;^J^]

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*2001年08月17日:SirCam、検出&削除


 SirCam らしきメールが来たものの、それを Norton AntiVirus 2001 の最新定義ファイル(2001/08/02 版)で、SirCam とは認識できなかったという件を、先日、書いた。疑わしきは消してしまえば良いのだが..「贋 SirCam」かも知れない(話のネタになるかも知れない)ので、取りあえず、うっかり添付ファイルを実行することが無いよう、メールフォルダとは全く異なるディレクトリに待避して、保存しておいたのであった。(良い子は真似をせず、さっさと削除してしまうこと。)

 ..で、しばらく放置してあったのだが、この件を久しぶりに思い出して、改めて、Norton AntiVirus 2001 の Live Update(ネット経由のアップデート)をかけてみたら、2001/08/15 版の定義ファイルと、2001/07/27 版の本体が降りてきた。これでスキャンをかけたら、くだんのファイルは SirCam である、と、見事に検出できた。これは定義ファイルの問題ではなく、本体エンジンが更新されたからであろう。

 ..ということで、さっさと削除。(無害な)「贋 SirCam」なら、あるいは話のネタにもなるが、本物の SirCam なんか、世界中にありふれていて、話にもなんにもなりゃしないからさ。

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*2001年08月18日:「オーレリア」


 古書店の通販で2ヶ月ほど前に入手した「ネルヴァル全集」を、読んでいる。既読だった作品・未読だった作品、入り交じっているが、未読だった作品中、最重要なのが「オーレリア」。さすがにこれは、物凄い。

 作者自身の夢と発狂と幻覚のドキュメンタリーであるが..(とはいえ無論、正気の時期に、周到な計算のもとに書かれた小説なのであるが..)例えば、ド・クインシーの「阿片常用者の告白」よりも、遙かに良い。決して、おどろおどろしい“悪夢”ではないのだが、“現実”と“夢”の相互侵犯関係のリアリティ(アンチリアリティ?)が、ただごとでは無いのである。P.K.ディックなどは、ここからどこまで先に進めていたのだろうか..とまで書くと、「キャンディード」を読んで「小松左京も筒井康隆も、小さなヴォルテールに過ぎなかったんだ!」、と叫んだ、荒俣宏の轍を踏むことになるが。

 これを、青少年時代に読みそこない、42歳の今なってから読んだのは、恐らく幸いであった。アンドレ・ブルトンや瀧口修造を耽読し、ロートレアモンの「マルドロールの歌」に入れ込み、マックス・エルンストの「百頭女」を(プログレッシブ)ロック・オペラ化すべく想を練っていた学生時代に、こんなものに出くわしていたら..数年とは言わずとも、数ヶ月は現世に帰って来れず、その後遺症は、あるいは数年間は残っていたであろう..それもまた、ある意味では幸福な人生だったろうが..

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*2001年08月19日:「四次元への招待」落札


 「四次元への招待」というビデオ(VHS)を、ヤフオクで落札した。

 いずれ届いて(観て)から紹介するが..これは久しく、私の記憶の底に悪夢のように澱んでいた映画作品。「絵画」がテーマのオムニバスで、数十年前にテレビ放映された時には、2エピソードからなっていた。「第一話」は、遺産相続がらみで、「絵の内容」が「動く」物語..具体的には、その絵に描かれた墓から、死者が蘇って、徐々にその屋敷に接近して来る、という物語。「第二話」は、追跡の手を逃れて隠れ済む、もとナチの戦犯が、美術館の絵の中に“入り込んで”逃避する物語..

 長年にわたってタイトルも思い出せなかったので、ネットニュースで質問したのが、これも5年以上昔のこと。その時点で回答が得られてタイトルは判ったので、安心して、またそれっきりになっていた。

 ..数日前、ふとそのことを思い出し、そろそろ、半生にわたる宿題を片付けてもいい頃合いだろう、と、数年前に教えてもらったタイトルで検索してみたら..見つからなかったのである。良くあることだが、その教えられたタイトルが、微妙に間違っていたのだ。しかしここで諦めるようではトウシロウなのであって、各種検索ツール(というか検索ノウハウ)を駆使して、10分とかからずに正しいタイトル(「四次元への招待」)に辿り着いた。(どういう検索の仕方をしたのかは、忘れた。)最終的には、「全洋画ONLINE」で内容確認。

 「トワイライトゾーン」の絵画版とでも言うべきオムニバスであって、テレビ放映時には1話省略されていたようで、「復讐の絵画」「アイズ」「絵になった男」の3話からなっている。省略された「アイズ」の監督が、スピルバーグ。原題は「Night Gallery」なのだが..なんなんだ、この邦題は [;^J^]。

 なんにせよ、届くのが楽しみである。

 深夜、バス停で降りたら..す、涼しい..! 爽やかすぎる! 秋の風だ。まだ8月19日だぜ? 台風が接近しているからだと聞いたが..

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Aug 22 2001 
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