*2000年10月30日:系図考
*2000年10月31日:自我バチ
*2000年11月01日:真鍋博、逝去
*2000年11月02日:馬鹿と暇人には勝てない。
*2000年11月03日:大道芸in静岡 2000 第二日
*2000年11月04日:大道芸in静岡 2000 第三日
*2000年11月05日:叩いても叩いても
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*2000年10月30日:系図考


 私が、お世辞にも速読家とは言えない(と言うより、はっきりと遅読家である)ことは、何度か書いていると思う。だから、以下に述べることは、速読のための知恵としては、全く実績が伴っていない(どころか、遅読の原因のひとつであるかも知れない)ので、適当に割り引いて読んでいただければよろしい。

 書籍(特に小説)を“サクサク”読むためのコツは、序盤にある。最初の数ページ乃至数十ページ(あるいは、全分量の5%程度)に、たっぷりと時間をかけるのである。何度か繰り返して読んでも良い。とにかく、この最初の段階で、登場人物と基本設定を頭に叩き込む(憶え切れなければメモを取る)のである。こうして“基礎固め”さえしておけば、あとは(面倒なところは)スイスイ斜めに読み飛ばしても、作品の全体像を読み誤ることは無い。逆に、基礎工事が出来ていないと、あとからスピードアップすることが出来ない。ちょっと端折って斜め読みしただけで、何がなんだか判らなくなってしまう。

 無論、短編ならば、この限りではない。こんな手間をかけずに一気に読み切るのが最上である..が、それが出来ない事情があるのならば、(例えば、始業前の15分間、昼食後の15分間、3時休みの10分間、と、一日に40分間しか読書時間を捻出することが出来ず、50ページ程度の短編といえども切れ切れに読まざるを得ない、とか、)やはり序盤に時間をかけるべきである。

 私の場合、しばしば必要になるのが、「系図」である。私は、小説世界における姻戚関係や親戚の名前を憶えるのが苦手であり、また、この手合いが大勢出てくる小説に限って、彼らの(微妙な)人間関係の綾が“キモ”になっているので、読み進めながら系図を書くのは、必須なのである。(“小説世界”に限らず、リアルワールドにおいても、姻戚関係や親戚の名前を憶えるのが苦手であって、たまに法事などに出ると、知らない顔が大勢いる上に、会社と違って名札をつけているわけでもないので、声をかけるにも難渋してしまう、というのは、ここだけの話だ [;^J^]。今さら(名前を)聞くに聞けないしさ [;^.^]。)

 「系図」と言うわけではないが、文庫によっては、表紙の折り返しなどに「登場人物一覧表」が載っているので、便利である。邪道な気もするが、新たな登場人物が現れるたびに、ここにチェックマークを入れていくと、見通しが良くなる。良くなり過ぎて、「キーパーソンは、あとふたりだけか..」、などと先が読めてしまうのが欠点だが、この程度は、やむを得ないトレードオフであろう。

 しかしなかには、“見通しが良すぎる”登場人物一覧表もありまして..確か新潮文庫だったのではないかと思うが、アルセーヌ・ルパン物の最高傑作のひとつと目される、とある名作長編の登場人物一覧表の中で、「***(主要登場人物名) ……… 実はルパン」、と、思いっきりネタバラシされていたのには、仰天したものである。幸いにも、その作品は、別の書籍で既読であったのだが..今の版でも、まだ、この始末なのだろうか?

 「系図」と言えば..「プログレ(プログレッシブ・ロック)ファンの10の特徴」だかなんだかの中に、「系図を書くのが得意」、つーのがあった筈である。いや全く、その通り [;^J^]。プログレは、系図を憶えてなんぼなのである [;^.^]。

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*2000年10月31日:自我バチ


 ..って、ダメかな。[;^J^](勢い余って、「砂漠の惑星」(スタニスワフ・レム))

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*2000年11月01日:真鍋博、逝去


 氏のフィールドは、もちろん、SF界に限定されるものでは無かった。無かったが..

 氏の、SF界への貢献は、あまりにも巨大・膨大過ぎた。少なくとも1970年代の終わり頃までは、“広義の”初期SF界を、ビジュアル面から支えたのである。

 SFマガジン。星新一。「2001年の日本」(出版社失念)をはじめとして1960年代にバラ色の未来を歌いあげた数々の書籍。ハヤカワミステリ文庫。比較的新しいところでは、朝日新聞朝刊に連載された「朝のガスパール」(筒井康隆)..やめよう。ちょっと書棚をスキャンしただけで、氏の仕事が“大量に”現れた。とてもじゃないが、列挙しきれない..

 ..とはいえ、どうしても外せない(忘れられてはならない)仕事を、ひとつだけ強調しておこう。「レンズマン・シリーズ」(E.E.スミス、創元推理文庫)である。断言するが、少なくとも本作に限って言えば、日本のSFファンは、世界で一番幸福なSFファンなのである。

 “亜流(贋物)”が現れなかったのも、特筆に値しよう。(私が知らないだけかも知れませんが。)まさに、ワンアンドオンリーの世界であった。まだ、60代の若さで..「21世紀」を目前にして..手塚治虫の時も痛感したが、どうして、是非とも「21世紀」を視て(目撃して)欲しかった人々が、死んで行くのだろうか..(どうでもいい奴らが、死なずに生き延びていると言うのに..)

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*2000年11月02日:馬鹿と暇人には勝てない。


 ..近頃、ネットニュースの fj.engr.misc を眺めていて、改めて痛感している次第である。

 これはもう、論理的に不可能なのである。なぜなら、馬鹿は、自分が馬鹿であるということを認識できない。論破されていることを理解できない。

 そして馬鹿は、勤勉である。(これだけは感心する。)論敵たちの10倍書き込む、投稿する。そして“いつまでも投稿し続ける”。馬鹿は疲れを知らないのである。(そもそも、この、「(論破されているにも関わらず)疲れを知らずに投稿し続ける」という特性自体が、馬鹿の証左であると言える。人間並みの思考能力を持っていれば、早めに尻尾を巻いて逃げ出す方が、長い目で見て、自分のためになる(対面すら保てる)、と、判断できるはずだからだ。)

 彼を“論破する”ことは、誰にも出来ない。例え、神でも悪魔でも。(実際問題、神はともかく、悪魔を召喚したくなる状況なんですけどね。誰か他人の魂をエサにして [;^J^]。)

 では、どうすればいいのか。

 勝たせてやればいいのである。

 彼が馬鹿であることを、その場にいる(いわゆるROM(発言しないサイレント・マジョリティー)を含めた)全員に周知徹底できれば、彼の“勝利”に実害は無い。

 だから、馬鹿を相手に議論する時は、当の馬鹿に対する発言を装って、実はオーディエンス全員に対して発言するのである。彼が馬鹿であることを、その馬鹿自身に証明させる(そういう発言を引き出す)のである。それが出来れば、あとは、その馬鹿の“勝利宣言”自体が、彼にとどめを刺す。(無論、馬鹿にはそれが理解できない。)こういうテクニックを持ち合わせていない人は、馬鹿を相手にしてはいけない。

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*2000年11月03日:大道芸in静岡 2000 第二日


 大道芸ワールドカップin静岡。今年は11月2日から11月5日まで4日間。この催しについては、4年前の日記3年前の日記一昨年の日記昨年の日記 も参照していただきたい。(こうして毎年順調に、参照先が単調にひとつずつ増えていくのである。[^J^])

 7:16のバス。7:45浜松発。静岡着は9:00少し前。例によって駅構内(といっても、改札の外)の食堂で朝定食。演技開始は10:30であって、まだ、駅構内(というか、改札の目の前)では、大道芸のガイドブックやニューズペーパーが売られていない。ワンテンポ早すぎる。次回から、もう少し出発を遅らせよう。

 今年は少々、雨に祟られている。昨日が初日だったのだか、午前中はまぁ晴れていたのだが、午後から大雨になってしまった。まず間違いなく、中断したであろう。今日も、朝からパラついており、時々強めに降って、演技の開始がしばし遅れるなど、続行が危ぶまれたが、なんとか夜まで保ったのであった。

*シャンティエ・モビール
 10:30から始まったのは、このトリオのコメディだけだったのだが..私の感性には合わず、前半で見限った。楽しんでいた人たちもいるようなので、私の評価を鵜呑みにはしないように。コメディというのは、受容側の個人差が大きいのである。

*ヘクター プロテクター
 なんじゃこりゃ [;^J^]。
 男女ペア。男は雄豚人間、女は雌鳥人間のコスプレである。悪魔的な遺伝子組み換え実験の犠牲者、という設定らしい。(ウェルズである。ドクター・モローである。)
 何をするかと言うと..それぞれ変調した(ヘリウムガスを含んでいるかのごとき)しゃがれた声で、例えばカルメンのハバネラを(ハミングで)歌ったりする。(雄豚人間が、「ボン..ボ、ボン、ボン、ボン..ボ、ボン、ボン」、雌鳥人間が、「ガ、ガ、ガガガ、ガ、ガ、ガ〜〜、」。)そして歌の合間に2頭(2人)は喧嘩したり、遺伝子組み換え実験の非道さを告発するビラをばらまいたりして、最後には、オーディエンスの人垣をかき分けて外に出、(また戻ってくるのだろう、という予想を覆して、)2頭(2人)は喧嘩しつつ、どこかに行ってしまった [;^J^]。お〜い、投げ銭はいらんのか〜 [;^.^]。
 (途中、雄豚人間が雌鳥人間の背後から獣姦(つーかなんつーか)している仕草もあったりして、こんなの、子どもに見せていいんかな、とも思ったりしたが..別に全然、構わないような気もしてきた [;^J^]。)

*クラウン・ミュート・サックス
 男のペア。ひとりがソプラノサックスやアルトサックスを奏している脇で、相棒が茶々入れや邪魔をする。なかなか笑える。いい感じ。

*リブラ
 なんのギミックも無い、まことに正統派のアクロバットなのだが..共々濃いめのメイク入りの、黒人男性と白人男性の(上半身裸の)ペアなので、どうしようもなく、サムソン。技はなかなか。

*ディノ・ランパ
 見ていて楽しいジャグラーだが、これを書いている、当日夕刻の時点では、早くも印象が薄れかけている。毎年、何人か、こういう(一定水準は確実にクリアしているが、記憶に残らない)パフォーマーが、いるのである..

*シャーリー・サンフラワー
 観客(つーか日本人男性)を漁りに来た、という設定のコメディ。(彼女に限らず、何故か今年は、調達したオーディエンスの男性を、上半身裸にする、というパターンが目に付いた [;^J^]。)芸、ストーリーとも、まずまずだが、こういう芸では、言葉の壁が大きく、その分、面白さが相殺されてしまった。(とはいえ、にわか仕込みの日本語を必死に駆使していたのであって、これはまことに好感が持てた。)

*プリミティブ
 えっと..[;^J^] インド料理のコックに扮するトリオ。食器を叩いて歌って踊りながら卵料理を作り、それを観客に食わせる、という芸 [;^J^]。なかなか面白かったが、その理由を説明せよと言われても、困る [;^J^]。

*ソーシャ&フォーカ・メイヤー
 男女ペア..といっても“絡み”は無い。
 まず男性の芸。半透明の巨大な風船に入って、その中で風船のジャグリングなどをする。(長い風船も浮かんでいるので、何故か“ミトコンドリア”を連想した。)次に女性のベリーダンス(..だと思う。本場のベリーダンスを見たことが無いので、これがどの位、それに似ているのかは、評価出来ない)。何故かデジカメのシャッターを沢山押す。理由は不明 [;^.^]。最後に、再び男性の、ファイアートーチを“振り回す”芸。(ジャグリングではない。)
 天候不順のため、本来行うはずであったブランコ芸は、中止された。明日、再度観に来ることにするか..


 ..ここで昼食。屋台で昼飯。ちなみに、駿府城公園内には、屋台ではない(常設の)うどん・そば屋などもある。ここでは、駅の立ち食いうどん程度の味は、保証されている。つまり、大概の屋台よりは、味的に無難なのだが..屋台は祭の華である。自宅に持ち帰って食べたら、まずくて食べられないような焼きそばやお好み焼きも、ハレの空間の触媒作用で、美味になるのである。常設のうどん屋などに入っている場合では無い..

 ..ここで教訓。屋台で「牛串焼き」を注文する時は、「レア」と指定してはいけない。最低でも「ウェルダン」にしたまへ。さすれば、中心が冷たい(というより、表面しか火が通っていない)「かつお牛の土佐づくり」を食わされる可能性は、低くなるであろう。何事にも限度はある。これはハレの空間がどうのこうのという次元の問題ではないっ [;^.^]



*トムらっはい
 まずまず..かな。彼もまた、(その、好感を呼ぶ、すっとぼけた容貌以外は)記憶に残りにくいタイプか..
 いや、そのパフォーマンスを、路上で単独で(あるいは、もっと小規模なイベントで)観れば、絶対、印象は異なると思うのだが..この祭典には、アクの強い、個性的なパフォーマーが(ある意味では)集まりすぎている。そうなると、彼のような(語弊を恐れずに言えば)“中庸”のタイプが、どうしても割を食う。

*ミス・サリバン
 女性のジャグラーは珍しい。若くて元気で、華がある。技術もなかなかしっかりしている。とにかく、観ていて、楽しめる。
 ただ、この“可愛さ”が問題。これ以上の技術の上達を妨げる可能性があるので、要注意である。つまり、この水準でとどまってしまっても、客は呼べるであろう..

*山本光洋
 全身、まっかっ赤。鶏の扮装から「さかだちくん」(足に手袋、手に靴を履いて“倒立芸”をする。何故か今年、複数のパフォーマーが取り入れていた)まで。取り留めが無いような気もしたが、それぞれの芸は、意外にしっかりしているかも知れない。鶏のコスプレでは、「14歳」(楳図かずお)を想起。

*ピエール&ペレ
 “機械仕掛けの人形”を操るアコーディオン弾きの芸。中途から観たので全貌が判らないが、非常に良い印象を受けた。これも明日、再度観なくては。

*ドゥ&ピアソン
 黒スクリーンを背景にして、見え見えのトリック(主として二人一役)を駆使するコンビ。ノリはドリフ系である。これも最初の部分を、少し見落としたらしいので、明日、リトライしよう。なかなか面白い。


 昼の部はここまで。酒と食事を補給するために、例年通り、ひょうたん屋へ向かう。(ここは静岡市役所の直近で、ナイトパフォーマンスの拠点群に近く、便利なのである。料理も結構美味く、コストパフォーマンスが良い。)それはいいのだが..

 ..仰天した。

 レジのお兄さんが、いきなり、「お客さん、去年も来てくれましたよね?」

 席についたら、客席係のお兄さんが、「1年ぶりですね」

 な、なぜ憶えている!? 1年に一度しか来ない客の顔を!(ぼくは君らの顔を、全く覚えていないというのに [;^.^]。)さすがに接客業のプロは違うわ。感心した。(あるいは私が、よほど記憶に残りやすいキャラだ、というオチかい? [;^J^])

 生ビールをングングやってから、ナイトパフォーマンスへ。



*サブリミット
 男女ペアのアクロバット。技は(たまたま?ミスは多かったが)しっかりしていると思ったし、なんというか“もてなし”が良い。大道芸の王道であろう。

*サンキュー手塚
 去年、ワールドカップのチャンピオンだったので、今年はゲスト参加である。(となると、来年は、もう来ないのかな? 静岡では、今年で見納めか?)
 やはり面白い。基本的にはくだらない(← 貶し言葉ではない)宴会芸なのだが、ワールドカップ・チャンピオンを取っただけのことは、ある。
 特に、「ソフトクリーム」「ウェットティシュー」「コンタクトレンズ」の、形態模写三連作が、絶品。同じく形態模写の「恐怖シリーズ」の、「恐怖のウォシュレット」「恐怖のルーズソックス」「恐怖の自動改札」「恐怖のゆで卵」「恐怖のプチプリン」「恐怖の回転寿司」「恐怖の回転ドア」「恐怖の回転木馬」なども、爆笑ものである。(言葉で説明してもどうにもならんので [;^J^]、それぞれの芸の説明は略す。)


 20:52の東海道線で浜松へ。(島田で乗り継ぎ。浜松着は、かなり遅くなってしまった。)

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*2000年11月04日:大道芸in静岡 2000 第三日


 今日は、素晴らしい好天である。初日の大雨と二日目の雨もよいに我慢していた人々が、今日こそ出動するであろう..という予感が、ど的中 [;^J^]。話にならん人混みである。一体、何十万人が歩き回っているんだ!?

 昨日の教訓を生かして静岡到着を遅らせ、朝食抜きの10時着。会場では後述する蚤のサーカスの整理券をもらう行列に並んだりしたので、体があいたのが、10時40分頃。演技開始は11時なのでここでブランチタイムなのだが..昨日の教訓を生かして、屋台ではなくうどん屋に。(安全策を取った。[;^J^])

*PONTA THE CLOWN COMEDY SHOW!
 男女ペアのマジック。
 イリュージョン(幕や筒に包まれての、素速い着替え)の速度には、改善の余地がある。(3年前の「パウロ&ダニエラ」の速度は、凄かった。)しかし、箱に入って、幅の広い鉄板を挿し込まれて箱の容積を(上下に)二分され、さらにその箱の上半分と下半分に(向こう側が見える)大きな円筒を通され、つまるところ、人間の入っている余地など全くない状態にされながらも、それらの板や円筒を抜くと人体が復元している、という芸は、圧巻であった。(どこに体を貼り付けていたんかなぁ〜?)

*ニエ家班
 中国雑伎団である。家班とは、ファミリーの意。去年まで、チャイナ・ニエの名前で参加していた彼だが、今年は家族を引き連れて参加してきたのである。最年少の息子は、10歳未満か? まだいくらか拙いが、基本的には見事な雑伎団の技である。

*Dandy GO!
 キャラクター性に頼って踊っているだけだ、という印象が、去年まではあったのだが、今年はそうは思わなかった。
 見事だったのはフィニッシュで、「威風堂々 第1番」(エルガー)のエンディングを鳴り響かせながら、玉乗りをしつつファイアートーチ・ジャグリングをしつつ、頭上から富士山の噴火、背中のバッグからは風船の噴出、という大騒ぎの芸を(観客から助手をピックアップして)こなしたあと、その助手共々、観客席に向かってお辞儀をして締めたのだが..それが、威風堂々の最終和音と、完璧にタイミングが一致したのである。
 無論、途中で時間調整をしたのであろうが、こうまで見事にはまると、何も言うことは無い。

*蚤のサーカス
 本物の蚤では無い。贋物ですらない。完全な虚構なのである。
 「静岡には初登場」「(会場がテントの中なので)人数制限 → 整理券配布」「投げ銭は、最低200円から」、と、珍しい様相を呈していたので、これは当然、名のみ聞いていた「(本物の)蚤のサーカス」なのであろう..と、期待した私を非難できる人間は、いないはずである [;^J^]。他の観衆も、その(開演前の)目の光を視るに、同じ期待を抱いていたようである。が..
 蚤が歩くに連れて、“蚤に押されて”伸びる絨毯は、自動装置。(磁石でも使っているのだろうか?)蚤が“ハイジャンプ&3回転!”して飛び込むプールの波紋も、マットレスの反発も、機械仕掛け。“小さすぎて見えない”[;^.^] 蚤の、大活躍である。
 しかし、開演早々実態が判っても、誰も怒ったりはせずに、その見事な“トリック”群に、拍手と歓声で応えるのであった。

*ソーシャ&フォーカ・メイヤー
 昨日に続いて、再鑑賞。「風船内での芸」「ベリーダンス」「ファイアートーチ振り回し」は、昨日と同じ。差分は、最後の、女性による空中ブランコの芸。(向かい合って飛び移ったりするのではなく、ひとりで、空中からぶら下がっているブランコに、からみついたりする芸である。)技術的には、さしたる感銘も受けなかったが、それなりにエロティックではあった。

*グレゴの音楽一座
 アメリカから来た、ヒゲもじゃの老人。横浜の野毛大道芸に、毎年出ているらしい。どうりで、日本語が達者である。
 ワンマンバンドというか、撥弦楽器、擦弦楽器、打楽器、笛(リコーダー)、ハーモニカ等を兼ねた楽器を、ひとりで演奏する。それだけではなく、中世から解き起こして、大道芸の歴史の解説もするのだが、この“語り”が面白かった。
 中世、ペストの恐怖を忘れるために、ひとびとが踊り狂い、それがタランテラというダンスの起源になったと同時に、音楽堂も無かった時代故、屋外での演奏が必然であって、そのミュージシャンたちが、大道芸の起源のひとつにもなったのだ、というくだりで、(これが、大道芸の起源についての正確な解説なのかどうかは、私は知らないが、)当時のペストの象徴であった「蜘蛛」の作り物を取りだして、地面の上を這わせると、最前列に座っていた幼女が恐がって泣き出してしまい、パフォーマーも親も他の観客一同も、笑うやら困るやら..[;^J^]

*カナール・ペキノワ
 初参加のコンビ。これが当たりであった。ジョーズに扮する、イントロの掴みからして、ただ者ではなく、メインは野球。説明が難しいのだが、繰り返しのギャグのテンポが良い。

*Wテイク
 ガイドブックによると男女ペアなのだが、どういう事情か、今日はソロであった。クラウンの芸で、タップダンスをしながらのジャグリングがメイン。これは案外珍しい。

*ドゥ&ピアソン
 昨日に続いて、再鑑賞。昨日見逃していたのは、イントロのほんの1〜2分だけだったようである。極端に面白いわけでも無い、なんというか予定調和の芸なのだが、こういうのが、案外、再度三度の鑑賞に耐えたりする。その意味でも、ドリフ的と言えるかも知れない。

*ピエール&ペレ
 昨日に続いて、再鑑賞。非常に感心した。
 男が人形使い、女が人形(マネキン)に扮するのだが、そのマネキンが、いつしか、自分から動き出す、というストーリー。マネキンに扮する芸(硬化したまま、斜めに抱え上げられて運ばれるなど)も達者なものだが、この状況設定が素晴らしいのだ。最初のうち、そのこと(人形に魂が宿ったこと)に気が付かない人形使いの背後で、マネキンが、彼の方に首を向けるところなど、ちょっとしたホラー風味で、スリルもサスペンスも、そして哀感もある。

*シリウス
 この大会の常連で、昨年度ジャパンカップチャンピオンのペア。悪くは無いが、いまひとつ感銘が薄いというか、決め手に欠ける。それと、美形過ぎる [;^J^]。それも、無個性系の(美容院で働いていそうな、いわゆるカリスマ店員タイプの)美形である。これがプラスに働くとは思えないし、逆手に取って武器にしているようにも見えない。


 昼の部はここまで。昨日に続いてひょうたん屋。魚とニンニクをビールで流し込んで、ナイト・パフォーマンスへ。3組ばかし梯子しようかと思っていたのだが、



*サンキュー手塚
 店を出た目の前のポイントで始まっていたので、昨日に続いて鑑賞。もはや(私にとって)別に新味は無いのだが、しかしやはり面白い。


 十重二十重の人混みをかき分けて投げ銭するのも容易ではなく、せっかく補給したエネルギーも、ここで切れてしまった。大人しく浜松に帰還。

*
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*2000年11月05日:叩いても叩いても


 今日が大道芸の最終日だし、予報に反して好天になったのだが、パス。もちろん、2日間で見尽くしたわけでは無いし、行けばまだまだ新発見があることは判っているのだが..他にもやりたいことがあるのだ。(例年、2日間“だけ”、観ることにしているのだった。)

 「他にもやりたいこと」というのは..もちろん図書館がよい。手塚リストのメンテである [;^J^]。

 実はこの1〜2週間、(手書きの)調査ファイル原簿を、洗い直していたのであった。ある程度先が見えてきたので、(..と、数年前から書いているような気がするが、そんなことはおいといて [;^J^])“調査の洩れ”が無いかどうか、総チェックをかけていたのである。

 その初出誌(一次資料)が、「国会図書館にも現代マンガ図書館にも大宅壮一文庫にも無い」、ということが確定していれば、それはそれで「調査完」なのである。古書市場で捜索する(買い求める)フェーズに移るかどうかは、それこそ、費用対効果を勘案してからである。「信頼性が極めて高い二次資料」を押さえておけば良し、という判断も、ありうるからだ。

 恐れているのは、「調査したつもりで調査していなかった」「調査の網の目から抜け落ちていた」、というケースである。これは、少なくないはずなのだ。子細は省くが、4年以上にわたる調査の過程で、さまざまなチャンネルを経由して、どんどん「作品数が膨れ上がった」、という事情。また、「調査ファイル」を(主としてバックアップの見地から)一本化せずに細分化して管理していた、という事情。特に後者に起因して、調査の「ダブリ」と「欠落」が発生していたのである。

 これは、総作品数がダイナミックに変動している局面では、避けられないことであった。それは承知(覚悟)の上で、調査を進めていた。しかしどうやら、最終局面になってきたのである。これまで8本に分かれていた調査ファイルを、1本に統合化し、合計4000本以上にのぼるエントリ(長編連載作品などは、「章」ごとにエントリを立てる)のうち、具体的に初出誌(あるいは、初出誌に準ずる「信頼性が極めて高い二次資料」)を閲覧していないのはどれか..要するに、「調査記録の棚卸し」をしたのであった。

 その結果、「確かに初出誌に当たった記憶があるのに、その記録が残っていない」作品(エントリ)が、100本近く、わいて出た。参ったまいった。

 例えば、全集(等)の初出データに「55/09 - 56/01」とある場合、これでは話にならんので、図書館(等)で各号に当たって、「55/09,55/10,55/11,55/12,56/01」、と、中割りをする。この時、紙物の調査記録に、「55/09(**p),55/10(**p),55/11(**p),55/12(**p),56/01(**p)」、と、閲覧した号と、それぞれのページ数を書き記す(ページ数は省略することもある)のが、私のメソッドなのであるが..この「手書きの中割り記録」が見当たらないのに、電子データ上では、(「55/09 - 56/01」から)「55/09,55/10,55/11,55/12,56/01」に書き改められている、という例が、数件、あった。

 まず99%確実に、閲覧している。しかしその証拠が無い..再閲覧である。

 我ながら、潔癖過ぎるが..そういう前提(というか方針というか体質)でスタートした調査なのだから、いまさら、変更できないのである。

 その他、説明は省くが、新聞などの単発記事で、閲覧証拠がいまいち曖昧なものも、いくつもあったのである。それやこれやで、いまいち自信を持てない案件が、計100本弱。

 状況説明が長くなったが、上記の再調査案件群のうち、朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、日経新聞など、浜松中央図書館で縮刷版を読めるものについて、再調査を行った、というわけなのである。

 結果的に、確かに全て、(単行本ではなく初出紙で)目にした記憶はあった。その意味では、二重調査になってしまったのだが..しかし、今回こそは、確かに紙物に記録したし、この紙物の調査ファイルは、速やかにバックアップコピーが取られるのである。無駄な作業ではない。それに..

 ..それに..

 ..これらを「縮刷版」のページを繰りながら探している間に、全くの新発見に、3件もぶち当たってしまったのである。(広告2件、座談会1件。)

 お..お..お..終わらんっ! 仕事しすぎなんだよ、手塚治虫!(← いまさら遅いっ!! [;^O^])

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Nov 9 2000 
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