*1999年11月29日:「サイン本」に興味無し
*1999年11月30日:フィギュア発注
*1999年12月01日:DOS問題、しばしペンディング
*1999年12月02日:ホストマシン、リプレース
*1999年12月03日:メールで取材するのなら
*1999年12月04日:感情移入について
*1999年12月05日:「“手塚治虫漫画全集”解説総目録」解説執筆、再開
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*1999年11月29日:「サイン本」に興味無し


 風邪で不調である。代休を取る。夕方から歯医者に予約を入れていたが、これもキャンセル。

 「サイン本」に、興味が無い。古書店の目録などを読むと、結構な値段がついているが、いったい何が嬉しくて、あんなものが欲しいのだろう?(財テク(死語)だと言うのならば解るが、ここではこれは議論の対象外とする。)

 「作者の肉筆のリアリティ」というのは、理解できる。私も、手塚邸を訪問したときに、手塚治虫の最後の私室の床のインクの染み(そこで腹這いになって原稿を描いた跡)を目撃して、背筋が震えるほどの感動を覚えたのは事実である。しかし、ほとんど機械的に量産される「サイン」と、上記の「染み」とは、およそ次元が違う存在であることは、言うまでもあるまい。それも、目の前でサイン(と握手)をしてもらったというのであれば、それはかけがえのない記念であり、想い出の品であろうが..他人の「記念の品」を、大金を出して購う、という発想が、理解できない。何が嬉しいんだろう?

 「サイン本」には興味は無いが、「書き込み本」ならば、話は別だ。そこには、書き込み者の思考の残滓(残留思念)が残っているからだ。(滅多にお目にかかることもないが..)例によって、あてにならない記憶で書くが、ヨーロッパのどこかの国で、誰かが買った、古い本。(← 情報量が、ほとんど無い [;^.^])それの欄外にコチャコチャと書き込まれた、古い書き込みを筆跡鑑定させてみたら..セルバンテスの真筆だった..

 こういうエピソードを聞いたりすると、その古本を買うのは、私でありたかった、と、七転八倒したりするのである。

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*1999年11月30日:フィギュア発注


 まんだらけから、オリジナルフィギュアの吾妻ひでおシリーズが発売になる。私は元来、フィギュアにはあまり興味が無いのだが、(なにしろ、書籍よりも場所を取るし、)これはもう仕方がないので買うしかない。第1回発売は、ミャアちゃんだし。郵便局から代金を振り込む。12月中旬発送予定だが、さて。

 DVD−RAMのPC DOSからの認識、依然として難航中。松下のウェブページのフォームから質問を発送。折り返し、ドライバのマニュアルのコピーがFAXで届く。これで、ASPIドライバのマニュアルとDVD−RAMドライバのマニュアルが揃ったわけだが。

 10万ヒット達成。特にヒット数を気にしていた訳ではないのだが、節目ではあるので、備忘のため記しておく。ログを読むと、10万人目のお客様は、1999/11/30 22:33:02 に、p10-dn03sirakawa.fukushima.ocn.ne.jp から訪れた人である。別に記念品は出ないので、身に憶えがあるとしても、わざわざメールして来なくてもいいです。[;^J^]

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*1999年12月01日:DOS問題、しばしペンディング


 う〜ん、どうして認識しないかな。PC DOS問題は、しばしペンディング。当分の間、バックグラウンドジョブに回す。以前も書いたように、DOSからPCカード経由でDVD−RAMが認識出来ないとしても、パラレルSCSIは使えているわけで、この現状で、特に困っている訳ではないのだ。

 実際、VFATBAKでフルダンプ(またはリストア)する時以外には、DOSに用は無いのであって、フルダンプするのは、1〜2ヶ月に一度。IOアダプタとパラスカをはさむ手間はいかほどのものでもなく、ダンプ自体は寝ている間に行うのだから、(PCカード認識によって、達成されると期待される)70分以内のダンプだろうが、(現状のパラスカによる)5時間のダンプだろうが、実は待ち時間は一緒なのである。(睡眠中だし。[;^J^])(ま、リストアは、緊急に行いたくなるかも知れないが。)つまり、そもそも贅沢な要求ではあったのだ。

 (言い訳じゃないってば。[;^J^])

 その一方で、PCカードを認識するための買い物としては、依然、仕事をしていないDOSだが、この7000円の買い物は、別のところで完全に元が取れている。とにかく、DOSの正規のマニュアルと、整備されたオンラインヘルプが手に入ったのが、何よりも有り難い。それに、マイクロソフト製ではなくIBM製の(つまり、ちゃんとした)DOSがフルインストールされたHDがある、というのは、心強い。

 (だから、言い訳じゃないってば。[;^.^])

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*1999年12月02日:ホストマシン、リプレース


 代休を取って、終日(朝9時から夜10時まで)、rincのホストのメンテを(他のスタッフ3人と、計4人で)行う。古いSUNから、最新のPCへのリプレースである。OSはLinux。Y2K対策のついでに、(というか、ハードもソフトもとっくに保守が切れていたので、Y2K対策としてはマシンの入れ替えしかなかったのだが、)PCにしたというわけ。私はrinc(Roland Internet Club)のスタッフの一員なのだが、普段ほとんど何もしていないので、こういう時こそ、猫の手くらいにはならなくては、と、駆けつけた次第。

 まぁ私は、ユーザー環境のコピーと、その他若干の作業ぐらいしか行わず、大して戦力にもならなかったのだが。

 ホストマシンのパフォーマンスは、劇的に改善した。外からアクセスする分には、(どのみち、回線速度がネックになるため、)たいして違いは判らないかも知れないが、ログインして作業していると、特にDISK I/Oの速度が全く違うことに驚く。今まで、いかに遅い環境だったか、ということだ。こうなると、少し欲が出てしまうかな。

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*1999年12月03日:メールで取材するのなら


 時々、取材メール(というか、質問メール)をいただく。多くは、手塚治虫絡みである。「“手塚治虫漫画全集”解説総目録」を見て、この人ならきっとわかるだろう、と、見込まれての質問なので、有り難いことではあるし、恐縮もするしで、出来るだけ返事を書きたいのだが..

 ..即答出来るような質問、というのは、そうそう無いのである。大概は、それなりに(ときには広範な)調査をしてからでないと、答えられない質問であり..そうなると、1週間以上かかるのが、普通である。基本的に週末でないと、そういうことをしている暇は無いし、土日に休日出勤をしているようでは、さらに1週間、先送りになる。

 それでも、個人からの質問は、まだ気が楽なのだ。「締切」が(普通は)無いからである。ゆっくりと調べてから返事を書いても、まだ「意味がある」。困るのは、マスコミからの「取材」である。特にテレビ関係者。

 番組のネタにするために、調査しているのである。この場合、締切が極めて早いことが珍しくない。(あとから、結果的にわかることがあるのだが、)2〜3日以内(時には“翌日”)に返事をしなければ、意味がなかった場合があるのだ。(そしてまた、テレビ関係者に限って、実に漠然とした、手の掛かる質問をしてくれるのである。)

 こうなると、1週間も間が空いたリプライなど、意味が無いのではないか(とっくに、番組の収録は終わっているのではないか)と考え、無駄な手間はかけたく無いので、返事を書くのもやめてしまう、ということになる。

 テレビ関係者に(調査結果を)返答するのに、今ひとつ気が乗らない理由が、もうひとつある。それは、(実はテレビ関係者に限ったことでもないのだが、)苦労して調査した結果をメールで送っても、ほとんどの場合、それに対する返事が無いことである。

 「礼状」がもらえないと嫌だ、と、駄々をこねているのではない。「結局、間に合ったのか間に合わなかったのか、使える結果だったのかボツだったのか」が判らない、と言っているのである。全く無意味なことをしたのかどうかすら、判らないとあっては、元気が出ないどころの話ではない。他にやることが(全く何も)無ければ、調べてみましょうか、という程度に、(テレビ関係者からのメールへの対応の)プライオリティを下げてしまうのは、当たり前だと思う。

 あとひとつ、是非とも実施して欲しいことがある。質問メールに「締切」を書いて欲しいのである。いつまでに返事をすれば「意味がある(間に合う)」のかが判ると、予定表に組み込めるのである。例えその「締切」が、「明日」であっても構わない。最初から、全く間に合わないと判っていれば、すぐに、「残念ながら無理です、他を当たって下さい」というリプライを返せる。従って、質問者も、私からの(来るか来ないか判らない)返事を待つ、という、無駄な時間をかけずに済む。1週間経ってから返事を書いても意味があるのかどうかが判らないから、調査をしないのであって、例えば「締切は2週間後」と判っていれば、安心して時間を割くことが出来るのである。

 じゃあ最初に、締切はいつか、問い合わせるメールを書けって? そこまで私にやらせる? それは筋が違うでしょ? それに、そういうメールを書いてしまうと、「これは、調べてくれるに違いない」、という期待を、(当然ながら)質問者に与えてしまうし..

 以上、特に目に余るので、テレビ関係者をやり玉に挙げたが、実のところ、雑誌関係者も似たようなものである。マスコミ人は、もっとしっかりしてもらいたい。ほんの僅かな手間(締切の明示と、調査結果を受信した旨の返事)を省くという悪癖の故に、得られる情報も得られなくなるのである。

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*1999年12月04日:感情移入について


 国書刊行会から出ているテーマ別アンソロジー、「書物の王国」の、第4巻「月」を読む。私的特選は、「月物語」(パニッツァ)と「二十六夜」(宮沢賢治)。前者の奇想は、鶴田謙二(特に、「Spirit of Wonder」)に近い。氏のファンならば、狂喜すると思う。お薦め。そして後者は..

 ..宮沢賢治は、ときどき、こういう“たまらない”話を書く..

 この物語の本質は仏教説話であり、そのクライマックスは、二十六夜の月の出の幻想であるのだが..それよりも、梟の三兄弟のけなげな末弟が、なんの理由も無しに(面白半分に)人間の子どもたちに脚を折られ、それが原因で死んでしまうのが、哀れでならない..

 死ぬであろうことは、途中からわかっていた。物語の進行上、この子は死ぬしかない。しかし..なんとかこの子の命は助けてやってくれ! そのために、芯の通っていない、ピリッとしたところのない、大甘の駄作になってしまってもいいから..と、祈るような気持ちで読み進めたのだが..

 ..やはり、死んだ。その場面では、本当に涙が出た。この短編を読んだのは昨夜だが、一晩中、まんじりともしなかった。可哀想で可哀想で..今、こうして、思い出しながら書いていても、胸が張り裂けそうになる..

 この短編は、このアンソロジーの末尾近くに収録されているのだが、このために、昨夜、(時間はたっぷりあったのに)この書物を読み終えられなかったのだ。とても、他の作品を読む気にはなれなかった。音楽も聴けなかった。気持ちを切り替えられなかったのだ。

 そしてこれこそ、私が「たくさんの本をなかなか読めない」原因の、主たるものなのである。私は、主観的にも客観的にも「読書家」の部類に入ると思うが、それにしては、それほど多くの本を読んでいない。遅読というよりは..こういう作品に引っかかると、「次の本」に取りかかるまで、非常に時間がかかってしまうのである。今回は、「立ち直る」までに、それほどは時間はかからないと思うが..どうかすると、「消化する(解決する)」までに、数ヶ月以上かかってしまうことも、珍しくはない。

 この性癖は、少年時代からのものである。高校生の頃だったと思うが、(やはり読書家の)級友に、「ばっかじゃなかろか」と言われたことがある。「余計な感情移入などせずに、サクサク読んでいけば、冊数を稼げるのに」、と..

 そんな「読書」に、なんの意味がある。

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*1999年12月05日:「“手塚治虫漫画全集”解説総目録」解説執筆、再開


 休日出勤をしてでも片づけておきたい案件がいくつも溜まっているのだが、休日出勤というのは、本当に癖になる。ここは、心を鬼にしてでも、休むべきだろう。

 積んであるのは本だけでは無い。CDの積読(積聴)は、ほとんどクリアしてあるのだが、LDが(多分)50枚以上。(1000冊近い、書籍の待ち行列に比べれば、屁でもないか。)ちなみに未だに、DVDには手を出していないのであった。御多分にもれず、プレステ2待ちである。

 ということで、LDを2枚、片づける。何年前に買ったのか、記憶に無い。無理矢理にでも休まないと、今後一生、観る機会は無かったかも知れない。(10年以上寝かせているソフトも、あることだし。)

 ついに、「“手塚治虫漫画全集”解説総目録」の解説執筆を再開する。「ブラック・ジャック 21」である。解説執筆は、実に17ヶ月ぶりだ、というのは、ここだけの話だ [;^J^]。こんなに間があいていたとは思わなんだ。(当たり前だが、勘が狂っている。文章が長くなりすぎる。もっと簡潔にまとめなくては..)

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Dec 8 1999 
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