*1999年11月22日:PC DOS 2000 2日目
*1999年11月23日:PC DOS 2000 3日目
*1999年11月24日:島本和彦単行本キャッチアップ完了
*1999年11月25日:鞄を使いこなす
*1999年11月26日:PC DOS 暗礁に
*1999年11月27日:オルガン交響曲
*1999年11月28日:「百鬼徒然袋」
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*1999年11月22日:PC DOS 2000 2日目


 会社で休憩時間に、「PC DOS 2000」のCD−ROMから、インストール用のFD(11枚)を作成し、持参したリブ30(500MHDを、すっきりとFDISK&FORMAT済み)にFDからインストールする。(つまり、CD−ROMからのインストールは、諦めたのである。)

 これも意外に難航した。フロッピーディスクの読み込みエラーが、やたらと起こるのである。とにかく、フォーマットするPCと、イメージを書き込むPCが違うと、非常に不安定である。(時間が限られているので、複数台のPCで、フォーマットとイメージ書き込みを流れ作業で並行処理していたのであった。)

 ま、とにかくインストール成功。このあとの段取りは、このリブ30(PC DOS環境)で、PCカードSCSI経由でDVD−RAMにアクセス出来ることを確認したのち、その環境(ドライバ群とCONFIG.SYS等)を(PC DOSの)ブートフロッピーに入れ、これでリブ100をブートして、リブ100のDOS環境で、PCカードSCSI経由でDVD−RAMに(VFATBAKで)フルダンプ出来ることを確認すること、である。

 ..喉がおかしい。風邪を引いたか。微熱もある。

 今日はここまで。早めに酒を打ち切って、22時に寝る。

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*1999年11月23日:PC DOS 2000 3日目


 さて、PC DOS 2000。正しい休日の過ごし方である。

 リブ30の500MHDにフルインストールしたPC DOS 2000からは、無事に、PCカードSCSI経由でDVD−RAMドライブを認識できた。(R/W可能な)DVD−RAM(又はPD)ドライブとしては、ドライブE。(ReadOnlyの)CD−ROMドライブとしては、ドライブFである。ちなみに、ドライブDは、ATAドライブ。私が所有しているATAデバイスは(PCカードアダプタに挿入した)コンパクトフラッシュだけであるが、これのPnPの認識速度が、非常に速い。Win95@リブ100にコンパクトフラッシュを挿入する時には、認識してディレクトリが見えるまでに5秒くらいかかる。これに対して、PCDOS@リブ30に挿入する時には、(体感速度で)1秒強である。あまりの速さに感動してしまった。

 問題もある。FDドライブが見えなくなってしまったのである。リブのFDは、もともとPCカード経由のFDということで、いささか(かなり)特殊な扱いなのである。

 ま、読めなくてもいいや。リブ30とリブ100のデータ交換にFDを使うまでもない。上述したように、コンパクトフラッシュが問題なく使えるし、速くて容量も48Mとでかい。そうでなくともリブのFDは(実際のR/W速度はともかく、認識速度が)遅いのだから、CFの方が、データ交換には遙かに便利である。FDが読めないくらい、構わん、かまわん..(と、この時は思っていたのだが。)

 さて、リブ30(無論、HDから起動)で、問題なく環境構築が出来たので、このシステムをフロッピーに移す。(PCカードドライバをCONFIG.SYSの中に書き込む前に、SYS A:しておいたのだ。要するに、PCカードドライバがFDを殺してしまうのである。)そして、リブ100で起動..

 ..CONFIG.SYSの読み込み中、PCカードドライバ群(の最初のファイル)が読み込まれた時点で、ピタッと、FDが止まった [;^.^]。CONFIG.SYSの、そこから下のドライバ群が読み込めない [;^.^]。A:AUTOEXEC.BATも読み込めない [;^.^]。FDが死ねば、こうなるのは当たり前だろ、何を考えてるんだ、何を! > 自分

 (まともなPCシステムとして)FDが認識できるように手を打つのが、根本解決。しかしそれをせずに、さらに小手先芸の悪あがきをする。つまり、PCカードドライバ群以降をHDにコピーし、CONFIG.SYSは、それらをHDから読み込むように変更したのだ。こうなると、(HDの環境に依存してしまうので)もはやFDブートとは言い難いのだが、やりたいことは、「DOSベースでPCカードSCSI経由でVFATBAKすること」だけである。起動システムがどんなに歪(いびつ)でも構わんわいっ(既に何かを見失っている状態)。

 をを。PCカードドライバは(FDが止まっても、HDから)読み込めたが、HD上のSCSIドライバ(ASPI500)が読み込めない。(正確には、読み込めるのだが動かない。)理由がわからん。リブ30でHD起動でHDから読み込んだ時には、問題なく動いたのに。しかも仮にここを突破しても、A:AUTOEXEC.BATの問題がある。COMMAND.COMも、ややこしいことになるかも。

 ここでようやく、CompMartに「リブレットバイブル」(秀和システム)を買いに行く。DOSからPCカードを認識する方法については、この本に簡潔にまとめられている、ということは、以前から知っていたのだが。(リブレット関係の書籍は、他にもいくつかあったが、これが一番使える。というか、他の書籍は、アプリレベルの使いこなしの話が中心なのである。)

 ふむふむ。HDから起動してPCカードマネージャーがFDを殺したあと、FDが再度使えるようにする技は、わかった。(なんちゅう裏技や。)しかし、この技を持ってしても、FDから起動する場合に(自殺した)FDを生き返らせることは、できそうもない..(それに、このFDカードドライバは、私は持っていない。買わなくちゃいかんのかな? ぶつぶつ)

 ..そもそも..

 ..どうして私は、FDブートにこだわっているんだ?

 DOS環境ならば、それでいいのではないか。HDから起動しても、なんの問題もないではないか。VFATBAKでダンプすべきWindowsは、停止しているのだから。

 どうやら、「Windowsを使う上では、必ず、非常用にDOS起動FDを作る」、という鉄則が、「DOS起動はFDから」、という思いこみにすり替わっていたらしい。やれやれ。

 別パーティションを切って、そこにPC DOSをインストールする方が、システム的には安定しているが..VFATBAKは、別パーティションのダンプ/リストアが出来るのだろうか?(出来ないような気がする。)とすると、CONFIG.SYSでMENUを切るか。この場合、足回りのIO.SYS/MSDOS.SYS等は東芝製、COMMAND.COMはIBM製、となるはずで(多分)、やや不安だが、まともに設計されていれば、齟齬はきたさないはずである(多分)。HDから起動すれば、SCSIドライバも仕事するだろう(多分)。

 熱が下がらない。37度4分。今夜もここまで。熱を冷まさなくては(ダブルミーニング)。

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*1999年11月24日:島本和彦単行本キャッチアップ完了


 結局、熱は下がらず、喉もおかしいので、午前半休。T外科で注射と薬。

 午後から出社するも、38度4分の、心地よさ。(既にラリっている。)

 「炎の転校生 第12巻」(少年サンデーコミックス版)納本。Bizseek登録店からオファーがあったもの。98/08/30 にBizseekに登録して以来、入手までに15ヶ月かかったことになる。これで、島本和彦の既存の単行本は、全て制覇した。

 頭が働かないので、DOSいじりは今夜はお休み。

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*1999年11月25日:鞄を使いこなす


 熱は下がったが、喉が痛くなってきた。それほどきつくもない症状が、次々と消えては現れてくる。

 鞄の件、ある程度の対策を行なう。ビデオテープ整理用のクリアケースの中に入っていた「中仕切り」(断面がT字型のブックエンドのようなもの)を立てて、仮想的に、底面積の狭いふたつの鞄に分けたのである。完璧とは言えないが、書籍やPCを持ち運ぶ分には、まずまず使える。少なくとも、内容物が横倒しになってクタっと倒れることは、起こりにくくなった。人間、窮地に追い込まれれば、なんとか智恵はわくものである。

 とは言え、これ以上は頭が働かないので、DOSいじりは今夜もお休み。

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*1999年11月26日:PC DOS 暗礁に


 リブ100のルートディレクトリの直下にPCDOS2Kというディレクトリを作り、リブ30にインストールした環境をまるごと、ここにコピーした。CONFIG.SYSにメニューを設定。HDからPC DOS 2000を起動..失敗。

 何しろ、追いつめられてやっているわけではない。(実際、PC DOS環境は、VFATBAKでフルダンプ(またはリストア)する時以外には用は無いのであって、フルダンプするのは、1〜2ヶ月に一度。IOアダプタとパラスカをはさむ手間はいかほどのものでもなく、ダンプ自体は寝ている間に行うのだから、70分だろうが5時間だろうが、実は対して変わらないのだ。)気合いの入り方が(悪い意味で [;^.^])違うのである。根本的なところに立ち返らずに、思い出したように小手先の変更をしているものだから、さっぱり事態が進展しない。

 もうひとつ気合いが入らないのは、ASPI500(SCSIカードドライバ)のマニュアルを紛失しており、コマンド行オプションの意味が、さっぱり判らないことである。これが解決しないと、先に進まないのだ。ざっと探して見当たらなければ、東芝に相談するか。

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*1999年11月27日:オルガン交響曲


 休日出勤途上の車の中で、思わず鳥肌だってしまったのは、熱のせいではない。熱はもう下がっており、目下、私を悩ましているのは、しつっこい咳である。

 鳥肌だったのは、サン=サーンスの「交響曲 第3番“オルガン付”」の、ミュンシュ/ボストン交響楽団盤(1959年録音)を、カーステで聴いていたからだ。

 言うまでもなく、この“ゴージャスな”名曲の、史上最高の名演・名録音のひとつであり、随分以前に、CDに復刻されたものを入手済みで、愛聴していた。この名盤が、xrcd2という新技術でリマスタリング/再発売されたと言うので、先日の上京時に、石丸で捕獲していたのである。(VICTOR JMCXR0002。)

 いやはや。オーディオ的な凄みについては、正直なところ“良く判らない”。購入してから、まだ自宅の再生装置(と言っても、たいしたものではないのだが)では聴いておらず、いきなり、車のカーステで聴き始めたからでもあるが..「現代の優秀録音との差が、“良く判らない”」のである。(40年前の録音であることに、注意。)

 もちろん、この盤の真の価値は、録音などには無い。その豪放極まりないパッションである。終曲の、ごつく、でかい、骨太の造形美は、まさにそびえ立つ大伽藍を見上げるがごときもの。そしてこの大建築が、冷たい大理石などではなく、熱い血潮が脈打つ、弾け跳ぶような筋肉質の(バイオな)素材で組み上げられているのである。

 この「名録音」は、この「名演奏」の邪魔をせず、その息吹と輝きを現代に伝えるというだけの役割しか、果たしていない。(しかし録音に、これ以上の価値が必要だろうか?)

 休出のネタは、ISO14001の教育資料作成である。

 夕方には、咳が悪化。喉の奥が痒い痒い。DOSいじりしている場合ではない。

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*1999年11月28日:「百鬼徒然袋」


 おや。書棚の隅から、ASPI500のマニュアルが出てきたよ。相変わらず、DOSいじりの元気は出ないが、これで現在の閉塞状況を突破できるかも。

 (今日も休出。今日もISO14001の教育資料作成。)

 「百鬼徒然袋 − 雨」(京極夏彦、談社ノベルス)読了。いまいち。榎木津の暴れ方が、物足りないのだ。(彼自身、暴れ足りずに、いらんもんぶち壊しているではないか [^.^]。)それと。外伝としては、十分、合格点の面白さだとは思うのだが..ほとんど「ユーモア・ミステリー」なんだよなぁ。「姑獲鳥の夏」「魍魎の匣」の暗黒の衝撃は、遠い夢と成り果てたか..

 「鳴釜」「瓶長」「山颪」の3編を収めるが、「鳴釜」の(心理的)展開は、「凄ノ王」(永井豪)を思わせるところがあると思わない?(この程度の類似点に突っ込まれては、作者としてはたまったものでは無かろうが、連想しちまったもんは、仕方がない。)

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Dec 1 1999 
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