ジャングル大帝 1

*序章 パンジャの死

 堂々たる開幕である。最初の2頁でアフリカの景観を、まず描き、第3頁でシマウマの群れの逃走と、黒豹の追撃、第4頁で白いライオンが飛び出してきてこれと黒豹の闘い、第5頁で勝負がつき、舞台は夜へ。第6頁で白いライオンが原住民の部落へと忍び寄り、第7頁から人間たちが登場。原住民達の祭りの席で、けものたちの王である、白いライオン(魔獣パンジャ)を狩り出すたくらみが、酋長と白人狩人(ハム・エッグ)の間で取り交わされ、ハム・エッグの狙いが、酋長のひたいにはめ込まれた石であることが明らかにされる。

 この見事なテンポと、絶妙なリズム。漫画ならではの簡潔な線と色彩の効果も素晴らしい。(特に3頁めから4頁めにかけての、“シマウマ”と“黒豹”と“白いライオン”の対比!)

 森のけものには優しいが人に飼われたけものは酷く憎むパンジャは、酒盛りの隙をついて部落を荒らし、家畜を殺す。翌日の大々的なパンジャ狩りも、さんざんに翻弄する。ハム・エッグはテープレコーダーを使って、まずパンジャの連れ合いをだまして捉え、その雌を囮にしてパンジャをおびき出す。パンジャは罠と承知の上で、雌を奪いかえすために正面攻撃をかけ、そして、殺される。

 ハム・エッグは宝石を、彼の相棒のクッターは雌ライオンを手に入れ、クッターと雌ライオンはロンドン動物園に向けて、出港する。

*第1巻 第1章 レオの誕生

 パンジャの妃は船の中でレオを生み、レオを諭して船から脱走させる。嵐が来て船は沈み、レオの母も死ぬ。開巻早々の親子の別れと母の死であり、実にテンポが早い。運良く生き延びて漂流していたクッターはレオを拾うが、一緒にいれば必ずやレオを食ってしまうであろうと、レオを別の板に乗せ、別れる。この僅か2頁のシーンは、まことに印象的である。

 レオは客船(?)に拾われるが、そこでネズミたちに饗応を受けていたところを見つけられ、再び海へ放り出される。ジャックという洒落者のネズミが同行。鋸ザメとの立ち回りの活劇をはさんで、アフリカに渡るマダラチョウの群れを追って、二匹は泳いでゆく。

*第1巻 第2章 アデンにて

 二匹はアデンの海岸に漂着し、車で飛ばしてきた子供の男女(漫画世界では、子供も車を飛ばせるし、銃だって所持できるのだ)に拾われる。女王様タイプのメリーと、家来タイプのピエール。二人は白いライオン(レオ)を学校に連れかえって、いけにえごっこでなぶりものにする。逃げ出したレオをかばって彼らと対立するのが、日本少年のケン一。ピエールらの日本人に対する蔑視は、言うまでもない。先生でありケン一のおじさんでもある、ヒゲオヤジ登場。博識なメガネ少年登場。ケン一はヒゲオヤジを説得して、(名目上は、ネコとして)レオを飼うことに成功する。ジャックとの別れ。

 無駄のない快調なペースで、主要登場人物群が導入される。

*第1巻 第3章 月光石の秘密

 ハム・エッグ、再び登場。彼もこの地にやって来ていたのだった。何故ならばメリーの父親だからである。(人間関係の、手際の良い整理。)彼は苦心惨澹して入手した宝石が、ダイヤモンドではない(従って、宝石商らには値打ちがつけられず、買い手がいない)ことに、意気消沈している。そこに現われたのが、プラス教授とマイナス博士。実はこの石は、今まで世界でたったひとつしか発見されていなかった、月光石(ムーンライトストーン)なのである。金儲けにもならない学術調査への協力は、まっぴらだ、と、ハム・エッグ。(もっともな話だと、私も考える。[;^J^])

 舞台変わって、ヒゲオヤジとケン一の家でのレオのしつけ。猛獣の本能が消えないレオを、ヒゲオヤジは追い出そうとするが、(密かについてきた)ジャックが、ネズミとりの「やらせ」を演じ、レオの首はつながる。

 動物園にて。レオの野性の吠え声のアピールで、獣たちは大騒ぎ。叩き出されたレオはジャックに、動物園にいる動物たちは不幸だ、ぼくはアフリカに帰って、動物たちの楽園を作るんだ、と、夢を語る。全編の基本モチーフのひとつが導入される、重要なシーン。ジャックは、アフリカってところは弱肉強食なんだ、楽園じゃない。あっしはネコとは暮らせませんしねえ、と、カウンターを当てる。

 メリー家(すなわちハム・エッグの邸宅)における、クリスマスパーティー。相変わらずメリーは聞き分けのない女王様であり、ピエールは(虎の威を借る)家来であり、ケン一とは対立している。階下では、プラス教授とマイナス博士の、ハム・エッグの説得。

 実はムーンライトストーンは、ウェゲナーの提唱した大陸移動、それを引き起こした力を秘めているのではないか..!? これこそが、「ジャングル大帝」を貫く、最大のライトモチーフなのであった。そのような一文にもならない話には取り合わなかったハム・エッグも、ムーンライトストーンひとかけらにつき、3000ドルを提供しよう、という教授たちのオファーに、目が眩む。

 探検隊の出発。資金を提供したのは、ヒゲオヤジ。探検隊のメンバーは、プラス教授、マイナス博士と、ハム・エッグ、メリー、ヒゲオヤジ、ケン一、そして、レオ。ジャックとは、今度こそ別れる。

 やがて船はジャングルへ。レオは、夢にまで見たジャングルが、きれいでもにぎやかでもなく、おうちなどひとつもないことに、衝撃を受ける。

 この章では、ムーンライトストーンとレオの夢、という、ふたつの基本要素が語られている。思い切って大陸移動説を持ち出して来る、スケールの大きさ(というか、大胆さ)が、小気味良い。

*第1巻 第4章 アフリカ第一歩

 ジャングルをゆく一行。レオは自分のふるさとのあまりの未開さに立ち直れないが、その一方、サバンナで、ハゲタカについばまれるシマウマの屍肉を目撃して、ある衝動を覚える。野性が目覚めかかっているのである。

 ランプ登場。ハム・エッグとは因縁浅からぬ仲らしく、ハム・エッグは露骨に厭う風である。序章の舞台の部落に到着。酋長も例の石の出所は知らない(「白い山から、白い花がとんでくる..」という、謎めいたヒントしかわからない)ことに、ハム・エッグは悄然。3000ドルが、ふいである。

 レオはパンジャの毛皮を発見して、これを盗みだし、それに気がついた酋長たちが騒ぎだす。一方、ランプはハム・エッグを脅迫していた。実はハム・エッグは、ナチスの捕虜収容所で働いていたドイツ兵だったのであり、ランプはそこに収容されていたユダヤ人だったのだ。旧悪を暴露するぞと脅されたハム・エッグは、ランプの指示に従ってプラス教授とマイナス博士の探検費用を奪いとるが、この時に撃った銃撃音で、部落はパニック状態になる。原住民たちの急襲を辛うじて逃れたケン一とメリー。白人&日本人グループは、彼らと、プラス教授、マイナス博士と、ランプ&ハム・エッグの3グループに離れ離れになってしまう。(ここで、パンジャのライバルだった黒いライオンと、その子分の黒豹が、現われる。)

 息つく暇もなく、物語は急展開してゆく。ここで注目したいのは、ふたりの悪役の関係である。ハム・エッグは狡猾なハンターであるが、その狡猾さはハンターとしては当たり前のものなのであって、彼は、ここに至るまで良き父親であり、探検隊に対しても誠実であった。心ならずもプラス教授とマイナス博士を銃で脅して小切手を巻き上げるが、これもランプにそそのかされてのことである。対してランプは、むしろ徹底的な悪である。元ナチスのハム・エッグと、収容所の生き残りのランプ。子供に判りやすい図式としては、前者が悪であり、後者が善であるが、ここでは逆転している。小さなことに思われるかも知れないが、こういうきめ細かい設定の妙が、作品世界に厚みを与えている。これは前章における、レオの夢に冷や水をあびせるジャックのつぶやきも、同様である。

*第1巻 第5章 ジャングル交響曲

 ケン一、メリー、レオの一行は、砂漠をさまよった末、とある洞窟に辿りつき、そこを自分たちの宮殿とする。夜。眠り。レオを誘うジャングルの声。闇の中に踏み込んだレオは、弱肉強食の世界に直面し、かつてパンジャのライバルだった黒いライオン(ブブ)に、鹿を食い殺すことも出来ないのかと嘲けられ、洞窟に逃げ帰る。人間たちに野獣と罵られることを恐れるレオは、自分はけだものであるべきなのかそうでないのか、悩む。

 そこへやって来た、鹿のトミー。彼はパンジャの死以来、荒れ放題になったジャングルに帰り、自分たちを守ってくれ、と、レオに頼む。こんな野蛮なジャングルはごめんだ、と、突っぱねるレオ。動物たちは一計を案じ、パンジャの毛皮に潜り込んで生きているかのごとく動かし、鸚鵡のココがパンジャの声音でレオを叱責する。この浅知恵はあっさり見抜かれるが、けものたちの真情に感じ入ったレオは、自分が王子であることを承認する。

 但し、こんな野蛮なジャングルでは駄目だ!と、開墾を始めるのである。草食獣たちが農業で幸せになれるかどうかは判らないが [;^J^] とにかく、畑と道路を作らせる。驚くケン一とメリー。その時、川上から原住民(ジャングラ族)がやってくる。ジャングルを焼き払うジャングラ族と、レオに率いられた動物たちの戦い。メリーはジャングラ族に誘拐されてしまう。

 レオは、焼け野原となったジャングルの立て直しをはかり、まず食堂を建てる。食券制にして、それぞれの動物たちに(自分には不要な)食糧を持ちよらせ、それを流通していくシステムである。ここで極めて微妙な問題にかすかに触れているのだが、後述する。

 メリーとはぐれてしょんぼりとしているケン一を慰めようと、レオはジャングルの動物たちを集め、鳴き声による大オーケストラを組織する。この大合唱シーンが、第1巻の白眉。これにランプとハム・エッグが気がつき、ケン一、レオと再会する。ここでパンジャを殺したのがハム・エッグだということが明らかになり、レオは彼に襲いかかって怪我を負わせ、しかし命は取らずに見逃してやる。ランプに率いられた人間たちが動物たちを襲うが、レオは果敢に彼らを追い散らし、この大混乱の中で、1頭の雌を救い出す。メリーを求めてさ迷うハム・エッグは、ブブに襲われ致命傷を負い、彼を発見したケン一に、レオは自分を許してくれたことを告げ、くれぐれもメリーを頼む、と言い残して、息を引き取る。心ならずも探検隊に災厄をもたらしたハム・エッグ。しかし彼は、決して悪人ではなかったのだ。

 生まれてはじめて人間にかみついたレオは、ケン一にあいそをつかされただろうか、と、悩む。しかし、パンジャの王子が戻って来て、人間を蹴散らし、森を救った!と歓呼する動物たちに迎えられ、彼はパンジャ2世として、ジャングルへと帰って行くのだった。かくして、第1巻の幕は、壮麗な余韻を鳴り響かせて降りるのである。

 この章からそろそろ、ジャングル大帝(に限らず、大自然を舞台にした動物漫画の多く)の設定の、もっとも無理に見える部分が顕著になってくる。つまり、ここでは肉食獣も草食獣も仲良く暮らしているのだが、一体、肉食獣は、誰を食っているのか?という問題である。レオのエサは誰なのか?

 草食獣を含む獣たちの守護者である「ライオン」という設定が内包する、本質的な問題である。本章においても、作者の逡巡は明らかだ。例えば、森が焼け野原になったあと、腹を空かせた豹が、いかにも申し分けなさそうな顔で「気の毒だとは思うがはらがへってるんだ、食われてくれよ」「ヒーッかんべんしてーっ」と、草食獣を襲うシーン。また、みんなが(他の動物たちのための)食糧を持ちよる食堂のシーンでは、キツネが木の葉を、タヌキがミミズを持ってくるが、シマウマがもってきたのは「おっこちていた肉」である。これがキツネのエサになるのだが、キツネの捕食という問題を回避した訳である。

 しかし実は、「草食獣と肉食獣が、仲良く入り交じって暮らしている」という状況は、童話的なフィクションではない。現実に、そうなのだ。(少なくとも、人間の視点からは、そう解釈することが可能である。)肉食獣は、必要以上に草食獣を殺すことは、しない。必要な時(空腹な時)に必要なだけ、殺すのである。それが(獣ならぬ、無慈悲で不条理で反自然的な)人間との本質的な相違である。ジャングルやサバンナの映像を見たことがある人ならお判りだと思うが、昼寝や一家団欒?をしているライオンのすぐ隣で、シマウマたちは平和に食事をしているのである。ライオンたちの狩りが始まれば、もちろん命懸けで逃走し、そして運がなかった誰かが食われ、そしてその日の犠牲は彼だけだと決まっているので、ライオンたちの血なまぐさい食事のすぐ隣で、また草食獣たちは食事を続けるのである。これが天敵というものであり、食物連鎖というものである。ここには恐らく、憎しみは、ない。

 だから、河馬と豹とキリンとライオンと象たちが声を合わせる、ジャングル交響楽の感動的なシーンは、少しもおかしくは、ないのだ。彼らは互いに、殺し、殺される間柄だが、大自然の秩序の元に、確かに共存しているのである。

 しからば、けものたちの「守護者」であるレオ(パンジャ)は、誰からけものたち(草食獣も肉食獣も含めて)を守るのか? 人間である。ここではジャングラ族。実際、ここまで読んだ限りにおいては、何のために、こんな無意味な破壊(ジャングルへの放火)を行なうのか、全く理解できないのである。彼らは間違いなく、大自然の懐に抱かれて生きる者たちの、共通の敵だ。そして恐らくは、(人間的な)無意味な殺戮を行なう獣(ブブがそうなのだろうか?)も、敵なのであろう。レオは彼らと戦うために、ジャングルに帰ってきたのだ。

 とはいえ、レオを含めた肉食獣が「仲間の」草食獣を適宜捕食する、ジャングル共同体、という概念は、やはり子供には受け入れがたかろう。そこで先に引用した、作者の筆の逡巡となる訳である。

 なんにせよ、この壮大なドラマは、いよいよこれからが佳境である。


*手塚治虫漫画全集 1

(文中、引用は本書より)


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Apr 27 1996 
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