*1998年03月16日:恐怖の代車
*1998年03月17日:たまには小言
*1998年03月18日:「えふくら−しすおぺ」悪あがき
*1998年03月19日:「えふくら−しすおぺ」玩具と化す
*1998年03月20日:嵐中閑あり
*1998年03月21日:さよなら、浜松寮
*1998年03月22日:アクセスカウンタを直す
*目次へ戻る *先週へ *次週へ


*1998年03月16日:恐怖の代車


 車検である。今年こそユーザー車検に挑戦しようと思っていたのだが、日程(〆切)をコロッと忘れているうちに、そんな暇は無くなってしまった。ということで、今年もディーラーまかせになる。最悪5万近く、余計な出費がかさむことになる。いかんなぁ。

 で、代車だが、赤いミニカ。これが世にも恐ろしい車。

 路面の凹凸に無抵抗で、ハンドルを取られる、暴れる、重い、硬い、少し力を抜くと、右に曲がって行く。(事故車に決まっている。)これだけでも十分恐いが、さらにブレーキの効きが甘く、思い切り踏み込まないと止まらない。しかも、クラッチと一緒に踏むと、自然に右に曲がる..[:_ _]

 他にもっとましな代車は無かったのか!と、怒るわけにもいかないのだ。「出来るだけ小さいマニュアル車」という(結構難しい)注文をつけたのは、私なんだし、きっと苦労して調達してくれたのだろうと思うのだ。

 僕のマーチ、早く車検から上がって来ないかなぁ。[/_;]

*目次へ戻る


*1998年03月17日:たまには小言


 同じフロアの別の部署の社員に、作業のヘルプを頼まれる。仔細は省くが、要するにWin95上での、30Mバイト(20万行)ほどのテキストファイル(×12本)の処理である。スペース区切りの数表であり、特定の項目の値をキーにして、数千のファイルに分割・マージするだけである。

 一体、この作業のどこが難しいのか。「エクセルで処理しようとしても、6万5千行以上は読み込めないんですぅ」..あ、あのなぁ..凸[-_-;]

 問答無用でDOS窓を開き、リブからフロッピーで持ってきたjgawk、grep、uniqを、作業仕様を聞きながら、ちょこちょこと組み合わせてバッチファイルを作り、あっという間に終わりである。

 まぁ、近頃の若い連中は..とは言うまい。一度もDOSプロンプトを見たことが無い作業者にとっては、想像も出来ない“解”だったのだ。仮にDOSプロンプトを見たことがあるとしても、そこには標準では、awkもsedもgrepも、wcすらも無い。せいぜいsort位のものである。これらのツールを、どこぞから調達してくる、という発想すら、UNIX文化圏のユーザーに限られるのであろう。

*目次へ戻る


*1998年03月18日:「えふくら−しすおぺ」悪あがき


 先週のアクセスカウンタの、増分の推移をチェックしていて、妙なことに気が付いた。金曜日よりも土曜日の方が、増えているのである。私のページへのアクセスは、「廃墟通信」の更新タイミングに合わせて、木曜日にピーク。土日に落ち込み、月曜日からまた漸増、と、1週間周期の綺麗なカーブを描くのが常であり、土曜日に増えるのは、やや異常である。

 無論、たまにこういうことは、ある。特に効くのが、ネットニュース等にURLが引用された場合で、この時はアクセス数が、急増する..

 ..アクセスログを調べてみたら、なんのことは無い。いわゆる“カラ”アクセスであった。14日の17:36から17:52にかけて、数秒間隔で、pl-funabashi034.infosphere.or.jp から index.html に、160回、無駄なアクセスをしている。さらに、21:53から22:02にかけて、100回、同じことをしている。今度は pl-funabashi043.infosphere.or.jp からだが、まぁ同一人物であろう。IPアドレスが変わるのは、ダイヤルアップ・ユーザーだからだ。

 何なんでしょ? いわゆるカウンタデストロイヤーか? それにしては回数が桁外れに少ない。ブラウザか、ホームページオフラインリーダー、あるいはその他のソフトの、誤操作(誤設定)か?(以前、それらしい形跡を、ログに発見したことがある)..

 .....

 ..いきなり思い出した。

 このホストは、例の「えふくら−しすおぺ」(「ニフティのFCLAのシスオペ」の“贋物”)が使っているホストではないか。

 「ヒットマンを手配した」って、これのことだったのか!

 お、お、ぉ、大笑い海水浴場..よ、横っ腹が痛い。[;^O^]

 こ、こ、こいつは、嫌がらせをしようというのに、剃刀メールひとつ出す度胸も無く(足が付くのが恐いのであろう)、何をするかと思えば、カウンタ苛め![;^O^] 笑いが止まらん、誰か助けてくれ! [;^O^](ひょっとして“笑い死に”させる狙いか? [;^O^])

 しかも..(ゲホゲホ、ゼェゼェ)しかも、これ、どうやら“手動”でやっている![;^O^] アクセス間隔が不揃いなのだ。大体5〜6秒間隔なので、タイマー仕掛けてツールでやっているのかと思ったが、ログに目を通してみると、時々、10秒以上、間があくのである。それも、毎秒2回位の間隔で10秒間連続アクセスしたあと、20秒あいたりする。[;^O^] これほどの“ゆらぎ”は、インターネットの負荷の変動だけでは、説明しきれない。“疲れを癒しながら”160回クリックしたのだ。16分かけて。[;^O^][;^O^][;^O^]

 大体、既に4万5千ヒットを越えているんだから、最低10万は叩いてもらわないと、カウンタ壊しにならない。200や300じゃ誤差にもならんぞ。

 しかも、仮にそこまで頑張って叩いても、全然、意味が無いのである。私は、95年11月にホームページを開設して以来、アクセスログを全部保存しているので、(これはこれで、ちょっとアレだと思われるかもしれないが、そんなことは置いといて [;^.^])いつでも正確に(無意味なヒット数を)引き算して、カウンタを直せるのだ。まぁいつまで続けるつもりか知らないが、総計数千のオーダーになるまでは、大勢に影響無いので放置しときましょか。まるまる無意味なイタズラ、ご苦労様。

 (それとも、連続アクセスすると、ホストがダウンするとでも思っているんだろうか? この程度の微々たる負荷で、ダメージを与えられるでも?)

 あぁ、面白かった。きっと、まだやるぞ。ログを読む楽しみが増えた。[^J^](これまで、アクセスログを保存してきたのは、“趣味”というよりは、むしろ“性格”(あるいは“癖”)故であり、初期の1年ほどを除けば、特に役立っていた訳でも無かったのである。)

 晩飯は、いつものT八..おんやぁ? 店内に、ハイレグ水着(ほとんどTバック)の女の子がふたり..[^,^](どこぞのレースクイーンらしい。)

 開店記念日か何かで、客席を回っては籤をひかせ、客と一緒に記念撮影をしている。(特賞景品は、彼女たち..の、わけが無い..いかん、完全にオヤジモードだ。[;^.^])私も籤を引いたが、ハズレ。残念賞には、一輪の薔薇。写真はもちろん、撮ってもらう。

 それにしてもラッキーな日。たっぷり3時間30分、店内を歩き回るナイスバディを、心行くまで鑑賞する。眼福眼福(涎よだれ)..[^,^]

*目次へ戻る


*1998年03月19日:「えふくら−しすおぺ」玩具と化す


 面白いので、今週分のアクセスログも調べてみた。16日の23:12から23:24にかけて、pl-funabashi090.infosphere.or.jp から95回。18日の0:57に、pl-funabashi026.infosphere.or.jp から1回。同じく1:05から1:20にかけて、pl-funabashi075.infosphere.or.jp から148回。このあたりが、彼の度胸と資金力(と体力)の限界らしい。

 安い奴だ。

 あるいはあなたは、「たまたま同じホストから悪戯しに来ているからといって、「えふくら−しすおぺ」とは限らないではないか」、と、考えているかも知れない。

 実は、「えふくら−しすおぺ」本人である、という、確たる証拠があるのである。まず、私のページへの入り方だ。

 毎回、必ず、「倉田わたるの横顔」から入るのである。

 こんなページ(1年半も更新されていない、ただの個人データ)に、毎回、用があるはずがない。(事実、毎回、数秒間で通り過ぎている。読んでいない。)たまたま、リンクリストに登録されていたので、ここを足がかりにしているのだ。(そして次に、「倉田わたるの横顔」のフッタにある、「倉田わたるのミクロコスモスへの扉」をクリックして、カウンタ苛めのターゲットである、扉ページに飛んでいる。)

 こんなところをリンクしているリンクリストは、滅多に無い。唯一に近い例外が、「FCLAのホームページ」なのである。「えふくら−しすおぺ」が「クラシックCDコレクション」の「クラシック音楽掲示板」を荒らしていた際、M氏が、FCLAのホームページには本物のシスオペの顔写真も掲載されているぞ、と指摘したので、このホームページの存在に気が付いたのであろう。このページのリンクリストから、毎回、来ているのだ。


「ターゲットをブックマークしとけよ、この蛸![^O^]」

 無論、“たまたま「えふくら−しすおぺ」と同じホストを使っており”、しかも、“FCLAホームページのリピーターである”ところの別人が、悪戯をしている、という可能性も、ゼロではない。

 しかし、このイタズラ者は、一昨夜の148回連続アクセスのあとに、この廃墟通信を読みに来ているのだが(お客様は神様です m[_ _]m)、いきなり、掲示板事件を含む「1998年03月02日〜1998年03月08日」を読むのは、もっとも最近の分だから不思議は無いとして(多くの読者は、最新号から読み始める)、これを11分間かけて読んだあと、「1997年12月08日〜1997年12月14日」に飛ぶ、というのが、いかにも不自然である。この事件に無関係な読者ならば、こんな奇妙なジャンプの仕方を、したりはしない。

 先に私は、「犯人は、恐らく、FCLAで馬鹿な騒ぎを起こして逃げ出した男」と推測してみせたが、その男が暴れていたのが、まさに昨年末の、この時期なのである。(ちなみに、その事件については、「1997年12月14日」の冒頭で、枕として、「ニフのFCLAで馬鹿が暴れているので、適当に叩いていたら、昼になってしまった」、と、軽く触れたのみ。)正確にこの時期をポイントして読みに来た、というのは、他の状況証拠と組み合わせると、本人以外にほとんど考えられない。なぜなら、この事件で発言したFCLAのアクティブユーザーたちも、こんな事件があったことは、ほとんど誰ひとり、覚えていなかったからである。(人の噂も七十五日。)私に指摘されて、ようやく「そう言えば..」と、思い出した始末である。これは、FCLAのRTで、直接確認した。

 以上の事実から、pl-funabashi***.infosphere.or.jp から悪戯しに来ている者が、確かに「えふくら−しすおぺ」本人であること、その正体は、ニフで騒ぎを起こした“あの男”であること、(さらに、私になんと書かれたのか気になって仕方が無い、小心な男であること、)を、確信をもって断言出来る。

 ついでに言えば、一昨夜、「倉田わたるの横顔」から入り込み、扉ページへ抜けて、空アクセスを148回したのち、「わたるのボイトレ日記」の目次だけ眺めてから「解説」へ、そこから「廃墟通信」に来て、「1998年03月02日〜1998年03月08日」を読んだのは、pl-funabashi075.infosphere.or.jp。そのあと、「1997年12月08日〜1997年12月14日」を読んだのは、pl-funabashi020.infosphere.or.jp である。即ち、IPアドレスが違う。

 これは、「1997年12月08日〜1997年12月14日」を読んだのが別人であることを、意味しない。これより以前に溯っても、今週に入ってから、pl-funabashi020.infosphere.or.jp からは、他のアクセスは無い。

 「1998年03月02日〜1998年03月08日」を11分間かけて読んでいる間に、ダイアルアップ接続がタイムアウトで切れたので、「1997年12月08日〜1997年12月14日」に移った時に、接続し直しになり、よって、IPアドレスが変わったのである。

 な、なんてわかりやすい奴なんだ。[;^.^]

 わかりやす過ぎるぞ、こらっ、少しは擬装とか工夫とかしろぃっ [;^O^]

 彼が index.html または、廃墟通信の扉である ruin/ruin.html にアクセスするであろうと思われるタイミングで(恐らく、定例の10数分間連続アクセスが終わってから、どちらかを読む)、これらのページにでかでかと、


「歓迎! えふくら−しすおぺ君 [^J^]」

とでも書いておいてみようかなぁ。

 インターネットについて、驚くほど無知な男なので、どうして自分の正体が割れたのか、今、ここを読みに来ているのが、何故バレたのか、恐らく想像もつかないはずだから、それはそれは、驚愕するであろう。(TV番組の登場人物に、いきなりブラウン管(やや古い)の中から、指差されたようなものである。)

 しかし彼は、とことん臆病だから、(なにしろ、インターネットやパソコン通信での嫌がらせの基本は、剃刀メール・脅迫メールだと思うのだが、いまだに一通も送ってきてくれていないほどなのである、)こんな“脅し”をかけたら、二度とアクセスしてくれなくなっちゃうだろうなぁ。

 もうしばらく、泳がせておこうかなぁ。

*目次へ戻る


*1998年03月20日:嵐中閑あり


 なんとまぁ、夜明け前から嵐である。雨戸に叩き付ける風雨の轟音に、眠りを破られた。雨量も半端では無いが、それより突風が凄い。

 体調も良くない上に、代車のミニカで嵐の中を走るなんて、考えただけでも恐ろしい。有休を取得して、静養する。

 Kさんからメール。以前、「アイコンを作る」で、私が題材とした記事は、これではないか?という情報。そうそうこれこれ、思い出した。(確か「インターフェース」誌の連載コラムだった)「H君への手紙」で、萩谷昌己氏のホームページから「Essays」「ピザ」と潜っていくと、アクセス出来る。お暇なら両者を読み比べていただくと、私の記憶(の粉飾 [;^J^])傾向が判る。話を面白くする方向に、モディファイするらしいのである。[;^J^]

 Hさんからメール。つい先日、「ルンナ姫放浪記」で、何故か見当たらないと述べた、「ススム君・巨大化」エピソードについての情報。このエピソードは、「ルンナ姫放浪記」でも「宇宙大雑貨」でもなく、さらに以前にSFマガジンに連載されていた「マンスリー・プラネット」中のエピソードではないか?という指摘である。

 早速、探索を開始し、無事発見する。胸のつかえが下りた。そう言えば、「マンスリー・プラネット」の単行本は買っていなかった。この機会に、発注しておこうか。(ということで、もはや“宿命的に”作製した「マンスリー・プラネット」初出誌リストを、掲載しておく。→ MASK

 16:33から16:35にかけて、また、pl-funabashi045.infosphere.or.jp からアクセス。例によって「倉田わたるの横顔」から入り、「扉ページ」、「わたるのボイトレ日記」の目次、「廃墟通信」と移動し、最新号「1998年03月09日〜1998年03月15日」を読んで、空アクセスはせずに、出ていった。

 さすがにこれだけの手がかりでは、(イタズラもしなかったことであるし)「えふくら−しすおぺ」とは断定し難く、同じホストを使っている別人の可能性も、低くはない。少なくとも、私のページに入って、廃墟通信の最新号だけ読んで抜けていく人、というのは、むしろ多数派である。

 にも関わらず、私はこれも「えふくら−しすおぺ」であろう、と、かなりの確信をもって推測している。それは、ふたつの顕著な特徴があるからだ。ひとつは、先日も指摘したことだが、「倉田わたるの横顔」から、という、珍しい入り方をしていること。もうひとつは、「わたるのボイトレ日記」の目次だけを、読んでいること。

 18日の深夜にも、(これは確実に「えふくら−しすおぺ」本人が)一連の空アクセスをしたあと、まず「ボイトレ日記」の目次を読み、次に「廃墟通信」に移動している。先にボイトレ日記の目次を読む癖が、あるのである。

 昨日まで、私には、この理由が判らなかった。“あの男”は、声楽畑だったろうか? 仮にそうだとして、何故、目次を眺めるだけで、本文を読まないのだろうか?

 ..なんのことはない。「日記」だからだ。自分がやらかしている“最新の”イタズラが、いつ、レポートされるか、ドキドキ戦々ワクワク恐々しているのだ。(悪いね、次回の更新は25日の深夜だよ。まぁ1日くらい早めてもいいけど。)

 もっとも、お蔭様で、最近は仕事の忙しさにかまけて、ボイトレのレッスンが中断しているという事実を、改めて突きつけられてしまった。いやその、いつでも会社で譜読み出来るように、楽譜は持ち歩いているんだけれども。[;_ _] ということで、私の怠惰を(結果的に)思い出させてくれた「えふくら−しすおぺ」に、感謝する。

 夕方になり、嵐も収まったので、T八へ。18日にレースクイーン二人と一緒に撮影した写真を、記念にもらう。[^J^] 一応、スキャンしといたけど、彼女らの ちょっとHな、綺麗な脚、見せてやんない。

*目次へ戻る


*1998年03月21日:さよなら、浜松寮


 マーチが車検から上がってくる。ディーラーまで代車で取りに行き、帰りには、5日間運転した代車のお陰で身についてしまった、デジタルな切れ味でブレーキを鋭く踏み込む癖を、ガクンガクン揺られながら懸命に矯正しつつ(乗り物に弱い人なら、酔ってしまったに違いない)、R社浜松寮へ向かう。

 今月末で廃寮になるので、OBを集めて、さよならパーティーが催されるのである。

 私は1984年に入社して、2年間、この寮で生活した。当時はまだ新築だったのだが、いささか老朽化してきたことと、新入社員の人数が当時よりは減り、しかも、浜松地区の寮が、他にいくつも新築されたこともあって、(だから、今となっては「浜松寮」という名称は、ちょっとおかしい、)40人位のキャパがあるのに、もはや10人も入っていない。寮費は確か、5千円かそこらであるから、これでは建物を維持するのも難しかろう。総務部の立場も、解るつもりである。しかし、惜しい。

 何しろ、この寮は、ロケーションが素晴らしかった。

 田舎のバス通りが、小さな川と交叉する。バス通りと直行している、その川沿いの道は、最初のうちは、僅かな下り坂。すなわち、この川は、小さな谷の底を流れているのである。この谷を「隠れヶ谷」と呼ぶ。

 三方原合戦で、信玄と戦った家康の軍が、作戦上、一時隠れた谷であると伝えられている。

 最初の200メートルほどは、道の両側は住宅地である。しかしほどなく、周囲は林に囲まれた、半ば農地、半ば荒地となり、その中を数百メートル歩いた先に浜松寮が見えてくる頃には、ほとんど深山の中の雰囲気となるのである。

 実は、住宅地のど真ん中なのだ。周囲の林のすぐ外側まで、宅地や広い道路が迫っており、山の中どころでは無い。にも関わらず、浜松寮の周辺だけは、静謐に包まれ、「隠れヶ谷」の名称に相応しく、冗談でも誇張でもなく、どこか「隠れ里」の雰囲気が漂っているのである。

 30人以上、集まった。どうせ独身寮のパーティーなのだから、味はさておき質より量、というコンセプトであろうと、ディーラーに車を取りに行く前に、「天下一品」のラーメンで腹ごしらえをしてしまっていたのだが、これは失敗だった。最後なのだから量より質、というコンセプトで、実に美味い鮨などが用意されていたのであった。

 10年以上昔の、寮祭の古いビデオが、BGVよろしく流されている。まさか私の昔の姿が写されるのではないかとビクビクしたが、僅かに年度違いで、大事には至らず。考えてみれば○装して踊ったのは、寮祭ではなく、軽音主催のクリスマスパーティーであったか。

*目次へ戻る


*1998年03月22日:アクセスカウンタを直す


 昨夜の2:31から2:32にかけて、pl-funabashi074.infosphere.or.jp からアクセス。「倉田わたるの横顔」から入り、「扉ページ」、「廃墟通信」の目次だけ見て、退出。今回も、いささか情報が少な過ぎ、「えふくら−しすおぺ」とは断定できない。「わたるのボイトレ日記」の目次を読む、という特徴がなく、「倉田わたるの横顔」から入るのが風変わり、というにとどまる。もっとも、「わたるのボイトレ日記」は滅多に更新されないことを、さすがに学習した、というのも、説得力のある仮説ではある。

 なんにせよ、「えふくら−しすおぺ」もイタズラに飽きてきたらしいので、(といっても、今週の日記を読んで、逆上して、ケチな攻撃を再開するかも知れないが [^J^])カウンタを直しておく。マイナス(たったの)503。なんとも憐れで、みすぼらしいイタズラであった。

*目次へ戻る *先週へ *次週へ


*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Mar 23 1998 
Copyright (C) 1998 倉田わたる Mail [KurataWataru@gmail.com] Home [http://www.kurata-wataru.com/]