*1998年03月02日:「S&Mスナイパー」とエヴァ
*1998年03月03日:席次について
*1998年03月04日:ダイエットについて
*1998年03月05日:リブレット100発表
*1998年03月06日:ちょっと反省
*1998年03月07日:FCLAシスオペ贋物事件
*1998年03月08日:「タイタニック」
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*1998年03月02日:「S&Mスナイパー」とエヴァ


 O古書店を再訪して、「S&Mスナイパー」誌の90年1月号と91年1月号を発見。レジでチェックして、91年1月号を購入。つまり、高橋葉介の連載は、90年2月号から91年1月号までだったのである。「怪談」(朝日ソノラマ)の初出データは、1ヶ月ずれていたわけだ。

 ついでに(今頃になって)貞本義行の「エヴァ」コミックス4冊が、そこそこ廉かったので同時に購入。この組み合わせ、意外に違和感が無い。[;^J^]

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*1998年03月03日:席次について


 たまには、差し障りの無い範囲で、勤務先のことも書いてみよう。

 私が勤めている会社には、「運転手」という職種が無い。まぁさほど大きくもない、1000人規模の会社なので、このこと自体は珍しくもない(と思う)。が、会長、社長以下、取締役が車で移動する時に、皆、自分で運転する、というのは、1000人規模の会社としては、やや珍しい(と思う)。

 人手不足なのでは無い。車の運転が好きなのである。

 取締役会のあと、皆で食事に行く時など、誰の車を出すかで押し問答になったりする。お前が車を出せ、ではなく、俺に車を出させろ、なのである。[;^J^]

 10年位前、私がペエペエから主任になったかならないかの頃のことだと思うが、休日出勤して、しこしことデバッグ&コーディングをしていたら、通りかかった社長(現会長)と技術部長(現専務)が、「おおー、頑張っとるな、大変だな。どうだ、適当にきりのいいところで、昼飯でも食いに行かんか」、と、誘ってくれた。まぁここまでは、良くある話なのだが..私の車を出させてもらえず、社長の車で、社長がハンドルを握り、部長が助手席に座り..私は、問答無用で、後部座席に座らされてしまったのであった。[;^J^]

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*1998年03月04日:ダイエットについて


 あるミュージシャン(特に名を秘す)の写真を見て、驚いた。昔は大変太っていたはずだが、頬の削げた、精悍と言って言えなくは無い顔になっていたからである。腹も相当ひっこんだ。

 直ちに思い出した。彼は、麻薬絡みで服役していたのであった..

 刑務所がいかに健康的な環境であるかの、証左である。大体、送り込まれてくるのは、内臓に孔のふたつや三つ開いている、クスリや不摂生でボロボロの体をした連中が多いのだが、これが皆、それこそ“綺麗な”体、見違えるような健康体になって、出て行くのだそうだ。

 考えてみれば当然だ。規則正しい早寝早起き。粗衣粗食。適度な運動。これを数年も続ければ..

 だから、どうしても痩せたければ(そして − 多くの人はそうだと思うが − 自己管理する意志力が無ければ)、それなりの手段で投獄されればいいのである。費用は国家もちで、完璧な健康管理をしてもらえる。[;^J^]

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*1998年03月05日:リブレット100発表


 リブレット100発表。購入決定。

 CPUがMMX166。ディスクが2G。メモリが標準32M、最大64M。カードスロット×2。LCDが800*480。加えて、ついにというかようやくというか、ハイバネーションとは別に、レジュームも搭載された。実のところ、やっとまともなサイズのメモリが搭載出来るようになった時点で、既に購入は決まっていたようなものだが、(ただこれだけのために、50、60、70、と見送ってきたのだ、)レジュームが復活したのなら、言うことは無い。これは全く期待していなかっただけに、嬉しい誤算であった。

 ニフの関連会議室を読んでいると、オブジェクションも多い。しかし..

 「800*600では無い」−このサイズが必須のゲームが多いらしいが、私はゲームをしないので関係ない。実は、640*480(VGAサイズ)でも本当は構わないのだが、主たる用途がWebのブラウジングであり、昨今は、横800ドットを想定してデザインされているページが、やたらと多いのだ。この(僅かな)横スクロールが、結構ストレスの元なのである。そしてWebページは、基本的に縦長でデザインされているので、800*600あっても、どうせ一画面には収まらない。縦スクロール(ページめくり)をしなければならない。それなら、480でも同じことなのである。

 「音声がしょぼい(はずだ)」−私は、音声入出力には興味は無い。必要ならば使うが、その時は当然、専用サウンドカード(と、それに接続される機器)を使うので、本体のスピーカーやマイクがしょぼくても問題ない。むしろ、最初から無い方が、有り難かった位である。

 「サイズが大きい」−従来のリブレットに大容量バッテリーを搭載したのと同じサイズである。問題にならない。

 「バッテリー駆動時間が短くなった」−許容範囲内である。どのみち、このサイズのフルカラー液晶を搭載しているPCのバッテリー駆動時間に、多くを求めてはいない。従来同様、大容量バッテリーを持ち歩くだけのこと。

 「リブポイントが使いにくくなった」−これは気になる。しかしもともと、リブポイントはあまり使わないので、死ぬほど使いにくくなっていない限り、購入を再考させるほどのデメリットには、なり得ない。さらに言えば、仮にどんなに酷い事態になっていたとしても、トラックボールやパッドを使わされるよりは、ましである。

 「キーボードは70と同様、PgUp、PgDn等が無い」− ..つらい.. これらのキーを復活させてくりない限り、東芝とは縁を切る、と、公言した経緯もある。しかし、その他のスペックを勘案すると、これは買わざるを得ないのだ。前言を撤回し、自分をこのキーボードに合わせるしかない。キー入れ替えソフトで、どこまでカバー出来るか、調査を開始することにする。

 問題は、現在使っているリブレット30の処遇だが..売ったところで、業者を通せば二束三文、直接取り引きでも、5万は無理。3〜4万であろう。(100で使えない大容量バッテリをつけて、5万、てとこか。)FreeBSDマシンにしてしまおうか。

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*1998年03月06日:ちょっと反省


 「大森望の SF page」の「狂乱西葛西日記」の「2月22日」を読んで、いささか反省する。

 彼は、対象となる発言を引用もポイントもしないで批判する、という行為に対して、不快感を表明し、苦言を呈しているのであるが、実は私は、こういうことを、しばしばやっているのだ。確かに、こちらの(一方的な)批判が正しいかどうか、読者がトレースして検証できるような手がかりを残さなければ、フェアではない、と言える。

 言い訳をすると、引用やポイントをせずに批判する場合、それなりの理由はあるのである。例えば、その発言自体が問題なのではなく、それを一例として、一般的な風潮に批判の矛先を向けている場合、とっかかりとなった発言を引用・ポイントする必要は、必ずしも無いと思う。また、(私が批判する対象の多くがそうなのであるが)ネットニュースの記事や、パソコン通信の書き込みである場合、技術的に、ポイントしづらい場合がある。

 しかし、前者の例でも、具体例としてポイントする方が望ましいこともあるし、後者の例でも、ポイントは難しくても、引用は出来るはずだ。

 今後は、ちょっと気を付けることにしよう。

 OAナガシマに電話をして、リブ100の予価を確認。アプリ無しのモデルが21万8千円。秋葉価格が20万弱だから、やや高い。また、入荷日程が未定である。最悪でも2週間以内ではないか、とのこと。恐らく、入荷する頃には実売価格は下がっていると思うが、予約は見送る。定時パトロールをかけておいて、実弾が入荷し始めてから、価格次第で購入。月末には上京するので、最悪、その機会に買えばよい。

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*1998年03月07日:FCLAシスオペ贋物事件


 「クラシックCDコレクション」というページの「クラシック音楽掲示板」で、実にくだらない事件が発生した。(この日記をアップロードした時点で、関連発言は全て、掲示板の管理者によって削除されているので、残念ながら、あなたは読むことが出来ない。だから、昨日の反省にも関わらず、対象発言をポイント出来ないし、ログを取っていなかったので、引用も出来ない。)

 ニフティサーブのFCLA(クラシック音楽フォーラム)のシスオペ(管理者)の、“贋物”が現われたのである。

 「ニフティーのfclaの会議室との違いは?」というタイトルで、ニフティサーブのFCLAの読者がいかに多いか、そこに集まる知識と情報がいかに高度か、それはこの掲示板などとは全く比較にならない、「孤高の存在」なのである、と、「えふくら−しすおぺ」というペンネームで、書き込んだのである。

 実に穏やかでない。その掲示板の参加者が怒るのは、当たり前である。一体、FCLAのどこがそんなに偉いんだ、何故、よそを見下すことが出来るんだ、という発言が続き、さらに「私はFCLAにも参加しているんですけど、確かにあそこは敷居が高い、ここの方がうんといいです」という人が何人も現われ、ある意味で「えふくら−しすおぺ」氏の発言を裏書きするに至って、あるFCLAメンバーが事態の推移を心配して、FCLAの会議室に報告したことにより、事件が発覚したのである。

 考えるまでもなく、これは贋物である。何も、私がFCLAのシスオペと面識があり、彼の人柄も文体も知っていて、「えふくら−しすおぺ」のそれが本物とあまりにも乖離しているのが判るから、そう言える、のでは無い。そんな知識など全く無くても、明らかなことだ。

 「えふくら−しすおぺ」の挑発発言は、FCLAのためには、全くならない。形の上ではFCLAを誇り、FLCAに勧誘しているかのごとくですらあるのだが、実際には、FCLAへの反感をかきたてているだけである。ニフティサーブのフォーラムでシスオペを勤める、というのは、趣味や遊びではない。真剣な仕事である。自分が預かっているフォーラムに対する反感を煽るようなことを、いかなるフォーラムのシスオペであろうと、するわけが無いのだ。

 さらに、この掲示板を含めて、インターネットの掲示板の多くには、認証システムが存在しない。誰が誰を名乗ることもできるのである。「えふくら−しすおぺ」の発言が、「本物の」シスオペの発言である、という証拠は、全く無い。(「本物の」シスオペの発言ではない、という証拠も無いのだ。これが、本質的にやっかいなことである。)

 しかし、侮辱された人々には、こういう理屈が通らない。FCLAから火を消すために駆けつけた、M氏、O氏、それに私などが、上記のような道理を説いても、「それを確認するためにも、『えふくら−しすおぺ』氏に説明していただきたい」と来る。偽名で発言するような人間に証言させて、なんになると言うのだ? また、(あり得ないことだが)彼が証言台にたったとして、それが当人だという証拠が、どこにあると言うのだ?

 論理的な混乱は、これだけにとどまらない。彼らは、「えふくら−しすおぺ」がFCLAの本物のシスオペでは無い、ということを、証明せよと言う。これは逆である。「えふくら−しすおぺ」が「FCLAのシスオペの名で行なった」侮辱発言を根拠として、FCLAを告発(指弾、批判)するのであれば、まず、告発する側が、「えふくら−しすおぺ」が本物のシスオペであることを証明しなければならない。立証責任は、FCLA側には無い。(そしてもちろん、これを証明することは出来ない。)

 ただ、今夜の時点では、私はまだ、この「立証責任」については指摘していない。頭に血が上っている人々に対しては、「正論」は逆効果かも知れないからだ。(水をぶっかけて熱を冷ます、というのは、実は危険な荒療治なのである。)さらに、最も本質的な「認証システムの欠如」についても、ひとこと、注意を喚起するにとどめた。突っ込むと、この注意を書き込んだ「倉田わたる」が、本当に「倉田わたる」であるという保証は無く、「えふくら−しすおぺ」の別名なのかも知れない、これを読んで反論している「あなた」は、本当に「あなた」ですか? と、PKD(Philip K. Dick)な迷宮に誘い込んでしまえるのだが、“今回は”それは本意では無い。[;^J^]

 さて、どこに軟着陸させましょうかね。「えふくら−しすおぺ」が二度と現われないことは、確信できるのだが。

 今日は土曜日なので、「タイタニック」のナイトショー(21:05〜0:07)がある。上映期間も後半(終盤?)のはずなので観ておきたいのだが、あまりに寒いので、今夜はパス。

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*1998年03月08日:「タイタニック」


 さて、「タイタニック」。これまで、あのポスター故、観る気が失せていたことを白状(指摘)しておく。なぜ、ラブシーンなんだ?

 世界最大最高の豪華客船が、その処女航海で沈没した..タイタニックの沈没は、(同じように、全く何の役にもたたぬうちに沈められてしまった「大和」同様)それ自体が完璧なドラマなのであって、これを大きな筆使いで描き上げれば、必要十分。ちまちました人間ドラマは、邪魔であり、この巨大な物語を矮小化させるだけだ..と、こう考えたからである。一般論として、これは正しい思想だと思う。

 しかしまぁ、観ないわけにもいかない。昨夜はあまりに寒いのでパスしたが、今日の5:45からの回で、観ることにする。

 う..場内から出てくる女性の、3人にひとりが泣いている。[;^J^] ますますもって嫌な予感。[;^J^]..さて、上映開始。

 .......

 ..なるほど..

 ..これは凄い..

 「ちまちました人間ドラマは勘弁してくれ..」という、私の想いは、監督も共有していたようだ。

 これは、人間ドラマも含めて、実に単純な物語である。

 まず、物語の骨子である「タイタニック沈没」という事件。これ自体が、単純なことこの上ない。

 次に、ここに描かれたラブストーリー(Boy Meets Girl)が、同様に、これ以上シンプルな形式を思い付けないほど、単純極まりない。

 そして、全体の枠を構成しているのが、これまたシンプルな「宝探し」である。

 物語のダイナミズムを生んでいる、船内の階級(一等船客と三等船客)の対比もシンプル。

 ほんの僅かなトリックは「宝石」の行方であり、この小道具についても、考えうる限り、最も単純な解決がなされていた。

 単純なものは、強い。脆さが無い。単純な要素を組み合わせて複雑なものを作ることも出来るが、この監督は、極めて少数の(ほとんど祖型的な)単純な要素の組み合わせから、極めて単純な物語を作り上げた。これが、この映画の成功の秘密である。

 無論、CGも素晴らしいのだが..「ロストワールド」もそうだったが、この水準になると、どこがCGだか全く判らず、従って、CGそのものに対する感銘の受けようが無い。[;^J^] 「信じがたい実写!」なのである。確かに数箇所、あれ?と気が付く点はあったが..正直な感想としては、実物大のセットを組んで沈めたようにしか、見えないのである。予算は、ちょっとオーバーするかも知れないけど。[;^J^]

 思わず嘆声をあげたのは..次第に急速に船首から沈み始めた甲板上を、乗客たちが船首から船尾に向かってひた走る、これを船首から船尾までパンして見せたシーン。これは本当に凄かった。

 もうあと数回、観てもいいな。それにしても、このエンディングは、どう見ても某アニメの最終回..[;^J^]

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Mar 11 1998 
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