1997年01月20日:電話について 1997年01月21日:「曜日の名前のはなし」 1997年01月22日:寒波襲来 1997年01月23日:古代クレタの自動楽器 1997年01月24日:言語の消滅 1997年01月25日:霙(みぞれ) 1997年01月26日:悪夢について−閉塞宇宙目次へ戻る 先週へ 次週へ
はたで見ていて面白いものは色々あるが、電話で三題。
まずは、傍若無人な、携帯・PHSの類である。ま、昔は結構異様に見えたものであるが、こうも普及してしまうと、ひとごみの中でプライベートな話を大声でしている方が、むしろ普通であるかのごとし。これが面白く(というより可笑しく)見えるのは、電話というのは“他人に聞かれないように”話すものだ、という、先入観があるからであろう。世の常識が移ろってゆく、非常にわかりやすい例。
次に、留守電への吹き込み。これは本当に面白い。「もしもーし!」と威勢良く電話をかけた人が、突然、馬鹿丁寧な“アナウンサー口調”になるのだ。相手がいれば、もっといい加減な(適当な)喋りかたで用件を伝えられる。判らなければ聞き返してもらえるからだ。留守電だとそうはいかない。一方通行の一発勝負。伝わらなければ、全部自分の責任なのである。
最後に、目上の人が相手の電話。最近の若い連中のことは知らないが、例えば社長から電話がかかって来た時、起立して受ける人は、決して少なくない。(電話の向こうの相手に対して、起立したりお辞儀をしたりするのは、日本人だけだ、と、からかう文章を、大昔に読んだことがあるが、大嘘である。私はアメリカ映画で、何度もこういうシーンを見ている。)私も、起立することまではしないが、姿勢は正し、背筋を伸ばす。うじゃじゃけた姿勢では、言葉までうじゃじゃけてしまう。敬意がこもらない。言葉は体全体でしゃべっている証拠である。
だからといって、部下相手の電話では、(逆に)机の上に脚を投げ出してたりしている訳ではない。敬意云々の問題ではなく、端末を蹴飛ばしてしまうからだ。
東芝PCダイレクトに電話する。SCSIカードのドライバの件である。フロッピーを送れば、コピーしてくれるそうである。電話を切ってから気がついたが、もしかすると、どこぞのホームページかニフティのデータライブラリあたりに、登録されているのかも知れない。が、電話を受けてくれたお兄さんが、私からのフロッピーを待っているかも知れないし、「ネットで探すことにしました、どこかに登録されていませんか?」などという電話をするのも、受ける方が(二度手間で)鬱陶しいであろう。別に急がないので、素直にフロッピーを送る。来週になるな、これは。
目次へ戻る昨日のアクセスログをチェックしていて、異状に気がついた。もっともアクセス数が少ない(安定して、2〜3人/日、くらいの)「曜日の名前のはなし」のページに、突然、35ヒット。同一人の繰り返しアクセスがほとんどない。正味30人内外が読みに来ている。
どこかにリンクされたか、何かに紹介されたらしい。ありがたいことである。
目次へ戻る確かに昨夜は寒かった。非常に寒かった。だからといって..朝、水道が凍ってるなんて。[/_;]
このアパートに引っ越してきて以来、11年目にして初めてのことである。洗面所×、台所×。辛うじて洗濯機の水道は使用できたので、ここで洗面。
雪が舞う。浜松には基本的に雪は降らず、年に数日、今日のように雪が“舞う”だけである。積もらないのである。(仮に1ミリでも積もったら、交通が麻痺することは必定。)昼前には青空が広がり、微かに白んだ木立からも、雪の粉は消滅。しかし寒いことには変わりはない。
それにしても、雪がぱらつくだけで、いい歳をした仕事中の大人が、浮き足立ってはしゃいでしまうのは、困りもの。(人のことは言えない。[;^J^])
目次へ戻る人類の数多の遺産中、もっとも大規模に失われてしまったのは、「音楽」である。音声記録としては、僅か100年溯ることもできない。それより昔の「音楽」は、当時の楽器や文献から“復元・再創造”するしかないのである。このことは、以前、「アナログ盤」というエッセイで述べた。
その時に書かなかったこと。
ミカ・ワルタリの「エジプト人」という小説。イクナートンの時代のエジプト(及び地中海地方)を舞台とする、絢爛たるピカレスクロマン。この中で、主人公がクレタ島に渡る箇所で、「クレタ島には自動楽器があった」という記述がある。
作者の、単なる想像の産物かも知れない。しかし、何かの裏付けがあって書かれているように見えるのだ。何か、紀元前のクレタ島に自動演奏装置があったと考えうる根拠が、あるのではないかと思えるのだ。
そして..もしも自動演奏装置があったのならば..その“演奏データ”が、なんらかの形で残っているかも知れない。“音”は虚しく消滅してしまい、前記のエッセイで述べたような、全くの偶然の痕跡が残っているだけかも知れないが、“演奏データ”は、石か木か、何か“確かな形”として、どこかに埋もれているのかも知れない。
シーケンサーの開発に携わっているが故の、夢想である..
帰路、新しい焼鳥屋、Dに入ってみる。結構旨い。カウンターは狭いが、リブなら問題なし。
デビルマン・レディーの連載2回目。いきなりのバイオレンスシーンであるが、どうもデジャブが。[;^J^] 「凄ノ王伝説」第6、7巻のいくつかのシーンの、分解・再構成のように見えるのだが。[;^J^] はらはらひやひやしながら、見守るしかあるまい。なにしろまだ、この地獄図絵が現実か幻想かすら、明らかでないのだ。
目次へ戻る数年前の話だが、オランダ語は、そう遠くない将来に消滅するだろうと、(さすがにオランダではなく、イギリスの)新聞に書かれたそうである。
理由は簡単。需要がない。オランダ人は、大概、英語かドイツ語かあるいはその両方がペラペラなので、(小説なども含めて)英米の文献を読む時、翻訳する必要がない。商売も、英語の方が話が早い。もちろん、映画なども、英語で観賞できる。オランダ語の存在意義は、いまや、過去の文化資産のためにだけある、と、多少は誇張されているとは思うが。日本における「漢文」みたいなものだろうか。
この状況は、他の「弱小言語」諸国についても全く同様で、小説家たちも、自国語で出版すると、マーケットが狭くて食っていけない。英語で書いても、自国の読者たちも問題なく読めるので、迷わず英語で書く。結局、欧州語で生き残るのは、英語、フランス語、ドイツ語、位ではないか、と。
ひとつの文化が、マーケットの強弱関係で消滅してしまうというのも、(それが当然なのかもしれないが)考えさせられるものがある。
で、(既にオチは見えていると思うが [;^J^])仮に英語が世界語となったとしても、問題なく生き残っているのは、日本語であろう、と、これは上記新聞記事ではなく、私が引き出した結論。日常生活に英会話を“全く”必要としないという(良し悪しはともかく、閉じた)環境と、(それ故の)語学力の低さが、一国の文化を守るわけである。
ずいぶん以前、とあるアメリカ人が、日本でも公用語は既に英語であって、(難解窮まりない)日本語は、過去の文化資産の受容のためだけに習っているんだろう?みたいなことを言っていたと、fjのどこかのニュースグループで読んだが、その時は、さすがはアメ公ならではの無神経かつ井の中の蛙的な中華思想だわい、と思ったものだが、実は、彼の方が、世界の(少なくとも欧州の)実態を良く把握していたと言うことだ。
目次へ戻る晴れた土曜日。ちょっとだけ寝坊をしたが(9時頃まで)、洗濯・洗い物を済ませ、フトンを干して車で図書館へ。「手塚治虫エッセイ集 3」に収録されたエッセイ群の初出誌の、出版社調査である。(初出が単行本の場合は、出版社が明記されているが、雑誌・新聞の場合は、記載されていないのだ。)「REED誌」(あるいは単行本かも)のみ、正体不明。今日のところは、まぁいい。後日追求することにする。
西武百貨店へ回り、書店売り場へ。この百貨店は、今年か来年に浜松から撤退する。寂しい限りであるし、浜松の衰退を象徴する事件かとも思うのだが、例えば(確か)藤沢からも、撤退しているらしい。リストラか。それにしても、この書店は、売場面積はむしろ狭いのに、幻想文学を(バランスを逸して、大量に)“収集”してくれていたのだ。(各種文学全集から、“その類の”巻だけセレクトして並べている、という、濃さである。)残念でならない。
さらに地下の食品売り場に回って、吟醸酒などを買って、駐車場へ。いつの間にやら気温はぐっと下がり、水滴がぱらつき始めている。
..フトンを干していたことを思い出したのは、帰路、雨から雪を経て変化した、重量感のある霙(みぞれ)をかき分けるために、ワイパーのスピードを上げた時のことである。
この時の動揺を、言葉にする術を知らない。
寒風吹きすさぶ夜に、霙が重く染み込んだフトン(丁寧なことに、敷布団も掛け布団も干していた)で寝る..これほどの悲惨事が、世にあろうか..
半ば気が遠くなりつつも、しかし事故を起こさないよう、自分を励ましながらハンドルを握る。フトン乾燥機を買って帰ろう、と真剣に考えたが、まず、現状を確認すること。アクションを取るのはそれからだ、と、これほどまでに確かな判断が出来たのは、技術屋としての訓練故か。
..濡れていた。しかし、(強い風が幸いしたか)表面だけだ。そして天候は回復しつつある。13時過ぎ。今から晴れれば、まだ挽回の余地はある。いったん屋内に取り込んで、空を睨む..
15分後、陽光が射した! ただちに干し直し..そして2時間後、少し冷たいが、しかし十分に乾燥したフトンを取り込んだのである。やれやれ。
時ならぬドタバタの疲れを癒すために、西武で買ってきた「トンデモ怪書録」(唐沢俊一)を読む。この著者は、私と同い年なのだ。(他人事とは思えない。[;^J^])
インターネットエクスプローラーでブラウズすると、私の各ページのフッタに埋め込んだアンカーが、アンカーにならずに、ただのテキスト表示されてしまう件の調査。案の定、<A HREF ...>..</A>というアンカーを <> で囲むと、<<、>> が言わばエスケープとして機能してしまって、<<A HREF.. が、タグにならなくなっていたのだった。
IEの仕様と争っても仕方がないので、外側を <> の代わりに [] で囲むことにする。やれやれ。
目次へ戻る他人の観た“夢”の話を聞かされることほど、退屈なことは無い、と、重々承知してはいる。承知していて尚も、書こうというのだ。しばし諦めてつきあっていただきたい。それは単に、またとないほど恐ろしい夢だったというだけではなく..ある興味深い“概念”を“具象化”していたからである。
舞台は、3階だてほどの規模の建物だ。会社の社屋というよりは、学校に近い。それは、海に落ちる断崖の中腹に建っていて、海側(南側)はもちろん崖。北側と東側も崖に封じられていて、外界に通じるのは、西側のみ。
西側の出口からは、海岸線にそって、20メートル近くの幅を持つ通路が、まっすぐ数百メートル、伸びている。この通路は地面よりも10メートルほども掘り下げられていて、その両側は急峻な斜面になっている。ここをよじ登れば、通路の外に出られるのだが、簡単に登れるようなものではない。5本以上の高速道路や鉄道が、高架の形で、通路を覆って直角に横切っている。(すなわち、これらの道路や鉄道は、まっすぐ海上に伸びていることになる。)通路は、その反対側の端で登り階段となり、非常に幅の広い門(というか、格子というか檻というか)に通じている。その向こうには、何かの建造物があるらしいのだが、霧にけぶっていて、よく見えない。
つまり、舞台となっている“学校”と“通路”は、“崖”と“土手”と“檻”に“封じられている”のである。
夜。豪雨。何かの理由によって“我々”は、学校から逃げ出した。大雨の中、通路を西へ。ひとりが先頭を行き、私はその次を。そしてあとから、数百人が幾つかのグループにまとまって、ついてくる。
先頭をきって通路の端まで行った男が、蒼ざめて逃げ帰ってきた。私も通路の先を見て、血の気が引いた。“檻”の向こうに..“鬼”がいたからだ!
“檻”の向こう側の霧の中で、5頭以上の、通常の人間よりも一回り以上巨大な、何か異様なシルエットをした生き物が、檻を飛び越えようとジャンプし、檻を破ろうと殴り、蹴り続けている。
猛烈な悪意と害意..喰うつもりなのだ! 我々を! 先頭から逃げ帰ってきた男と私は、ただちに学校側に走り、あとからついてきた連中に“鬼”のことを知らせて、“学校”に逃げ戻る。そして、武装を固める(と言えば聞こえはよいが、要は怯えて身をすくめてしまったに過ぎない)。
学校の窓のすぐ外には、通路と交差している高速道路。しかしそこには行けない。そこには逃げられない。土手を登ることはできない。そもそも、もはや(反対側で、鬼どもが檻を破ろうとしている)通路に出る勇気は、誰も持ち合わせていない。
かくして、その周囲を崖と土手に封じられた小宇宙が完成したのだ。通路を中心として、東端に学校、西端に檻。学校の中には、怯える我々。檻の中には、檻を破ろうと暴れ、荒れ狂う、鬼たち..
..ほとんど全ての悪夢と同様、これにもいくつかの原型を見出すことが出来る。まず、この“鬼に破られんとする閉塞空間”という舞台設定は、恐らく、アルジス・バドリスの「闇と夜明けのあいだ」であろう。これほどの傑作短編を、“悪夢”という形で“取り込めた”のだ。私の“夢力”(今この瞬間、思い付いた言葉。“無力”に掛けている巧みさを味わっていただきたい)も、まだまだ捨てたものではない。
鬼たちの造型のイメージは、諸星大二郎の「暗黒神話」に登場する「餓鬼」に近い。体格はまるで違うが。
しかし、目覚めてから1時間以上も尾を引いたのは..“緩やかな閉塞空間”という舞台装置であった。(これは同時に、ちょっと異様な“大密室”でもある。)“土手”を登ることは出来ない、と書いたが、それは、すぐそばの“檻”の向こうに“鬼”がいる、そういう場所(通路)に出る勇気がない、ということであって、土手自体は、別に鉄条網で封鎖されている訳ではないのだ。窓の外の高速道路も同様。ジャンプするのは無理としても、何かを橋渡しして、それをつたって逃げ出すことは、出来ない相談ではないのである。
にも関わらず、この小宇宙から逃げ出せない..この状況を、現実の何かの投射であると読み解くことは、実にたやすいが..
しかしそれは、“悪夢耽溺者”としては、邪道である。ただひたすら、怯え、震えていれば、それで良いのだ。
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