*2023年01月02日:鎌ぶらオフ 2023
*2023年01月03日:1〜2月の展覧会観覧予定
*2023年01月04日:やはりウッドデッキにしよう
*2023年01月05日:「新編 怪奇幻想の文学 2 吸血鬼」
*2023年01月06日:「創られた心」
*2023年01月07日:世界の夢
*2023年01月08日:「AI小説」について
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*2023年01月02日:鎌ぶらオフ 2023


 快晴。6:35に発ち、バスで浜松駅へ。7:30のこだま。9:55、北鎌倉。コロナで中断していた新春鎌ぶらオフに参加するのは、2020年以来、3年ぶりである。といっても、本格的に再開されたわけではない。本質的に「密」になる、最後のお好み焼き屋は見送られているので..

 10:00過ぎ、6人揃ったところで、午前中の移動開始。まずはすぐ隣の円覚寺。お茶を飲んで一休みしてから、黄梅院。10:35前後にいったん北鎌倉駅に戻って、何人か合流しつつ、駅前の「やま本」で昼食、引き続き、向かいの喫茶店「LIDO」で、しばしまったり。

 移動再開して、多少の山登り(坂登り)をして銭洗弁天に着いたのは、13:40頃だったかな。14:10頃に発って、本覚寺。御神酒があるぞ、やれ嬉しや。お気持ちの喜捨と引き換えなのだが、さて、困った。私見では500円相当なのだが、財布の中には硬貨がほぼなく、1000円札から..喜捨を入れる笊(ざる)の中には、1000円札や500円玉などの硬貨がざくざく入っているので、1000円札を入れて「お釣り」を500円つまみ出せばちょうどいいのだが、さすがの私も人目のあるところでそのような行為に及ぶにはあまりにチキンで、泣く泣く1000円札を..[/_;][/_;][/_;][;^.^][;^.^][;^.^]

 17:00に小町通りの入口で待ち合わせることにして、ここでいったん解散。4人ほどで喫茶店を探すが、目当ての店は満員で入れず、結局、小町通りをしばし散策。(「鎌倉まめや」でナッツを買うなど。)もちろん街は大混雑しているのだが、渋谷ほどではないかな..というか、やはり少し空気が違う。15:45頃だったかな、レスポアールという喫茶店を見つけたので、入る。レトロなムードが、なかなかよい。

 16:00に出て、この4人も解散。再集合は前述のとおり、17:00に小町通りの入口である。1時間ほど暇になったので、例によって鶴岡八幡宮へ向かう。

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 左写真は、参道沿いの、古都に合わせて店構えの色彩をくすませたブラック・サンリオカフェ。そうまでして、出店したかったのかよ [;^J^]。右から2枚目は、鶴岡八幡宮。例年(あるいは正常な年)はもっと遥かに混んでいるのだろうが、これでも十分、密である。

 右写真は、境内から抜け出し、鳥居を内側から外側へ撮ったもの。これだけ見ると、まるで鎌倉はすいていたかのごとく見える。



 17:00前に、小町通りの入口で再集合。心づもりしていた蕎麦屋に6人で向かうが、混んでいて入れない。店を探して小町通りを徘徊し、「川茂」という店を見つける。ここはなかなか当たりの店。基本的には蕎麦屋なのだが、酒もつまみもそろっている。いろいろ話をしたのだが、この文章を書いているのは10日以上も経ってからで(以下略。[;_ _][;^.^])

 19:10に出る。19:20、鎌倉を発つ。21:46、浜松着。バスで、22:35に帰宅。

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*2023年01月03日:1〜2月の展覧会観覧予定


 京都案件が2件、大阪案件が1件ある。これらを1日で回るのは、さすがに無理。[;^J^]

*出光美術館
 「江戸絵画の華
 第1部:若冲と江戸絵画:〜2月12日(日)まで
 第2部:京都画壇と江戸琳派:2月21日(火)〜3月26日(日)まで

*国立科学博物館
 「特別展「毒」
 〜2月19日(日)まで

*大阪中之島美術館
 「大阪の日本画
 前期:1月21日(土)〜2月26日(日)まで
 後期:2月28日(火)〜4月2日(日)まで

*東京都庭園美術館
 「交歓するモダン 機能と装飾のポリフォニー
 〜3月5日(日)まで

*サントリー美術館
 「没後190年 木米
 2月8日(水)〜3月26日(日)まで

*福田美術館
 「日本画革命 〜魁夷・又造ら近代日本画の旗手
 1月28日(土)〜4月9日(日)まで

*三菱一号館美術館
 「芳幾・芳年 ―国芳門下の2大ライバル
 2月25日(土)〜4月9日(日)まで

*京都国立近代美術館
 「甲斐荘楠音の全貌―絵画、演劇、映画を越境する個性
 2月11日(土・祝)〜4月9日(日)まで

 「甲斐荘楠音の全貌」は、京都国立近代美術館のあと、東京ステーションギャラリー に巡回するのだが、やはり観に行けるうちに、早め早めに片づけておかないとね。私も含めて多くの人がすっかり油断しきっているのだが、第8波が猖獗を極めているのだから..

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*2023年01月04日:やはりウッドデッキにしよう


 終日、年末年始に溜まった録画の消化に明け暮れる。[;_ _]

 新居の件、タイルテラスではなくウッドデッキに変更することにした。(「LIXIL樹ら楽ステージ2間*3尺」..この世界、まだまだ尺貫法である [;^J^])リビングの延長として考えると、リビングの床とシームレスな、同じ高さであってほしいのだが、タイルテラスではそれが実現できない(できないことはないが無理がある)のである。

 東戸塚のミサワホームでエクステリア担当者と打ち合わせたとき、さんざん悩んだ末にタイルテラスを選んだのは、コスト的に有利という面もあるが、ウッドデッキに使われている「人工木材」は、劣化すると「粉をふく」というネガティブ情報をいただいたからである。しかしよく考えてみると、これは大した問題ではないのだ。ここにフトンを敷くわけではないし、スリッパを履くだろうし、そもそも屋外ではないか。汚れることは織り込み済みである..ということなら、多少のコストアップには目をつぶって、QOLをいくらかでも向上させるほうがいい。

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*2023年01月05日:「新編 怪奇幻想の文学 2 吸血鬼」


 昨年末に読了していたアンソロジーのインプレを書いていなかった。新編 怪奇幻想の文学 2 吸血鬼」(紀田順一郎、荒俣宏、牧原勝志監修、新紀元社)である。

 「謎の男」(K.A.フォン・ヴァクスマン)−スタンダードな作例。隻腕の騎士の義手(義腕)はスチームパンク風で面白い。「吸血鬼」(A.K.トルストイ)−ロシア人の名前を読み分けるのは面倒なので、ストーリーは大掴みに把握 [;^.^]。ムードよし。真の吸血鬼だったのか妄想だったのかは、リドルストーリー仕立て。「ドラキュラの客」(ブラム・ストーカー)−これは既読だったと思うが..鮮やかなスピンアウト(断章)。「夜の運河」(イヴリル・ウォレル)−これも既読だったかも。舞台よし。流れる水を渡れずに運河の中のあばら舟に閉じ込められていた女妖を、解放してしまう。

 「黒の啓示」(カール・ジャコビ)−古典的な作例。呪われた書物。カメラ(当時としては未来的なハイテクデバイス)の使い方(ストーリーへの織り込み方)が面白い。最初は、隠し撮りした女の姿が写らない、という本来の機能を生かした使い方だが、最後には単に、折れた三脚を吸血鬼に突き刺す [;^.^]。「クレア・ド・ルナ」(シーベリー・クイン)−これもオーソドックスな作例。「飢えた目の女」(フリッツ・ライバー)−マスメディアの世界でセックスシンボルとして跳梁跋扈する女吸血鬼。「血の末裔/白い絹のドレス」(リチャード・マシスン)−吸血鬼になりに行く子どもたち。「不十分な答え」(ロバート・エイクマン)−何が起きているのかが今ひとつ思わせぶりで、モヤモヤ感が残る。まさに「不十分な答え」である。

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*2023年01月06日:「創られた心」


 これは、今年に入ってから読了したアンソロジー。創られた心 AIロボットSF傑作選」(Jonathan Strahan編、佐田千織、他訳、創元SF文庫)

  「働く種族のための手引き」(ヴィナ・ジエミン・プラサド)−ブラックな職場で働くメイドロボとその他のAIたちの交流。傑作。「生存本能」(ピーター・ワッツ)−土星の衛星上で働くロボット(の一部)に「意識」が芽生えたのではないか?という議論とスペキュレーション。「エンドレス」(サード・Z.フセイン)−やや古い型のAI(といっても空港全体を取り仕切っている)による、他のAIや人間への闘争/復讐戦。「ブラザー・ライフル」(ダリル・グレゴリイ)−戦場にて、戦闘AIたちに誤った指示(結果的に非戦闘員の殺戮)を与えてしまった戦士の精神的治癒の過程。「痛みのパターン」(トチ・オニェブチ)−フォーラム(SNS)を検閲して暴力的なコンテンツを整理・削除していく主人公(黒人)が、警察ロボットによる(頻発する)不当な殺人事件(事故)の裏の真相に気がつく。「アイドル」(ケン・リュウ)−ビッグデータから(適宜取捨選択して)作成される仮想人格。それは顧客であったり商売敵であったりパートナーであったり自分自身であったり物故者であったり、用途もさまざま。これは既に実現可能な技術であり、たとえば私のアイドルを「廃墟通信」あるいは「倉田わたるのミクロコスモス」のみをソースとして作成するとどうなるか、と、夢想させられる。「もっと大事なこと」(サラ・ピンスカー)−ロボット/AIたちが(明示されてはいないが)三原則を拡大解釈して、人間にとって有害な人間を(与えられた命令を拡大解釈あるいは曲解して)排除する。

 「ソニーの結合体」(ピーター・F.ハミルトン)−キメラ。ハードボイルド。AIかなぁ?「死と踊る」(ジョン・チュー)−ある人間の好意でメンテナンスを受け続ける型落ちのロボット(AI)の主観。「人形芝居」(アレステア・レナルズ)−宇宙船の中、人工冬眠している5万人の乗員・乗客が事故で回復不能になってしまった、という事態を糊塗するための、ロボットたちの隠蔽工作。死人使い、人形使い。かんべむさしや唐沢なをきらの短編を想起。「ゾウは決して忘れない」(リッチ・ラーソン)−クローン、あるいは培養された意識の一人称。悪夢的な場面転換の面白さはあるが、状況を追うのは難しい。「翻訳者」(アナリー・ニューイッツ)−理解を超絶した存在と化してしまったAIたちが送ってくる情報?を、なんとか翻訳しようとするが、その量たるや天文学的である。「罪喰い」(イアン・R.マクラウド)−人類の大多数が仮想空間に転移し、廃墟と大量のボットたちのみが残された世界で、ほぼ最後まで人間であり続けた教皇を、転移させるロボット。「ロボットのためのおとぎ話」(ソフィア・サマター)−古今東西の童話を、ロボットのための教訓話として語り直し再解釈していく。「赤字の明暗法」(スザンヌ・パーマー)−リスク分散のために複数のロボットを所有してそれらに生産活動などをさせる(余裕のある人間はゲームに明け暮れている)近未来の一挿話。「過激化の用語集」(ブルック・ボーランダー)−人造人間に苦痛を感じる機能を与えることによって支配している世界。その世界における人造人間たちのレジスタンス。

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*2023年01月07日:世界の夢


 クリーニング出し、セブンイレブンで見積書等印刷、メイワン谷島屋書店。横濱魚萬でひと休みしてから、湯風景しおり。17:00に、いったん帰宅。楽天で、LIFEBOOK のバッテリーを発注。

 深夜(というかほとんど翌朝近くの時刻だったか?)に見た夢について、たまには(久しぶりに)書いておく。

 その夢の中で、私はこんなことを想ったのである。「他の本をもう読む必要がなくなる、全てが含まれている本に巡り会いたい」..あるいは、こうも想ったのである。「他の絵をもう見る必要がなくなる、全てが含まれている絵に巡り会いたい」..

 ..いかにも私が観るにふさわしい [;^.^] スケール雄大な夢(思想)であるが..しかしおおくの夢がしばしばそうであるように、これは私の覚醒時の想いとはまったく異なる。私は(起きているときには)こんなことは少しも「夢見て」いない。それは、ひどくつまらないことではないだろうか..(あるいは、私にはもうあまりたくさんの書物を読むことはできないのではないか、という恐怖が、意識下に潜んでいるのだろうか..)

 「その本にすべてが含まれている」と、「その本を読めばほかの本を読む必要はない」とは、微妙に違うことにも注意。いわゆる「孤島の一冊」とも違うよな..

 これにくらべれば、「他の絵をもう見る必要がなくなる、全てが含まれている絵に巡り会いたい」の方が、まだ言っていることがわかりやすい。そういう絵が存在するかとか存在するとして見たいかとかは、別としてだ。「幻想美術選」でもしばしば言及している「世界風景」が、それにやや近い。

 「世界風景」といえば、私が偏愛してやまないベルリオーズの最高傑作、「劇的物語 ファウストの劫罰」も、そうだ。私の葬儀にはこの曲を流して欲しいのだが、まだ遺言書を作っていなかった..ま、このあたりが意識下でもやもやとして、今夜の夢になったのかもしれないな..と、夢想しつつ、ふたたび眠りの底に沈みこんでいったのである..

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*2023年01月08日:「AI小説」について


 早朝、ミサワホームと日本ファイリングにメールする。詰めの段階である。

 快晴。フェイスブックでたまたま見つけた、浜松駅南の昼飲みできる店が気になったので、訪れてみた。海老塚の「住よし」。11:30の開店時刻のほぼ直後。

 まさに昭和の、町中の食堂である。ジャンパーを着た昭和時代の生き残りの親父たちが、昼間っから酒を飲んでいる(..ひとごとかよ。[;^.^])基本的には蕎麦と定食の店なのだが、酒のつまみも豊富である。鶏皮ポン酢、オムそば、いわしつみれ豆腐。秋刀魚の塩焼きが痩せているのはこの店の責任ではない(今はどこに行ってもそうだ)。これらに加えて、日本酒2杯。これで2200円だから、安い。(ちなみに、中高生も(定食を食べに)来ています。わずかながら女性客もいることはいる。[;^J^])13:40に発って、14:15、帰宅。

 SFマガジンの今月号(2023年2月)の「特集 AIとの距離感」が、面白い。私はこのジャンル(AI小説、AI絵画)に疎いので、勉強になった。AIで描かれた「絵物語」や、一流のSF作家がAIを使って書いた「ショートショート」が掲載されており、いずれも興味深い。

 以下、「AI小説の現場から」という対談(大曽根宏幸×葦沢かもめ)からの引用である。

葦沢 作家は誰でも「書きたいもの」へのこだわりが強くあると思います。こだわりを残しながら、AIに書いてもらう文章を自分の書きたい方向に向けていくのは現状かなり難しいですね。考え方としてAIと協力するように執筆スタイルを変えていくと改善されていきました。自分の書きたいものは自分で書きつつ、こだわりの少ない部分はAIに任せてしまうような分け方。単純に作業時間も早まります。
―― 葦沢さんは実際にはどういった部分をAIに執筆支援してもらっていますか。
葦沢 私はプロットを比較的しっかり決めてから書くタイプなのですが、もともとのあらすじにないような部分――キャラクター同士のさりげない会話とか――は何が出てきてもそんなに困らないので、そういうところをAIに頼っています。

 ..なるほど。マンガのアシスタントみたいな使い方か。先生からの指示に従って、いい感じの背景を描くという? もちろん、ほかにも非常に様々な活用方法があるのだろうが。

 AIによる創作物(小説、絵画、イラスト。さらにこの特集では言及されていないが、音楽、漫画、アニメ。いずれは映画なども?)に対して抵抗感のある人は、多いと思う。私にだって、ある。「留保つきで受け入れている」といったところであろうか。しかし(少なくとも日本の)漫画家の作品に「アシスタント(という名の他人)」の絵が大量に描き込まれていることは、大多数の人が受け入れていると思う。壁画に限らず巨大な美術作品を、おおぜいで作り上げるのも普通のことだ。(いまそこで「ミケランジェロはシスティーナ大聖堂の天井画を..」とか呟いた生徒は、あとで職員室にきなさい。[^.^])

 それらとどこが違うのか。後者のアシスタントは「人間」だということか。しかし「クリエイター」の制御がすみずみにまで行き渡っているわけではない/助手たちの「自走」にまかせている、という意味では、本質的には同じことではないだろうか。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Jan 13 2023
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