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「幻想美術選」、第230回。ようやく、マックス・エルンストのコラージュ・ロマンをご紹介できる日が来た..[/_;][/_;][/_;][;^.^]
エルンスト以前から、「コラージュ」という技法は、存在した。しかしそれは例えば、キャンバスに新聞紙やボール紙やコルクを貼り付けるというような、かなり異なった性格のものだったのだ。
エルンストのコラージュの素材の多くは、19世紀に流行した暗黒小説の挿絵、大衆向け科学雑誌「ラ・ナトゥール」や挿絵入り総合誌「ル・マガジン・ピトレスク」などなどの新聞/雑誌のイラストから切り取ってきたもので、それらは当時(1930年前後)すでに古臭い、時代遅れのイメージ群であり、構成要素をそれらに限定することによって、夢のような/悪夢のような、統一された空気感・世界観を醸し出しているのである。
繰り返すが、エルンスト以前から「コラージュ」という技法は存在していた。それは、手塚治虫以前から「映画的技法の漫画」は存在していたことと、同様である。しかし、手塚治虫がそれを本格的に大規模に深耕・展開したことによって、漫画ジャンルに革命を起こしたように、エルンストの探求・冒険によって、コラージュはひとつのジャンルとして、全く新たなステージに飛翔したのである。
さらにエルンストは、文章ではなくコラージュの連鎖によって「小説」を(普通の意味での小説ではなく、超現実主義の小説を)構成するという大発明をもなしとげ、それは、「コラージュ・ロマン(ロマン・コラージュ)」の3大傑作、「百頭女」(1929、画像検索結果)、「カルメル修道会に入ろうとしたある少女の夢」(1930、画像検索結果)、「慈善週間 または七大元素(小説)」(1934)として、結実した。あたかも手塚治虫の初期の3大傑作、「ロストワールド」(1948)、「メトロポリス」(1949)、「来るべき世界」(1951)のごとく..(たったいま瞬間的に思いついた比喩なので、検証略。責任も略させていただく。[_ _][;^.^])
「慈善週間 または七大元素(小説)」は、1933年夏、イタリア旅行中に着手され、1934年4月から12月にかけて5分冊の連続小説のような形で順次刊行された。全182葉。5つのノートには各曜日が対応しており(第5のノートには3つの曜日が収録されており)、それぞれに対応する「元素」と、その「実例」、および、主としてシュルレアリスム系の作家の作品からの引用であるエピグラフが、冒頭に載せられている。全体として、暴力/犯罪のイメージが支配的なのだが、それを(1934年という)時代背景/世相から読み解くのはおそらく筋違いで、エルンストは、古色蒼然たる(しかし懐かしい)「悪漢小説」を、己の生み出した新たなる技法で、リクリエイトしようとしたのではあるまいか。ここに見られる明確な「遊戯感覚」から、私は、そう確信している。
以下、すべてを掲載することはできないので、各ノートから、私好みの図葉をご紹介しよう。(以下のテクストは、河出書房新社刊の巖谷國士訳である。)
【第1のノート 日曜日】元素――泥【第2のノート 月曜日】
例――ベルフォールの獅子
白貂はたいそう汚い動物だ.そのまま敷けば上等のシーツになるが,替えを用意しておかないと,舌でペロペロ洗濯する.
―― アルフレッド・ジャリ(『絶対の愛』)
このノートは、全35葉からなる。「ベルフォールの獅子」とは、普仏戦争時の要衝ベルフォール防衛の、英雄記念碑の獅子像に由来する。第1葉ではナポレオンに憧れる無邪気な士官に過ぎなかった獅子は、やがて、略奪、暴行、監禁、拷問などなどの犯罪に手を染め、あるいは、名士や軍人となって女色に耽るなどの怪しからん行為に及ぶが、第29葉(右から2番目の図)で打擲していた女を、第30葉ではついに射殺してしまう。第31葉でギロチンの前に引っ立てられた獅子は、しかし、第32葉で、あべこべに死刑執行人の首を落として憎々しくも掲げてみせ、そして、第33葉(右端の図)では、両手に髑髏を掴んで逃走する。彼の背後には遠く獅子の彫像が見えており、そしてこのあとの最後の2葉で、彼の正体が実はこの彫像であったことが明らかとなる..
..というストーリーであると、読みとることもできるのだ。ここには(エピグラフを除けば)いっさいの文章がなく、つまり、説明もまた、ない。どのように読みとっても構わないのである。
元素――水【第3のノート 火曜日】
例――水
問――何が見える?
答――水だ.
問――その水は何色?
答――水だ.
―― バンジャマン・ペレ,睡眠中.
このノートの全27葉は、まさにエピグラフどおり、水、水、水また水である。実にさまざまな様態の洪水が、ここにはある。
海からひたひたと押し寄せる波。あるいは山中の滝。水の中でニンフのごとく戯れる裸女たち。街中の路上にあふれ出す水流。しどけなく美女が眠る寝室にも水が流れ込み、そして彼女を救出にきた(あるいは襲いに来た?)男たち..
立派な館の廊下も部屋も、なんとも胡散臭い屋敷の中も、水、水、水だ! そしてなぜか、迫りくる水の前で、縛りつけられている死体たち..
元素――火【第4のノート 水曜日】
例――竜の宮廷
ヴェルヌイユ侯爵夫人が温かな牡犬を抱いているのが見えた.おなじ風貌をした二人の人物がやってきた.一方は金の首飾りをし,他方は喉にいっぱいの唾,いやむしろ痰をためていて,二人とも牡犬を欲しがっていた.一方が金の首飾りを牡犬にかけてやろうとしたが,牡犬に噛みつかれるばかりだった.牡犬が首飾りをうけとると令嬢になり,首飾りををおくと元の牡犬にもどった.喉に痰をためた方の人物が牡犬に痰を吐きかけると,牡犬は彼のあとにつづき,彼のいいなりになった.
―― ペルミシオン伯爵(『幻影』)
入りたまえと彼は言ったが明りがつくと誰もノックなどしてはいなかった.
―― トリスタン・ツァラ(『狼が水を飲むところ』)
この全44葉こそは、全編中、私がもっとも愛する、暗黒のドラマである! 不可思議な屋敷(宮廷)の中で、ただただ悲嘆にくれる人々と、怪物たち..竜か鳥か、あるいは..
最初は街中に出没していた「竜」(左図)は、第4葉で、ある邸宅の入り口から侵入すると、広壮な屋敷内のあちこちにさまざまな姿で現れ、人々を心理的に追い込んでいく。
左から2番目の図は、私がもっとも偏愛する第10葉。ここでは、翼をもった女(やはり竜?)が、絶望しているのか祈っているのか..その右には、やはり異形の「竜」がいる..
迷宮のごとき屋敷の中の閉塞空間で、悲哀にみちた暗黒劇が、いつ果てるともなく続いていく..
元素――血【第5のノート 木曜日,金曜日,土曜日】
例――オイディプース
大いなる神,大地よ,このような怪物をもたらすことを控えたまえ.かつてどんな物語もこのような怪物がいたことを証してはいない.当局の肝いりで,誰もこの怪物に遭わずにすむであろう.『ペイルベイユの哀歌』
これはまた間違ってママと呼ばれている怪物だ.
―― ポール・エリュアール(『手本集』)
28葉からなるこのノートで活躍するのは、鳥たちである。
マックス・エルンストの高校生時代、愛鳥のインコが死んだ翌朝に妹が生まれたときいて、彼は衝撃を受けた。妹が鳥の命を吸収して生まれてきたという想念に、囚われてしまったのだ。それ以来、鳥は彼のオブセッションとなり、多くの作品のイメージソースとなった。なかでも重要なのが、「鳥類の王者ロプロプ」が登場する一連の作品であり、第1コラージュ・ロマン「百頭女」の主役も、実は、ロプロプなのであった。
だから、このノートで暴れまわる鳥たちも、おそらくは「ロプロプ」なのだ。殺人、暴行、誘拐..ありとあらゆる犯罪に手を染める鳥たちは..
木曜日
元素――黒
第一例――鶏の笑い
なかでも陽気な連中はときおり尻を天に向け他の者たちの顔に糞をひっかける.それから軽くポンとお腹をたたくのだ.
―― マルセル・シュウォブ(『無政府状態』)
笑いとはたぶん消え去るべく定められたものである.
―― マルセル・シュウォブ(『笑い』)
第4のノートまでは、各ノートにひとつの曜日が順にアサインされていたのだが、第5の(最後の)ノートは、複雑な構成をとっている。3つの曜日が含まれ、木曜日には(ひとつではなく)ふたつの例が、そして金曜日は「三つの見える詩」と題されて、三つの「詩」が含まれているのである。
その、木曜日の最初の例「鶏の笑い」(全16葉)の主役は、そのタイトルどおり、「鶏」である。水曜日に続いての「鳥」たちの乱暴狼藉。この鶏たちもまた、「ロプロプ」の眷属なのであろうか。拷問、殺人。最終葉(右図)では、革命騒ぎを起こすに到っている。
木曜日
元素――黒
もう一例――イースター島
石は臓物でいっぱいだ.ブラヴォ.ブラヴォ.
―― アルプ
鶏と対にされたのは、なんとイースター島のモアイ像である。この全10葉では、 石頭人間は、自分が人間であると思い込んでいる(モアイ像であることに気がついていない)のかもしれない。
金曜日
元素――視覚
例――視覚の内部
三つの見える詩
三が六より大きければ,十字のまわりに円をつくりたまえ,水が火を消すものなら,蝋燭をナイフの上で動かしながらその蝋の線で封印をし,それから梯子の上に十字をつくりたまえ.
―― O・ドゥクロリー教授,R・ビュイーズ(『心理テスト集』)
第一の見える詩
そして私は愛と対立させる
これからつくるイメージではない
つくられた既成のイメージを.
―― ポール・エリュアール(『二つの水滴のように』)
そして最後の「金曜日」と「土曜日」に至って、はっきりとムードが変わる。ここまで支配的だった犯罪と暴力が影を潜め、スタイリッシュでグラフィカルな図像が増えてくるのだ。色味も、これまでは黒っぽかったのだが、白っぽい画面が多くなる。 「第一の見える詩」は、全6葉。右図は、エルンストがしばしば題材としてきた「メムノンの巨像」にインスパイアされて、それを骨格標本で構成したものである。
第二の見える詩
完全に白い一組の男女
―― アンドレ・ブルトン(『白髪の拳銃』)
「第二の見える詩」は、わずか4葉から成る。左図で空を群れ飛ぶのは、ヘビクイワシの不吉なイメージ。右図は、これもまた、メムノンの巨像から霊感を得た図葉。
第三の見える詩
「第三の見える詩」に至っては、さらに減って、2葉のみ。水曜日までのピカレスクロマンとははっきりとモードが切り替わった、ある意味、典型的な「シュルレアリスム」の画面構成となっている。(どこが「典型的」かというと、「地平線」である。(初期)シュルレアリスムの重要な特徴として「地平線」が挙げられるのだが、ここでは深掘りしない。)
土曜日
元素――未知
例――野の鍵
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―― ペトリュス・ボレル(『これは何か』)
(それにしても、このエピグラフは、何なんだ。[;^J^](自分で『これは何か』と言われても。[;^.^]))最後の「土曜日」を構成する10葉は、私見では「舞踏」である。そこにはもはや犯罪も騒乱も、そしてもちろんなんの意味もなく、ここまでの長い旅路を回想して寿ぐ「舞踊」が、密やかに繰り広げられているのだ。
中図と右図が、この壮大な物語の大団円。幕切れの、最後の2葉である。体をのけぞらせて宙に浮かび上がっていく少女のイメージは、まことにシンプル、かつ、全編を通じて、もっとも印象的なもののひとつである。
..以上、今回ご紹介した31葉は、一部の抜粋に過ぎない。どうです。全182葉、見たくなったでしょう? [^J^] 河出文庫版 がアベイラブルなので、ご紹介しておこう。
目次へ戻るそれは、「容易に拡大できるため、細部を注視するようになる」ことである。
ふつう、手元の画集を見るときに、いちいち拡大鏡を持ち出したりはしないものである。細部がよほど気になる場合は、拡大鏡で見ることもあるが、それにしたって、倍率はしれている。
それに対して、幻想美術選で取り上げるためにスキャンするときは、まず、印刷のドットが見えるサイズにまで拡大するのである。(図像の外枠ギリギリで切れるように非常に慎重に作業しているのであるが、こういう努力は、読者にはいっさい伝わらない。[;^J^])そして、いったんスキャンして貼り付けてしまったら、あとは拡大縮小自由自在。既に230点、ご紹介しているのだが、この歳になるまで気がついていなかったディテールを大量に発見しており、まったく、得したなんてものではない! \[^O^]/\[^O^]/\[^O^]/ 半生にわたってつきあってきた宝物たちから、まだまだ新たな魅力を発見し続けている毎日なのである。[^J^]
目次へ戻るこれは私だけのことだろうか。ツイッターを「更新する」という表現が、非常にひっかかる。単なる語感の問題だとは思えないのだが..
「更新する」という表現には、既にそこに「ある」ものを、「書き換える/上書きする」、というニュアンスがあると思う。だから、「フェイスブック」や「ブログ」や「ホームページ」や「サイト」を「更新する」、という言い方には、問題はない。これらは、インターネット上の固定した居場所に、「在る」ものだからである。
それに対して「ツイッター」というのは、「流れ去っていく」ものである。確かに個人のアカウントを見れば、これまでのツイートがたまっているのだが、本来、「ここで読む」べきものではない。あくまでも、タイムラインに「投入した」ツイートが、「消されずにたまっているだけである(そういう性質のものである)」、と、理解していたのだが..少なくとも、2010年に私がツイッターを始めたときには、明確に、そうであった。今は、違うの?
目次へ戻るこれも以前から非常に気になっているのだが、TVを見てると、「くれる」という人が多すぎる。「くださる」という尊敬語を知らんのか。
やくざなジャリタレ(死語?)ならばいざしらず、いい歳をしたアナウンサーが、「スタジオに来てくれました!」とか、「新曲を歌ってくれます!」とか..正しくは、「来てくださいました!」、「歌ってくださいます!」..老人の繰り言なのかなぁ..
まぁ、見てると、「敬意が無い」わけでもなさそうなので [;^J^]、単に、言葉(の使い方)を知らないだけなのだろう。(私もあまり、人のことは言えませんし。[_ _])
..ふと、思いついた。本当に「敬意がない(あるいは敬意を払うつもりがない)」場合、「尊敬語を知らないふりをする」=「すみません、失礼な言葉づかいをしてしまって..自分、言葉を知らないものですから(へりくだりっ)」というのは..使えるな。[;^.^]
目次へ戻るちなみに、昨日の日記を書いているとき、「しんきょく」の第一候補が「神曲」だったのは、ここだけの話だ [;^J^]。歌われても困るしな [;^.^] ..と、ふと検索してみたら、「神曲」という歌があるようだ [;^J^]。ユーチューブで再生してみたら、関係があるようなないような..
好天。暖かい。
夜になって、昨夜電話をいただいていた(お久しぶりの)Aさんと連絡がとれた。要件は、おおむね予想どおり。T氏関連書籍の増補改訂版のための作業依頼(など)である。納期にやや余裕があるので問題はないのだが、国会図書館などの東京の図書館で数日かけたい調査案件も含まれている。そして今は、上京できないのだ..[;_ _]
目次へ戻る昨夜録画した「ららら♪クラシック」のメタル特集(「メタル loves クラシック!?」)が、非常に面白い。いやもちろん私も、ディープ・パープルやレッド・ツェッペリンぐらいは聴いていましたが、ハードロック以降の「メタル」は、ほぼ聴いていなかったのだ。カッコイイじゃないか。ちょっと(かなり)聴いてみたくなった [^.^]。それにしてもこういうくくりで聴いてみると、「ラ・フォリア」(ヴィヴァルディ)って、結構ヘビメタだなぁ。[^.^]
Aさんから依頼されたT氏案件に、着手する。作品リストは(ずーっと、編集/メンテナンスし続けているので)問題ない。キャラクター事典の追補は、前回からの7年のあいだの作品から、3〜4人ピックアップすればよい。
再録に値する単行本未収録作品がないかどうかの検討だが..確認してみたら、単行本未収録作品のコピーは(同人誌のみに発表された作品、および、いまだに未発見の1作品を除いて)すべて手元にあった [;^J^]。われながら、引いたわ。[;^.^]
..いや、1作品のみ、ない..なぜ..? かつて確かに初出誌を入手して読んだのだが、それが見当たらない..日記を調べてみたところ、他の(調査済み/データ取得済みの)雑誌とともに、神保町の某古書店に(誤って)売却してしまった可能性がある [;_ _]。処分すること自体は問題ない。用件がすんだ本(雑誌)はマーケットに環流させて、それを探している他の人に回るようにするべきだ。ただし、その前にデータを取得(確保)してからだ。どうもこの初出誌については、その作業を忘れていたらしいのである..
これは困った。7年前にわざわざ古書店で購入したのは、図書館で見つからなかったからである。国会図書館を初めとする各図書館を検索してみたのだが、7年後の現在も、やはりどこにも見当たらない [;_ _]。ここで迷わず「買い直し」に舵を切る私こそ、「資料派オタクの鑑」に他ならないのだが [;^.^]b、それはともかく、ざっと検索した限りにおいては、ネット上には見当たらない。といって、「足で捜す」ことができる世相ではない..
..7年前の調査ノートが見つかった! をを、2003年に発行された、別の雑誌に再録されているとのこと! 早速検索。その雑誌ならば、国会図書館にある! ただちに、遠隔複写を申し込んだ。やれやれ..[;^J^]
今夜の「出没!アド街ック天国」は「“裏横”横浜 高島町」なので録画しておいたのだが..なんと、横浜駅の工事が「終わった」とのこと! にわかには信じがたいのだが..(「工事をしていない横浜駅」を見たことは、人生においてもちろん一度もなかったし、想像することすら困難なのだが..)「横浜駅SF」(柞刈湯葉)が、二重の意味でSFになってしまったではないか..[;^J^] といっても、この小説を知らない人には意味がわからんか。「横浜駅SF特設サイト」からあらすじを引用すると、
改築工事を繰り返す<横浜駅>が、ついに自己増殖を開始。
それから数百年――JR北日本・JR福岡2社が独自技術で防衛戦を続けるものの、日本は本州の99%が横浜駅化した。
脳に埋め込まれたSuika で人間が管理されるエキナカ社会。その外側で暮らす非Suika 住民のヒロトは、駅への反逆で追放された男から『18きっぷ』と、ある使命を託された。 はたして、横浜駅には何があるのか。人類の未来を懸けた、横浜駅構内5日間400キロの旅がはじまる――。
..めっちゃ面白そうでしょ。[^.^]
安野光雅、肝硬変で逝去。享年94。合掌..
目次へ戻る 某証券会社から、確定申告関係の書類が届いた。今年は特にアクションを取る必要はなさそうだが..もうこの季節になったのか..そういえば昨年は、コロナで大変だろうからコロナの対応で申告に手が回らない人は〆切を1ヶ月延ばしてあげようという御上の恩情をいいことに別にコロナのせいでもなく単に怠けて1ヶ月遅れでのうのうと申告したら「ところでコロナで遅れたんでしょうねコロナじゃなければ延滞税を頂戴しますよ」とゆわれて嘘をつけない性格の私は窮地に追い込ま
..[;^.^][;^.^][;^.^] ま、今年は、さっさとすませてしまいましょうかね。[;^J^]
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