2020年03月09日:様子見だなぁ.. 2020年03月10日:「100分de名著」アーサー・C・クラーク スペシャル 2020年03月11日:幻想美術選「ベネチア異変」角浩 2020年03月12日:湿布を貼ってみる 2020年03月13日:効いた [^.^] 2020年03月14日:頭髪の件/隠れキリシタンの件 2020年03月15日:某申告の件 [;_ _]目次へ戻る 先週へ 次週へ
左手(の親指)に力が入らん [;_ _] ..つか、力を入れると痛い [;_ _] ..歯磨きのチューブを押すのも辛い [;_ _] ..昨日よりも、さらに痛い。[;_ _]
やはり、今夕はT整形外科に行こう。念のため、今日は自動車出勤とする。自転車のグリップを握ることにより(及び路面からの衝撃を受けることにより)左手を悪化させる可能性もあるので..まぁ、自動車のハンドルを握っていても、それなりに痛いのだが..[;_ _]
..と、医者に行く気まんまんだったのだが、午後になると、左手で物を掴める程度には回復してきた。右手で左手の親指の下あたりをつまむとそれなりに痛いにせよ..
やはり、これは、医者に行く案件ではないなぁ..医者の時間を奪うと、顰蹙ではないかなぁ..様子を見るか..
目次へ戻る雨。自動車通勤。左手の痛みは昨日よりも楽。今日1日、休ませておけばいいのかな?
昨日の日記に書き忘れていた。Eテレの番組、「100分de名著」。今月は、アーサー・C・クラーク スペシャルである。1冊を4回(100分)かけて読むのではなく、以下の4冊を、それぞれ1回で読む。
「太陽系最後の日」
「幼年期の終わり」
「都市と星」
「楽園の泉」
司会は伊集院光と安部みちこアナで、今スペシャルの指南役が、瀬名秀明。毎週月曜日放映で、昨日(3月9日)までの2回で、「太陽系最後の日」と「幼年期の終わり」が取り上げられた。この日記がアップされる予定の3月19日までには、第3回「都市と星」も(3月16日に)放映済みである。この日記を読むタイミングによっては、第4回「楽園の泉」(3月23日)も終わっているかも知れないが..「NHKオンデマンド」で配信されているらしいので、見逃しの心配は無用である。(私は、これを利用したことはないのだが。[;^J^])
指南役に人を得ており、非常に面白い。クラークを読んだことがない伊集院光に、それぞれの作品の魅力と本質を、実に的確に伝えている。私も、久しぶりにこれらを再読したくなった。
「人類スゲー小説」[^.^] としての「太陽系最後の日」の面白さと功罪。「人類、スゲー!」が、「この小説に感動できる俺、スゲー!」→「この小説の面白さがわからないやつ、(略)」に、すり替わりかねないという..なるほど。「SFファンの選民思想を育てた可能性がある」と言われれば、確かにそのとおりだ。
「幼年期の終り」は、やはり変な小説だ [;^.^]。ストーリーは、ガッタガタ。無論、この作品のポイント(真価)は、そこにはない。この、中編を接続したかのごとき構成は、どこかヴァン・ヴォークトの長編を想起させなくもないとなんとなく思いついたが [;^J^]、しかし同じ「超人」テーマでも、えらい違いだ。[;^.^]
この番組での紹介のされ方に、まったく文句はない。25分間で、よく伝えられていると思う。その上で、ないものねだりを2点。
まず、オーバーロードが(キリスト教の)「悪魔」の姿をしているということの意味。われわれ非キリスト教徒の目には「なんだかオリジナリティがないな」程度にしか見えないのだが、欧米のキリスト教徒の読者にとっては、まことに衝撃的だったに違いないのである。(まったくの耳学問である [_ _]。私にも残念ながら、その衝撃は実感できていないのだ。[_ _])ここの掘り下げに、あと30秒でいいから割いて欲しかった。[;^J^]
もう1箇所は、終盤の戦慄的なクライマックス。地球上の、10歳以下の全ての子どもたちが、「大人には理解できない、人類ではないもの」に「進化」していくシーンである。そこに被せられたナレーションが、
子どもたちは、親たちにとっていっさい理解できない存在に変貌します。意識はここになく、目はうつろになり、全員が裸で同じように踊っています。やがて彼らが引き起こす超常現象が巨大なものとなり、地球は壊れていきました。
..見事に要約されているが、できれば、朗読の銀河万丈氏に、原作の以下の箇所も読んでいただきたかった。(ハヤカワ・SF・シリーズ、福島正実訳)
「彼らはなにか、複雑な儀式舞踏をやっている未開人のように見えた。真っ裸で、不潔で、もつれた髪は眼にまで垂れ下っていた。ジャンの見たところでは、彼らはみな5才から15才までの年令に見えたが、それがみないっせいにおなじ速度と正確さをもってうごきまわっているのだった。そしてだれもが、周囲には完全に無関心だった。
そのとき、ジャンは彼らの顔を見た。彼は乾いた唾を呑んで、顔をそむけようとする自分を必死に押えなければならなかった。彼らの顔は、死人の顔よりもなお空虚だった。死人の顔にさえ、時のたがねに刻まれたなんらかの歴史が、その唇がものいわぬ唇となり果てたのがいつかを語るなにものかが、現われているものだ。ところがここには、蛇か昆虫の顔に浮かぶほどの情緒も感情もない」(256頁)「彼らは、眠っているか、あるいは忘我状態にあるようだった。眼はかたく閉じて、周囲のものを意識していない。彼らは、意識のなさでは、そのあたりの樹木とすこしも変りはないのだ。彼らの心の織りなす複雑な網の目には、いまどのような思念が交錯しているのだろうか?」(258頁)
この番組では、私の知る限り、過去2回、SFを採り上げている。「ソラリス」(スタニスワフ・レム)の回は、気がつくのが遅れて見逃してしまった。[;_ _](だから、NHKオンデマンドで配信されてるっつーに。[;^J^])もう1回は、昨年放映された小松左京スペシャル。(「地には平和を」「日本沈没」「ゴルディアスの結び目」「虚無回廊」。)これは全て視聴した。これもなかなかよかった。レム、小松左京、クラークと来て、次にSFが取り上げられるとしたら、誰だろうか? 欧米人なら、やはりアジモフ? ディック? 日本人なら筒井康隆あたりだろうか?
目次へ戻る「幻想美術選」、第187回。今回は、日本の幻想画家である。
角浩(1909〜1994)は、茨城県出身。自らの制作を「ネオ・クラシカル・ロマンティシズム」と称し、赫赫たるキャリアを通じて、幻想的な画風の作品を描き続けた。
この白馬(ペガサス)は、サン・マルコ寺院の伽藍を飾っている「勝利の馬」である。水没した広場に群がる鳩たちも、素晴らしい色彩につつまれて、このペガサスと共に空へ舞い上がって行く..
比較的最近入手した「幻想の裸婦 ニュー・エロティシズムの展開」(福田和彦、河出書房新社)という画集から、「裸婦なんか描かれてないじゃないか [^.^]」と突っ込みながらスキャンしたのだが..どうも見覚えのある作品だ、と、ネットを検索してみたら、「廃墟通信」がヒットして、狼狽えてしまった [;*.*]。2011年4月3日に松岡美術館を訪れて、「ファンタジー 松岡コレクションの幻想世界」展で、この作品を観たと書かれている..知らないよ、9年も前のことなんか..[;_ _][;_ _][;_ _][;^.^]
目次へ戻る左手の直るペースが、期待通りではない [_ _]。今日は久しぶりに自転車通勤してみたものの、左手は、右手と同じ握り方はできない。負担をかけずに安全を十分確保できる握り方を工夫する。
夜、自宅に湿布の在庫(有効期限内)があったので、貼ってみる。
目次へ戻る朝、左手の痛みは、かなり解消している [^J^]。湿布が効いているようだ。[^J^]
昨日に続き、自転車通勤。昨日よりもかなり楽。でも、油断しないこと。気を使いつつ、乗る。
朝には、グリップの握り方が、まだやや特殊だったのだが、帰宅時には、普通にグリップを握れるようになった。[^.^]。でも、少なくとも土日までは、湿布続行だ。
目次へ戻る雨。午前中は片付け事いろいろ。昼前に湯風景しおり内の髪工芸で、散髪。
例によって、カットのみ。私の指示はいつも同じで、「眉にかからず、耳にかからず、襟にかからず」。20分少々で終わると(昔よりも所要時間が短くなっているような気がするが現実をいちいち直視する必要はない)、襟足附近はこの程度でよろしいか、と、鏡を使って、後頭部から頭頂部にかけてのヴューを私に突きつける..
床屋は、容赦しない。
床屋は、まったく、容赦しないのである..[;_ _][;_ _][;_ _]凸(..まぁ、それが彼らの仕事なんだからね..許そう。[;_ _][;_ _][;_ _][;^.^])
昼食を食べるために柳通りに車を走らせる。目当てのラーメン屋(2軒)の駐車場がいずれもいっぱいだったので、久々にステーキのあさくまに入ってみる。サラダバーは提供中止中。ガーリックカットステーキ。
夜、ブラタモリ。今週は、「島原・天草〜なぜキリシタンは250年も潜伏できた?〜」..そりゃ、誰でも不思議に思うわな。(以下、日本史に詳しい方には常識だったのでしょうが、私は知りませんでしたので..[_ _])
1.踏み絵に「十字架が描かれていない」という致命的な欠陥があり、キリシタンでも、わりと平気で踏めた。[;^.^](踏み絵を作ったのが仏教徒なので、十字架の重要性に気がついていなかった。)
2.(この番組で訪れた)崎津集落には宗教の違いにあまりこだわらないという風土があり、キリシタンが同時に神社の氏子でもあり、それによって、寺請制度(寺院に所属していればキリシタンではないと判断された)をクリアできた。
3.のちに密告により、村人の大多数がキリシタンであるということが発覚してしまったときも(1805年の「天草崩れ」)、役人としては(キリシタンと認定して)処刑することができない事情があった。(なぜなら全員、踏み絵も踏み、寺請制度も行われているのだから、いまさらキリシタンだったと認定してしまうと、これまでの政策が無意味だったと認めてしまうことになるから!)それで、「宗門心得違」..つまり「キリシタンではないが、変わった信仰をもった者共」、という形で、お茶を濁した。
島原半島の原城の構造を探る後半も面白かった。いい番組だ。ちなみに林田アナは、今回が最終回。お別れのシーンの、抑制された情感の表現がよかった。(他番組だが、「モヤモヤさまぁ〜ず2」の狩野アナの大号泣も、それはそれで悪くなかったが。[;^J^])
目次へ戻る快晴。午前中は、自転車磨きというか錆落とし。一度でも錆びた箇所は、ある程度十分に錆を落としても、1〜2週間で、また茶色く錆びてしまうようである..根を張ってるとか?(← また非科学的なことを。[;^J^])そしてその「一度でも錆びた箇所」というのが、かなり広大なエリア、ありましてね [;^J^]。雨の季節を挟んで半年以上も放置していた報いである。[_ _]
まぁ、走行には問題ないようではあるが、7月までには、TSマークの更新のために自転車ショップに持ち込むのである。それまでにもう少しまともな姿にしておかないと、みっともなくって..[;_ _][;^.^]
昼は、麺匠家 西伊場店(横浜家系である)。湯風景しおり。
..さて、某申告をしなくてはならないのだが..[;_ _][;_ _][;_ _] 当初の〆切(3月16日)が変更されようがされまいが、当初の予定に間に合わせるぜっという気概が、当初はあったのである。当初はね。しかし..
「3月16日の〆切が4月16日に延びたという事象は決定的かつ圧倒的であり、これに逆らうことは絶望的に難しい」のである。当たり前なのである..[;_ _][;_ _][;_ _][;^.^]
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