*2018年10月15日:幻想美術選「メレンコリアI」アルブレヒト・デューラー
*2018年10月16日:「定本夢野久作全集 5」
*2018年10月17日:耳の定期検診
*2018年10月18日:それはダメだ、ジュリー
*2018年10月19日:広島、強い
*2018年10月20日:ルーベンス展/ローマの景観/横山華山展
*2018年10月21日:マスクを外すと..
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*2018年10月15日:幻想美術選「メレンコリアI」アルブレヒト・デューラー


 「幻想美術選」、第135回。デューラーは3回目だが、やはり結局、この傑作をラインナップに加えないわけには..[;_ _][;^J^]

Picture

「メレンコリアI」(アルブレヒト・デューラー、1514年)

 この作品は、「メランコリア」と書かれる場合と「メレンコリア」と書かれる場合がある。個人的には「メランコリア」に馴染んでいるのだが、昨今主流らしい?こちらの表記を採用する。

 ..まぁ、ご覧のとおりの作品である [;^J^]。これはいったい何が描かれているのだろうか..と、実に500年にわたって議論が続けられている、怪物的な作品なのである。手元の参考文献から引用しよう。

「この傑作に関して著された無数の研究は、常に、描かれた個々の対象が何であるかの確認から始められている。それは、不思議なモチーフの多義的な象徴性を明らかにするのみであり、しばしば解釈に議論の余地を残すため、我々は意味の迷宮を彷徨うことになる。現在もなお、そうした状況に変わりはなく、結果、最終的な解釈がないことこそが、この作品を構成する論理に適っているとする捉え方が近年の主流となった」

(「アルブレヒト・デューラー版画・素描展」p270(国立西洋美術館、2010))

 ..しかしそれは、知的敗北主義ではないのか、「「開かれた作品」と言えば聞こえはいいが、謎めいた版画として放置可能とする美術史学の無力さを認めてしまうような便利な概念ともとれる」、と、鋭い指摘が続き、果敢にも「この作品の“意味”」を説き明かそうとする、新たな説の紹介へと続くのだが..確かに、「この謎は解けないのさ..」、と、笑顔で肩をすくめてみせたくなる作品。「解釈などはせず、ただこの、魔術的な図像の“美”に酔っていればいいのですよ」、と、したり顔で「解説」してみせたくなる作品ではあるのだ。(← 油断してたら、自縄自縛。[;^.^])

 500年続く議論に嘴を差し挟むつもりも度胸もない。ただ、この極上の「幻想版画」を、この連載に(VIP待遇で)招じ入れることが出来たということだけで、満足することにしよう。

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*2018年10月16日:「定本 夢野久作全集 5」


  定本 夢野久作全集 5(国書刊行会)、読了。この全集は全8巻だが、最初の5巻が「小説」。編年体で編まれているので、つまりこの第5巻には、「ドグラ・マグラ」以降の(早すぎた)最晩年の小説群が収録されている。この時期の小説には、多くの注文にこたえて書き急いだためか、品質に問題があるものがいささか多いのだが、目を瞠(みは)るような、暗黒の輝きを放つ作品もある。

  「超人鬚野博士」−「犬神博士」の後日談のような人物設定なのだが、「犬神博士」の高揚感は得られない、軽い作品。悪くはないが。「S岬西洋婦人絞殺事件」−真相には面白味はないのだが、刺青の猟奇性など、読ませるところはある。「二重心臓」−部分部分はおかしくないのだが、全体としてまとまりが悪い印象を受ける。「眼を開く」−郵便配達夫の命懸けの使命感を描く、佳作。「巡査辞職」−よくまとまった「いなかのじけん」。

 「髪切虫」−非常に洒落た掌編。これは何度でも楽しめる。「人間レコード」−催眠術の一種であり、SF的というほどでもない。昔の読書記録には、「きっぱりと駄作」と、ヒドイことが書かれていた [;^J^]。「眉唾「黄金の滝」」−なんとも取り留めのない掌編。シベリアの一挿話、か。「継子」−よくいえば水準作、悪く言えば凡作。「人間腸詰」−これはそれなりに読める。こんにちでは高橋葉介を想起してしまうのは仕方がない [;^J^]。「悪魔祈祷書」−古本屋の与太話なのたが、語りの楽しさで読ませる。終盤の「あぁビックリした……」は、はっきりと憶えていた。

 「少女地獄」は、(形の上では)以下の3篇からなる連作。(内容には関連はない。)「何んでも無い」こそは、世評高き、こんにちでは「ドグラ・マグラ」や「瓶詰地獄」をもしのぐ人気を得ているのではないかとすら思われる、恐るべき傑作! 自分の立場を良くするための、最初についた(比較的小さな)嘘。その嘘がばれそうになったので、それを糊塗するための第二の嘘。それも破綻しそうになったので、さらに..と、屋上屋を重ね続け、ついに破局に至る..恐ろしいまでのこんにち的なリアリティと、超時代性。この作品は、古びない。「連作」の第二作である「殺人リレー」は、まずまずの佳作。第三作「火星の女」は、これまた現代的な傑作。三作のいずれにも、「女性対社会」という視点がある。

 「名娼満月」−昔から大好きな時代劇。細部をよく憶えていた。「戦場」−ほとんど幻想的な地獄風景。「女坑主」−まぁ、水準作か。「冥土行進曲」−まとまりに欠けるドタバタ。なんとかオチがついているのが、不思議なほどである [;^J^]。「芝居狂冒険」−夢野久作である必要はないが、気楽に楽しめる。「オンチ」−結果的に火あぶりにするところが持ち味か。

 次回配本の第6巻は、「童話」である。夢野久作の童話がまた、「すごい」んだ![^.^] 楽しみである。[^J^]

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*2018年10月17日:耳の定期検診


 快晴。午前半休取得済み。浜松医療センターで、耳のゴトゴト現象の定期健診というか、定期観察である。

 症状は、良くも悪くもなっていない。耳のきこえは、ここ数年間で、左右ともうっすらと悪化しているが、これは加齢に伴う、自然なもの。いっそ、右耳のきこえが極端に悪化して、手術せざるを得ない状況に追い込まれてしまえば、手術の一環として、ゴトゴト現象について「効果がある可能性がゼロではない」施術、すなわち、筋肉の切断が、必然的に行われることになるのだが..

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*2018年10月18日:それはダメだ、ジュリー


 客の入りが悪いからキャンセルだなんて..7千人も来てくれたのではないか。彼らが工面したお金と時間(と「ワクワク感」)を、考慮することもなかったのか。もしも、ももクロで同じことをされたら、私は、モノノフ(ももクロファン)であり続ける自信は、ない。

 こんなことは気にしない、ドタキャンされるのも体験のうち、という、ファンからの「暖かい声」も、あるらしい。7千人の全員がそういうファンであるのならば、誰も損をせず誰も悲しんでもいないので、問題ないんだけどね。

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*2018年10月19日:広島、強い


 まったく危なげなしに巨人に3連勝して、日本シリーズへ。まずは、よかった。勝負は「みずもの」だから、巨人が日本シリーズに出場する可能性も、もちろんあったわけであるが..もしも今年の巨人の成績(トータル:67勝71敗、対広島:7勝17敗)で、広島を差し置いて日本シリーズに出場した日には、鼻白むどころの話ではなかった..ほっとしたよ、いやまったく..

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*2018年10月20日:ルーベンス展/ローマの景観/横山華山展


 7:19のひかりで上京。8:55(開館35分前)に、上野の国立西洋美術館。「ルーベンス展―バロックの誕生」(〜1月20日(日)まで)である。

 例によって、周辺画家の作品が半数程度は占めているのかな..と思っていたら、大多数はルーベンス自身(および、ルーベンスとその工房、あるいはルーベンスと協力者の合作)であった。「毛皮を着た若い女性像」画像検索結果)..うまく画像検索できているかどうか心もとないが、ティツィアーノの「羽飾りのある帽子をかぶった若い女性の肖像」画像検索結果)と、非常によく似ている。「セネカの死」も、画像検索結果が少ないが、力感がある。「聖アンデレの殉教」画像検索結果)が、本展覧会の目玉のひとつ。とにかく、構図が素晴らしい。

 「パエトンの墜落」画像検索結果)の迫力も、大変なものである。「ローマの慈愛(キモンととペロ)」画像検索結果)には、主題の異様さに負けぬ、絵の力を感じる。「エリクトニオスを発見するケクロプスの娘たち」画像検索結果)は、本展覧会のメインビジュアルのひとつ。ほか、画像検索ができなかった(絞り込めなかった)作品では、「天使に治癒される聖セバスティアヌス」「法悦のマグダラのマリア」「ヘスペリデスの園のヘラクレス」「「噂」に耳を傾けるデイアネイラ」「スザンナと長老たち」など。

 11:05に展覧会を退出してから、さらに15分ほど版画素描展示室で、「ローマの景観―そのイメージとメディアの変遷」を楽しむ。ざっくり言って、ピラネージの有名な連作「ローマの景観」画像検索結果)の「盛り方」の検証..という趣向じゃなかったかもしれないが [;^J^]、しかしこの「ローマの景観」の“あり得ない”壮大さは、これ自体、立派な「幻想絵画」であると確信させるものである。

 ぶんか亭で食事。12:20、国会図書館。収穫はまずまず。15:10に退出。

 東京駅への移動中の電車内で、iPhone6 のバッテリーが即死した。まだ30%ぐらいは残っていたはずなのだが..そろそろ交換修理のしどきかなぁ..とりあえず、USBエネループで救命する。

 15:35、東京ステーションギャラリー。「横山華山」(後期:〜11月11日(日)まで)である。恥ずかしながら、この画家の名前は知らなかったし、展覧会の情報をキャッチしていたのにスルーしていた始末である。先週の「美の巨人たち」(BSテレ東)を観て、これは大変な画家であり、大変な作品群であるということに驚愕し、慌ててスケジュールにねじこんだものの、「美の巨人たち」で紹介されていた「紅花屏風」画像検索結果)は前期のみの展示であり、前期に来ることはできなかったのである..まぁ、仕方がない。山形美術館に収蔵されているので、いずれ観る機会は作れるだろう。

 まずは、曾我蕭白の「蝦蟇仙人図」画像検索結果)と、それを写した、崋山の「蝦蟇仙人図」画像検索結果)の比較展示から。全ての(優れた)模写について言えることであるが、そっくりに描けば描けるところ、必ず自分なりの個性を出して「変えて」くる。すぐ隣に展示されている「寒山拾得図」画像検索結果)は、空気感に惹かれる。

 「花洛一覧図」画像検索結果)。そして、本展覧会の目玉のひとつである「祇園祭礼図巻」画像検索結果)は、上下巻合わせて30メートルが一挙展示されていて、壮観! とにかく、表情の描き分けが絶品で、まったく見飽きることがない。これは大変な画家を見逃していたものだ..まぁ、私だけのことではなく、世間的にも(それどころか美術界的にも)かつての伊藤若冲のような「忘れられた画家」だったのであり、現在、再ブレイクの途上にある?のである。

 画像検索できなかった(絞り込めなかった)作品では、「虎図押絵貼屏風」「三猿図」「四季耕作図屏風」「百鬼夜行図」「天明火災絵巻」、など。今後もマークしておきたい。

 崋山以外の画家では、小澤華嶽の「ちょうちょう踊図屏風」画像検索結果)が、特に面白かった。コスプレ盆踊り? [;^.^][;^.^][;^.^](ハロウィーンとやらではないぞ [;^J^]。私の認識では(現代日本における)ハロウィーンとは「練り歩く」ものであり、「踊り狂う」ものではない。)16:55に退出し、東京駅北町ダイニングの「華祭」で時間調整。

 八重洲南口から、18:40発の高速バス(東名ライナー209号)。浜松駅北口着は23:20の予定で、20分ほどの接続時間で、無理なく自宅方面への最終バスに乗れるはずだったのだが..

 首都高でのプチ渋滞は仕方ないとして、20:00頃、東名綾瀬のバス停で、想定外のトラブルに遭遇 [;_ _]。なんと、バス停に停車している車がいる。バスは(当然)その直後につけて、動かせと合図したのだが..ガス欠で動けないらしい [;_ _]凸。直後につけてしまったバスも、高速道路上では法令によりバックできないので、動けない..(いったいどうして、わざわざバス停に止まっていたのだろうか、この馬鹿女(ドライバーは、女性でした)..なんとなく安心、とでも思ったのだろうか..)とにかく、詰んでしまったので、バスの運転手が電話で会社に善後策を相談。後続バスが到着するのを待ち、そのバスに後方をガードしてもらった状態で、バックして離脱するということになった。(これが法令違反でないのかどうか、私は知らない。)20:15に、無事に離脱。

 それやこれやで浜松駅には35分遅れの23:55に到着。もちろん終バスは出た後で、深夜料金のタクシーで、0;05に帰宅。

 ..コストメリットを狙って、新幹線ではなく高速バスを選んだのだが、大失敗である [;_ _]。タクシー料金をアドオンすると、新幹線の回数券と1500円程度しかかわらない。18:40からひかりを使っていたら、浜松駅からバス(200円)で、21:00には帰宅できたのである。+3時間..さらに言えば、このバスに乗るためにわざわざ東京駅で時間調整をしていたのであり、横山崋山展を退出してからすぐに新幹線に乗っていれば、19:00に帰宅できていたのだ。

 僅かなコストメリットとは引き合わない。時間帯にもよるが、やはり従来通り、新幹線で帰ることにする。

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*2018年10月21日:マスクを外すと..


 ..眼鏡が飛ぶ。(眼鏡男子 and|or 眼鏡女子 あるある。[^.^][^.^][^.^][:^.^])

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Oct 25 2018
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