*2017年12月11日:水汲みについて
*2017年12月12日:幻想美術選「沈黙の道」フランティセック・クプカ
*2017年12月13日:病院ハシゴ
*2017年12月14日:「境界のリンネ」
*2017年12月15日:「衆鱗図」
*2017年12月16日:12ヶ月点検など
*2017年12月17日:「定本 夢野久作全集 3」
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*2017年12月11日:水汲みについて


 12月2日の日記で書き忘れていたこと。毎年年末のO君の墓参りで楽しみにしていることが、ひとつある。それは、この霊園には井戸があることである。無論、水道もひかれているのだが、私は、墓を手入れし花を生ける水を用意するさい、水道ではなく、必ず、井戸を使っている。

 なんというか、大地の恵みを自分の手で汲み上げているという、感動を覚えるのである。至便極まりない水道の蛇口をひねるときには、けっして得られない感動を。今の私には、井戸を使う機会など、ここにしかない。年に一度の喜びなのであった。

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*2017年12月12日:幻想美術選「沈黙の道」フランティセック・クプカ


 「幻想美術選」、第94回。

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「沈黙の道」(フランティセック・クプカ、1900〜03年)

 (現在の)チェコ生まれのクプカ(1871〜1957、Wikipedia..情報量少ない)を美術史上で一言で要約すれば、抽象美術の先駆者ということになるが、初期には、象徴的、神秘的、精神的な世界を描いていた。

 さて、この作品の「意味」はなんなのであろうか。クプカがどっぷりとはまっていた、19世紀末のオカルト、神智学、形而上学に題材を採っている、あるいはそれらの影響の下に描かれたのであろうとは想像がつくが、残念ながら、私には元ネタがわからない。(そんなものは、ないのかも知れない。)私に「見える」のは、道の両側に密集隊形で果てしなく整列しているスフィンクスたちと、その道を「行く」正体不明の旅人、そして、同じ方向に流れる銀河の両側に広がる星空。ただ、それだけだ。私には、何も説明できない。(例えば、この男はオイディプスである、と決めつけて「解説」を書くことはできるが、空虚な無理矢理感が半端なく、そんなことはとてもできない..)

 意味がわからないなりに、画集を閉じたあと、いつまでも記憶の底にしつこく居残り続ける作品であるのは、事実である。直ちに連想した作品を2つ上げておこう。「鉄腕アトム エジプト陰謀団の秘密」(手塚治虫)と、「魔笛」(モーツァルト)である。

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*2017年12月13日:病院ハシゴ


 有休取得済み。晴天。8:20に徒歩で出て、浜松医療センター耳鼻科へ。いよいよ、漢方薬のネタも尽きた。なにがしかの測定結果は出ているので、手術に踏み切ることも不可能ではないが、それでこのゴトゴトボコボコ現象が治るという保証があるわけではない。それにもちろん、リスク(たとえば、聞こえが悪くなる)もある。医者も私も、まだ踏み切れない。

 それでも、ここで止まっていては事態が進展しないので、来週末にさらに別の検査をすることになった。

 いったん帰宅してから、今度はO内科医院へ。月いちの健診である。前回の血液検査の結果だが..もちろん、悪い [;_ _]。現在の、かなり荒れた食生活と酒量と致命的な運動不足で、よい結果が出るわけがない [;_ _]。睡眠時間も足りていないのだが、十分な睡眠時間を確保したうえで、さらに運動のための時間も確保するというのは、不可能問題としか言いようが..

 このあと、郵便局で年賀状を買ったり、イオン浜松西店で(部屋着&寝間着がわりの)スウェットパンツと座布団を買うなど、雑件、いろいろ。

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*2017年12月14日:「境界のリンネ」


 昨日、書き忘れていた。今週号の少年サンデーで、「境界のリンネ」(高橋留美子)が、ついに最終回を迎えた。

 驚いたのは、連載開始から8年も経っていたということである。私は、この作品の連載第1回を読んだときのことを、かなりよく憶えているのだが、あっというまに、あれから8年..私は、あと24年は、もたないと思う。つまり、この連載と同じ長さの作品を、3回見届けることは、できないのだ..あと「3リンネ」分の寿命というわけか..3リンネ..3輪廻..

 ..なんだか、結構長い年月の様な気がしてきた。[;^J^]

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*2017年12月15日:「衆鱗図」


 一昨日録画しておいた、「美の巨人たち そのウロコ超絶すぎる!松平頼恭「衆鱗図」前代未聞の魚類図譜」を観た。(「衆鱗図」については、画像検索結果 参照のこと。)

 私は、この図譜を見たことはないと思う。見れば、忘れているはずがない。超細密描写にも驚くが、その細密描写を(例えば)魚一匹の全身の鱗に倦むことなく繰り返し続ける勤勉さというか、やや狂気がかっているとすら言える情熱にも、つくづく感じ入った。

 この録画でもっとも印象的だったのは、腹から尾のつけ根までの、ぜいご(とげ状のウロコ)の描き方(その再現)である。胡粉(ごふん)を何度も塗り重ねて連続する骨の形状を作り、その上から銀箔を(その形状に合わせて)貼り込み、さらにその上から彩色をほどこしていく、という技法に、文字どおり驚嘆した。

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*2017年12月16日:12ヶ月点検など


 快晴。暖かい。9:15に出て、9:30前に浜松日産伊場店。12か月点検である。結果は..部品交換で、8万弱必要 [;_ _]。取り寄せの都合上、作業は来週土曜日になる。やれやれ..車は高くつくなぁ..[;_ _]

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*2017年12月17日:「定本 夢野久作全集 3」


 先日、読了していたのだった。定本 夢野久作全集 3」(国書刊行会、西原和海、川崎賢子、沢田安史、谷口基編)。1933〜34年の小説を収める。全て既読だが、もちろん全て楽しく再読。

 「暗黒公使」−やはり傑作。「ドグラ・マグラ」に比べると遙かに「普通の」展開だが、長い記事の連続引用による重層的なカットバックや、主人公が夢うつつのうちに外界では活劇が進んだりという、眩惑的な時間線の操作には、近しいものがある。長いダイアローグというかモノローグによるスタティックなシーン。悪夢的な雰囲気。「氷の涯」−前回読んだのはもしかすると10年近くも昔のことであるのに、「宇宙は一つのスバラシク大きな欠伸である。さうして僕は其の中にチョッピリした欠伸をしに生れて来た人間である……」(216頁)は、鮮明に覚えていた。終盤の逃避行の魅力。

 「冗談に殺す」−犯罪心理もの。「爆弾太平記」−爆弾漁業という素材自体と、ストーリーの面白さ。「白菊」−これも一種の犯罪心理ものだが、舞台が幻想的である。「斬られ度さに」−武士道の非人間性。「名君忠之」−これも武士道もの。「山羊髯編集長」−昔から好きな連作短編。記事捏造もの [;^J^]。「難船小僧」−酷い話なのだが、問題の少年が非科学的な疫病神であるかどうか「実験する」という、理知的な船長の凄味。「木魂」−シンプルな展開だが、傑作。高橋葉介の同題の作品も想起。(物語は全く異なるが。)「衝突心理」−佳作。「無系統虎列剌」−これは水準作かな。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Dec 21 2017
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