*2017年06月12日:幻想美術選「アリエルの歌」エドマンド・デュラック
*2017年06月13日:予防接種3回目
*2017年06月14日:ロンドン高層住宅火災
*2017年06月15日:「ヴィジョンズ」「ヒトラーの描いた薔薇」「夜の夢見の川」
*2017年06月16日:「定本 夢野久作全集 2」「時をとめた少女」
*2017年06月17日:群生の写真は難しい
*2017年06月18日:浜松バッハ研究会のコンサート
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*2017年06月12日:幻想美術選「アリエルの歌」エドマンド・デュラック


 「幻想美術選」、第68回。今回から3回のミニシリーズで、「挿絵の黄金時代」の画家を紹介する。

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「アリエルの歌」(エドマンド・デュラック、1908年)

 エドマンド・デュラック(1882〜1953、Wikipedia)(画像検索結果)は、アーサー・ラッカム、カイ・ニールセンと並ぶ、「挿絵の黄金時代」を代表する画家。この作品は、シェイクスピアの「テンペスト」への挿画。この妖精の名前(Ariel)の読み(表記)を「アリエル」とするか「エアリエル」とするか、流派が分かれるようだが、私は「アリエル」を好む。

 第1幕第2場への挿画なのだが、やや解せない。なぜならアリエルは、この戯曲(の第1幕第2場)では、船員を溺死させていないからである..(それに、アリエルはひとりなのに、ここに描かれている(アリエルが変身した)人魚は、ふたりである..)がまぁ、ここを深堀りしても仕方がない。挿絵が本文と合致していないことは、珍しくもないことだからである。

 この、水の表現! 水中の雰囲気! 珊瑚や海星(ヒトデ)の描写! 水死体の表情! そして、この人魚たち(アリエル)の瞳! 人魚の鱗もまた、素晴らしい..

 私を「挿絵の黄金時代」に導いてくれたのは、荒俣宏である。無論、例えばロートレックは、子どものころから知っていたし、デュラックやアーサー・ラッカムやカイ・ニールセンらの絵も、見る機会は、多々あったと思う。しかし、それらをグルーピングし、「挿絵の黄金時代」という概念でくくってくれたのは、氏の名著にして、夢のように美しい「妖精画廊」シリーズであった。

 「もし現代日本に澁澤龍彦がいなかったと仮定したら、どんなに日本はつまらなくなるだろう」、と、喝破したのは、三島由紀夫であるが、「澁澤龍彦」を「荒俣宏」に置き換えてもいいだろう。少なくとも、私はそれだけの恩恵をこうむっている。この「挿絵の黄金時代」ミニシリーズの2人目と3人目も、彼に教えてもらった画家たちであるのだから..

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*2017年06月13日:予防接種3回目


 午前中に浜松赤十字病院に車を走らせ、予防接種(A型肝炎、B型肝炎、破傷風、狂犬病)の3回目。(これで、ワンセット終わり。)なんとか昼前に帰社できた。

 勤務時間中に行くということは、つまり、業務の一環なのである。海外出張の可能性を睨んでのことなのだが..気が重い。[;^J^]

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*2017年06月14日:ロンドン高層住宅火災


 残業せずに、K歯科医院で定期検診。いわゆる予防歯科というやつである。生まれてこの方58年間、虫歯の痛みを知らないのだが、このまま一生、無知のままでい続けようという魂胆なのである。(← 読者をイラつかせて、どうする。[;_ _][;^.^])

 財布の革が、破れかけている..確か5年前、日本SF大会(Varicon2012(@夕張))に参加したおり、新千歳空港で買ったのではなかったかなぁ..もう寿命か。買い換えないと。

 ロンドンで高層住宅火災。映像を見たが、燃え方が異様である。ビル全体が、上から下まで燃えている..また、外壁がボロボロと剥離しているように見えるのだが、どういう材質なのだろうか..

 まだ、取り残されている人がいるらしいのだが..生存しているようには思えない。どう考えても..また、消防が、なんと力なく見えることか..全力を尽くされていることは重々承知しているが [_ _]、中層までしか放水が届かないし、それも、外縁部どまり。このマンションの「芯」から、燃えていると思うのだが..

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*2017年06月15日:「ヴィジョンズ」「ヒトラーの描いた薔薇」「夜の夢見の川」


 最近読んだ本の感想を書くのを、しばらく忘れていた。今夜は、3冊セレクトしてアップしておく。

 ヴィジョンズ(大森望編、講談社)。書き下ろし日本SF短編アンソロジーである。全編、コミック化を前提とした小説、という、少し変わった経緯を持つ。実際にコミック化されたのは(諸事情により)「海の指」のみにとどまった。

 「星に願いを」(宮部みゆき)−「ウルトラマン」/「20億の針」型の共生宇宙人パターンを、ひと捻り。「海の指」(飛浩隆)−諸星大二郎のテーストを感じさせる佳作。「霧界」(木城ゆきと)−その、「海の指」のバリエーション。単純なコミック化では、ない。「アニマとエーファ」(宮内悠介)−「深い穴」とは、AIの「魂の暗黒」か。「鏡」は「未来のイヴ」のテーゼを想起。人工知能(ロボット)SFの大伝統にそっている作品。「リアルタイムラジオ」(円城塔)−もともと、コミック化は無理だったのではないか [;^.^]。「あなたがわからない」(神林長平)−共感能力について。まさに神林長平ならではの、スタイリッシュな構成に痺れる。「震える犬」(長谷敏司)−知能の加速進化の実験台であるチンパンジーたちの運命と、実験を行う側の科学者たちの(争乱に巻き込まれて行く)運命とを照応させつつ、知能(知性)とは何か、人間とは何かという問題をあぶり出して行く力作。

 ヒトラーの描いた薔薇」(Harlan Ellison、伊藤典夫、他訳、ハヤカワ文庫)。ハーラン・エリスンの、日本オリジナル短編集。

 「ロボット外科医」−時代を感じさせることは事実。最後にもうひと捻りあるかと思ったが、ストレートに終わった [;^J^]。「恐怖の夜」−直球勝負の黒人差別もの。SF的な展開はない。「苦痛神」−いわゆる「エリスン神話」。(「(カリスマである)ハーラン・エリスンの神話的エピソード」ではなく、「エリスンが創作した神話」である。)全宇宙にあまねく苦痛をもたらす神、という、まさにエリスンならではの壮大な幻想。「死人の眼から消えた銀貨」−これも「恐怖の夜」同様の黒人差別ものだが、よりSF的というか、主人公(一人称)の設定が、やや人間離れしている。「バシリスク」−これは既読だな。帰還兵(とその家族)への差別/迫害に対する、怒りの告発。超常的存在に介入された(迫害されたる)元兵士は、殺戮者(怪物)となり、神話的結末に至る。忘れ得ぬ傑作!

 「血を流す石像」−キリスト教に対する反感だけで書かれた作品?[;^.^] 容赦ない大殺戮は、いっそ、爽快であるが。「冷たい友達」−「うる星やつら2 ビューティフルドリーマー」の後半を想わせる設定。だからというわけでもなかろうが、漫画的な捻りが楽しい。「クロウトウン」−地下世界(下水道世界)のオデッセイ。「解消日」−ドッペルゲンガーに負けて消されるパターンを、スマートに。「ヒトラーの描いた薔薇」−冤罪でリンチ殺人されたメイドは(理不尽にも)地獄に。真犯人は(理不尽にも)天国に。その不当さを神に訴えても、事務的官僚的で取り合ってくれない。声高に叫ばない、押し殺した怒り。「大理石の上に」−「溺れた巨人」的シチュエーション。巨人の正体は..「ヴァージル・オッダムとともに東極に立つ」−神話的で壮麗なイメージ。「睡眠時の夢の効用」−死と喪失の物語を、悪夢に託して語る。

 夜の夢見の川」(中村融編、創元推理文庫)。いわゆる〈奇妙な味〉の小説のアンソロジー。

 「麻酔」(クリストファー・ファウラー)−このパターンは、いかん..生理的に、読むのが辛い..[;_ _][;^J^]。「バラと手袋」(ハーヴィー・ジェイコブズ)−古道具屋(を営むに至った(偏屈な)昔の友人)の話だが、彼を苛めていた昔のいじめっ子たちが、今は彼に使役されているなど、不穏なムードが微かに漂う。「お待ち」(キット・リード)−これもまたホラーの定型のひとつ、田舎町から脱出できないパターンの秀作である。「終わりの始まり」(フィリス・アイゼンシュタイン)−死んだ母が、介護を巡って不仲になった兄妹を呼び寄せた..のかな。「ハイウェイ漂泊」(エドワード・ブライアント)−なんとももやもやとした読後感..[;^J^]。「銀の猟犬」(ケイト・ウィルヘルム)−寓意を読みとろうとすると、失敗する。銀の猟犬の監視下にあるという不安と恐怖。「心臓」(シオドア・スタージョン)−うーむ、ちょっとぶっ飛び過ぎ [;^J^]。

 「アケロンの大騒動」(フィリップ・ホセ・ファーマー)−軽やか(というか [;^J^])なウェスタン。「剣」(ロバート・エイクマン)−魔法のサーカスパターンだが、やはり読後感はすっきりしない [;^J^]。「怒りの歩道──悪夢」(G・K・チェスタトン)−チェスタトンは、ぶっ飛んでいても読める [^.^]。「イズリントンの犬」(ヒラリー・ベイリー)−人語を話せる犬の悲劇。全体としては、ドタバタ悲喜劇である。「夜の夢見の川」(カール・エドワード・ワグナー)−「黄衣の王」もの。逃亡者が逃げ込んだ屋敷は..力作。

 耳の精密検査(リトライ)の日程決まる。来週22日午後。

 野際陽子、逝去。享年81歳。合掌..

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*2017年06月16日:「定本 夢野久作全集 2」「時をとめた少女」


 最近読んだ本の感想、今夜は2冊。

 定本 夢野久作全集 2」(国書刊行会、西原和海、川崎賢子、沢田安史、谷口基編)。1931〜33年の小説を収める。「意外な夢遊探偵」を除いて全て既読だが、楽しく嬉しく再読した。

 「一足お先に」−事件の真相は判然としない。「霊感!」−印象的な夢野流のコント。「ココナツトの実」−まずまず。「犬神博士」−やはり傑作。少年時代のエピソードだけで中絶したのは残念であるが、このあと続けられたとしても、これ以上の輝きが放たれたかどうかはわからない。とにかく痛快。読む快感に浸りきれる。「怪夢[1]」−夢文学としては、漱石よりも百けんよりも、近代的・都会的でメタリックな手触り。「斜坑」−地底の地獄たる炭坑の描写よし、構成よし。「焦点を合せる」−海上の地獄たる船上生活の描写よし、構成よし、語り口よし。「怪夢[2]」−「七本の海藻」は、どこかラヴクラフトを、「硝子世界」は、「カシオペアのプサイ」の一エピソードを想起させる。「狂人は笑ふ」−まずまず。「幽霊と推進機」−記憶に残る洋上怪談。「ビルヂング」−見えないドッペルゲンガーという、珍しいパターン。「キチガヒ地獄」−どうも辻褄があわず、何か読み落としているかと行きつ戻りつしたが、そもそもそういう話であった [;^J^]。「老巡査」−小佳品。「意外な夢遊探偵」−連作の一部。評価はなんとも..「けむりを吐かぬ煙突」「縊死体」は、水準作という感想に留まる。

 時をとめた少女」(Robert F. Young、小尾芙佐、他訳、ハヤカワ文庫)。この作者の評価が高い日本ならではの、オリジナル短編集。

 「わが愛はひとつ」−冷凍睡眠刑により未来に追放された恋人を、ウラシマ効果で追う。未来へのジャンプを2種類の方法で行うというプロットは「夏への扉」に似ていなくもない、極めてストレートなSF。少女漫画的な感傷は、読んでいて気恥ずかしくもなるが、これは正しい楽しみ方 [;^J^]。「妖精の棲む樹」−既読の佳作。「時をとめた少女」−まさに漫画的な展開。素朴な味わいを楽しめば良い。「花崗岩の女神」−既読。このイメージは素晴らしい。「真鍮の都」−既読の佳作。結末はちょっと拍子抜けするが。「赤い小さな学校」−伝統的なパターンだが、読んでいて少し辛いかな..「約束の惑星」−優秀なよそ者は、結局結婚できず、コミュニティに受け入れられるためには..当たり前の話にしか思えない。クリスチャンは、別のツボを押されるのだろうか..

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*2017年06月17日:群生の写真は難しい


 7:10に出て、7:15にO内科医院。月いちの健診である。7:00開扉で、先頭から7人目であったが、診察は8:30から。必要以上に早く来るのは、早く終わらせたいからである。しばし読書タイム。

 9:20に出て、9:40に、はままつフラワーパーク。今日のテーマは、アジサイとハナショウブであったが..難しいなぁ..

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 まずはアジサイ。アップはともかくとしても、中央の群生の写真で納得いかないのは、現実よりも、花が少なく(小さく)写ることである。現実では、もっと花がたくさん見えるのだ。もちろん、冷静に考えれば、画角が違う(目の前いっぱいに広がっている風景を、10度〜20度(大画面に映して近くから見ても、高々45度)程度の画角で見る画像ファイルに封じ込めている)のが、最大の(原理的な)原因なのだろうが、それでも、この画角で「目の前、いっぱいの花」を表現できている写真もあるのだから..

 ちなみに、右写真(池の写真)は、さりげに魚眼レンズで、左から伸びてくる枝を強調してみた。



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 ササユリ。自己評価では、全部失敗作。光と影(白と影)の対比と構図が、なっていない。せっかくの素材を生かしきれていない。今後の精進の糧とするため、敢えてここに晒して恥をかいておく。



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 難関だった、ハナショウブの群生..何が難しいといって、目の前いっぱい(というか、周囲いっぱい)に広がる「花の群生」のスケール感と高揚感を、捉えられないのだ。先ほど、アジサイの写真のところで書いた悩みと同じ。



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 絞りを開放にしてみたり、逆に絞り込んでみたり、カメラの高さを変えてみたり、いろいろ試してみてはいるものの..



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 なかなか結果を出せないので、アップに逃げたりして..[;_ _] まだまだ伸びしろはある(伸びしろしかない)、と、生暖かい目で見守ってやってください。[;^J^]

 右写真は、クリスタルパレス(大温室)の中。「コクリオステマ オドラティッシムム」である。コロンビアなどの森林に自生する大型の多年草(ツユクサ科)。世界一大きいツユクサだとのこと。



 この温室の中で、もうひとつ、以前からの課題(懸案事項)を再認識させられた。「黄色い花」を、うまく撮れないのである。

 いや、いつもいつもというわけではない。多くの場合はちゃんと撮れるし、実家でパンジーを撮ったときにも、夕陽を浴びて鮮やかに黄色く輝く花弁を撮れたこともある。しかし、以前、自宅前の茂みの中で、小さく可憐に咲く黄色い花を、どうしても「目に見えているような」黄色には、撮れなかった。色が薄くなってしまうのである。いろいろ工夫したのだが..

 今日も、熱帯スイレン(画像検索結果)の撮影にトライを重ねたのだが、どうしても、花芯の鮮やかな黄色が、鮮やかに写らない。(ハナショウブどころではない失敗写真なので、ここには載せません。[;_ _])なんだか白っぽく、薄くなってしまう。ホワイトバランスその他の設定をいじっても、同じ。それにこれは多分、設定の問題ではない。光の当て方の問題だろうか..

 帰宅してから(まだ色彩を憶えているうちに)RAW現像すれば、黄色を補強する(立ち上げる)ことができるのはわかっているが、それは最後の手段だと思うし..[;_ _]

 12:20にフラワーパークを発ち、13:00から16:30まで、湯風景しおり。

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*2017年06月18日:浜松バッハ研究会のコンサート


 10:55に車で出て、イオン浜松西店(ホワイトストリートの南端)で傘と財布を購入。財布については、これがいいですよ、という推薦を受けていた品もあるのだが、今回は、とりあえず「容量」が必要なので(私は、大量のカード類を持ち歩くクセがあるので)、まったくスマートでない、容量だけが取り柄のものを買いました。[_ _][;^J^]

 浜松駅前、新川南駐車場に車を止めて、昼食はアクトシティの中華料理屋で水餃子と炒飯のセット。ビックカメラで防湿ボックスを買い、いったん駐車場に戻って車の中に入れておく。このころよりポツポツと降り始め、早速、傘が活躍する。

 14:00、アクトシティの中ホールで、浜松バッハ研究会の当日券を買う。

「J.S.バッハの系譜」 - I
ハイドン と モーツァルト

2017年6月18日(日) アクトシティ浜松中ホール
指揮:三澤洋史
Soprano:飯田みち代 Alto:森 季子 Tenor:大久保亮 Bass:能勢健司

バッハ・モテット1番
ハイドン・テデウム C-Dur II
モーツァルト・レクイエム

 ..である。14:30開場、15:00開演。

 モーツァルト以外は、久々に聴く曲であった。バッハでは楽器が通奏低音だけで、あ、そーかそーか、というありさまで..[;_ _][;^J^]

 もっとも私に響いたのは、やはり聴き慣れている「モツレク」である。これまで数十年間にわたって聴き続けてきた、さまざまな超一流の名演と比較すると(← これが、「リスナー」のイヤなところというか「クセ」なのだが [;_ _][;^J^])、それらに互すとは言えないところは、仕方がない..というか、そもそも比較する必要などない。この名曲を、しっかりと「実装」というか「実現」「音響化」して、届けてくれただけでも、大変なことである。モーツァルトの本質は、しっかりと踏まえていたと思う。バッハでも同じことは言えるし、ハイドンは、あまり馴染んでいない曲なので、そこまで言えるかどうかは自信が無いのだが [;_ _]、年古りたリスナーの直感としては、間違いのない再現をしてくれていたと思う。

 終演は、17:00。ちょっと買い物をして、何時に帰宅したのかは、忘れた。防湿庫を、ストッパーボックスを使ったありあわせのものから、本日購入した専用機ならぬ専用箱に置き換え。まだカメラやレンズは入れずに防湿剤(乾燥剤)だけ入れて、まずは湿度測定から。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Jun 22 2017
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