*2017年02月20日:幻想美術選「“フローラの神殿”より“夜の女王”」ソーントン
*2017年02月21日:ネットは網羅していない
*2017年02月22日:なぜ“ボケ味”にこだわるのか
*2017年02月23日:3月の展覧会観覧予定
*2017年02月24日:「濠を浚渫中」
*2017年02月25日:モルゴーアの新譜だ [^J^]
*2017年02月26日:確定申告など
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*2017年02月20日:幻想美術選「“フローラの神殿”より“夜の女王”」ソーントン


 「幻想美術選」、第52回。今回ご紹介するのは、銅板の植物図譜「フローラの神殿」よりの一葉。イギリスで刊行されたすべての植物図譜の頂点に君臨するばかりでなく、フランスで制作された、やはり植物図譜の金字塔「ルドゥーテ図譜」をも凌駕していると言える..その「技法」と「コンセプト」において。

Picture

「“フローラの神殿”より“夜の女王”」(ソーントン、1800年)

 まず、「作者」について。厳密にいうと、ソーントンは「制作者(プロデューサー)」であり、画家ではない。この「夜の女王」について言えば、画は、花をフィリップ・ライナグル、背景をエーブラム・ペサーが描き、彫版はウィリアム・ダンカートンが担当している。約30葉からなる図譜であるが(葉数が曖昧である理由は後述する)、各葉ごとに画家も彫版家も異なるので、一般に、刊行者(制作者)の名前を「作者名」として使う。実際、本書のために私財を投じ尽くして、貧困と失意のうちに世を去ったソーントンの情熱なかりせば、決して作られることのなかった図譜なのだから、これは正当な扱いというべきだろう。

 「技法」について述べよう。約30葉の美しい植物図のそれぞれについて、スティップル、メゾチンント、アクアチント、線刻から最もふさわしい銅板技法を選び(そのエキスパートを招き)、しばしば組み合わせ、また、手彩色を施すケースもある。画家も、それぞれの花、あるいは背景に最も適している人材を起用しわけているのだ。ここまで凝りに凝った図譜など、少なくとも従来は、まったく存在しなかった。

 「コンセプト」についても述べなくてはならない。たった今、書いたばかりのことであるが、ドラマティックな「背景」。さらに言えば、花にたかる昆虫などの(少なくとも植物学の図鑑という観点からは)「夾雑物」が描き込まれているのが本書の決定的な特徴であり、それらはしばしば、ソーントン自身によって書かれ(演出され)たロマンティック(かつ幻想的)な、文学的なバックグラウンドを持っているのである。

 言うなれば、各葉ごとに「ドラマ」を持っているのである。このような植物図譜(図鑑)も、これまでまったく存在していなかった。一葉ごとに詩文が添えられているわけではないが、クローズアップで描かれた美しくも幻想的な花々と、その花に相応しい、あるいは意想外の背景の組み合わせは、「詩」そのものである。

 枚数が曖昧であるのは、第二版では初版から図葉が追加されたり省略されたり、あるいは差し替えられたりしたからである。これは、「摩耗」する「版」を使っている以上、ある程度、避けられないことである。そして(ここが重要なのだが)「フローラの神殿」の最高傑作ともされる、この「夜の女王」も、第二版で差し替えられているのである。(これが差し替えられた理由は、「版の摩耗」ではない。第二版では、花が2輪になったほかに、背景が熱帯になった、という決定的な違いがあるからである。ソーントン自身、やはり、熱帯の花の背景が北部イギリスの寒々しい夜景ではおかしい、という(常識的な [;^J^])判断に振れたのだろう。)

 私が「フローラの神殿」の本物を観たのは、3年前、町田市立国際版画美術館でである。(言うまでも無いことだが、版画なので、「本物」は世界中に数十セット存在する。浮世絵と同じである。)初版だったか第二版だったかは記憶にないが、あまりの美しさに魅了された私は、のちに、復刻本を古書で入手した。いまやわが廃墟城の宝物のひとつである。(たかだか数万円かそこらの買い物であるが、数百万以上しなければ宝物とは呼べない(呼ばない)などという歪んだ価値観からは解き放たれている私であることは、言うまでも無い。)

 リブロポートから1990年に刊行された、この豪華な復刻本は、1812年に刊行された「第二版」を復刻したものであるのだが、「夜の女王」のみ、1800年に刊行された「初版」のバージョンも、付録として収録している。それは、この両者とも、まったく甲乙つけがたい、植物画の驚異的な傑作だからである。では、どちらを「幻想美術選」に載せるか..数時間にわたり迷いに迷った私は、結局、初版の「夜の女王」を、ご紹介することにした。この、イギリス北部の森林と(やや廃墟めいた)城館の前に浮かぶ、熱帯の大輪の花、という、超現実的な(まさに夢のような)光景に、魅入られたからである。(..が、数時間も迷ったのは伊達ではなく、第二版の「夜の女王」も、息をのむほどの素晴らしさなのだ。いずれ、こちらもご紹介するかもしれない。)

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*2017年02月21日:ネットは網羅していない


 若い世代ほど、この罠に引っかかっているのであろう。

 「ネットでなんでも調べられると思うな。」

 世の中には(世界には)、ネットに(あるいは、この言い方のほうがお気に召すのなら「クラウド」に)載っていない、厖大な量の情報があるのである。

 私のフィールドの例で申し訳ないが [;^J^]、たとえば古本。いまどきは、古本も Amazon だけから探す(Amazon になければ「諦める」)人が珍しくないのだろうが..あんなのは、本当に、井戸の底なんだからね。ネットに在庫目録はアップしているものの、Amazon やヤフオク(などのマーケット)に出品していない古書店は多数あるし、そもそも、ネットに在庫目録をアップしていない古書店の方が多いんじゃないだろうか? BOOK OFF のような大手ならいざ知らず、中小の(あるいは零細)古書店にとって、ネットに「正確な」在庫目録をアップし、それを売れたり仕入れたりするたびにリアルタイムで更新していく、ということが、いかに甚大な負担であるか、少し考えれば、すぐにわかる。専従のアルバイトを最低1人は雇わなければならないだろうが、そんな余裕がどこにある。(「正確に」「リアルタイムで」なければ、まずいのだ。アップした情報と現物が違っていたり、ネット上では「在庫有り」となっているのに、買おうとしたら「在庫無し」だったりすると、たちまち噛みついてくるクレーマーは、残念ながら珍しくないからだ。これへの対応もまた、看過できないコスト要因である。)

 だから、北海道だろうが沖縄だろうが、リアル店舗(変な言い方 [;^J^])に足を運ばなければ出会えない古書、というのは、存在するのである。

 一事が万事。古書ばかりではなく、およそ森羅万象、ありとあらゆる事象と情報のうち、ごく一部にしかネットではアクセスできない、と、肝に銘じておきなさい..まぁ、こう言うのが、一番手っ取り早いんだろう。「外に出ないでネットばかり見てると、損するよ」

 P.S.

 今夜のタイトルは、もちろん、「ネット」と「網羅」を掛けているのである。不注意な読者のために、注記しておく。

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*2017年02月22日:なぜ“ボケ味”にこだわるのか


 週に1度か、2週に1度ぐらいしか練習できないため、なかなか上達しないのだが [;_ _]、私が写真撮影でこだわっているのは「ボケ味」である。もちろん、ケースバイケースであって、すみずみまでピントが合っていないとまずい写真ではパンフォーカスにするが、デフォルトは「ボケ味」。それは何故か。

 それは、私が強度の近視だからである。

 最近は測り方が違うらしいのだが、私が若かった頃の測定の仕方では、両目とも「0.01以下」である。今はもう使っていないのかもしれないが、壁に貼ってある、視力検査用の、「○」の上下左右のどこかが切れていて下にいくほど小さくなっている図表。(昔は、ひらがなが書かれていることもあったが、いつの頃からか「○」に統一された。)「一番下が見えれば2.0」だったと思うが、もちろん私は裸眼では、一番上も見えない。そういう被験者は、床に書いてあるマークのところまで(段階的に)進んで(近づいて)検査するのであるが..私は、一番前(図表の、ほぼ直前)まで近づいても、まだ、一番上の一番大きいやつが見えない..まぁ、大体、そのぐらいの視力である。(これに、老眼と乱視も加わるわけだが、閑話休題。[;^J^])

 一般に、不利なことしかないと思われているであろう「強度の近視」だが、ひとつだけ、普通の視力を持っている人より有利なことがある。楽しみなことがある。

 それは、夜景である。別にイルミネーションである必要はない。バスに乗って、メガネを外しさえすればいい。窓の外を後ろに流れてゆく、なんの変哲もない散文的な光が、まさに幻想の王国! 個々の点光源が巨大な光の球となり、しかもそれぞれが「内部に構造をもっている」。こんな表現で伝わるかどうかはわからないが、「氷りついた打ち上げ花火」! それが、バスの進行とともに、抜きつ抜かれつ、後ろに流れてゆき、あるいは着いてきたり、先に飛び去って行ったり..あまりの面白さに、読書も忘れる..(あ、自分でハンドルを握っているときは、こういう自殺行為はしておりませんので、ご安心を。[;^.^])

 ..というわけで(どういうわけだ [;^J^])、私は、写真の「ボケ味」にこだわっているのである。まだまだ、自分の裸眼で見える世界の足元にも及ばないものしか、撮影できていないけどね。

 鈴木清順、13日に逝去。享年93歳。慢性閉塞性肺炎疾患。合掌..

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*2017年02月23日:3月の展覧会観覧予定


 3月の展覧会観覧予定を、ざっと洗い出してみた。

*ギャラリーコンシール渋谷
 「線画展2017
 3月6日(月)〜3月12日(日)まで

*太田記念美術館
 「江戸の絶景〜雪月花
 後期:3月3日(金)〜3月26日(日)まで

*Bunkamuraザ・ミュージアム
 「これぞ暁斎! 世界が認めたその画力
 〜4月16日(日)まで

*東京藝術大学大学美術館
 「雪村−奇想の誕生−
 3月28日(火)〜5月21日(日)まで

*国立西洋美術館
 「シャセリオー展―19世紀フランス・ロマン主義の異才
 〜5月28日(日)まで

*国立新美術館
 「ミュシャ展
 3月8日(水)〜6月5日(月)まで

*国立科学博物館
 「大英自然史博物館展
 3月18日(土)〜6月11日(日)まで

 まだまだ会期に余裕のあるものが多いが、3月11日(土)〜12日(日)に上京して、4〜5件、一気に回る予定である。

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*2017年02月24日:「濠を浚渫中」


 昨日読んだ。どこのネットニュースだか忘れた。

 ツイッターを拾い読みして取材したらしいのだが..「「濠を浚渫中」という看板は読めないよね〜」、という話題を取り上げており、これが、国語力の低下を嘆く記事ならばともかく、記者が「読めない」人たちにシンパシーを感じているというか、そもそも「読めないのが前提(読めないのが当たり前)」という論調の記事なので、さすがに目をむいた。「(この看板が工事現場で目撃されたので)工事現場の業界人なら読めるのかも知れませんね」..

 ..あのなぁ..[;-_-]凸 ..って、書くのも空しいが、歯を食いしばって、書く。

 「濠を浚渫」は、「読めても書けない」字の代表例ではないか。つまり、「読めて当然(読めるのが前提)」なのである。(当然、あなたは読めるでしょうね、そこの読者! [^.^]◎)もちろん、私も読める。書くのは..「濠」と「浚」は、間違える(書けない)要素がない(容易に推測できる)が、「渫」は難しい。書けないかも知れない..と、素直に白状しておくが..しかし、読めろよ、このぐらい..[;-_-][;-_-][;-_-]凸

 プレミアムフライデーだったらしい。へ〜。

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*2017年02月25日:モルゴーアの新譜だ [^J^]


 7:00にに出て、O内科、T整形外科、アマノ書店、とハシゴして、11:00から13:40まで湯風景しおり、クリーニング出しして、14:15に帰宅。(1文でまとめてしまった。[;^J^])

 帰宅してから、今月号のレコード芸術誌を読んでいたら、モルゴーア・クァルテットの新譜の広告! 「トリビュートロジー」である [^J^]。さっそく、予約しなくては。[^.^]

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*2017年02月26日:確定申告など


 7:35に車で出て、確定申告のためアクトシティへ。長蛇の列..といっても、80人ぐらいか。9:00からの予定だが、寒くもあるので、お上の温情 [;^.^] で、8:30には開場、8:45からスタート。10:00には手続き一式片付いた。(あとは、郵便局で納付するだけ。)

 どうして、自宅で e−Taxしないのか、と、不思議に思われるだろうが..カードリーダーを買うのが嫌なのだ。もちろん、金の問題ではない。年に一度しか使わないソフト/ハードは、維持しきれない。年賀状用のプリンタを買っていないのと同じことである。(確定申告と年賀状を一緒にするな、無礼者! [;^.^]凸)

 谷島屋メイワン店、ビックカメラによって、13:55に帰宅。録画をいろいろ片づけるが、BD−BOX、2タイトル(推定合計16時間)に着手する根性は、捻り出せなかった。[;_ _][;^J^]

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Mar 2 2017
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