*2016年11月07日:D750 が故障? [/_;]
*2016年11月08日:博多駅前大陥没
*2016年11月09日:D750 復調 [^.^]/トランプ当選
*2016年11月10日:幻想美術選「聖アウグスティヌスの伝説の廃墟」モンス・デジデリオ
*2016年11月11日:「手塚治虫のエロティカ」
*2016年11月12日:車検など
*2016年11月13日:11月の展覧会観覧予定(再考)
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*2016年11月07日:D750 が故障? [/_;]


 大道芸ワールドカップin静岡 2016の結果だが、ホームページによると、

【ワールドカップチャンピオン】リ ウェイ中国
【シルバー賞】ウィラー ニコロディスイス
【ブロンズ賞】コミックトリオ エクイヴォキーウクライナ

 うーむ..「ウィラー ニコロディ」は素晴らしかったし、「リ ウェイ」も「コミックトリオ エクイヴォキー」も、悪くはなかったと思うが..「チン チャン ミー」と「ジャグリング タンゴ」のどちらかは、なんらかの賞をとるべきであると思っていたけどなぁ..

 快晴。朝、珍しいことをやらかしてしまった [;_ _]。勘違いして、家を出る時刻が1時間遅かったのである [;_ _]。5分ぐらい車を走らせてから気がついたが [;_ _]、普段からもともと早く出社していたこともあって、ぎりぎりセーフ。[;_ _][;^.^]

 帰宅後、D750(カメラ)の機能を、取扱説明書を読みながら再確認していて、気がついた。オートフォーカスが効かない。AE/AFロックボタンを押しても機能しないし、AFモードボタンを押しながらメインコマンドダイヤルを回してモードを変えようとしても、反応しない..設定の問題(わけのわからんモードに迷い込んだ)かな? 故障かな [/_;]? カスタマーサポートに電話だな..深夜は営業していないので、今週末か..あ、今週水曜日の午前中に半休を取得しているから、そこがチャンスかな。

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*2016年11月08日:博多駅前大陥没


 ニュースを見て驚いた。博多駅前の道路が、ものの見事に道幅一杯、陥没! 周囲のビルは大丈夫なのだろうか..地下鉄工事の失敗らしいが..私もよく知っている場所である..

 これほどの大事故にも関わらず、死傷者ゼロということにも、驚いた。(停電にともない、暗い階段で転んで怪我をしたご老人は、いらっしゃったようだが。)事故発生が、まだ人通りも交通量も少ない早朝だったという僥倖もあったようだが、それにしても、この大穴に落下する可能性はあったわけである。

 初動は見事だったという。陥没の気配を察知して、すぐに待避し警察に通報した現場作業員。すぐに交通規制をしいた警察。すぐに避難勧告を出して避難場所を確保した市役所..関係者全員、神対応だったという。素晴らしい。素晴らしいが..陥没しないほうが、わりと素晴らしかったんだけどね。[;^J^]

 詳述はしないが、業務に影響あり。想定外の残業のトリガーとなった。[;^.^]凸

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*2016年11月09日:D750 復調 [^.^]/トランプ当選


 快晴。午前半休。8:00前に車で発って、浜松医療センターへ。(歩いても10分とかからないのだが。[;^J^])耳鼻科のM先生に予約しているのは9:00だが、早めに着くと、早めに診てもらえることもありますのでね。

 右耳の症状の経過報告。もはや、(日常生活に支障があるほどの)「ボコボコ」現象ではなく、(たまに邪魔に感じる程度の)「ゴトゴト」現象だが..消えてはいない。軽快してはいない。ただ、多くの場合、「我慢できる(あるいは無視できる)」水準ではあるのだ。たまに、「うるさいな..[;_ _]凸」、と、感じることは事実だが..右耳の筋肉を切るという、侵襲性の高い、非可逆な(つまり、思わぬ悪い結果が出たときに、戻すことができない)手術に踏み切る勇気は、ない..(その手術のリスクは極めて低い、と、セカンドオピニオンでも太鼓判を押されているにも関わらず..)

 10:20に帰宅。まだ出社時刻まで余裕があるので、ニコンのカスタマーサポートに電話。D750の症状を伝え、オペレータの指示どおり操作しても、症状変わらず。(もっとも主要な「操作」は、「レンズの装着し直し(と、端子の掃除)」..そうか、オートフォーカス機能は、レンズ側にあるのか..)カメラとレンズの通信が出来ていない。修理誘導となる。

 購入店であるビックカメラ(浜松駅前店)に持ち込んでもいいのだが、この際、紹介された「ニコン ピックアップサービス」に登録して申し込んでみるか..と、電話を切ってから考えつつ、念のため、もう一度、レンズの装着し直しをしてみたら..なんと、生き返った!

 このとき、実は私は、やってはいけないことをやっていたのである。つまり、うっかり、電源を切っていなかったのだが..その後は、確認の及ぶ限り、まったくの正常動作..ま、まさかの、電気ショック療法? [;^.^] ..とにもかくにも、結果オーライ。また、オートフォーカスはレンズ側の機能であり、不調があれば、通信機能が疑わしいということも憶えた。今日のカスタマーセンターコールは、有意義であった。(ちなみに、「電気ショック療法」というのは、概念的には、「映らないテレビを蹴飛ばして治す」のと、同程度の技術水準である。[;^.^])

 出社時刻の11:00が近い。「ニコン ピックアップサービス」への登録は、あとあと。(何かが喉元を過ぎていったし..[;^J^])

 帰宅時、寒い! 風が強い!

 トランプ、まさかの逆転勝利。これを、「どんな人間にも“可能性”がある民主主義の素晴らしさ」ととるか、「こういう事態を防げない民主主義の恐ろしさ」ととるか..どちらも正解だが..いずれにせよ..

 大統領候補と大統領とは、違う。政治は、プロレス興行ではない。

 彼の任期は、今回彼に投票した人々を失望させ続ける4年間となるだろう。それは、彼が牙をもがれ続け、妥協し続け、丸くなり続ける4年間となるからだ。

 そして不満はこれまでにもまして、溜まる。溜まった不満は、外へ誘導するのがセオリー..

 ..中国のように..

 いなし続け、我慢し続け、やりすごす以外、打つ手はないだろう..M体質の日本なら、凌げるはずだ。

 アメリカも、いつかは、正気を取り戻す。

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*2016年11月10日:幻想美術選「聖アウグスティヌスの伝説の廃墟」モンス・デジデリオ


 「廃墟通信」内の、いちコーナーたる「幻想美術選」であるからこそ、一刻も早くご紹介したかったのである。この、「廃墟の画家」を。第37回にして、ようやく順番が回ってきた。

Picture

「聖アウグスティヌスの伝説の廃墟」(モンス・デジデリオ、制作年不詳)

 「廃墟の画家」というよりは、「廃墟と崩壊の画家」である。この作品においても、廃墟の一部が、今まさに崩れ落ちているところである。モンス・デジデリオの作品の全てが「廃墟画(崩壊画)」というわけではないが、今に残る作品の多くはこのジャンルであり、20世紀になってから、シュルレアリストたち(あるいはその文脈に連なる評論家/書籍)によって再発見/再評価されて以来、廃墟の画家として認識されてきた。

 Wikipedia を読んでも、たいした情報は記載されていない。伝記的なデータとしては、17世紀はじめにナポリで活躍したことと、(おそらく)実態は二人であったことぐらいか。類書を読めば、多少は詳しい情報を得られるが、本質的にはたいして変わりはない。忘れ去られていた数百年のうちに、多くのデータが失われてしまった..まさに「廃墟の画家」に相応しい運命というべきかも知れない。

 それにしても、この画題はなんなんだろう..? 廃墟のある海辺にいる聖アウグスティヌスの足元に、子供がいるようだが..(ブラウザで拡大していただかないと、わかりにくいかな?)


聖アウグスティヌスはある日海辺で一人の子供に出会う。その子供は小さな柄杓(ひしゃく)で海水を砂浜の小穴に汲み取ろうとしていた。当時「三位一体論」を起草していたアウグスティヌスが子供に向かって、大海の水をその小さな穴に全て汲み取ることができると思うのかと訊ねると、子供は、天の教えの一切を悉くあなた一人の知性に汲み取るよりは易しい、と答えたという。

(「モンス・デジデリオ画集」(トレヴィル、ピナコティーカ・トレヴィル・シリーズ 1、88頁より))

 (..言わんとすることは解るが、小生意気なガキだ [;^.^]凸。殴ってやりたくなるが、どうせ、神か天使の化身である。大人の対応が求められるところだ。[;^J^])実はこの作者の、この画題の作例は多い。よほど気に入っていたように見えるが..しかし、このような「画題」は単なる口実というかアリバイに過ぎず、本当に描きたかったのは、「背景」となっている「廃墟」であることは一目瞭然..いや、明らかにこちらが主役なのである。

 無論、この世にあり得ぬ組み合わせの建造物群(さまざまな時代の様式の混交物)であり、それ自体が幻想絵画と呼べるが、それらは無惨に朽ち果て、破壊され..そう、まさに、「動的」に崩壊している真っ最中なのである。「静的(スタティック)」な「廃墟」ではなく。

 妙な連想だと思われるだろうが、「インセプション」。よくもまぁハリウッドで、これほど複雑で解りにくい(しかも面白い)設定の映画を作ることができた(企画がとおった)ものだと感心したが、その話題をふくらませている場合ではないので、閑話休題 [;^J^]。この映画の終盤。夢のなかの夢のなかの夢のなかの..いちばん底の、夢の世界。そこを構成しているのが、「海辺で崩れ落ちる、廃墟の連なり」だった! もう少し画面が暗ければ、もろに、モンス・デジデリオの世界、この絵画の世界だったのである!

 私は、この連載ではしばしば、「この絵の中に入りたい..」「この絵の中で、何時間でも過ごせる..何日でも..あるいは一生でも..」、と、素直な心情を語っては、読者を引かせているのだが(自覚はあるんですよ [;_ _][;^.^])、さて、この絵の場合は、どうか..「廃墟通信」の主として、「廃墟」こそは、魂の故郷ではないのか..

 ..実は、あまり、入りたくないのである。この絵に限らず、モンス・デジデリオの作品には..なにか、「圧迫感」を感じるというか、「息苦しい」のである。

 この作品ではそれほど目立たないが、彼の作品の建造物は、人体彫刻で「ぎっしりと」埋め尽くされている例が、非常に多い。そして、空間恐怖症ではないかと疑われるほどの描き込み..ある精神分析学者は、この画家を「統合失調症である」と断じているが、その当否はともかくとして、言わんとすることは、わかる。

 幻想画家の作品世界(空想世界)が、現実を反映していない、その画家のインナースペースであると、一応、仮定しよう。(自明だと思われるかも知れないが、実はそうでもない..ここではふくらませないが。)モンス・デジデリオのインナー・スペースは、どこか「狂気じみている」のである。「狂える神が作った世界」に見える。あたかも、ハーラン・エリスンの最高傑作(だと私は思う)「死の鳥」(中編SF小説)のごとく..あるいは、作者(画家)の「魂の地獄」を感じるといってもいい..この世界に入ることは、恐ろしい..(..などと、実に「らしい」感想を書き連ねているが、現実のモンス・デジデリオが、クライアントの求め(「地獄的な、狂気を感じるような、廃墟画・崩壊画を描いてくださいよ〜」)に応じてビジネスライクに描いていた、健康的な画家だったらどうしよう..[;_ _] その可能性は、低くないと危惧しているのだが..[;_ _][;^.^])

 倉田が「死ぬほど好きな作品」であり、「作品群」であることには、変わりはない。しかし私はそれを、「外側から」観ていたい..

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*2016年11月11日:「手塚治虫のエロティカ」


 今日は、むしろ暑い。11月とは思えない。体調が逆に不安定になる。

 今週月曜日(7日)発売の「新潮」12月号に、手塚治虫の新発見の未発表原稿(というか、手遊び(てすさび)のエロティックなスケッチ)が掲載される、という情報を、先週末にネットで得ており、早速月曜日に(無事)購入しておいたのだが、その後の成り行きは予想どおり..

 ..ヤフオクに大量出品され、開始価格はプレミア付き。売り切れを見越しての買い占め&高値放出であるのだが、昨日の報道によると..


 「エロス」をテーマとした手塚治虫の遺稿を初公開した雑誌「新潮」12月号が、売り切れ続出だったため重版される。新潮社が10日発表した。19日以降順次、書店に並ぶという。

 手塚の仕事場の机とロッカーから2年前に発見された遺稿約200点のうち、「エロス」をテーマに選んだ29点を「手塚治虫のエロティカ」と題し掲載した。初版は通常の1・5倍となる1万1500部を刷って7日に発売したが、全国で売り切れ書店が続出し、5千部の重版を決めた。同誌の重版は、筒井康隆さんの小説「モナドの領域」を掲載した2015年10月号以来。(小原篤)

(朝日新聞デジタル 2016年11月10日 17:36 より)

 ..というわけで、買い占められた皆さん、お疲れさまでした。[_ _](ここで誤解しないで欲しいのだが、私は、彼らの行為が「悪い」ことだとは、思っていない。当然の商行為である。(まぁ、手塚治虫に興味も関心もない一般読者には、理不尽な売り切れという形で、迷惑をかけたわけだが..))

 ちなみに内容は、「春画」的なものではなく、手塚お得意の「メタモルフォーゼ」ものである。女体から獣へ、あるいは非生物(自動車など)へ、さらには、まったく異様な形状の物体へと変態(メタモルフォーズ)してゆく、あるいは、その逆、などなど..素直にエロティックな発想のものもあれば、いったいどこから(何をみて)思いついたんだ、と、疑うような、グロテスクなものもある。なかなか見応えがあり、しかも、手塚プロはこれを出版する(書籍化する)予定はない、と、公言しているのだから、「将来の値上がりを見越して、バックナンバーを大量に仕入れておく」、という発想は、少しもおかしくはないのである。

 吾妻ひでお関係のイベントが割り込んできて、上京の予定を組み換える。

 月が綺麗だったので、D750で試し撮りをするが、難しい..標準キットのレンズ(AF-S NIKKOR 24-85mm f/3.5-4.5G ED VR)と、三脚無しの手持ち撮影では、この程度が限界なのかな? そんなわけはあるまい。最低でも三脚は必要なのだろうが、このカメラとレンズの組み合わせのポテンシャルを、まるで引き出せていない(使い方がわかっていない)という自覚は、ある。(さすがに恥ずかしくて、写真は掲載できない。[;_ _][;_ _][;_ _])

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*2016年11月12日:車検など


 快晴。9:10頃、車で出て、9:20頃には浜松日産伊場店へ。9:30営業開始であるにも関わらず、この時刻に受け付けてくれた。キューブの車検である。

 9:35に出て、徒歩で10:20に帰宅。クリーニングと、スーパーで買い物。10:55に自転車で発ち、11:10に湯風景しおり。例によって、少し湯に浸かってサウナで軽く汗を流したあとは、もっぱら、「膳処 花の木」で読書。ほか、Mixi ニュースの拾い読みも。ちょっと引っ掛かった記事を2件。

 日本のサーカス団は、最盛期から激減しているのだが、生き残り組である「木下サーカス」は、実は、「ボリショイサーカス」「リングリングサーカス」と並ぶ、「世界三大サーカス」の一角を成しているとのこと。敢えて入場料は安く押さえて(「シルクドソレイユ」などとは、真逆の方向)、日常の身近な娯楽(誤解を恐れずに言えば、身近なローカルな遊園地(けっして、ディズニーランドなどではなく)のアトラクション的な)に徹する道を選んでいるとのこと。

 多分、私は、「木下サーカス」を観たことは、ないのではないかと思う。前にも書いたかも知れないが、私の数少ないサーカス体験の記憶は..おそらく、半世紀ほども昔の、北九州時代(小学生時分)。小さなテントの土間にゴザがしかれていて、体育座りをしていた記憶があるので、(今では陶太されている可能性が高い)ローカルでマイナーなサーカス団だったのではないかと思う。記憶しているのは、「足芸」。土台となるひとりが横たわって、垂直に立てた脚で、障子を(縦に)支える。もう一人がその障子に乗り、スラスラと和歌を書き、障子の陰から顔を出したときには狐のお面を被っており、それは子どもには非常に不気味に見えた。彼(彼女?)はまた、指先で狐の影絵を作って、障子に映したりした..当時は理解できなかったが、今から思えば、疑問の余地なく「葛の葉」である。和歌は(子どもには読めなかったが)例のやつだろう。当然ながら、やすやすとやってのけていることもあり、子ども心に「簡単そうな芸だなぁ..」と思ったものであるが、遙か後年になって、実は「足芸」は熟練を要する、極めて難易度の高い芸であり、それに比べれば、見た目には派手な空中ブランコなど、度胸と腕力があれば、さほど難しいものではない(いや、それはそれで難しさはあるのでしょうが..)、と、サーカス出身者に聞いた。

 もう1件。「チューボーですよ!」が、この年末に最終回を迎える件についての考察記事。(もはや(観ていない)私にとっては、ニュースでもなんでもなかったので、廃墟通信では、年内に終わることに言及していませんでしたが。)..まぁ、理由も何も、「十分、長く続いたから」というのが、最大の要因だろうが(どんな番組にも、寿命はある)、読者からの声として、「局アナがアシスタントをしなくなってから、いきなりつまらなくなった」、というのがあった。これは実感として、私もそのとおりだと思う。局アナ(女子アナ)が出演しなくなってから、終焉に向けてのダッチロールが始まった、という、感覚がある。(まぁ、「すみれ」時代は全部観た(つきあった)が、そのあとの「吉村祟&森星」時代は、1回しか観ていないので、公平で客観的な評価はできないのだが。[_ _])

 誤解して欲しくないのだが、私には、すみれや吉村祟や森星をディスるつもりは、ない。それぞれ、精一杯、役割をこなしていたと思う。ディスるとしたら、番組にあったタレントをキャスティングできなかった、制作陣である。「吉村祟&森星」時代にいたっては、「アシスタントが2人もいて、さらにゲストが来るのだから、絵的にうるさい。誰がゲストなのかすら、わからない」、という声も紹介されており、なるほど、確かにそりゃそうだろうなぁ、と、思わされたのだが、これなど完全に、制作陣のミスである。おそらく、「吉村だけでは華がないので、モデルも足しておくか」、あるいは、「モデルの子だけではトークが持たないので、使える芸人を足しておくか」、の、どちらかの判断だったのだろうが..番組終焉間近の「迷走」というのは、このようなものだ。

 浜松日産伊場店から電話。当初の見積もりでは10万を少し越えるぐらいであったが、要交換部品が5点以上みつかり、最終的には15万程度。仕方ないなぁ..[/_;]

 15:00に湯風景しおりを退出し、帰路、布橋で写真を撮るなど道草をして、16:00に帰宅。

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*2016年11月13日:11月の展覧会観覧予定(再考)


 快晴。9:40に自転車で出て、某所で1時間半ほど過ごし(悪所ではありません [;^J^])、11:50、帰宅。

 17:15頃、徒歩で改めて自宅を発ち、18:00、浜松日産伊場店。車検上がりのキューブを受け取る。

 11月後半に片づける展覧会予定を考え直し、いくらか追加した。

*松濤美術館
 「月―夜を彩る清けき光
 後期:〜11月20日(日)まで

*東京国立博物館
 「禅―心をかたちに―
 後期:〜11月27日(日)まで

*根津美術館
 「円山応挙 「写生」を超えて
 前期:〜11月27日(日)まで
 後期:11月29日(火)〜12月18日(日)まで

*山種美術館
 「速水御舟の全貌 ―日本画の破壊と創造―
 後期:〜12月4日(日)まで

*千葉市美術館
 「文人として生きる−浦上玉堂と春琴・秋琴 父子の芸術
 前期:〜12月4日(日)まで
 後期:12月6日(木)〜12月18日(日)まで

*太田記念美術館
 「生誕150年記念 水野年方〜芳年の後継者
 〜12月11日(日)まで

*サントリー美術館
 「世界に挑んだ7年 小田野直武と秋田蘭画
 〜1月9日(月・祝)まで

*森アーツセンターギャラリー
 「マリー・アントワネット展
 〜2月26日(日)まで

 東京国立博物館の「禅展」は、どうせ前期を見逃しちゃったし、後期もいいや、もぅ..と、うじうじと拗(す)ねていたのであるが [;_ _][;^J^]、いい歳して、そういう態度は可愛くない、これまでも、半分しか観られなかった展覧会は、山ほどあるじゃないか!、と、己を叱咤激励して、激混み必至の後期展示を観に行くことにした。(..どうしてそこまでしなくちゃなら(← 疑うな立ち止まるな! 止まると死ぬぞ! [;^.^][;^.^][;^.^]))

 それよりも深刻なのは、根津美術館の「円山応挙展」の(前期は無理なく行けるが)後期の「11月29日(火)〜12月18日(日)まで」という日程と、千葉市美術館の「浦上玉堂と春琴・秋琴」の(前期は無理なく行けるが)後期の「12月6日(木)〜12月18日(日)まで」という日程である..どうしよう..もしもこの両者とも観るとすれば、「12月10日(土)/11日(日)」か、「12月17日(土)/18日(日)」しか、チャンスがないぞ。前者だったら、4週末連続上京だ [;^.^]。後者でも似たようなもんだ..というか、ほとんど年末である。[;_ _]

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Nov 17 2016
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