*2016年10月24日:幻想美術選「動植綵絵 老松白鳳図」伊藤若冲
*2016年10月25日:電通の件
*2016年10月26日:「君の名は。」
*2016年10月27日:「シベリウスの交響詩とその時代」
*2016年10月28日:遠足前夜かよ [;^.^]
*2016年10月29日:大妖怪展/竹谷隆之展/智積院/三十三間堂/八坂神社/ぽんと
*2016年10月30日:大徳寺/御土居
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*2016年10月24日:幻想美術選「動植綵絵 老松白鳳図」伊藤若冲


 「幻想美術選」、第35回にして、ついにようやく案の定、この画家の登場である [;^J^]。流行(はやり)ものかよ、ケッとか、誹らないでいただこう。私が彼に注目したのは、昨日今日のことではないのだから。

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「動植綵絵 老松白鳳図」(伊藤若冲、1766年)

 霊獣..神獣..魔獣..幻獣..(鳥だから、霊鳥、神鳥、魔鳥、幻鳥か..)「鳳凰」なのだから「霊鳥」が一番相応しいかと思うが、ここはジャンルとしての「幻獣」に入れさせていただくとして..私は、これほどまでに美しい「幻獣」を、見たことがない。あなたは、あるか?

 私はこの作品を、東京都美術館で開催された「生誕300年記念 若冲展」で観ている。最終的には桁外れの入場者数となり、5時間待ちになったことでも話題になった展覧会であるが、私は1時間待ちで入れる時期に行き、この絵を至近距離で、とことん凝視した。しかしそれだけでは(実物を観るだけでは)この絵の真価はわからない。6年以上前に購入した「伊藤若冲 動植綵絵 全三十幅」(宮内庁三の丸尚蔵館、東京文化財研究所、小学館)。まるで調査報告書のごとき、この大判で高価な書籍には、超高精細の拡大写真が詳細な調査研究結果と共に満載されている。この解像度の拡大写真でないと、「動植綵絵」の本当の凄さはわからない。肉眼の限界を越えているのだ。それをjpegでご紹介している私もどうかとは思うが [;_ _] ..せいぜい高解像度でスキャンしておいたので、拡大してディテールを味わっていただきたい。

 それにしても、なんという美しさ、なんという禍々しさだ! 絡み合う輝く羽根は、もはやメドゥーサ。どう見ても、「幻獣」というよりは「凶鳥」。極楽よりも、地獄が相応しい。

 美しすぎるものは、「魔」と化すのである。ルシフェルのごとく..シレーヌのごとく..

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*2016年10月25日:電通の件


 自殺された方については、ご冥福を祈るしか無いが..[_ _] しかし、今頃になって鬼の首を取ったかのように電通を糾弾しているマスコミは、まったく、信用するに値しない。なぜなら、電通の仕事のハードさたるや、少なくとも私の学生時代(40年ほど前)から公知であり、つまり、それよりさらに数十年は遡って、ハードな仕事の社風でありそれを知られていたと、強い蓋然性を持って推測出来るからである..まぁ、当時はブラック企業という言葉はなかったし、一概には否定的に捉えられていなかったことは、事実であるが。

 学生時代に聞いた、笑えないジョークがある。

 とある電通社員が、深夜、タクシーに乗って、「うちの会社は、まったく、人使いが荒いよ..」と、ぼやく。客が電通社員だとは知らない運転手は、こう言って慰める。「お客さん。電通とIBMが勤まれば、どこの会社でも大丈夫だと言うじゃありませんか。お客さんの会社なんか、まだましな方ですよ」..IBMの実態は、当時も今も、知りませんが。[;_ _]

 今秋初めて、ついにようやく、コタツを出す。

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*2016年10月26日:「君の名は。」


 終業後、残業せずに速攻で会社を飛び出し、高丘のアマノに寄って、まず、SFマガジンなど購入。帰宅してから、サンストリート浜北の20:10の回のチケットをネットで購入し、再度自宅を車で出て、道すがらクリーニング出しして、サンストリート浜北に19:00着。結果的に1時間余裕が出来たので、サイゼリヤでパスタ。

 というわけで、ようやく、「君の名は。」を観た。以下、ネタバレ無しなのでご安心ください。(これだけ大ヒットしたあとで、もう気にする必要はないだろうという人もいるかも知れないが、当然、「まだ観ていないが、観るつもりである(楽しみにしている)」人はいるのだから、もういいだろう、という勝手な判断でネタバレを書いてはいけない。また、ネタバレを読んでしまうことを気にしないタイプの人もいるのだが、その逆の人も当然いるのだから、安全側に倒さなくてはならない。)

 極力、情報を遮断しておいて、観た。事前に知っていたのは、男女入れ替わりものであること、流星がらみのSFであることぐらいである。(予告編から読みとれる情報なので、これはネタバレとは言えない。)..なるほど。「良くできた「日本SF」」である。(誉め言葉である。)なんとも懐かしい気分になった。第一世代の日本SF作家が、こういう作品をよく書いていたように思う。

 序盤は、どうなることかと思ったのである。なによりも、今どき、手垢まみれの「男女入れ替わりもの」? 一体、物語をどこに着地させるつもりなのかわからず、落ち着かなかった。それが、中盤というか、例の展開で、あ、そういうことかと..つまり、「アレ」のパターンだったわけね..と。(ここで、作品名どころか、作者名を出しただけで、全てを見通してしまうタチの悪いSFファンが大勢いるので、迂闊なことは書けないのだが..[;^J^])..まぁ、私も、「怪しいな、伏線くさいな」、と、思いながら観ていたのではあるけれど..この町というか舞台の地形をね。(きわどい発言は、ここまでとしておく。)

 先述したように、「良くできた「日本SF」」だと思うし、悪くないと思う。絵は美しいし。だからここでは、敢えて「プロコン(賛否)」の「コン(否)」の部分を書いておこう。(そこら中のブログで絶賛されているんだろうから、それらと被るのも徒労感があるしね。[;^J^])

 とにかく、脚本が整理されていないと思う。この物語のメインフレームは、もっとすっきりと実装できる。無駄が多い..なによりも、(ええい、思い切って書いてしまえ [;^J^])このふたりが入れ替わる必然性が、無い。こんなにややこしい設定にして、「えーと、今、どっちが入ってるんだ?」、と、オーディエンスを悩ませる必要は、無い。この作品を酷評した人のブログがあちこちで炎上しているようだが、(面倒だから見に行かないが、)おそらく、このあたりのことを指摘しているのではあるまいか。

 ただ..まぁ、「やりたかった」んだよね。作りたかったんだよね、こういうの。ではもうこちらには、何も言うことはない。無駄が多いとは思うが、無駄もまた文化であり、価値である。交響曲にたとえれば、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」は、無駄がまったくない、西洋音楽史上、もっとも完璧な交響曲だと思うが、こういう作品だけが尊いのではない。無駄と饒舌だらけのシューベルトやマーラーやチャイコフスキーやブルックナーの交響曲にも、素晴らしい価値がある。(..なんか、守りに入ってるな、私。[;^.^])

 なんにせよ、この大ヒット。圧倒的多数の客は、青春映画/恋愛映画として受容し、感動したのである。素敵なSFだからヒットした、のでは「ない」から、そこんところ、勘違いしてぬか喜びしないように > SFな人たち。[;^.^]

 22:50、帰宅。

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*2016年10月27日:「シベリウスの交響詩とその時代」


 シベリウスの交響詩とその時代 神話と音楽をめぐる作曲家の冒険」(神部智、音楽之友社)読了。非常に面白い。例によって、抜き書きしておこう。

 「レンミンカイネン」の章からは、

 シベリウスの音楽がこのように鮮烈なイメージを呼び起こすのは、作曲者のファンタジーが緻密で多彩な表現世界を生み出しているからである。それは作品の重層的な内部構造・要素それ自体がイメージの飛翔を力強くうながす音楽、あるいは音と意味、音楽表現と記号作用が高度なレヴェルで聴き手に働きかける音楽といってよい。そこでシベリウスが取った方法は、世界観の雄弁な詳述をできるだけ避けて、心象風景をいわば暗示し、喚起するというやり方であった。いうまでもなく、これはシンボリズムの基本的な方法である。多くを語らず余白に物をいわせる口調は、もともとこの寡黙な作曲家の持ち味でもあったが、もしかしたらシベリウスは例の苦しいワーグナー体験を通して、世紀末シンボリズムの動向に急速に接近していったのかもしれない。
 なかでも〈トゥオネラの白鳥〉には、そうした傾向がはっきり認められる。1901年、指揮者ワインガルトナーがこの作品をベルリンで演奏した際、ドイツの評論家たちはこぞってそれをシンボリズムの巨匠アルノルト・ベックリン(1827〜1901)の絵画と比較したという。確かに〈トゥオネラの白鳥〉の無限に広がる静寂、超然とした世界は、孤独と幻想が夢記憶のなかで交差したようなベックリンの代表作『死の島』に通じる何かがある。その幽遠たる音調は、暴力的な〈トゥオネラのレンミンカイネン〉と鮮やかなコントラストをなしており、トゥオネラという死をつかさどる異界の、もう一つの究極的な音楽表現といえる。
 シベリウスがそこに「白鳥」の観念を取り入れたのは、白鳥の持つ象徴的な意味性を作品の表現世界に織り込もうとしたからだろう。

 ..まぁ、このあたりはシベリウスファンには常識だろうが、「死の島」への言及が嬉しい。

 「ポヒョラの娘」の章からは、

 シベリウスの精神的スタンスで強調しておきたいのは、彼が同時代のさまざまな芸術動向と絶えず向かい合い、そららと思索的に対決しながら自己の作風を醸成していったことである。なぜかシベリウスの創作活動をヨーロッパの諸潮流と隔絶させたがる向きがあるのも事実だが、それは彼に対して「孤高の作曲家」「あわただしい機械文明と距離をおく純粋な音楽家」「雄大なフィンランドの大自然と交感する神秘的な芸術家」というレッテルを貼ろうとする一部の人びとの偏見、または先入観に過ぎない。辺境の地アイノラへの移住がそうした連想を助長させたことは事実である。しかしその一方、当時のシベリウスが汎ヨーロッパ的でコスモポリタンな土壌の上に立ち、急激な変化を迎えつつあった20世紀初頭の音楽界に真っ向から挑んでいこうとした点は見逃せない。その限りにおいてシベリウスは、1860年代生まれの同時代人たち、たとえばマーラー、ドビュッシー、リヒャルト・シュトラウスと何ら変わりはないのである。

 「ルオンノタル」の章からは、

 ただし同時点でシベリウスが選んだテクストは『カレワラ』第1章ではなかった。興味深いことに、それはアメリカの作家エドガー・アラン・ポー(1809〜49)が1845年に発表した物語詩『大鴉』(The Raven)なのである。厳密な理論にしたがって精妙に組み立てられた『大鴉』はポーの代表作の一つであり、幻想性と論理性を合わせ持った傑作として広く知られている。なかでもその詩的効果は群を抜いており、読み手に強烈なイメージを喚起するなど、意外だがシベリウスの音楽とつながる要素も認められよう。詩の内容は、ある荒涼とした冬の夜、大切な女性レノーアを亡くした主人公が打ちひしがれているところから始まる。やがて彼の書斎に一羽の不気味な鴉がやってくると、部屋の片隅に止まって動かなくなる。いぶかしく思う主人公の問い掛けに対して、鴉は「ネヴァーモア(二度とない)」という言葉を繰り返すのみ。その不可解な言葉だけを発する鴉と会話をしているうちに、レノーアを失った主人公の悲しみが増幅していく。そしてついには鴉の影に魂がとらわれてしまい、深い闇の奥底に追い詰められて二度と立ち上がれなくなるというもの。
 かくしてシベリウスは意気揚々と《大鴉》の筆を執るのだった。ところが、創作はすぐに暗礁に乗り上げてしまう。(中略)そして四つ目の要因は、すでに最終段階に入っていた交響曲第四番の作曲が《大鴉》より優先されたからだろう。

 以下、ポーの作品に基づく音楽創作は、20世紀初頭のヨーロッパ音楽界では珍しくなかったこと、シベリウスが若い頃からポーに親しんでいたこと。そして、《大鴉》のスケッチから、多くの楽想が第四番のフィナーレに転用されたこと..第500小節からの譜例には、歌詞(Nevermore)も当てはめられている!

 こうしてシベリウスは、作曲に難航していた《大鴉》の素材を交響曲第四番のうちに転化、吸収させることで前者の創作にピリオドを打った。

 要するに《ルオンノタル》のテクストにおいてシベリウスは、『カレワラ』第1章の中心的な要素ともいえるルオンノタルの懐妊、彼女の産みの苦しみ、そしてヴァイナモイネンの誕生に関する部分を、すべて、ばっさり切り落としてしまったのである。代わりに彼が強調したのは、存在の孤独という極限状況だった。

 「タピオラ」の章には、フリードリヒの絵画『海辺の僧侶』への言及もある。[^.^]

 とにかく、「大鴉」とのリンクが、何よりも嬉しく驚いた。「シベリウス」(なかんずく「交響曲第4番」!)と「エドガー・アラン・ポー」(なかんずく「大鴉」!)という、私の二大フェイバリットが結びついていたとは..!! いずれにせよ、本書は座右に置き、再読・三読しなければならない。


 三笠宮様、逝去。享年100歳..正しくは薨去(こうきょ)なのだが、いったい読める人が、何%いるのか。読みについてはルビを振ればいいとしても、どういう意味か、無駄な問い合わせが増えるであろうことを危惧して「逝去」ですませるマスコミが多いことは、まったくやむを得ないと思う..(世の中には、辞書もひかず、ぐぐりもしない人が、驚くほど多いのである。問い合わせ電話をかけるよりも、圧倒的に速く解決するのにね。)

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*2016年10月28日:遠足前夜かよ [;^.^]


 明日からの週末、また上洛である。

 上京する回数の方が遙かに多いが、上京(東京行き)は、「旅行」ではない。実家が横浜だということもあるが、完全に、「生活圏内の移動」なのである。それに対して、京都は違う。実は東京よりも近いのであるが、こちらは完全に、ウキウキ気分が伴う「旅行」である。近年、結構足を運んでいるので、ごく一部のエリアについては土地勘もついてきたのだが、いつまでたっても飽きない..いつ行っても、新鮮なのである。

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*2016年10月29日:大妖怪展/竹谷隆之展/智積院/三十三間堂/八坂神社/ぽんと


 6:10に自宅を出て、7:10に浜松を発つこだまで西へ。9:43に大阪の天王寺。10分後(開館5分少々前)に、あべのハルカス美術館。「大妖怪展 ― 土偶から妖怪ウォッチまで」(後期:〜11月6日(日)まで)である。

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 今回も、十分に楽しめた。既知の作品が多いのだが、まず、江戸時代(幽霊画、錦絵、版本を含む)、そして時代を遡って、中世の絵巻、屏風。さらに(源流としての)六道絵、地獄図。どんどん遡って、縄文時代。そして現代に一気にジャンプして「妖怪ウォッチ」、というデザインは、見事である。結局、図録は買わざるを得まい、と判断した [;^J^]。また、図録を購入したことによって、(図版によるのだが)スキャンが可能になった。

 前期展示のとき、葛飾北斎の「天狗図」を、画像検索結果という形で紹介したのだが、ろくな画像が検索できなかったので、スキャンしたものをここに貼り付けておく..すごいでしょ。これが北斎だとは、信じられないでしょ。20年ぐらい昔の少年漫画雑誌の表紙だと言われても、信じてしまうレベルである。



 10:50に退出し、すぐに24Fへ。大阪芸術大学 スカイキャンパス (あべのハルカス24F)。「竹谷隆之の創作神マクタカムイ展」(10月29日(土)〜11月30日(水)まで)である。(パンフ表パンフ裏)(「ク」は本当は半角カタカナなのであるが、私は、半角カタカナを忌み嫌う 教団 宗派に属していますのでね。[;^J^])

 展示作品数は少ないのだが、堪能できた。初日ということで作者のサイン会があったので、サインをいただいて、11:40に退出。JR京都線。12:50頃には、京都駅前。おや、ポツ雨である。降らない予報だったんだけどな。

 13:10、バスで智積院。曇天だが、雨は上がった。D750による撮影練習の結果を、以下、読者の迷惑を顧みずに貼り付けていくので、うざい方は、いちいちクリックして拡大しないように。[;_ _][;^J^]

 実のところ、ここ(智積院)は、時間調整だったのである。当初の心づもりでは、京都に着くのはもっと遅く、18:30には京都駅からほど遠からぬところで待ち合わせしているので、あまり時間がとれない。京都駅から遠い場所まで往復していると、時間がもったいない。京都駅から近い西本願寺や東寺は既に訪れている..ということで、三十三間堂と決めていたのだが、ここだけでは間が持たないので、その近くに「ついでに」何かないかと地図を眺めていて、見つけたという次第でして [;^J^] ..これが、大当たり。[^.^]

 とにかく、「収蔵庫」(宝物殿)が、素晴らしい! 長谷川久蔵の「桜図」、長谷川等伯の「楓図」、などなど、すべての障壁画が、国宝か重文。この空間を、5分以上も独り占め! いつもこんなに空いているのかしら? すげえ穴場である!

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 そしてここでまず、ひと恥かいておこう [;^J^]。「名勝庭園」の失敗写真である。どこが失敗なのかは、拡大するとわかる。「手ブレ」しているでしょう。手持ちでHDR機能(異なる露出で自動的に連写して、合成する)を使おうとして、この始末 [;^J^]。なぜHDRしようとしたのかというと、この雲の微妙な陰影を写したかったからである。(地上をこの明るさで撮ろうと露出を設定すると、空が真っ白に飛んでしまうのだ。)まだまだ修行が足りないなぁ。



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 左の写真は、大師堂へ向かう途中じゃないかな。実はこれもHDRを使っているのだが、今回は手ブレもしておらず、なかなかいい感じである。雲の表情も、よく捉えられている。右の写真は、大師堂への階段。暗い林。左に、白く光る街灯があるのだが、これ、わりと眩しかったのである。その「輝き」は、表現できないなぁ..



 14:50に退出し、10分後、徒歩ですぐ近くの三十三間堂..

 ..なんなんだ、この混み方は [;^.^]。修学旅行の団体×2 + 外国人の団体×1、ぐらいの大惨事? [;^.^] すぐそこの智積院はあんなに空いているのに..これが、格差というものか!

 ..でまぁ、三十三間堂は、建物もコンテンツも、それは確かに見事なものであるが..要するに、ここにはこれしかないのである。普通、寺と言えば、複数のお堂と庭園などなど、見所満載なのであるが..ここはもう、仏罰を恐れず、正直に書いておこう [;_ _]。「まるで、倉庫みた〜い!」..ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい..[;_ _][;_ _][;_ _][;^.^]

 15:45に退出し、ここから徒歩20分(京都駅に戻る方向に歩き、七条大橋を渡ってすぐ)のドミトリー(予約しておいた今夜の宿)にチェックイン。昔懐かし、三畳間である [^.^]。1人部屋とは、ありがたい。てっきり相部屋だと思っていたのだが..

 荷物を下ろし、身軽になって、16:25に出る。待ち合わせの18:30にはまだ早いので、八坂神社へ。七条大橋を渡り直して、京阪本線でふた駅。16:40に祇園四条駅。ここが待ち合わせ場所である。徒歩で5分程度で八坂神社。

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 トワイライトと夜景の撮影練習に来たのであるが、まだそこまで暗くはない。(ちなみに、今回の小旅行では、これ以降、HDR機能は使っていない。)南楼門なのだが..不思議な失敗写真である。ぼけてる意味がわからない。おおかた、オートフォーカスのポイントを間違えたのであろう。雑な撮り方をしていたというわけだ。己を戒めるために、ここに晒しておくことにする。[_ _][;^.^]



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 左の写真。境内には屋台がたくさん。よく知らないが、祭りの日? それとも、この神社は毎日こんな感じ? いずれにせよ、この雰囲気は、数日後に始まる「大道芸ワールドカップin静岡」に近い。要するに、予習である。右の写真は、舞殿。雲がいい感じで撮れた。



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 この鳥居は..北門じゃないな。東北門かな..ここで不思議なことに気が付く。空が青く写り始めたのである。この色、嫌いではないが、現時点では、まず、見えているものを見えているように撮影したい。ホワイトバランスぐらいしか、原因を思いつかない。そこで実験。




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 ホワイトバランス「AUTO」(正確には「AUTO1」)。空も雲も青い。



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 ホワイトバランス「AUTO2」(電球の色を残す「AUTO」)。電球の色が暖かくなり、現実に見えている色に近づいたが、空の色はますます離れる。



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 試しに、空(雲)だけ撮ってみた。見事に、現実に見えている色で写る。これが本当の色(灰色)である。地上の何かに引っ張られて色が変わるのだ。



 ..奥が深い..今のところは、時間の都合もあり、これ以上、追い込めない。こういう現象が起こることを認識できただけでも、よしとしよう。

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 暗いところを暗く写すのが、今の私のテーマである。左はホワイトバランス「AUTO1」。右は「AUTO2」。やはり、「AUTO2」の方が、電球の色の再現性がよい。周囲は真っ暗だし、空を写さない限り、問題はない。



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 南楼門から観る、祇園の夜景。こういう夜景では、低速シャッターにして、車のライトをビームにしたりするのが定番だが、そんなスピード感を出すと、逆に賑わい感が損なわれるので、普通に写した。(← 嘘です。シャッター速度を落として効果を試すことなど、全く思いつきませんでした。[;_ _][;^.^])



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 待ち合わせ場所の、祇園四条駅に戻り、待つあいだ、付近の夜景をいろいろ撮ってみる。左は、鴨川。右は、暗い樹木。もっと不気味に撮りたい。



 18:30、Kさんと落ち合う。橋を渡って、鴨川沿いの「ぽんと」という居酒屋へ。川沿いの席に案内してもらえました。[^J^](さすがに窓は閉まっていたけど。[;^J^])

 さて、これから4時間近く、飲み食いしながらおしゃべりしたのだが..楽しい会話というのは、大体、憶えていないものなのだが(その時間が楽しければ楽しいほど、主観的にはたちまち過ぎてしまうことも一因か)、思い出せる限り(箇条書き的に)書いておこう。

 今日の倉田の(大阪、京都の)収穫について。

 「大妖怪展」について。結局、図録を買ったこと。(図録を見ながら、)大多数の作品は既知だし、自宅の画集や図録のどれかに含まれているのだが、展覧会全体の構成がよく、これだけで、書籍としての値打ちがあることと、いくつか極めて珍しい、見たこともない妖怪図が掲載されているために、買ったこと。

 京都観光の話。

 カメラの話。見えているように撮るのは難しい。人間の目は、あちこちに露出やピントを合わせつつ、しかも同時に見ている。機械で普通に撮影すると、そのようには写らない。(以下、この日記を書きながら思いついた、当日、話を広げ忘れていたこと → つまり、人間の目が見ているのはフィクションであって、本当の世界、本当の光景ではない..まぁ、何をもって、本当の世界というかという突っ込みはあるのだが。そもそも、限られた周波数しか見ていないわけだし..(SFネタだが。))

 倉田の部屋はどうなっているんだ。床は抜けないのか。録画メディアは、HDDに吸い上げた上での処分を大々的に行った..それでもまだ、膨大にあるが。本の裁断だけは、いやだ。そんなことをするぐらいなら、そのまま古本屋に持っていく。

 Kさんのお子さんが受験のお年頃らしいので、そこから広げた話題。英語。昔、翻訳者の矢野徹がエッセイに書いていたのだが、中学の英語の教科書を「音読」すると、(そこに、文法の基礎は、みなあるのだろう、)メキメキ英語力が向上したとのこと。倉田はいまや英語がからっきしなので [;_ _]、昔の教科書とは言わないが、中学の英語の教科書で復習しようかと..Kさん曰く、今の教科書ではそんな効果は得られないのではないか。何故なら、会話ばかりだから..なんということだ。今の英語教育は、そういうことになっているのか。もちろん、英会話の授業の教科書なら、会話ばかりでもいいのだが、英語だろ。大丈夫なんかいな。

 英語の教科書ではなく英語の副読本の話だが、倉田は、中高生の時代に、確か、アガサ・クリスティを読んだ(読まされた)。「夜鶯荘」だったと思う。また、教科書には、サキが載っていた。「開いた窓」だったと思う。これらは、結構手強かった。ぼんやり読んでいると、結末の意味がわからず、モヤっと感だけが残る。[;^J^]

 倉田は、海外の美術館に遠征はしないのか。海外にも行きたいが、金沢に行きたい。それと、倉敷。

 倉田は有吉の大ファンである。出演番組を追っかけてると、それこそ、時間がどれだけあっても足りないので、「有吉反省会」だけに絞っている。それと、「ロンハー」をたまに見るので、レギュラーとしての有吉を。

 「ロンハー」は、気に入った企画のときしか見ない。見ない週の方が多い。それは、ドッキリ企画が多いから。倉田は、ドッキリが、大嫌い。

 有吉は、謙虚で礼儀正しい。それが人気の秘密か。苦労したということもあるのだろうが、倉田が見るに、有吉は「頂点を極めていない」。芸人あがりのMCとして、ビートたけしや明石屋さんまの後がまを狙える(本人が狙っているかどうかは知らないが)ポジションにいるのだが、たけしやさんまは、芸人として頂点を極めた。有吉は、違う。また、ミリオンセラー歌手ではあるが、歌手として頂点を極めたわけでも、もちろん、ない。つまり、有吉はある意味、何者でもない。だから謙虚なのだろう(倉田の見方では)。それが今後、強味になるかどうかはわからないが。

 日本は中国や韓国から実にさまざまなものを輸入して消化して自分のものにしたが、「科挙」と「宦官」は、輸入しなかった。歴史的大正解。それと、これは倉田も近年に至るまであまり認識していなかったのだが、「儒教」も結局、まともには輸入しなかった。儒教が流行ったのは、江戸時代まで。明治以降、授業で「論語」はやるにしても、儒教社会にはならなかった。大体、普通の日本人が知っている「論語」は、「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」(← そりゃそうだろう [;^J^])どまりであり、毒にも薬にもレベル [;^.^]。本気で儒教社会になってしまった韓国は、大変である。なにしろ、儒教というのは、支配者にとってだけ、都合がいい教え。男尊女卑。「述べて作らず、信じて古を好む」..日本人が入れ込まなかったのは、大正解。

 それと..脈絡は思い出せないのだが..「夢」の話をしたはず。将来の夢とかではなく、眠っている間に、見る夢。話の続きも覚えていない..なぜ、こういう中途半端な記憶だけがあるのかというと、そういうことなら、「君の名は。」に話を振ろうと思ったものの、それを忘れていた、ということを、憶えているからである。役に立たないメタ記憶だ。[;^.^]

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 22:10にお開き。今夜も楽しかった [^J^]。ありがとうございます。写真は、七条大橋から見る鴨川。22:30に、宿に帰る。



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*2016年10月30日:大徳寺/御土居


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 6:30にチェックアウトし、徒歩で6:45に京都駅。近くて便利。取り敢えず、京都タワーの写真を。



 バスで7:55、大徳寺。もちろん、まだどこも開いていない。まずは案内所で地図をもらい、どこをどう回ろうか、作戦を立てる心づもりだったのだが(首尾よく、地図ゲット)..ひどすぎる 広すぎる。[;^.^]

 以下、訪れた順に記しておく。「聚光院」(創建450年記念特別公開、狩野永徳筆『琴棋書画図』(国宝)、方丈庭園、茶室、千住博筆『滝』など)、「龍源院」(方丈室中襖絵「竜の図」など)、「黄梅院」(特別公開、前庭、雲谷等顔筆 本堂障壁画(重要文化財)など)、「興臨院」(特別公開、方丈庭園など)、「大慈院 泉仙」(昼飯、精進料理)、「瑞峯院」(独坐庭など)、「総見院」(特別公開、表門、土塀、信長公木造、信長公一族の墓など)。

 なぜここまで細かく書き留めておくかと言うと、全体の半分少々しか見られなかったので、再訪する機会があれば、効率よく、残りを片づけられるように、である。

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 左写真は、興臨院の方丈庭園。右写真は、11:00に昼食(ランチの「ゆり」コース)を食べた泉仙の入り口。



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 多分、時間的に、瑞峯院の鬼瓦。(ぼけ味を出して楽しんでいるだけだろうって? 当たりです。[;^.^])



 12:30過ぎに、へっとへとになって、大徳寺を出る [;_ _][;^J^]。12:40、今宮神社。ここには用はなくて(失礼な奴だ [;^J^])、この参道にある「あぶり餅」が目的である。北側の店。「一和」といったかな。

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 う..う..う..うまっ!(倉田の菓子に対する感想としては、極めて珍しいタイプである。)これは、ガチでお薦め。



 13:00過ぎに出て、店員さんたちに鷹峯旧土居町の御土居(Wikipedia)の場所を訊き、徒歩でスタート。数百メートル通り過ぎてしまったが、無事に辿り着けました。[;^.^]

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 中央の写真は、左写真とは違う角度からで、そちらでは菱形の金網で囲われていたので、レンズをそれにくっつけて網を極力ぼかしてみた。かなり気にならないレベル..というか、ぼかしもここまでくると、ほとんど透けるのね。右は、チルトモニターを駆使し、高く掲げて金網の上から撮影してみた。チルトを使うと横長になる(というか、上下が切れる)の? ..奥が深い..[;_ _][;^.^]



 14:00、御土居を離脱し、京都駅を目指す。バスを掴まえて、14:30に地下鉄北大路駅。14:59、京都発のこだまで、16:39、浜松着。ビックカメラと八丁蔵に寄って、18:40、帰宅。

 疲れたけど、楽しかった〜。[^.^]

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Nov 3 2016
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