*2010年06月28日:ガンダムエースのシャアトランプ
*2010年06月29日:「不思議の扉 時をかける恋」
*2010年06月30日:孤島の1枚
*2010年07月01日:「ラピスラズリ」
*2010年07月02日:デパートの屋上への郷愁
*2010年07月03日:インフラ失格
*2010年07月04日:手ぶらで富士登山
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*2010年06月28日:ガンダムエースのシャアトランプ


 特に決めているわけではないが、毎朝、5:30〜5:45頃に起きて食事、6:15から6:45までウォーキング、7:00までにシャワーなどを済ませ、ひと休み&身支度してから、7:15頃に車で出勤..という段取りである。(休日には、ウォーキングが70分になる。)言うまでもないが、ウォーキングから帰ってきた頃にはひと汗ふた汗かいており、シャワーがなかなか快適なのであるが、今朝は、ウォーキング開始前、まだ一歩も歩き出さないうちに、すでに最初のひと汗が。[;^.^]

 「ガンダムエース」の今月号の附録は、「シャアトランプ」である。面白くないこともないので、保存しておこうかと思ったら..なんと、「1」「2」「3」「4」「5」「6」「7」「8」「9」「10」「J」「Q」「K」という配列であり、茫然とした。いうまでも無く、トランプの配列は、「2」「3」「4」「5」「6」「7」「8」「9」「10」「J」「Q」「K」「A」である。「A(エース)」を「いち」と呼ぶ人がいるのは知っているが、(そして、点数計算のときに「A」を1(または11)と数えるゲームが存在するので、彼(または彼女)を一概に「無知」と決め付けるのは控えているのだが、)「A」のかわりに「1」と印刷されているカードを見たのは、初めてである。

 編集部(及び製作スタッフ)の誰ひとりとして、おかしいとは思わなかったのだろうか? ポーカーやブラックジャックをプレイしたことは、無いのだろうか? まず間違いなく、無いのだろう。「ハートのエース」や「スペードのエース」という言葉を聞いたことも、無いのだろう。ほとんど人類史に等しい長さをもつトランプの歴史がまとってきた、夢もロマンも知らないのだろう..

 いうまでも無く、即刻、ゴミ箱行きである。(..もしかして、「ガンダムA(エース)」誌なだけに、「A(エース)」を忌避したとか? ..我ながら書いていてわけがわからんが。[;^.^])

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*2010年06月29日:「不思議の扉 時をかける恋」


 ブレランの全部入りボックス(「『ブレードランナー』製作25周年記念 アルティメット・コレクターズ・エディション・プレミアム(5枚組)」)を、ようやく全部(約26時間)観終えた。やれやれ [;^J^]。貴重な映像資料が満載されているが、特に興味深かったのが、「ファイナルカット」編集時に行なわれた、ゾラが殺されるシーンのリテイクである。このシーンはそもそも(ゾラ役の)ジョアンナではなく、スタントマン(スタントウーマン)が演じていたのであるが、なんと、スタントのヘアスタイルが違うのである。これはブレランの有名な「ダウト」シーンのひとつなのであるが [;^J^]、今回がこれを修正する最後のチャンスだったのだ。

 どうやって修正したのかというと、ゾラ役のジョアンナが(本来のヘアスタイルで)ブルーバックで上半身だけフィルムでの動きと合わせて(同期させて)演じ、そこから頭部の映像だけを切り出して嵌め込み合成したのである。こんにちの技術としてはありふれたものであり、そこに驚きはない。驚いたのは、「25年を経てもなお、ジョアンナの顔がゾラとして通用した」ことである [;^.^]。いやまったく、素晴らしい。

 同様に、デッカード(ハリソン・フォード)の演技も、一箇所、差し替えられた。口の動きと言葉が全く合っていないという、これも有名な「ダウト」シーン。ただしこちらは、ハリソン・フォードのスケジュールを押さえられないということで、彼の息子のベンが、父の頭部の演技を差し替えた。偶然にも当時のハリソンと同じ年齢(40歳)だったこともあるが、頭部の形が全く同じで、注意深く観ないと別人であることがわからないほどであり、これはこれで、やはり驚いた。[;^J^]

 書き忘れていたが、Twitter に使ってる iPhone アプリは、以下である。

* Twitter(無料)
紹介記事)別に「公式アプリ」だから導入したというわけではなく、Twitter とはなんじゃらほい、という状態だったので、とりあえず無料のものを選んだまでである。(「公式アプリ」であるということには、あとから気が付いた。)どうも、Twitter 社が「公式」と言ってしまった(というか、よそから買ってきて「公式」と銘打った)ことが波風を立ててしまっているらしいが、私の知ったことではない [;^J^]。他のアプリを知らないのだが、私の現在の(軽い)使い方の範囲では、これで必要十分である。

 本日読み終わった本についても、書き留めておこう。「不思議の扉 時をかける恋」(大森望編、角川文庫)- このシリーズの続編である「時間がいっぱい」を、先に読んでいた。「美亜へ贈る真珠」(梶尾真治)、「机の中のラブレター」(ジャック・フィニイ)の、両・超鉄板(超合金級)と、シニカルなようでシニカルでない「浦島さん」(太宰治)が既読。未読だった「エアハート嬢の到着」(恩田陸)(「ジェニーの肖像」の本歌取り)、「Calling You」(乙一)、「眠り姫」(貴子潤一郎)を含め、全て素晴らしい傑作。

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*2010年06月30日:孤島の1枚


 「孤島の1枚」という設問は、普通はレコード(別にCDでも構わないが)を指し、「孤島にただ1枚のレコードしか持っていけないとすれば、何を選ぶ?」、と、問うものである。調べたわけではないが、バッハかモーツァルト(あるいはジャズ畑における、バッハ、モーツァルト的な立ち位置のアーティスト)が選ばれることが多いような気がする。

 今夜、ふと考えてみたのは、「音楽」ではなく「絵画」の「孤島の1枚」である。さらに言えば物理的な「孤島」にこだわらず、たとえば、「全人類のうちただひとり生き残ってしまったあなたのもとに、ただ1枚の絵画が残され、荒涼たる廃墟の中で(あるいはシェルターの中で)死ぬまでの残り数十年間を、そのただ1枚の絵画と共に過ごさなければならない」、という、ありふれた [^.^] 状況設定としてみたい。

 さて、私なら、何を選ぶか..もう、その絵しか存在しないのだ。その絵の「世界」に入り込むしかないのだ..空間が必要だ。それも、広大な空間が..その絵に直接描かれている以上の、茫漠たる時空間の広がりと、全人類史すら幻視できるほどの幻想美が..

 ..もちろん、人さまざまであろう。その絵について予めもっている「追憶」が支配的であることもまた、言うまでもあるまい。だから、普遍的な回答は、あり得ないのである。以下の私のセレクションも、そういう前提で眺めていただきたい。

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 「聖アントニウスの誘惑」(ヒエロニムス・ボッシュ、1505-06年頃)- はい、そこの人、いきなり引かないよーに [;^.^]。荒野で修行する聖アントニウスを悪魔が誘惑する、という、西洋絵画史上でも私がもっとも愛惜してやまない画題の代表作といえば、やはりこの作品。いっけん、まるで地獄風景のごとくであるが、注意深い鑑賞者であれば、ワンダーランドとしての本質を見落とすことは無いはずだ。「幻想交響曲」(ベルリオーズ)の最終楽章(「サバトの夜の夢」)を想起するのもいいだろう。この愉快で楽しい悪夢世界の中でならば、一生、飽きずに生きていける自信がある。



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 「バベルの塔」(ピーター・ブリューゲル(父)、1563年)- 中景から遠景にかけての情報量がいささか少なく、「世界風景」とまでは呼べないのであるが、とにかくこの建造中の(そしてけっして完成しない)塔の存在感が圧倒的である。塔の「外」の情報量などは問題にならない。なぜなら私は、この(永遠に完成しない)巨大な塔の迷宮の中で、死ぬまで彷徨い続けるのだから..(同じテーマで複数のバージョンが制作されているが、私はこのバージョンを最も好む。)



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 「メランコリア」(アルブレヒト・デューラー、1514年)- この絵の中に「入り込めるか」と問われれば、それは少し違う、と答えざるを得ない。ただ、何故か、いつまで見ていても見飽きない、不思議な作品なのである。入り込むことはできない(しにくい)にせよ、これがひとつの完備な世界であることは、間違いあるまい。



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 「死の島」(アーノルト・ベックリン、1880年)- だから、引くなよ [;^J^]。こんな「孤島」で残る生涯を送りたいのかと問われれば、答えは「イエス」である [;^J^]。この完璧な閉塞宇宙で生き続けることができると思う。客観的には、牢獄かも知れないが。[;^.^](ちなみに、どこで読んだのか失念したが、19世紀末から20世紀初頭にかけてのドイツではこの作品(5バージョンぐらいある)が大ブレイクし、ほとんどあらゆる家庭の居間に複製が飾られていたそうであるが、それはそれですごい話である。[;^J^])



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 「沈黙の目」(マックス・エルンスト、1943-44年)- 私にとって、これは「未来のイメージ」そのものなのである。この、生物的でもあり鉱物的でもあるイメージが..とくれば、これはもう否応なく(初期の)J.G.バラードの破滅世界ということになるが..



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 ..それでは最後に、極上の逸品を紹介して終わろう。

 「ヴォックス・アンジェリカ(天使の声)」(マックス・エルンスト、1943年)- この作品については、私の駄弁の出番はない。ティモシー・バウムによる、あまりにも的確で素晴らしい文章を以下に全文引用する。(そもそもは、この作品とこの文章を想い出したことから逆算して、今夜のこの企画を立てたのであった。)

「ヴォックス・アンジェリカ」は4枚の組合せカンヴァスの中に、エルンストの20年間にわたるシュールレアリスト時代のイメージのあらゆる局面をうかがわせる小画面がびっしりつめ込まれている。この作品はシュールレアリスムの画家としてのエルンストのそれぞれの発展段階の、いわばミニチュア形式による回顧的アンソロジーともいえるものである。すなわち見事な静物、異国風の情熱的な“夢の風景”、紫色の空にかかる銀河の眺め、モホリ=ナギを思わせる幾何学的な断片、古代のプリミティヴなトーテムあるいはフェティシュを思わせる一連の彫刻的な形象、一見通り抜けられそうもない深い森を通してのぞかれる暗い不吉な眺めなどであるが、これらはいずれも完璧なバランスと秩序を保って描かれ、集められている。このことはこれらの色彩と形態と単純さと念入りな細部とのコントラストが物語っているが、その頂点ともいうべきは右下隅に見える“Max”という名で、各文字は精度の高い製図工のコンパスで、欠けるところのない“スーパー・リアリズム”風の緻密さで描かれている。かりに災厄が地球全土を襲い、席捲し、しかもこの「ヴォックス・アンジェリカ」だけは無事残ったとすれば、この作品1点によっても彼はその時代の、あるいはあらゆる時代の最大かつ最も才能ある芸術家として決して忘れられることも、見すごされることもないだろう。

(「シュールレアリスムの巨匠たち展 図録」より)
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*2010年07月01日:「ラピスラズリ」


 今年も早くも(あっと言う間に)半分が過ぎてしまった..という感慨で留めておけばいいものを、聡明な私は、これを可視化してしまうのである。

 自分の余命を、仮に30年としてみよう。半年間(の無駄遣い)とは、これの1/60に相当する。1/60のもっとも判りやすいビジュアルは、アナログ時計の盤面である。秒針が1周した時点で「おしまい」だとして、早くも1秒、虚しく過ぎ去ってしまったのである..

 ..聡明すぎるのも、考え物である..[;_ _][;_ _][;_ _][;^.^]

 とはいえ、この半年間、まるまる無駄遣いをしてきたというわけでは、もちろんない [;^J^]。こんな本も読了しているのだ。「ラピスラズリ」(山尾悠子、国書刊行会)- 数年前に刊行された、長編というか、疎結合の連作短編集である。「銅版」−画廊に飾られている(以降の物語の内容を暗示する)絵画作品から、物語がスタートする。「閑日」「竈の秋」−巨大な館を舞台として、冬眠する貴族たちと、ゴーストと、使用人たち..時ならぬ地震による小カタストロフ..外部の(下賤な)住民たち、巨大な館、双子の老女などのモチーフ群は、どこか「ゴーメンガースト」(マーヴィン・ピーク)を想起させるところがある。「トビアス」は、冬眠というモチーフを残して、舞台を日本に移す。「青金石」は、アッシジの聖フランチェスコの物語。

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*2010年07月02日:デパートの屋上への郷愁


 前回、デパートの屋上へ登ったのは、いったい何年前のことだろう? 2001年に倒産した松菱デパートの屋上に、一度だけ登ったような記憶があるのだが、多分、20年ぐらい昔のことではあるまいか。もちろん、(あったかどうかも憶えていないが)観覧車その他の遊具で遊ぶ歳でもなかったし、土産物を買ったわけでもない。ビールぐらいは飲んだかもしれない。

 私の子ども時代、デパートの屋上というのは、都会の子どもにとって、確かに身近なワンダーランドであった。家族連れでつれていってもらったときも、あるいは中学生になり、友人同士でつるんで遊びにいったときも、常にわくわくする何かがあった。(何ひとつ新しいものは無いというのに、考えてみれば不思議な心理ではあった。)

 デパート業界はいうまでもなく衰退産業であり、デパ地下ならぬデパ屋上も減り続けているのだろう。きょう日の子どもたちが、あんなダサイ場所を喜ぶかどうかも疑問である。(昨今のデパ屋上事情は知りませんが。)今では家族連れの休日の身近な遊び場は、イオンなどの大規模ショッピングモールということになるのであろうか。ゲームセンターもあるし、子どもにとっては十分素敵なワンダーランドなのかも知れない。

 かつてのデパ屋上とはあまりに異質な(洗練された)空間であるが、今の世代の子どもたちは、ここで遊んだ日々を、数十年後には懐かしく思い出すのだろう..

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*2010年07月03日:インフラ失格


 毎朝のウォーキングを、今日からジョギングに切り替えてみることにした。まずは無理せず、ゆっくりと、少しずつね。

 自宅から佐鳴湖を一周して戻るコースが、7.5キロ。丁度5キロ地点で根性が尽きて [;^J^] 足が止まったが、ここまで32分。ここから残り2.5キロをウォーキングで23分。つまり、時速10キロで5キロ、時速6キロで2.5キロ。時速10キロで完走すると45分であるが、整理体操とシャワーを含めて、まぁ1時間。平日だと、6時過ぎには走り出さないと、会社に間に合わないなぁ [;^J^]。やはり当分の間は、平日の朝は30分ウォーキング、休日はジョギング、とすることにしましょうかね。

 僅かに小雨がパラついていたのだが、10:30頃から本降りになった。2時間ほどずれていたら、えらい目に合うところだった [;^J^]。もっとも、すぐに小降りになったあと、降ったりやんだり。

 今ごろ気が付いたのだが、私が参加している、とあるML(メーリング・リスト)において、メールがポロポロ落ちている(受信できていない)..どうも、ときどき話が飛ぶと思っていたのだが [;_ _]、さくっと調べてみたところ、少なくとも数日以内に自力で解決できるような問題ではなさそうなので(..というか、実に「不穏な気配」を感じてしまったので)、管理者に依頼して、私のもうひとつのメアドを追加登録してもらったところ、そちらでは安定して受信開始できたようである。これで当分、様子をみることにする。

 「不穏な気配」とはどういうことかというと、私が通常使用しているメアド(kurata@rinc.or.jp)は、実はグーグルの(Gmail の)アドレスであり、くだんのMLにもこのアドレスを登録していたのだが、このMLは、yahoogroups から送信されているのである。

 改めてぐぐってみたところ、この問題(ヤフーからのメールを Gmail で受信できない「ことがある」)は、少なくとも数年前から発生しており、しかも、解決作が見当たらない。まったく信じがたいことであるが、インターネットの信頼性の基本中の基本である「メールの到達性」が、ヤフーとグーグルの間では保証されていないのである! ..こんなことがあってよいものだろうか。

 私にできることは、何もなさそうである。ヤフーからのメールは iPhone の(ソフトバンクの)メアドで受けることにしつつ、「所詮、相性が悪いのだろうさ」、と、吐き捨てるまでである..

 ..という、不愉快極まりない気分を振り捨てるために、数日前にアマゾンしたDVD、「岡本忠成作品集 Vol.1」(GENEON GNBA-1304)を、通して鑑賞した。そもそもは、先日の星新一展で観た、初期の星新一シリーズ(「ふしぎなくすり」「ようこそ宇宙人」「キツツキ計画」「花ともぐら」)が目当てだったのだが、他の8編も、素晴らしい作品である。人形アニメも、そうでないアニメもあるが、いずれも実験的な手法が駆使された創意工夫に満ちたものであり、また、技法の実験にとどまらぬ、豊かな情感も満ち溢れている。

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*2010年07月04日:手ぶらで富士登山


 今朝も昨日どうよう、ジョギング+ウォーキング。無理せず、ゆっくり走りましょう..というか、私の場合、あまり速く走るべきではないのである。私は別に、東京マラソンを目指しているわけではなく [;^J^]、単に、内蔵にべっっったりとコーティングされている(に決まっている)中性脂肪を減らしたいだけなのである。中性脂肪を燃やすためには、ゆっくり走るべきなのだ。速く走りすぎると、中性脂肪ではなく糖分が燃やされてしまう(らしい)。

 早朝の時点では曇り空。予報では、午前中一瞬晴れたあと雲が戻り、夕方になってようやく晴れ間が広がる..なのだが、これは前倒し方向に外れると踏んで、9時過ぎに湯風景しおりへ。大当たりの快晴である。[^.^]

 ..快晴はいいのだが、必要以上の猛暑である [;^.^]。日光浴って、結構体力を消耗するのだ。あまりに暑くて、紫外線を長時間浴びていられない。結局、昼食休憩をはさんで13:40に退散 [;^J^]。14:30に帰宅。

 昨日配信されたMixiニュースの(例によって、簡潔すぎる)見出しに、「「手ぶら思いつき」で富士登山、「助けて」」..

 ..「よくもまぁ登れたもんだ」「そりゃ寒かっただろう」「俺が助けに行きたかった」..このニュースを引用している日記を数十本ほどざっとスキャンしてみたところ、5人にひとりぐらいの割合で、この見出しをそのように読んでいたようであるが、あなたはどうでしたか。正直なところ。[^.^]

 なお、健全な想像力と誤読力に恵まれている、夢見る男子であるあなたには、下記に全文引用する(散文的な)真相編を読まないことをお薦めする。[^.^]


「手ぶら思いつき」で富士登山、「助けて」

 2日午後9時45分頃、富士山の8合目付近にいるという男性から「一人で富士山に登ったがライトを持っておらず、暗くて道がわからない。怖いので助けてほしい」と119番があった。

 静岡県警富士宮署などの山岳救助隊員6人が出動し、午後11時半頃、6合目(標高2490メートル)まで自力で下りてきた男性を保護した。男性にけがはなかった。

 同署の発表によると、男性は東京都中野区のパチンコ店店員(22)。2日午後5時頃、静岡県側の富士宮口5合目から入山し、9合目(3460メートル)付近まで登ったところで断念して下山を始めたが、暗くなったため携帯電話で救助を求めたという。

 男性は長袖のカッターシャツにジーパン、スニーカーの軽装。食料や装備もなく、手ぶらだった。富士山は1日に山開きしたが、6合目付近の気温は2度。男性は登山歴もなく、「思いつきで登ってしまった」と反省した様子だという。同署は「人騒がせな話。一歩間違えば命にかかわる。夏山でも装備はしっかりしてほしい」と訴えている。

(読売新聞 - 07月03日 12:07)
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*解説


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Last Updated: Jul 8 2010
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