*2016年02月15日:「PMって..
*2016年02月16日:エリアーデ幻想小説全集
*2016年02月17日:念のために..
*2016年02月18日:ももクロのニューアルバム
*2016年02月19日:「オデッセイ」
*2016年02月20日:HAPPYな日本美術展/村上隆の五百羅漢図展
*2016年02月21日:ボッティチェリ展
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*2016年02月15日:「PMって..


 ..午前だっけ、午後だっけ?」、と軽く迷ったとき(← あるあるだよね、この程度は、ねっ、ねっ? [;^J^])..「「11PM」が深夜番組だったから、PMは、午後! [^.^]」..(← これもあるあるだよね、ねっ、ねっ? [;^.^])

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*2016年02月16日:エリアーデ幻想小説全集


 私は15年ほど前に、確か古書で買ったのではないかと思う「エリアーデ著作集」(全13巻、せりか書房)、及び、この著作集には収録されなかった「永遠回帰の神話」(未来社)など、計10数冊を、2日に3冊のペースで、一気読みした。

 もちろん、なにひとつ身につかなかった..[;_ _] とまではさすがに言わないが [;^.^]、まず、宗教史や民俗学の基礎を叩き込んで(叩き込まれて)からでなくては、書物から入ってきた情報を貼り付ける(配置する)べき、基礎となる「樹木(体系図)」を持ち合わせていないので、ボロボロと抜け落ちていくのである..まぁ、仕方がない。体系に組み込まれていない(一本、筋がとおっていない)「知識」というものは、所詮は「トピック」の集積に過ぎず、それは応用もできず、長期記憶に耐えうるものでもないのだ。(学校の勉強をさぼって、ネット検索で何もかもすませている君たちの末路を、思い知るがよい。[;^.^])

 ..閑話休題。[;_ _][;^J^]

 その少しあとに出た「エリアーデ幻想小説全集」(全3巻、作品社)を購入したのは、数年後のこと。たっぷり10年ほども寝かせておいたので、もう読みごろだろう(ワインかよ [;^.^])、と、このたび一気読みした..といっても、かつてのように「2日で3冊」とは参らず、結構な時間、かかってしまったのだが。[;_ _][;^J^]

 作者の祖国はルーマニア。「全体主義」の「小国」で、状況を放置していれば、いずれ祖国自体も、その固有の文化も消滅してしまいかねない..という「悲哀」と「(だからこその)矜持」が、印象的なライトモチーフとなっている。もちろん「全集」なのだから、すべての作品が(私にとって)傑作なわけでも、共感できた(面白かった)わけでもないが..比較的記憶に残った作品を挙げておくと..

 第1巻では、「令嬢クリスティナ」−19世紀的な怪奇譚。当時ポルノグラフィとして槍玉にあげられたのは時代故無理もないかと思うが、より直裁にエロティックなクリスティナではなく、少女(シミナ)の色気が(ロリコン的に)問題とされたというのは、意外といえば意外。「蛇」−この青年(アンドロニク)の正体がわからない。単なる悪戯者なのか、(仮にインチキだとしても)魔術師なのか、妖精(異界の者)なのか。物語内の役割としても、トリックスターなのか、何かの象徴なのか。この曖昧さ・多義性が本質か。「ホーニヒベルガー博士の秘密」−単なるヨガの秘技のペダントリかと思わせておいて、最後に話者が、時間を超える。「セランポーレの夜」−明確なタイムパラドックスを「すべて幻影…」で片づけるあたり [;^.^]凸、さすがSFではなく幻想小説と言うべきか [;^J^]。「大物」−「ウルトラQ:変身」か「山の音」(とり・みき)か [;^J^]。「一万二千頭の牛」−古典的幽霊譚。

 第2巻では、「ジプシー娘の館」−例によって、時間を超えて、死の世界へ。そこには恋人が待っていた..甘いか? [;^J^] 「橋」−基本的には、つきあいきれんのだが [;_ _]..「思想」のコンデンスドノベル? 単なる羅列の様な気も..彼の思想を理解していないから? 「イワン」−夢のように(半ば眠りながら? [;^.^])読み流すと良い [;^J^]。物語世界に溶け込めるような気もするし。「ディオニソスの宮にて」−題材つながり故だろうが、コクトーの「オルフェ」を強く想起。「別バージョン」の感すらある。「ムントゥリャサ通りで」−エリアーデのもっとも複雑な作品というから、覚悟して読みはじめたのだが [;^J^]、意外な読みやすさに驚いた。構造上の仕掛けは多いが、基本的には、元校長が話し(書き)続ける厖大な昔話(と、たびたびそれをストップさせる、現実的な政治家たちによる「物語解釈」)であり、しかも「千夜一夜」のような多重階層構造ではなく、「元校長の語る物語」という一階層だからだろう。「将軍の服」−トロンとしながら読み流してしまったが [;_ _]、「イワン」同様、それほど間違った読み方でもなかったような気がする。[;^J^]

 第3巻では、「ケープ」−いささか凝りすぎの暗号解読と陰謀論が、意外なロマンティシズムをもたらす。「三美神」−若返り治療幻想。ぐるぐる回る小犬が「メフィストフェレス」であることに気がつくと、主人公に「ファウスト」的性格(ロール)が付与されていることが理解できる。「若さなき若さ」−「雷に打たれて若返り、(一種の)超能力を身に付ける」、という基本設定は、どこからどう突っ込んだらいいのやら、困るほどなのだが [;^J^]、それだけではなく、タイムリープ、そもそも夢?、胡蝶の夢?、未来幻想(全人類が、最終戦争の原爆による落雷を受け、大半は死ぬが、生き残った数百万人は同じ「能力者」となり次世代の人類となる)、等々、さまざまな要素がまさに「夢の中のように」絡み合い、確かに、「幻想文学者の書いたSF」、と呼べるものになっている。傑作。「19本の薔薇」−なんとも微妙な読後感。それなりの傑作だとは思うが、それは何故かの説明がしづらい。大雑把に言えば、作者の分身と思しき老作家が、どこか怪しげな(何かの象徴かもしれない)男女と共に行方不明になり、主人公はその関係者にして傍観者、胡乱で魅力的な解説者(他の作品にも登場する、情報部のアルビニ)がつく..という物語なのだが。「ダヤン」−天才数学者が、人々を置き去りにして詩的幻想的思索世界に去り行く..でいいのかな? 多くの作品に登場する秘密警察の教養人・アルビニが、面白い。

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*2016年02月17日:念のために..


 「..何々だったよね?」、と、確認する。私はこれを、当たり前のことだと思っているのだが、相手によっては、「聞いていなかったんですか?」、と、むくれられる [;-_-]。こちらも人間、そういうとき、思わずムカつくこともあるのだが..すぐに己を抑えて、こちらの聞き方が悪かったんだろう..と、謙虚になる。

 (備忘:こういう「謙虚さ」は、評価(考課)の対象にならない。)

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*2016年02月18日:ももクロのニューアルバム


 T整形外科で10日目の診察。腰の具合は良好。今日で終わりである。[^J^]

 先日、タワレコオンラインで発注(予約)しておいた、ももクロの新譜(アルバム)が2点(4枚)届いたのだが、ようやく耳を(目を)通し終えた。AMARANTHUS [CD+Blu-ray Disc]<初回限定盤>」(EVIL LINE RECORDS、KICS-93308)と、白金の夜明け [CD+Blu-ray Disc]<初回限定盤>」(EVIL LINE RECORDS、KICS-93309)である。

 大多数は新曲で、なかにはピンとこないというか、なかなか「入ってこない」曲もあるのだが、あくまでもそれは第一印象。数十回(以上 [;^.^])聴きこんでいくうちに、馴染んでくるだろう..

 それぞれ、CDのほかにBD付き。どうせ、PVを3点ほど収録しているだけだろう、と、高をくくっていたら、それぞれ、PVを2曲と、1時間ほどのメイキングドキュメンタリーが収録されていた。この「メイキング」が、大変面白い。(作曲者自身がプロデュースしている事例がいくつも収録されているのだが、人により、指示の出し方や力点の置き方が違う様子など。考えてみれば「指揮者」なのだから、全然違うのは当然ではある。)これらにはまだ一度しか目を通せていないが、もう数回ずつは、視なくては。

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*2016年02月19日:「オデッセイ」


 雑件が溜まってきたので、午後半休。快晴。暖かい。(雑件を片付ける意欲が、90度近い急降下で、危険な状態。[;_ _][;^.^])そうはいっても、わざわざ半休を取得したので、ありったけの気力と精神力を振り絞って、4件ほど。湯風景しおりに行かなかった点は、褒めていただくべきだと思う。[;^.^]

 夜、サンストリート浜北で、20:30〜23:00の回で、オデッセイを観る。

 なかなかよいが、原作(「火星の人」)には及ばない..とはいえ、肝心要のエッセンスは取りこぼしておらず、そこはリドリー・スコット、さすがである。(物足りなく感じる点は、ほぼ全て、尺の制約に帰着する。)

 主人公のキャラクター、OK。原作に負けていない。主人公を悩ませる(隊長のいわば置き土産である)「唯一の」娯楽が、ディスコ・ミュージック「のみ」のコレクションである、という、「明るい地獄」[;^.^] も、音楽を実際に鳴らせる映画が有利。(このため、映画全体にどこか楽天的な明るいノリが漂っているのである。)原作では、その他の娯楽(「くだらないホームドラマのコレクション」とか「推理小説の(電子ブックの)コレクション」とか)もあり、これらに関するオタク的薀蓄がまた、滅法楽しいのだが、そこは尺で。

 また、原作には、数えたわけではないが、「ひとつずつ片づけていこう」というセリフが、実に多い。とにかくもう、あらゆる意味で絶望的な状況で、先を読みすぎれば鬱になるし、あとからあとから発生する問題に一度に対処しようとしても、パニックになるばかりである。まずは「ひとつずつ片づけていこう」。非常に力強い、地に足の着いた姿勢である。(不安を心から追い出せ、という)勇気も必要とされることになる。この「主人公の基本姿勢」は、映画でもきっちりと踏襲されている。

 ちょっと事故や挫折が少ないとか、まるで、通信が(タイムラグなしに)リアルタイムにできているがごとくである、とか、突っ込もうと思えば突っ込めるのだが、前者は「尺の制約」だし、後者はもう「リアルな宇宙SF」の宿命的確信犯的「リアルでないところ」である。(通信のタイムラグをリアルに表現するのは、映画では不可能..とは言わないまでも、どうしても間が抜けてしまいがちなのである。)

 唯一、ディスっておきたいのは..原作で、思わず落涙して、何度も読み返したシーンを、わりとあっさり、流されたところである。[;^J^]

 それは、遠征先から持ち帰って来た骨董品、パスファインダー(マーズ・パスファインダー)のカメラが、回転した瞬間である。それは、パスファインダーが「移動した」ことに地球が気がつき、パスファインダーにコマンドを送信した証拠..つまり、おれが生きていることに、地球が気がついた!..このシーンこそ、全編中、最も情感豊かな、感動的なシーンだと思うのだが、映画では、わりと、よし、予定どおり、みたいな..[;^J^]

 23:30、帰宅。

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*2016年02月20日:HAPPYな日本美術展/村上隆の五百羅漢図展


 例によって6:05に発ち、例によって浜松駅前バスロータリーから、7:00発の渋谷新宿ライナー浜松2号。

 今はまだ曇天どまりだが、予報では、東京では今日の午後から夜まで雨が強くなるらしいので、折り畳み傘ではなく、長傘持参である。実際、道中の後半から小雨。10:57、ほぼ定刻に渋谷に着いた頃には、しっかりと雨。例によって、BiKiNi TAPAで昼食。りそな銀行で金をおろし、タワレコでCDを1点(ベルリオーズ)。ちょうど12:00にまんだらけに着き、ダブり本を売る。まだすいていたので、5分で片付き、退出。

 12:45、恵比寿の山種美術館着。「伊藤若冲 生誕300年記念 ゆかいな若冲・めでたい大観 ―HAPPYな日本美術―」(後期:〜3月6日(日) まで)である。

 川合玉堂の「松竹梅 より 竹(東風)」画像検索結果)、は、3人による競作の一部。伊藤若冲の「海老図」画像検索結果)は、数種類検索されていると思うが、展示されているのは、海老の触覚が垂直に立っている作品である。洒落た構図。同じく若冲の「河豚と蛙の相撲図」画像検索結果)は、「鳥獣戯画かよ!」な作品であるが [;^J^]、「毒を持つ生き物どうしの闘い」という含意があるようだ。柴田是真の「墨林筆哥」画像検索結果)は、以前もここで観たことがあるな。「漆絵」であり、極端に少ない(しかし「強い」)色彩を、効果的に使っている。

 14:20に発つ。15:00、六本木の森美術館。「村上隆の五百羅漢図展」(〜3月6日(日)まで)である。

 多くが新作か、ごく近年の作品。この展覧会は撮影自由なので、以下、写真でご紹介する。例によって、傾いていたり変に切れていたりのヘボ写真ばかりであるが、1.人混みが途切れる合間を見計らって素速く撮影していること、2.そもそも巨大すぎてフレームに収まらない作品が多い(収めるために十分距離を取ると、ほぼ、人波で作品が見えなくなる [;^J^])、という点を、大いに、大いに、斟酌していただきたいものである。[;_ _][;^.^]

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 「宇宙の産声」。FRP+金箔。素晴らしい造形だと思う。村上隆を嫌う人は多いが、こういう作品を、ちゃんと観ているのだろうか? 「これが、ハイ・アートか?」、という設問は、当然ありうるが、もちろん、「別にどうでもいい」、というのが、答えである。



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 左から、「その手に触れる異次元」「772772」「たんたん坊:a.k.a.ゲロタン:輪廻転生」



 ここからが、展覧会のタイトルである「五百羅漢図」である。「青竜」「白虎」「朱雀」「玄武」の4面からなる、高さ3メートル、幅は合計100メートルに及ぶ、超大作。もちろん、村上隆がひとりで描いた(作った)ものではない。数百人のスタッフ(美大生)を動員して「制作」したものである。まさかとは思うが、こういう姿勢(体制)を批判している人がもしもいるのなら、同じ理由で、手塚治虫を頂点とする現代日本マンガも批判していただかなくては、バランスが取れない。「サブカルごとき」じゃ話にならんというのなら、ボッティチェリでも、ルーベンスでも、エル・グレコでも、同じこと。

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 「五百羅漢図」より「白虎」..じぇんじぇんフレームに入らん。[;^.^]



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 「五百羅漢図」より「青竜」。曾我蕭白や伊藤若冲などの引用/換骨奪胎が、痛快である。



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 「五百羅漢図」より「玄武」。見所を4箇所切り取ったので、(端末によっては横に並びきらないだろうから)2段に分ける。それにしても、この迫力/活力は、どうよ!



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 「五百羅漢図」より「朱雀」。この面だけは、全体図を写し忘れたのか、うまく切り取れなかったのか、この部分図しか撮っていなかった。明らかに、手塚治虫の「火の鳥」の引用が混じっている。

 「五百羅漢図」全体のキャプションから引用しておく。「東日本大震災に際し、日本国家の有事を前にしたわれわれ国民の無力感、そんな無力感の中でも人は生きていかなければならない……。絶望からの復活には、たとえ作り話でも、希望を唱えるお話が必要だ。それらは歴史の中で、宗教であったり伝説であったりしてきたのだろう。五百羅漢は500種の人の苦しみをいやしてくれるという逸話もある。震災という死生観のぎりぎりのところが問われるような状況が出現し、五百羅漢というモチーフは俄然リアリティを帯びてきた。」



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 最後に、ふたたび立体作品を。「欲望の炎−金」。これ、好きだなぁ..髑髏の空虚な眼窩の中に、再帰的に髑髏が埋め込まれていく趣向は、もしかしたら、サルヴァドール・ダリの「戦争の顔」の引用かも知れない。



 いやはや、見応えがあった。この展覧会、(ずーっとスルーしていたことは、軽やかに棚に上げて [;^.^])お薦めである。

 18:00に発つ。鶴ヶ峰でも雨。19:00、実家。

 ウンベルト・エーコ、逝去。享年84歳。

 「薔薇の名前」は、好きだった..というか、書物好きには、最高にして最悪のミステリー [;^.^]。どこが「最高」かというと、迷宮のような巨大図書館とその平面図である。まさに陶然..いつまでも読み続けていたいと思ったのだが..「最悪」なのは、最後の大崩壊。この図書館が大火災に襲われ、すべて燃えてしまうのである! ..思わず悲鳴を上げて、本書を閉じた(それでもなんとか、決死の覚悟で、読み終えた)ことを想い出す..[;^.^] 再読する勇気、振り絞れるだろうか..[;^.^][;^.^][;^.^]

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*2016年02月21日:ボッティチェリ展


 朝は曇天。今日は持ち直すはず。実家前のバス停から7:31のバスで発ち、9:00、東京都美術館着。定刻は9:30(行列はこの時点で30人弱)なのだが、例によって、9:20に開門。9:25から展示室に入れてくれた。「ボッティチェリ展」(〜4月3日(日)まで)である。

 まずは、同時代あるいは少し先行する世代の作品群から。アントニオ・デル・ポッライオーロの「竜と戦う大天使ミカエル」画像検索結果)、アントニオ・デル・ヴェロッキオの「聖ヒエロニムスの頭部のための習作」画像検索結果)は、検索できているとしても最初の1枚ぐらいではないかと思うが、とにかく習作とは思えない、その瞳の強さ! フィリッポ・リッピの「聖母子」画像検索結果)は、ふっくらとしたマリアが、妙にリアルで「普通に可愛い」。[;^J^]

 以下、この展覧会のメインである、サンドロ・ボッティチェリの作品群から。「バラ園の聖母」画像検索結果)の美しさ! 「ラーマ家の東方三博士の礼拝」画像検索結果)の見事な構図! そして、「書斎の聖アウグスティヌス(あるいは聖アウグスティヌスに訪れた幻視)」画像検索結果)こそが、私がもっとも偏愛するボッティチェリ作品である。

 「聖母子(書物の聖母)」画像検索結果)の、窓の外の森と空の光! 「美しきシモネッタの肖像」画像検索結果)(金髪、右向き)は有名だが、私はどちらかと言うと、「女性の肖像(美しきシモネッタ)」画像検索結果)(左向き)(これは、検索結果の最初の1枚だけかも知れない)の方が、好みである..いや、異性としてではなく、作品として [;^J^]。「アペレスの誹謗(ラ・カルンニア)」画像検索結果)は、晩年の、やや神秘がかった作風の例。

 弟子にしてライバルである、フィリッピーノ・リッピの「聖母子、洗礼者聖ヨハネと天使たち」画像検索結果)も、素晴らしい。特に右奥の風景が!

 12:00に退出。12:30、TさんとJR上野公園口で落ち合い、エキュート上野内の中の店で、14:00まで某密談 [;^.^]。結果は、ごく近い将来、出せると思う。

 14:26東京発のこだまで、16:29、浜松着。軽く飲み食いしてから、19:05、帰宅。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Feb 25 2016
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