2015年10月19日:「屍者の帝国」 2015年10月20日:ネクタイしろよ.. 2015年10月21日:あるグルメ 2015年10月22日:また出遅れた..[;_ _] 2015年10月23日:予定がたたない.. 2015年10月24日:渋谷まんだらけ/国会図書館 2015年10月25日:「最後の印象派」展/「月映」展目次へ戻る 先週へ 次週へ
午後半休をとって、車で「ららぽーと磐田」(内の TOHO CINEMAS)へ直行。ここに来るのは、数年ぶりである。浜松には、TOHO CINEMAS が3館ある。浜松駅前の「ザザシティ浜松」内、「サンストリート浜北」内、そして、ここ「ららぽーと磐田」内である。私はシネコンで映画を観るとき、9割以上「サンストリート浜北」を利用しているのだが(自宅から車で10キロ少々と近くて便利、ついでに途上に「湯風景しおり」もある [;^.^])、「サンストリート浜北」にも「ザザシティ浜松」にもかかっておらず、「ららぽーと磐田」でしか観られない場合のみ、ここに来る。(会社からも自宅からも20キロ(車で4〜50分)、と、少々遠いのでね。)
久しぶりなので、事前に入念に経路を確認。(私の車には、カーナビなど、付いていないのです [;^J^]。いや、この中古車の前オーナーが装着したカーナビは付いているのだが、数年間もCD−ROMでデータ更新を行っていないらしいとのことで、今さら感が重苦しく [;^.^]、一度も起動していないのであった。[;^J^])なに、以前は通ったことのある道であるし、覚えてしまえば、そんなに複雑な経路ではない。
16:00からの回なので、2時間以上早く着いてしまったが、これは計算の内。久しぶりの「ららぽーと磐田」内を軽く散歩してから、ベンチで読書。
「屍者の帝国」である。(「Project Itoh」の一環。)原作:伊藤計劃、円城塔。詳細については(暇で興味があるのなら)Wikipediaを参照のこと。
それにしても、パンフレットが1200円![;^.^]凸 大部の冊子ならともかく、ごく平均的なページ数のパンフが1200円! 1200円!(← 大事なことなので、3回書きました。[;_ _][;^J^]凸)
作品の出来は..「悪くはない」ですよ。「ハーモニー」「虐殺器官」への期待点も込みで、70点かなぁ..絵的には面白いし、美しいとも思うけれども、こんにちのアニメは、この水準は普通にクリアしていると思うし..たとえば、「意識の主体」は「人間に寄生する菌株(ストレイン)が作り出す幻想である」という、小説(言葉/文章)でなければ伝わりにくい(難しい)概念は省略し、「魂を取り戻す(あるいは獲得する)!」、という、わかりやすいモチベーションに置き換えられている。このこと自体は、問題ではない。映画とはそういうメディアなのだ。しかしこの「単純化」によって、逆に流れがわかりにくくなってしまった(というか、着いて行きにくくなった)側面もある。
例えば、別ジャンルの作品であるが、「リング」。あの映画は、原作小説の核心的概念である「絶滅に瀕した天然痘ウイルスの、生き延びんとする意思」というモチーフを完全に削除し、「不気味なシーンの連鎖」としてまとめるという英断(蛮勇?)によって大ヒットしたのだが、論理的には曖昧になってしまった。(そもそもなぜあんなビデオが存在するのか?)それと似ている。
まぁ、及第点はあげられるが..最大のネガティブポイントは、「ハダリーが巨乳過ぎる!」ことですかね..(だからそんな目で私を見るなっ [;^J^])
18:10に終演。磐田バイパスから152号へと辿り、19:15、帰宅。
目次へ戻るもう、数十年前からだが..本当に疎ましいもの。それは、テレビや新聞で見せられる、政治家の「ノーネクタイ姿」である。いったい、なんのつもりなんだろう?
あれが、クールだと思っているんだろうか? 気さくなポーズを気取っているんだろうか? 残念ながら(僅かな例外を除いて)全然似合っていないし、はっきりいって、「ガラが悪く見える」。節電の季節には「エコな私」を演出しているのだろうが(くーるびず? きゃっ [^.^])、ネクタイの着用と(無駄な)エアコン利用とは、なんの関係もない。
ま、やたらとカジュアルなカッコをしがちな外国人(の政治家、金持ち)の真似をしているだけなんだろうが..別に彼らがお洒落だというわけでもないからね。彼らも十分、ダサいんだからね。ノーネクタイ姿は。
プライベートな、カジュアルな場なら、どんなカッコをしてもいい。しかし、政治家が新聞記者に取り囲まれてインタビューに答える..公(おおやけ)も公。地球上にはこれ以上、オフィシャルな場はないといってもいいぐらいだ。「ちゃんとしたカッコをしろ!」..ほんとにダサい、失礼なやつらだな..
ことこの件に関しては、私は徹底的に、保守的なのである。
目次へ戻る確か、小松左京の短編集(文庫本)のどれかに収録された筒井康隆のあとがきか何かではなかったかと思うのだが..面白い評をしていた。記憶だけで大意を述べると、「(小松左京の)あのグルメっぷりは、単に美味いものを食べたいからというよりは、未知の料理の味を「情報として取り入れたい」からではなかろうか」..
私にも、そういうところがある。料理(の味)に限らず、「何らかのオブジェクト、そのものを摂取したい」のではなく、「そのオブジェクトの情報を摂取したい」のである。自分で自分を分析してみると..
別に、だからといって、「階梯が上だ」とか「クラスが違う」などと言うつもりはないが..(それでは、あまりに正直過ぎるというものである。[^.^])
目次へ戻る「大道芸ワールドカップin静岡」。例によって初日(10月31日(土))は、チケットを買ってプレミアムショーケースに張り付きたいのだが、「ちけっとぴあ」でも「イープラス」でも、売り切れていた [;_ _]。まぁ、当日券はあるのであって、毎年、会場で売り出しの2時間ぐらい前から並んでいるのだが、今年こそ、あらかじめ前売券を買っておいて、楽をしようと思っていたのに..[;_ _](アクションが、遅すぎるよ..[;_ _])
しゃあない。例年どおり、早めに出発するか..天気が良ければいいな..
目次へ戻るこれから年末まで、週末はほとんど浜松を不在にしているかも知れない..が、説明しにくいが、個々の予定が独立しておらず(また、未確定要素が多すぎ)、パズルを解きにくい..特に、11月が要注意である..
今夜は、23時近くまで残業。久々の鍵番である。[;_ _]
目次へ戻る6時少し過ぎに発つ。浜松駅前バスロータリーから7:00発の、渋谷新宿ライナー浜松2号。渋谷着は、11:08。マークシティ4FのBiKiNi TAPAで昼食。
12:00過ぎに渋谷まんだらけ。10数冊処分。引き取ってもらえなかった数冊を、裏手のヤフオフで、超格安 [;^.^] で処分。発ったのは12:20。
13:10から14:30過ぎまで、久々に国会図書館。手塚治虫案件、吾妻ひでお案件、各1部、コピーを確保。
16:30、横浜・鶴ヶ峰の実家。
目次へ戻る実家前のバス停から、8:16のバスで発つ。ちょうどよく、開館時刻の10:00の少し前に、新宿の損保ジャパン東郷青児美術館着。「最後の印象派 1900-20's Paris」である。(〜11月8日(日)まで。)
ここ最近の日記で、「印象派にはまっていない」と何度か書いているような気がするが [;_ _]、別に変節したわけではない [;^J^]。時代的に「最後の印象派」と括られているだけである。メディア(テレビ、新聞)で紹介されているのを見てみたら、見覚えのない作品が多かったので、興味を惹かれたという次第。(情報として摂取するのだ。[^.^])ちなみに、後述する理由で図録を「買えなかった」ので、以下、すべて絵葉書からのスキャン。画質がいまいち粗い点は、容赦を乞う。[_ _]
左図は、この展覧会のアイコンに近い。アンリ・ル・シダネルの「日曜日」。ほぼ完全なる象徴主義の世界。朝とも夕ともつかない「光」が、ほんとうに見飽きず、素晴らしい。絵のテーマも物語も、いかようにでも読み解けるところも、飽きない。当たり前のことを書いているようで気が引けるが、こういう「飽きない」絵は、後を引く。
右図は、同じ画家の「コンコルド広場」。この夜景もまた、見事である。印象派の「自然の陽光」ならぬ、「人間の作りだした人工の光」の美しさ!
左図は、アンリ・マルタンの「野原を行く少女」。腰のあたりから散り飛んで行く、花の描写が幻想的で印象的。
右図、アンリ・デュエムの「羊飼いと羊の帰還」が、図録を買えなかった理由。図録では、この「赤」が、ほとんど「オレンジ色」に近く、あまりに実物と違い過ぎるので躊躇してしまったのだ。(ちなみに本物は、もっと赤い。)いい絵だ..
以下、絵葉書が売られていなかった作品を、3点、画像検索で紹介しておく。エミール=ルネ・メナールの「オデー川、河口の眺め」(画像検索結果)は、横に長い、まるで三幅対みたいな、3枚連続しているような趣向の作品。(これは、仮に図録を買ったところで、見開きにまたがって収録されていたので、スキャンはできなかった。)この展覧会で、私が一番長く足を止めていた作品のひとつである。同じ画家の「自然公園のなかの川の精ナイアス」(画像検索結果)の、上品なエロティシズム。そして、ガストン・ラ・トゥーシュの「聖アントニウスの誘惑」(画像検索結果)の、上品じゃないエロティシズム。[;^.^]
実のところ、「ジャケ買い」ならぬ「タイトル買い」「題材買い」なのだ。西洋美術史上、度々描かれてきた「聖アントニウスの誘惑」(画像検索結果)こそは、私が半生を通じて惹かれに惹かれてきた作品群なのである。悪魔による聖人の「誘惑」は、大体「暴力系/脅し系」と、「エロ系」。及びその「混合型」にわかれる。もっとも有名なボッシュの作品以来、「暴力系/脅し系」(及び「混合型」)がどちらかといえば多数派だが、「エロ系」の系譜もある。本作は、そのひとつ。客観的に見て、出来はいまひとつだと思うが、構わない。「聖アントニウスの誘惑」で「エロ系」なんだから! [;^.^]
左図は、この展覧会のポスターにもなっている、エミール・クラウスの「リス川の夕陽」。この光!(画質が万全ではない絵葉書からスキャンしたjpegファイルなのだから、伝わらなくても仕方がないが..)確かに、「最後の印象派」と括りたくなる気持ちは、わかる。
右図は、小品。アンドレ・ドーシェの「レスコーニーユの街はずれ」。実に、なんということもない作品なのだが..驚嘆した。色彩、構図、そしてその筆致! まさに油彩画のお手本のような作品である!(この、立体的に盛り上がった絵の具の筆致こそ、伝えようが無いわなぁ..)
11:10に発って江戸川橋へ。11:50に麺珍亭。(列が短く、5分後ぐらいには入れた。)12:10から12:45まで、現代マンガ図書館。ここでは調査というよりは、寄贈予定の雑誌が既に収蔵されていないかどうかの(リストによる)チェックがメインである。
13:30、東京ステーションギャラリー。「『月映(つくはえ)』田中恭吉・藤森静雄・恩地孝四郎」である。11月3日(火・祝)までであり、会期がもうない。興味を惹かれた人は、急げ!
実のところ、「観衆を選ぶ」展覧会だと思う。まずは、現在、稀覯本であるという「月映」を、ざっと検索してみた →(画像検索結果)。これに(あまり)反応出来ない人は、無理して11月3日までに駆けつけなくてもいい。この展覧会では、この短命の雑誌に掲載された挿画(木版画)が(確か全数)展示されており、もちろん、そこに価値があるのだが、「三分の一ぐらいに精選してもらっても良かったかな」、と(私好みの世界であるにもかかわらず)感じたことも、正直に書いておく。[_ _](それやこれやで、この展覧会でも図録を買わなかった、以下はやはり、絵葉書からのスキャンである。)
この三人の画風の中では、個人的には、藤森静雄にもっとも惹かれた。左から、「よる」、「自然と人生」、「かげ」。木版画でなければ、不可能な表現である。
左図が、恩地孝四郎の「望と怖」。右図が、田中恭吉の「五月の呪」。
14:20に退出し、14:55、東京発のこだま。16:59、浜松着。17:40、帰宅。
かなり、涼しいな..
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