*2015年10月05日:泥縄勉強..
*2015年10月06日:まぁ既定のことではあったが、
*2015年10月07日:夢の底から..
*2015年10月08日:夢の底から再び..
*2015年10月09日:「SFは何を夢見てきたのか?」
*2015年10月10日:インフルエンザ予防接種など
*2015年10月11日:モネ展をどうするか [;_ _][;^J^]
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*2015年10月05日:泥縄勉強..


 ..と、先週の日記に書いたが、「泥沼勉強」、と、自爆空目をしてしまったり..[;_ _][;_ _][;_ _](すまん、今夜はこれだけ。[;^.^])

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*2015年10月06日:まぁ既定のことではあったが、


 TPP、大筋合意..ま、頓挫するはずもなかった。そこに「中国」がいる限り..とはいえまだまだ、紆余曲折はあるのだろうが。

 もういちいち触れている余裕は無いが、危惧や不安は、一杯ある。しかし、仕方がない。こういう環境になってしまったのだから。この(苛酷な)環境の中で、どうベストを尽くし(ときには抜け道を探して)、たとえ「相対的に」であっても、少しでも素晴らしい(あるいは「マシな」)世界を後続世代に残せるかが、我々自身の課題なのだから。

 私に出来ることは、本当に僅かである..今から子どもを作る可能性は、まずないので、少なくとも遺伝子レベルでは、日本の(人類の)未来に貢献できない。私に出来ることは、莫迦のひとつ憶えみたいに、コツコツと資料を作ることと、資料的価値の高い書籍の編集に協力すること..まぁ、その程度である。その程度ではあるが、しかしこれらは確実に、未来の日本の文化遺産の一部となる。自分に「出来る」ことがあるというのは、幸せなことである..

 O内科医院で月いちの検診。

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*2015年10月07日:夢の底から..


 「この立体ゲーム、一体どうすればいいのー!?」..嗤うな [;^J^]。このオヤジギャグは、今朝、目覚めの直前の夢の底から拾ってきた、ノンフィクションなんだから。[;^.^](「夢」も「ノンフィクション」というのかしら? 少なくとも「作り」ではないという意味では、「フィクション」ではないと思う..)..と、ここでやめてしまっては(一昨日の日記のこともあるし [;^J^])いくらなんでもあんまりなので [;_ _]、あとは得意の自由連想(自由妄想)で、いくらかでも引き延ばす。[;^.^]

Picture

 「夢の底から」と言えば、もちろん、「夢の底から来た男」(半村良)だが、ここはむしろ、「ザクロの周囲を一匹の蜜蜂が飛んだために生じた夢から目覚める一瞬前」(サルヴァドール・ダリ)と、いこう [^.^]。この絵画作品(夢の情景)では、ザクロが紅い金魚に、蜜蜂は虎と銃剣(というか「銃針」)に変換されているのだが..ある意味、十分、オヤジギャグじゃねーか。[;^.^](← 他人(ひと)を自分と同じ水準に引き下げるな [;_ _]。ダリに謝れ。[;_ _][;_ _][;_ _][;^.^])


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*2015年10月08日:夢の底から再び..


 これも、今朝の(目覚める直前の)夢から拾ってきたネタ。

 ..といっても、「情景」ではない。ある「想い」というか「憤り」である。これは学生時代からずーーーっと、思っていたことなので、実のところ、わざわざ夢に見るまでもなかった。むしろ、この歳になって、また、夢にまで見た(夢の中で憤った)ということは、よほど心の奥底深くに刻み込まれているのだろう..

 ..それは、「ペール・ギュント」の、理不尽さである。(面倒だから粗筋の説明はしない。知らない人はぐぐってくれ。)愚かなペールを待ち続けて一生を棒に振ったソルヴェイグは、全く報われない。物語は(宗教的)美談仕立てで、ソルヴェイグの一生も、ペールへの想いで満たされていた=幸せだった、みたいに締めくくっているが、綺麗事だろ、そんなの! 帰ってきたペールは勝手に魂を救われて勝手に(その場で)死んで行くが、ソルヴェイグにとっては、まったく辻褄が合っていない。

 これと一見、良く似たエピソードが、古事記にある。雄略天皇と赤猪子(あかいこ)の話である。(これも面倒だから、説明は略す。知らない人はぐぐってくれ。)若き日の雄略天皇の(いい加減な)空約束を真に受けて、80年も嫁がずに待ち続けた赤猪子を憐れんだ(80年前の約束のことなど忘れていた)天皇は、歌二首と多くの贈り物を持たせて帰した..

 ..「金(贈り物)で解決かよ!」、と、学生時代の私は、青臭く義憤に燃えたものであるが..しかし、天皇としては、これ以上、何もしてやれないのである。せめてもの罪滅ぼしとして、精一杯の誠意を示したと言えるのではあるまいか..少なくとも私にとっては、「ペール・ギュント」よりも、遥かに「腑に落ちる」..(「誠意とは、金のことじゃ!」、とは、西原理恵子の名言であるが。[;^.^])

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*2015年10月09日:「SFは何を夢見てきたのか?」


 NHK Eテレで全6回の予定で放映されている「ニッポン戦後サブカルチャー史II」。(昨年放映されたらしい「ニッポン戦後サブカルチャー史」(「II」が付かない第1シーズン)には、気が付いていなかった。[_ _])先週の第1回は「不思議の国の“女子高生”」。そして今夜(第2回)は、講師に大森望を迎えての、「SFは何を夢見てきたのか?」である。

 特段、「サブカル視点」を意識していない、至極まっとうな、戦後日本SF史の講義である。手塚治虫を(戦後)日本SF作家第1号と位置づけ、大阪万国博覧会(及び「国際SFシンポジウム」)を時間軸上のコアとする史観は説得力があり、かつ、小説だけでなく、マンガ、アニメ、映画、ファンダム、「冬の時代」を越えた、伊藤計劃以後の「夏の時代」、と、驚くほど幅広い話題を、発散させることなく、ホワイトボードの上にまとめ上げた力量には、感服した。この録画(55分番組)、「日本SF入門」に使えると思う。

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*2015年10月10日:インフルエンザ予防接種など


 曇天。7:20に自宅を出てO内科へ。(着いたのは7:25、開扉は7:30、診察開始は8:30である。[;^J^])インフルエンザ予防接種。9:00にいったん帰宅。

 10:30少し前に再度出て、クリーニング出ししてから湯風景しおりへ。泥縄勉強の続き。(← 「泥沼勉強」どころか「泥酔勉強」と空目してしまった [;_ _] ..もう、諦め時か..[;_ _][;^.^])とはいえ曇天なので、日光浴は出来ない。サウナに何度か出入りする。13:30に出て、すぐそばのハードオフへ。

 (多分)20年ぐらい昔に買って以来、ほとんど使っていないボストンバッグを引き取ってもらいたかったのだが..(カビは生えていないにせよ)使わなくても(雑に)置いておくだけで形崩れはするわけで、売り物にはならないとのこと [;_ _]。まぁ、仕方がない..が、困ったなぁ..もう、使う予定は全くないのである [;_ _]。といって、鞄としての機能にはなんの問題もない(これといった傷も、もちろん穴もない)ものを、単に場所ふさぎだからという理由で捨てるわけにもいかず [;_ _] ..いずれ必ず、どこかで大災害が起きる。そのときの支援物資として、保管しておくか..(..という書き方をすると、まるで大災害を待っているみたいで、アレなのだが。[;_ _][;^.^])

 14:00、帰宅。やらなければならないことが多すぎるので、ここは逃避の一手 [;^J^]。T案件(当分、伏せ字とさせていただく [_ _])に没頭する。

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*2015年10月11日:モネ展をどうするか [;_ _][;^J^]


 雨模様の一日だったが、午後には上がっていた。

 今秋、実に、迷いに迷っている展覧会がある。

*東京都美術館
 「マルモッタン・モネ美術館所蔵 モネ展
 〜12月13日(日)まで

 ..である。[;^J^]

 モネは多分、ゴッホ、セザンヌ、ルノワールと並んで、日本人が一番親しんでいる画家のひとりである。私の(小学生時代以来の)前記の画家たちに対する軽い敬遠は、間違いなくそこから来ている。実に子どもっぽいことだが..「巨人・大鵬・卵焼き」(← 死語! [;^.^])に対する反発というのは、どなたにも理解していただけると思う。「メジャーになびくのを潔しとしない」という、心意気だ。[^.^]

 私の小学生時代には、もちろん、「サブカル」とか「インディーズ」という言葉は無かったが(「アングラ」はあったが、子どもにはよくわかっていなかったはず [;^J^])、いくらかそちらよりの「尖った」画家・作品にのめりこんで行ったのは、無理もないことである。

 ボッシュに始まり、ペーター・ブリューゲル(父)、モンス・デジデリオ、ホルバイン、アルトドルファー、ゴヤ、ドラクロワ、ターナー、ルドン、ブレイク、モロー、ジョン・マーティン、クノップフ、ベックリン、デ・キリコ、エルンスト、タンギー..もちろん、軽く例示しただけだが、マイナーどころか超メジャー画家も含まれている。しかし、「印象派」では、ない [;^J^]。ここが重要なのだ [;^.^]。「モネ、ゴッホ、セザンヌ、ルノワール」らへの軽い敬遠が、いつしか「印象派嫌い」にすり替わってしまったのだ..ま、よくある話である [;^J^]。特に私の少年時代には、ゴッホ、セザンヌらは、「後期印象派」という不適切な誤訳でカテゴライズされていた、ということもある。

 そして、いきなり引き合いにだすが、山田五郎が、やはりモネにあまり惹かれていなかったのである。彼の嗜好(フェイバリット画家)は、先ほど軽く例示した私のフェイバリット画家、十数名と、半分以上、被っているはずである。(別に、同年齢だからというわけではないだろうが。)私が彼に合わせたわけではなく、無論、逆もない。しいていえば澁澤龍彦系なのだが(澁澤龍彦は、印象派には全く反応しなかった)、山田五郎のことはわからないが、私が澁澤龍彦の芸術論(美術論)に影響された可能性は、ゼロではなかったはずだ。彼の名著「幻想の画廊から」(異端画家のオンパレード [;^J^])を、おそらく中学生時代に読んでいるからである。

 そんな山田五郎が、確か数年前の「ぶらぶら美術・博物館」で、モネを観ながら、「俺も最近ようやく、「モネが好きだ」って、素直に言えるようになったよ」「なんだかんだ言っても、そりゃもちろん、モネはいいよ!」..さ、先に勝手に、オトナになりやがって! [;_ _][;_ _][;_ _]凸 俺を置いていかないでくれよ〜〜〜 [/_;][/_;][/_;][;^.^]

 東京展では、「印象、日の出」画像検索結果)は10月18日までで、もう間に合わないし..どうしようかなぁ、この展覧会..観に行くべきか、スルーするべきか..[;_ _][;^J^]

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Oct 15 2015
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