*2015年07月20日:ボルドー展/田能村竹田展
*2015年07月21日:絵画の中へ..
*2015年07月22日:取り留めもなく歩く..
*2015年07月23日:気がついてた? [;^J^]
*2015年07月24日:ダウト入りました [;^.^]
*2015年07月25日:久々に湯風景しおり [^.^]
*2015年07月26日:仕込みと練習
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*2015年07月20日:ボルドー展/田能村竹田展


 8:00過ぎにラクーアを発つ。快晴ではないが、暑い。8:35、国立西洋美術館着。9:30開館だというのに、55分も前に来る必要は無い [;^J^]。まったく、この「早め早めの行動」病は、なんとかならんか [;^J^]。まだひとりも並んでいないし。[;^.^]

 「ボルドー展 ―美と陶酔の都へ―」である。(9月23日(水・祝)まで。)ボルドーと言えば最初に連想されるのはワインだろうが、美術史的にも、なかなか美味しい地域なのである。一地域に地理的にフォーカスした展覧会というのは時々あるが、展示内容のバラエティが豊かになるのが(逆に)好悪の分かれるところであろうか..まぁこの展覧会の狙いの詳細は、前記特設サイトを参照していただこう。(夏オフ直前で、時間がなくってさ。[;^J^])例によって、ひっかかった作品のみ、ピックアップしてご紹介しておく。

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 左図は、ジャン・ロレンツォ・ベルニーニの「フランソワ・ド・スルディス枢機卿の胸像」..これは、写真と実物とでは、かなり印象が違う。鋭い顎のラインと眼光..この凄み(圧倒的な人格的迫力)は、三次元でないと伝わらない。右図は、ピエール・ラクール(父)の「ボルドーの港と河岸の眺め(シャルトロン河岸とバカラン河岸)」。この賑わいと伸びやかさ、いいねぇ..[^J^] これこそ、壁にかけて眺めていたい作品である。(もちろん、こんな広大な壁面があれば、既に書棚に占有されている、というのがお約束であるが。[;^J^])



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 左図は、ウジェーヌ・ドラクロワの「ライオン狩り」。不覚にもこの作品、知らなかった [;_ _]。この強烈な色彩の乱舞は、まさしくドラクロワ! そしてその異様な空間構成..閉塞空間にライオンと馬と人間が密集しているような..異様なのも当然、実は火災で、上部が焼失している作品なのであった [;^.^]。逆にそれが故の(異常な構図の)迫力もあると思うけどね。

 焼失前の姿は、模写で偲ぶことができる。その「模写」を行ったのが、なんと、オディロン・ルドンだというから、舞い上がってしまうでは、あ〜りませんか! [^.^] 右図、「ライオン狩り(ドラクロワ作品に基づく模写)」である。なるほど、確かに「あるべき構図」の作品だったのだ。このオリジナルが失われたのは、返すがえすも惜しい..しかし、オディロン・ルドンが在りし日の姿を残してくれたのだから! まさに、19世紀最高の天才2人の競演(共演)である! しかもルドンの模写は、オリジナルを正確に再現しながらも、ドラクロワの筆致の再現に汲々とせずルドンの作品になっており、かつ、ルドン側に引き寄せきってもいない..という絶妙なバランスの、まさに「模写のお手本」(ややこしいな [;^J^])とも言うべきものである。これはドラクロワのオリジナルとは別個の作品としての価値を持つ。



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 ロドルフ・ブレダンの銅版画も来ている。(細かすぎて、細部が見えない(読み解けない)だろうが、ご勘弁。)有名な「善きサマリア人」(左図)もいいが、右図、初見の「魔法の家」の前で、足が止まってしまった。この絵は..怖い。何が怖いといって、この大きな邸宅の2階の窓でひしめいている女(?)たちである。こいつらは一体、なんだ? 妖精? 悪魔? 幻覚? ..ブレダンの弟子のオディロン・ルドンの「ゴヤ讃」画像検索結果)からも、4点展示されている(あまりにも周知の作品群なので、画像検索結果の引用ですませた、ごめん)..やはり、凄い時代、凄い地方だったのだ。今後、ボルドーワインを飲むときには、明るい太陽の能天気なイメージばかりではなく、この暗い幻覚の、夜の幻想の世界も底流に流れているのだ、ということを心して味わうようにね、そこの能天気な女子諸君。(← ジェンダー的に問題発言だという自覚はあります。[;_ _][;^.^])



 11:30に退出。有楽町で食事をして、12:30、出光美術館。「没後180年 田能村竹田」である。(これはもう閉会直前、会期は8月2日(日)まで。)正直、親しんでいる名前ではなかったが、(作品をまとめて観るのは、多分初めて、)山水図を能くする文人画ということで観に来たという次第。

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 代表作を3点、ご紹介しておこう。左から、「梅花書屋図」「村居暁起図」「山陰訪戴図」。この中で一番好きなのは(ここに棲みたい、と憧れてしまうのは)やはり、「梅花書屋図」かなぁ..(他の2つの風景には、水がやや足りない..)ただしもちろん、冷暖房完備、温度湿度管理完璧な書庫付き、インターネットと衛星放送受信設備必須、ウォシュレット必須、東京(または京都、大阪)までの交通費片道1万円以内..が、最低条件である。[;^.^](← 隠遁生活を望む「文人」の風上にも置けぬ根性無しのふやけた野郎だ、と、思うでしょ。私もそれは否定しない。それは否定しないが、あなた、ユイスマンスの「さかしま」(Wikipedia)を読んだことある? あの作品の主人公、(ある意味)最高の世捨て人にして趣味人、デゼッサントの性根(しょうね)も、こんなもんなんだよ。[;^J^])



 13:50頃、退出。14:26、東京発のこだまで、16:22、浜松着。17:15、帰宅。

 東海も梅雨明け。

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*2015年07月21日:絵画の中へ..


 昨日の山水画つながりで..

 私が、山水画が大好きだ(しかし、理想の山水画にはいまだにめぐり合えていない)という話は、つい最近も日記に書いたような気がする。山水画だけではない。一般に、風景画が大好きである。だから、Bunkamuraザ・ミュージアムで9月9日(水)から12月7日(月)まで開催される「ウィーン美術史美術館所蔵 風景画の誕生」が、今から楽しみで仕方がない。いい歳をして、遠足前の子どものように、指折り数えて待っている始末である [;^J^]。クロード・ロランやターナーの風景画も、もちろんたまらんが、何より、北方ルネサンス。ひとりだけ挙げるなら、ピーテル・ブリューゲル(父)!

 さらに言えば、「都市画」や「異形の建築画」(典型的には「バベルの塔」)も、大好きである。これら(「(山水画を含む)風景画」「都市画」「異形の建築画」)は、「肖像画」や「静物画」に比べると、一般に「空間が広い」。おそらく、ここがポイントだ。つまり、「私が、その中で動き回れる範囲が広い」のである。

 つまり、私は「絵の中に入りたい」のである。その「絵の中で生きたい」のである。(このテーマの文学や映画や漫画は多数あるので、いちいち引用しない。)ほんのひととき、その中を散策したいだけ、ということもあれば、もう一生、「向こう側」に行ってしまいたい..と想うこともある。それが一種のエスケーピズムであることを否定はしないが、不健全だとも思っていない。

 その意味では、昨日訪れた「田能村竹田展」は(私には)今ひとつだったかなぁ..(もちろん、この種の妄想を誘う絵だけが好きなのではない。このタイプの作品には、「持って行かれ」がちだ、ということである。)

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*2015年07月22日:取り留めもなく歩く..


 ..トリートメントもなく歩く..

 ..ごめん [;_ _]。でもまさかこれだけで日記が終わるとは思わなかったでしょ。[;^.^]

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*2015年07月23日:気がついてた? [;^J^]


 私が、固有の(といってもいいのではないかと思う)フェイスマーク([^J^] とか [;^J^] とか [^.^] とか [;^.^] とか [_ _] とか [;_ _] とか m[_ _]m とか m[;_ _]m とか)を使っていることには、どなたも気がつかれていると思う。しかし、ここまで細かいことに気がついているかどうか..

 以下に、過去日記から適当にサンプリングした、あるパラグラフの「末尾」を引用する。

あまりにもあからさまな自慢である [;^J^]。投石を甘受する。[;^.^]

 ..気がつかれただろうか。「フェイスマーク」と「句点」の「前後関係」の違いに。

 私は原則として、文末にフェイスマークを置く場合、「半角スペース」「フェイスマーク」「句点」の順に配置する。つまり、「 [;^J^]。」である。「句点」「フェイスマーク」の順、つまり「。[;^J^]」とはしない。なぜなら、このように配置すると、フェイスマークが次の文章に属するように見えてしまうからである。

 ただし、「パラグラフの末尾」では、この原則を曲げる。上記例のごとく、「句点」「フェイスマーク」の順(つまり、「。[;^.^]」)とする。何故なら、後続の文章がないので、フェイスマークが属する文章を誤認識される可能性がないのと、この方が落ち着きが良く見えるからである。

 ..以上、全くどうでもいい豆知識であるが [;_ _]、日記をアップする際など、この点をかなり神経質に推敲しているので、例外は1%も無いはずである。(もちろん、よほど急いでアップした文章などでは「間違えている」こともあるだろう。)このことを押さえておくと、本当に「倉田わたる」が書いた文章なのか、あるいは「倉田わたるのなりすまし」(最近はどうだか知らないが、10年以上前には何人か居た)が書いた文章なのか、鑑定できますよ [^.^]。また、この原則は、私が「昔に書いた」文章には適用されない。(要は、時代によって、書き癖が変わっているのである。)「倉田わたるのミクロコスモス」に掲載されている膨大な文章は、正真正銘、すべて私が書いた文章(しかも全ての文章に執筆年月日入り)であり、これらを精査することによって、「フェイスマーク」と「句点(または読点)」の配列の仕方が、いわば「示準化石」として使えるはずだ。(例えば、1994年に書いた「シルクロード 恐竜紀行 '94」では、パラグラフ末ではない(つまり、後続文章がある)場合、「句点」「フェイスマーク」「全角スペース」の順(つまり、「。[;^.^] 」)としていることが「多い」。(全角スペースによって、次の文章とのあいだに「距離」をつくり、フェイスマークが次の文章と結合しにくくしているわけだ。)

 ..暇なら論文、書いてみるといいよ。[;^.^]

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*2015年07月24日:ダウト入りました [;^.^]


 公開したばかりの日記(この日記から見ると先週号)を読んだKさん(在東京のちょい悪オヤジ)から、「蝉の蛹」の件について、ダウトが入った。あれは「蛹」ではなく「幼虫」である、と..そうだよなぁ..この際、意地でもウィキペディアを引かずに記憶の底から搾り出すが [;^J^]、確かに子どもの頃には、この程度の「常識」は持ち合わせていたはずだ。今でも思い出せるのだから、知識が失われたわけではない。ただ、日常的に「変態前の蝉」に出会うことがあまりにも少なくなってしまったので、その知識が呼び起こされる(リフレッシュされる)機会がなく、結果として、誤った語彙(「蛹」)を引っ張り出してしまったわけだ。

 ..で、まだ公開したばかりなので、こっそり直そうかとも(正直)思ったのだが [;^J^]、1.既に、「今週号の日記をアップしたよ!」という記事を、mixi、Facebook、Twitter に公開しており、その記事の中には「エアコン死んだ?/蝉の蛹」というタイトルが含まれていることと、2.今夜はほかにネタが無いこと..この「2.」が支配的で、直さないことに決めた次第ではあった。[^.^][;^.^]

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*2015年07月25日:久々に湯風景しおり [^.^]


 快晴! 8:40に、久々に湯風景しおり。(数ヶ月間、改装工事で閉まっていたのだ。)9:00から(しおり内に店舗を構えている「髪工芸」に)散髪を予約していたのだが(散髪はここでする、と決めているので、この数ヶ月間、髪が伸びて鬱陶しくて仕方がなかったことであるよ [;^.^])、前の時間帯から空いていたらしく、8:50頃から散髪してもらえた。

 改装工事によって、(少なくとも男湯の方は)広くなったわけでも、各種アイテム群の配置が大きく変わったわけでもない。(サウナはいくらか豪華になった。)施設全体としてリクライニングエリアやその付随施設の配置が巧くなり、実際以上に広くゆったりと見える。ゴージャス感が増したことは確かである。悪くないね。

 14:00過ぎまで滞在し、14:25、帰宅。夏オフ準備を少々。

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*2015年07月26日:仕込みと練習


 今日も朝から晴れているので、湯風景しおり。9:50に着いたら、第1駐車場が満杯で、第2駐車場に停めるハメになった。こりゃあ混んでるぞ..と覚悟したのだが、もちろん盛況ではあるが、混雑感はさほどでもない。施設全体としてのキャパが増えたのかな。(例えば、私が足を踏み入れることはない「鍼灸」ルームに居るとか。)

 昼過ぎに引き上げ、来週に迫った夏オフの準備を、大車輪で仕上げる。シンセの仕込み(ハープグリッサンドとか音色の確認とか)とバックアップ、一応完了。今年もまた、(特に1日目、)コントラバスのパートがたくさん回ってきそうなのだが、どの程度弾けるかなぁ..

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Jul 30 2015
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