*2012年10月08日:お伽草子展/シャルダン展
*2012年10月09日:「蒐集魂」
*2012年10月10日:あの曲は..
*2012年10月11日:あなたはだあれ?
*2012年10月12日:低周波攻撃 [;^.^]
*2012年10月13日:ももクロZ通信と化している..
*2012年10月14日:台風の爪痕
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*2012年10月08日:お伽草子展/シャルダン展


 天候回復。実家前のバス停から8:41のバスで発つ。10:05にサントリー美術館着。「お伽草子 この国は物語にあふれている」である。

 まずは、狩野元信「酒伝童子絵巻」画像検索結果)、伝 狩野孝信「酒呑童子絵巻」画像検索結果)。「しぐれ絵巻」画像検索結果)は、女流の作品。女性キャラの顔は伝統的な「引目かぎ鼻」スタイルなのだが、男性キャラがまるで少女漫画 [;^J^]。切れ長の二重瞼 [;^.^]。こんなの、初めて見ました。驚いた。

 「第5章 見えない世界を描く−異類・異界への関心」の部屋の手前に、「展示内容にあわせ、この先の照明が暗くなっております」という看板が掲示されているので、なんのことやらと思ったら、「付喪神絵巻」「百鬼夜行絵巻」のコーナーなのでした [^J^]。前者からは「祟福寺本」画像検索結果)、後者からは「真珠庵本」画像検索結果)をはじめとして、様々なバージョンを見比べることができるのが楽しい。[^.^]

 12:05に退出。ミッドタウン内の(別フロアの)「酢重ダイニング六角」で昼食。どうせ高い店ばかりだろうと思っていたのだが、この店のランチは比較的リーズナブル。「サバの塩焼きセット」を頼んだのだが、サバの量も多く(ケチな定食屋の倍はあり)、米・味噌汁おかわり自由で1580円なのだから、これは当たり。美味しいし。[^.^](食の細い私が、思わず米も味噌汁もおかわりしてしまいました。)

 13:45に、有楽町の三菱一号館美術館。「シャルダン展」である。わりとすいており、落ち着いて観られる。

 驚くべきは、「羽根を持つ少女」画像検索結果)の、実に近代的な、円錐形を組み合わせた幾何学的なフォルムである。セザンヌを越えて、遥かにキュビスムの足音が聞こえる..

 私の大好きな「食前の祈り」に、いくつものバリアント(別バージョン)があるとは知らなかった。私が幼少期より親しんでいたのは、おそらく1740年版(画像検索結果)だと思うが、1744年版(画像検索結果)も展示されている。後者の画面左下、サインに半ば重ねて「1835」と朱で書かれているのは、なんなんだろう?

 「セリネット(鳥風琴)」画像検索結果)も、素敵な作品。シャルダン最後の風俗画とのこと。私は、鳥風琴という楽器の存在を知りませんでした [;_ _][;^J^]。「カーネーションの花瓶」画像検索結果)は、確かに当時の伝統的な「花束」の絵とは全く異なる、どう見ても、19世紀末(から20世紀初頭)のルドンの花の絵に150年も先駆けている、突然変異的・超時代的な、異常な傑作というほかはない! そして、「木いちごの籠」画像検索結果)! なんなんだ、これは。なんなんだ、これは!

 15:10に退出。もうひと遊びするには中途半端な時刻であるし、何しろ目の前に東京駅があるので、ここは素直に浜松に早帰りすることにして、東京駅へ徒歩で向かう..

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 ..ここ最近、東京駅に丸の内側からアプローチしておりませんでしたのでね [;^J^]。そーかそーか、そーだった。今はぶっちゃけ、撮影会兼スケッチ大会の会場なのであった [;^J^]。確か2階建てだったはずなのに、久しぶりに再会したら3階建てになっていたというのは、ちょっとした衝撃。これを見てうっかり「BD2(「うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー」)」を想起してしまったあなたは、泣こうがわめこうが、こちら側の人間である。(BD2では、3階建てと4階建てだが。)

 ..というわけで、しばし東京駅見物 [;^.^] をしてから、16:03のひかりで浜松へ。18:20、帰宅。



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*2012年10月09日:「蒐集魂」


 「レコード芸術」誌10月号の「特集 蒐集魂」の冒頭に掲載されている、片山杜秀氏のエッセイ「蒐集人宣言――「無常と蒐集」」は、力強い名文である。心の底から、全文引き写して紹介したいのだが、そういうわけにもいかないので、前半は要約し、後半を引用する。

 CDやDVDの厖大なコレクションを収める氏の自宅は、北関東にある。3.11で、自宅は無事であったものの、コレクションは倒壊し、それだけなら片付ければすむのだが、原発までは遠くない。これらの蒐集物が放射能で汚染されて持ち出し禁止となるに違いない、と、ひとたび、絶望に襲われる..

 その最悪の事態を幸いにして免れたとき、氏は「方丈記」を思い出す。世の無常を思い知った鴨長明は物への執着を捨て、山奥に引きこもり、簡素な暮らしを選ぶ..

 しかしどうも納得がゆかない。無常を知ることと、空間を狭くして物を減らすこととは、必ずしもつながらないのではないか。常なるものは何もなく、次にいつ何が起きるか分からないなら、物を増やそうが減らそうが、都に居ようが鄙に引っ込もうが関係ないではないか。方丈に住んで物を少なくして小回りがきいても死ぬときには死ぬ。無常は世界に対して平等である。物の少ない鴨長明の庵も物の多い大英博物館もどうせ滅する。
 無常を知れば知るほど、明日をも知れぬと思えば思うほど、物事への執着を捨てるというのも、なるほどひとつの人情だろう。が、だからこそ今この瞬間にこだわり、かえって物事に執着して、何もかも先延ばしできなくなるというのも、もうひとつの人情ではないか。今、出来ることを我慢していては本当に出来なくなってしまう。我慢しない。やれることはやる。そういう思いが募ってはいけないのだろうか。
 もちろん本当に何もかも我慢しなくなったらえらいことだ。何だかんだ言っても私はいろいろな欲望を相変わらずとても我慢して暮らしている。小心者である。が、LPやCDやDVDを個人として金の続くかぎり蒐める程度のことは遠慮しなくてよいのではないか。私はやはり物を集めて並べるのが好きだ。「たくさん蒐めても聴ききれないでしょう、見きれないでしょう」とか言ってくださる方もあるが、余計なお世話だ。

 そもそも録音物や録画物、あるいは書物は、ものとして手許にあることに絶対の意味があると思う。実際に聴いて見て読まなければ持っていても無意味ということはない。いつでも聴ける・見られる・読めるという可能性を担保しつつ物理的・空間的に身近に存在し、自分の所有物として愛でられるのが幸せということもある。愛でているだけで身に染みてくるものがある。
 もしかしてこの中身はとってもいいものかもしれないぞ。そう思えるだけでもかなり嬉しい。実際に中身を味わい尽くして満足出来ればなお楽しい。満足出来なくても大して失望しない。そんなに立派なものや本当に気に入るものが世の中にたくさんあったらおかしいではないか。とにかく物が充溢していて空間的に圧迫される段階で既にかなり快い。目方とか触感とか横に並べ縦に積む動作とかにまで悦楽を感じる。それが蒐集家の心持ちというものではあるまいか。結局「3.11」からあと、ますます物を蒐めたがるようになった。無常を感じたつもりがかえって物欲を深める。間違っている気がするがどうにもならない。

除夜の鐘おれのことなら放つといて 中村伸郎
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*2012年10月10日:あの曲は..


 「..「だったん人の踊り」だったんですか..」← これは、基本。ただ私の場合、近年は、上京して山手線で品川−渋谷間を移動するたびに、「五反田に来たんだ..」と呟いておりましてね..

 ..ごめん、今夜は、これだけ。[;^.^]

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*2012年10月11日:あなたはだあれ?


 もちろん、ウルトラセブンの感動的な最終回の直前の、第47話のサブタイトルである..ではなく。[;^.^]

 フェイスブックをやっていて一番困るのが、「本名を知らない昔の知り合い」からの友達リクエストである。これは多くの人が、共感してくれるのではないかと思う。

 典型的には、昔のパソコン通信(ニフティサーブなど)の知り合いである。当時のパソコン通信は(アサヒネットなど、一部の例外を除き、また、パソコン通信ではないが、インターネットのニュースグループやメーリングリストを除き)実名を名乗らない人が多数派だったので、当時(から)の知り合いについては、いわゆる「ハンドル名」しか知らない場合が多いのである。(昨今のツイッター文化やブログ文化については詳しくはないのだが、まぁ大体似たようなもののようである。)

 その、彼(彼女)がフェイスブックのアカウントを取得して、私のアカウントを見つけ、友達リクエストを送ってくださる。ありがたいことである [_ _]。ただし、フェイスブック文化に従って、本名を名乗っているのである。この時点で、自分がしていることが「どこかおかしいのではないか」と、気が付いてしかるべきだと思うんですけどね。私はね。[;^.^]凸

 顔写真を公開していてくれれば、まだましである。しかし実は写真だって、個人を特定するための確実な情報というわけではないのである。近年も顔を合わせている人ならばともかく、20年ぐらい前に数回会っただけの人なんて、写真を見ても名前(ハンドル名)を思い出せるものではない。そして、実に多くの場合、顔写真どころかその他の個人情報も、ほとんど公開されていない。「本名と生年月日だけ」のケースが、極めて多いのである。思いあまって本名でぐぐってみたりもするが、仮にヒットしたとしても、どう考えても同名異人だろうと思われる人ばかりである [;^J^]凸。個人情報の乏しさについては、意図的に伏せているのではなく、単に「気が付いていないだけ」だと思われる。「ニフティの**フォーラムで**と名乗っておりました」ぐらいは、書いても害は無いと思うんですけどね。まぁ、「黒歴史」だったのかも知れませんけどね。[^.^]

 結局、「ほんの少しの想像力」が足りないだけなのである。「この人は、私が誰だかわかるかな?」、という..ひとつ、よろしくお願いいたします。m[_ _]m

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*2012年10月12日:低周波攻撃 [;^.^]


 私の勤務先の、道路をはさんで向かい側の野原で、工事が始まっている。聞くところによると、1500人規模の工場だか事業所だかが建設されるらしい。それは一向に構わないのだが(出勤/退勤時刻の交通渋滞を今から気に病んでいる人もいるが、私はそんなことは気にしない)、問題は工事の騒音、いや、振動である。

 推定、5Hzないし7Hz程度の、地震兵器? [;^.^]

 マジで気持ちいい。いや、気持ち悪い [;^.^]。無料のマッサージだと思い込むことは不可能ではないが(それは妄想 [;^.^])、本物の地震が来た場合に(区別がつかずに)ワンテンポ逃げ遅れるのは、確実である(← これは、本当)。

 振動攻撃といえば、もちろん、「カエアンの聖衣」の冒頭に登場する、ラッパ怪獣である。怪獣同士、敵を破壊する固有振動数を探って低周波を発しあう、まったく無音の静かなる決闘..SFファン以外が読んでいるはずは無いが、たとえSFファンであっても、若い連中の視界には入っていないんだろうなぁ..世界は、あなたが知らない宝石で満ち溢れているのだよ。

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*2012年10月13日:ももクロZ通信と化している..


 ..などということがあるわけが無いが [_ _]、それはそれとして、今夜は、ももいろクローバーZの話題である。[^.^]

 本日、スカパーの「テレ朝チャンネル」から録画した「ももクロ春の一大事2012 横浜アリーナまさかの2DAYS -1st- ももクロ☆オールスターズ2012(2012/04/21 Live)」は、実は、4ヶ月前に同チャンネルから録画した「ももクロ春の一大事2012 横浜アリーナまさかの2DAYS(2012/04/22 Live)」と対になる番組である。(2日間にわたるライブの初日と2日目。)当然、4ヶ月前の時点で同時に放映されていたのだが、そのときには 2012/04/21 分は別の番組と重なってしまい、録画できなかったのである。ようやく、揃ったというわけだ。

 なるほど、相互補完的な内容になっている。2日間にわたるとは言っても、それぞれ独立したコンサートなのであるから、当然、演奏曲は大幅にだぶっているのであるが、そこをうまくネグって、この2本を続けて観る人に配慮している。

 この 2012/04/21 のコンサートの白眉は、しかしながら「夏のコンサートの会場発表シーン」であろう..大概の読者は目が点だと思うので [;^J^]、以下に、少し詳しく説明する。

 夏に大規模なコンサート(「Summer Dive2012」)を行う。日程は既に発表されている(8月5日)。しかし会場がどこであるかは、一般公表はおろか、メンバーにも秘密にされている。ももクロのスタッフには、こういう重大発表を、ももクロのコンサート会場で(いわばドッキリ的に)行い、ファンのみならずメンバー自身の度肝をも抜くという性癖があるらしいのである。[;^J^]

 で、問題の発表シーン。ステージ上でこの件のトークをしているメンバーたちは、不平たらたらである(「先に教えてくれればいいのに..」)が、この「夏のコンサートの会場発表」“だけ”のために、松崎しげるが呼ばれており(ももクロびっくり!)、彼が自分の持ち歌(「愛のメモリー21」)を歌いながら、その替え歌で(歌詞を一部変更して)会場を発表する(歌い上げる)はずであったが..松崎しげるは「愛のメモリー21」を気持ちよく歌いきってしまう。ももクロに責められた彼は、そーかそーかうっかりしてた、と謝り、次の曲で会場がわかる!、と、もうひとつの持ち歌を歌いはじめる。

 「地平を駆ける獅子を見た」である。

 この時点で、ももクロのメンバー5人は、ステージ(正確に言えば、会場の中央に張り出したサブステージ)の上で、正面を向いている。つまり、ステージ背後の大スクリーンを背にしているのだが..どうして、この曲が? ..このとき、スクリーンには広大な芝生が映っている。(それを見た)会場の気配に反応したあーりんが、えっ?と、スクリーンを振り向く。他のメンバーの反応は、少し遅れる。百田夏菜子が、もしかして..と、ゆっくり振り向いたときには、スクリーン上では、巨大な球場の映像に重なって「西武ドーム」の文字が!

 ..この、衝撃の発表シーンの(映像の)呼吸は、実に見事である。ことさら凝ったことは何ひとつしておらず、細かいカット割りもしておらず、おそらくは偶然の産物なのだが、メンバーの動作と表情の変化、会場の反応の変化が、結果的に素晴らしく見事につながって(編集されて)いる。

 「地平を駆ける獅子を見た」は、まだ歌い続けられている。ももクロたちは、西武ドームという超巨大会場(「収容人数 30,000人」、と、映し出される)でコンサートを行うというドッキリ発表自体に、まず、度肝を抜かれているが、どうやら「それ以外の理由」でも焦りまくっている。このとき、会場の大歓声に迎えられて(かぶりものの)レオとライナが登場し、歌い続けている松崎しげるに迎えられる。このシーンでも(何故か)ももクロたちは動転している。

 彼女らが、歌い終えた松崎しげるを囲んでアワアワしているのは、「夏のコンサートの会場が西武ドームである」こと自体の衝撃だけでなく、それが秘密にされていたとはいえ、少し考えればその真相に辿り着けたはずのヒントが、「スタッフから、ももクロに、目一杯提示されていた」からである。

 何よりも、この時点で、彼女らのコスチュームは「野球のユニフォーム」なのである [;^.^]。さらに、レオとライヤであるが、実は彼らはドッキリ登場ではなく、「リハーサルの時点で、ももクロに会っている」のである。その時点では、他の(マスコット)キャラクターの「お友だち」としてやってきた、と(ももクロたちに)紹介されていたようであるが..ここまで露骨に伏線を見せつけられても気が付かないももクロたちの知力も知力であるが [;^.^]、ここまで露骨に伏線を見せつけてもももクロたちの知力ならばばれることはあるまい、と(正確に)見切ったスタッフもスタッフである。[;^.^][;^.^][;^.^]

 これだけではない。松崎しげる曰く、「だって、西武ライオンズに出るって、意気揚々として胸にLionsと書いてるじゃない」..書かれていない。胸には「Momoclo All Stars」というゼッケンが貼られている..「それを剥がしてごらん」..剥がした下には、「Lions」のロゴが![;^.^][;^.^][;^.^] つまり、マジックテープでゼッケンが貼られていることにすら、彼女らは気が付いていなかったのである![;^.^][;^.^][;^.^] 悲鳴を上げ、膝から崩れ落ちるももクロたち [^.^][^.^][^.^]。自分たちの間抜けさ加減と、その間抜けさ加減を正確に把握してそこに付け込んだスタッフの両方に憤激するが、もう遅い。[^.^][^.^][^.^]

 いやはやまったく、松崎しげるの登場から、このシーンまで、あまりの面白さに20回ぐらいリプレイしてしまいました(← 莫迦..[;_ _][;_ _][;_ _][;^.^])

 附言しておくと、この演出が成立するのは、「愛のメモリー21」も「地平を駆ける獅子を見た」も、名曲中の名曲だからである。「音楽のパワー」に依存した仕掛けだったのであり、それはまさに、「コンサート」の「余興」に相応しい、素晴らしい趣向であった。[^J^]

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*2012年10月14日:台風の爪痕


 雲が多いが、降りはしないらしいので。浜名湖一周サイクリングである。通算、9回目。8時に発つ。

 途中、館山寺のコンビニで、つい最近、吾妻ひでお氏が(んまい!、と)ツイートしていた「森永 濃厚チーズスティック」を食してみる。なるほど、美味い。[^J^]

 11時に「カフェ寸座フランセ」。ここまで52キロ。なんと、全行程のちょうど中間点であり、3時間でここに着く。つまり、1時間食事休憩して12時に発てば、15時に帰れる計算である。ちょうどいいな。(逆に言うと、8時より早く出発すると、ここに着くのが早すぎることになる。)

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 12時に発ったが..まったく想定外の事態が発生。大崎半島の東岸から南岸にかけて、つまり概ね、三ヶ日青年の家から新瀬戸橋手前、礫島を臨む当たりまでの湖岸のサイクリング道路が荒れている。数えたわけではないが、10個所(20個所?)以上で、かなり大量の(貝塚のごとく貝殻混じりの)土砂が打ち上げられている。なんとか走れる個所もあるが、数十センチもうずたかく積もっているところも多く、自転車では危険で乗り越えられない。(踏み固められた砂利道ではなく、ふわりと乗っているだけなので、車輪がずぶずぶと沈んでハンドルを取られるのである。)降りて押さなくてはならない。前回の浜名湖一周サイクリングのとき(9月29日)には、こんなものは無かった..一体、何故?

 ..もちろん、9月30日から10月1日にかけて浜松を通過した、台風17号である。こんなことになっていたのか..

 気になるのは、これがいつ「片付けられるのか」、ということである。台風の日から2週間も経って、まだ手が付いていないという事実からは、恐い考えしか導出されないのであるが..[;_ _][;_ _][;_ _][;^.^]

 なにしろ、ここは生活道路ではない。自動車は通らないし、歩行者は全員散歩者である。散歩者にとって、この程度の土砂はなんでもない。困るのは、自転車乗りだけである。(MTB乗りは喜ぶかも知れないけど、論旨が発散するので、奴らは無視する。[;^.^])

 言うまでもないことであるが、「趣味で自転車に乗っている人間」なんぞは、世の中で一番「位(くらい)」が低い、士農工商で言えば、上から数えて6番目か7番目の身分なのである。[_ _](← いろいろやばいので、ここんとこ、掘り下げないでください。[;^J^])「自転車乗り」のために行政が動くとすれば、ほかに金の使い道が無い場合に限られると考えて、まず間違いはあるまい..

 まぁ、台風シーズンが完全に過ぎるまで、待っているのかも知れないけど..そう簡単には片付けられないのである。小型のブルドーザー(あるいはユンボ)を投入するのが常道だと思うが、この道は(自動車が走行する)道路からのアクセスが悪く、作業車を使いにくい..というか、作業車の重量に耐えられない可能性が高い。となると、人力に頼らざるを得ないかも..

 結局、この経路で想定外の時間を食い、15:30に帰宅。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Oct 18 2012
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