*2011年07月25日:埋めるし..[;-_-]
*2011年07月26日:掘り返すし。[;^.^]
*2011年07月27日:9月までの展覧会
*2011年07月28日:小松左京、逝去
*2011年07月29日:巴水が欲しい
*2011年07月30日:献血/スコール
*2011年07月31日:「ダールグレン」、読了
*目次へ戻る *先週へ *次週へ


*2011年07月25日:埋めるし..[;-_-]


 「ギャル曽根、結婚」、という記事の見出しを見て、コンマ3秒フラットの反射速度で「食費は?」という想念を叩き出した私の灰色の脳細胞は、まだまだ若いものに負けちゃおらんっ(← この時点でメタにいろいろ負けてるとかの正論は、禁止。[;^.^])

 中国、まさか、先頭車両を粉砕して埋めるとはね [;-_-]。日本はもちろん、少なくとも先進国であればどこの国でも絶対に見ることができない、超現実的な光景である。

 「事故原因の隠蔽」では、ないと思う。そこまで「高級な」理由ではない、単なる取り繕いだろう。みっともない(体面を傷つける)ものを片付けて、無かったことにしようとしてるだけ(..もしかして、それを隠蔽と言いますか? [;^.^])従って、残念ながら、このタイプの事故は、必ず再発するであろう。だって、原因究明も再発防止も水平展開も、しそうもないんだもの..(そういう概念が、文化的に存在しないのかも知れない。)

 「世界からの信用」という意味では、「事故自体よりも、車体を埋めたことの方が、遥かに重大である」ということが、理解できないのだろうね。

*目次へ戻る


*2011年07月26日:掘り返すし。[;^.^]


 ..あ、掘り返した。[;^.^]

 「言われたから(しぶしぶ)やった」、の、実にわかりやすいサンプルだなぁ..[;^J^] まるで、小学生。どのみち、ちゃんと調べる気はないんだよね..

*目次へ戻る


*2011年07月27日:9月までの展覧会


 例によって、現在見えている範囲で、9月頃までに観に行く予定の展覧会を、閉会日が早い順にリストアップしておく。リンクリストにしておくと、あとで何かと便利なのである。(当日、美術館の場所を失念した場合とか、新幹線に乗ったはいいが、どこに何をしにいくつもりだったのか思い出せない場合とか..[;_ _][;_ _][;_ _][;^.^])

*静岡市美術館
 「歌川国芳展
 8月21日(日)まで

*川崎市市民ミュージアム
 「実相寺昭雄展ウルトラマンからオペラ「魔笛」まで
 9月4日(日)まで

*山種美術館
 「日本画どうぶつえん
 9月11日(日)まで
 (一部展示替:前半7/30〜8/21、後半8/23〜9/11)

*東京国立博物館
 「空海と密教美術展
 9月25日(日)まで

*国立西洋美術館
 「大英博物館 古代ギリシャ展 究極の身体、完全なる美
 9月25日(日)まで

*米沢嘉博記念図書館
 「耽美の誕生 ボーイズラブ前史
 10月2日(日)まで

*国立科学博物館
 「恐竜博2011
 10月2日(日)まで

*練馬区立美術館
 「磯江毅=グスタフ・イソエ マドリード・リアリズムの異才
 10月2日(日)まで

*浜松市美術館
 「岐阜県立美術館所蔵 ルドンとその周辺展 〜夢見る世紀末〜
 9月6日(火)〜10月10日(月)まで

*静岡市美術館
 「アルプスの画家 セガンティーニ −光と山−展
 9月3日(土)〜10月23日(日)まで

*箱根ガラスの森美術館
 「華麗なるヴェネチアン・グラス展
 11月3日(木)まで
*目次へ戻る


*2011年07月28日:小松左京、逝去


 中国の高速鉄道の事故の原因は、信号の欠陥だとのこと。報道内容が事実ならば、ほとんどあり得ない「逆フェイルセーフ」であるが..発表のタイミングがあまりにも早く、調査しきれていないと思われるので、鵜呑みにはできない。

 小松左京、26日に肺炎のために逝去。享年、80歳。

 作品の「量」と「質」と「多様性」の“巨大さ”という意味では、手塚治虫に匹敵する漫画家が二度と現れないであろうことと同様、小松左京に匹敵する(SF)作家も、もはや二度と現れないのであろう。

 合掌..

*目次へ戻る


*2011年07月29日:巴水が欲しい


 「第20回 東急東横店 渋谷大古本市(8/11〜8/17)」の目録をチェックしているのだが..いきなり目を奪われたのが、表3と表4にカラーで掲載されている(某書肆から出品されている)川瀬巴水の木版画群である。今春、大阪の天神橋筋商店街の古本屋で夕暮れ巴水」(林望、講談社)を発見して以来、気になっている版画家なのだが(画像検索結果)..あまりの素晴らしさに、息を飲む。

 最も高価な作品は120万円で、これには当然手が出ないが、最も廉価な作品は10万円。とりわけ魅力的な作品群が、20〜30万円..これなら買える..買えてしまう..どうしよう..[/_;][/_;][/_;] まぁ、どう考えても注文が殺到しており、抽選負けすることは目に見えているのだが [;^J^]。それに、この目録では、実物の本当の色合いが判らない。版画に限ったことではないが、ほんの僅かな色調の違いで、印象が全く変わってしまうことは、珍しくない。

 会場に出向けるのは、2日目(8/12)の11時頃である。ほとんどありそうも無いことではあるが、まんがいち、その時点で売れ残っているようであれば、その場で現物を観て、悩むことにしよう。

*目次へ戻る


*2011年07月30日:献血/スコール


 晴れたので、自転車で湯風景しおりへ。10:15から13:40まで。最近、晩飯を手抜きしていて、しっかり食べていないので、1キロ以上、体重が減っている。いかんなぁ..

 帰路、その足で、浜松名鉄ホテルの隣の「献血ルーム・みゅうず」へ。成分献血である。1時間はかかるので、時間つぶしが必要になる。前回は未見のDVDを持参したが、今回は読書。「ダールグレン」の第II巻を読み進める。

 15:45に出て、自転車で帰途について、およそ13秒後に最初の一滴。それから7秒と経たぬうちに、一気にスコール![;^.^] 目の前の立体駐車場の出入り口に走り込んで、雨宿り。ものすごい降り方であるが..しかし、爽快でもある。いかにも夏らしい天候だ。[^J^]

 ..それはいいのだが、やることが無いので [;^J^]、雨水の跳ね返りに注意しながら、読書の続き。20分以上経って、16:08にようやくに小止みになったので、隙をついて自宅まで自転車をとばす。15分弱で(さほど濡れずに)帰宅できたが、30分ほど経ってから、また、大雨。以降、断続的に降ったりやんだり。

*目次へ戻る


*2011年07月31日:「ダールグレン」、読了


 夏オフのシンセの仕込みをしなくてはならないのだが、もうだいぶ前から取りかかっている「こいつ」だけは、片付けておかないと..

 ..というわけで、ようやく読了しましたよ!ダールグレン I、II」(Samuel R. Delany、1974、大久保譲訳、国書刊行会、未来の文学)..やれやれまったく、えらい目にあいました..[;_ _][;_ _][;_ _][;^.^]

 まさに伝説の作品であった。1970年代?にSFマガジンの「SFスキャナー」で紹介されて以来(すぐにはこの記事をバックナンバーから探し出せないのだが)、深層意識の奥深くで、ずっと、このタイトルが蠢きつづけていた。だからこそ、36年もの年月を経てようやく翻訳された、この(非常に)分厚い作品を、(自己責任で)読み始めたのだが..

 ..「つまんねー!」、の一言で片付けられたらどれほど楽かと(本当に)思うが [;_ _][;^J^]..事態はそれほど単純ではないのだ。もやっと感が残るのである。

 大雑把にまとめると、「なんらかの災厄」に襲われて人口が激減し物流も崩壊し無政府状態に陥った「ベローナ」という都市にやってきた、自分の名前を思い出せない青年の流浪譚であり、彼はこの都市で、さまざまな人々(ヒッピー的なコミューンや、プチブル的生活を堅守しようと汲々としている一家、高名な詩人や元宇宙飛行士などの「文化人」たち、そして、ヘルス・エンジェルスのごとき愚連隊(スコーピオンズ)など)と関わりながら、詩人として目覚め、詩集を出版するが..

 ..ここで問題です。これ、「SFとして」面白くなりそうでしょうか、なりそうもないでしょうか [;^.^][;^.^][;^.^]。実際、SF的な「意匠」は、ほとんど無いに等しい。スコーピオンズが身につけている、さまざまな怪物的な姿に変身できるガジェットは、要するに「ホログラム」の応用(現代の技術の手近な延長)だし、主人公の主観から見ると時間がしばしば「飛ぶ」件についても、時間流が「物理的に」一定していないとか、そういう「SF的な」話ではない。この都市の「支配者」を自認している「新聞発行者」が、おのれの発行している日刊新聞に好き勝手な日付をつけているように、もともと「人為的に」時間がぐちゃぐちゃにされている作品世界なのであって、主人公がしばしば「時間を失う」ことは、(形而下的には)健忘症か何かで説明されるべき事象に過ぎない。

 大きな道具立ても、あるにはある。この都市は、ときどき姿を変える。(建造物や川などの配置が変わる。)そして、第2の月や、超巨大な「太陽」の出現など、まさに超常的な天体現象が発生する。しかし、これらについての説明は、いっさい、無い。

 何かを象徴していることが明らかな大道具や小道具やプロットは、山ほど出てくるし、文章も「ときどき」美文調になる。(翻訳者の苦労が偲ばれる節も、数多くある。)「言語実験」も見え隠れする。最終章の「ポストイット」の趣向を、今さら面白がることはできないが..いずれにせよ、「現代文学」としては、評価に値する作品なのだろう。トマス・ピンチョンの「重力の虹」に匹敵する傑作、と、称揚されてもいる。ただ、私は、「重力の虹」を読んだことを、さほど幸せな体験とは思っておりませんのでね..[;^J^]

 ..要は、猫に小判ということなのだろう。それはそれで、仕方がない。

 この「伝説の傑作」を読むべきかどうか、誰かに相談されたら..即答できない。まずは、その人の読書歴(と、必要に応じて「人生の来歴」[^.^])をヒアリングし、彼との今後の(あるべき)人間関係も含めて慎重に検討してからである..[;_ _][;_ _][;_ _][;^.^]

 ..というわけで、ようやく 邪魔物が片づいた 胸のつかえがおりたので [;^J^]、晴れ晴れとした気分で [;^.^] 夏オフの仕込みに着手する。

*目次へ戻る *先週へ *次週へ


*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Aug 4 2011
Copyright (C) 2011 倉田わたる Mail [KurataWataru@gmail.com] Home [http://www.kurata-wataru.com/]