*2010年09月06日:サランラップの光と影
*2010年09月07日:風邪気味 [/_;]
*2010年09月08日:医者に行く
*2010年09月09日:「文豪怪談傑作選 幸田露伴集」
*2010年09月10日:うっかり買うところだった [;_ _]
*2010年09月11日:郵便局のATMでトラブル
*2010年09月12日:「画家たちの「戦争」」
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*2010年09月06日:サランラップの光と影


 これは以前も書いたかも知れないが、大切なことなので、改めて書く。

 サランラップの利便性は、言うまでもない。しかしこれの取り回しには、ちょっとした熟練が必要である。皿に置かれた食品などをくるむ前に(空中で)ひっついてしまった場合のリカバリーが、大変面倒なのである。(そしてまた急いでいるときに限って、リカバリーしようとすればするほど、どんどん事態は悪化する。)

 冷凍ご飯を作るために、炊きたてのご飯をラップでくるむときのコツを、かつてNさんに教えていただいたことがある。それは、まな板を少し濡らしておき、その上にラップを敷く、というものである。この上にご飯を乗せてくるむのだが、これ以外の手段が考えられないほど、トラブルフリーな方法である..ラップをまな板に敷くまでに自爆してくっつかない限りは。[;^J^]

 そもそも、コツ(熟練)を要する時点で、未熟な製品だと言わざるを得ない。一体全体、人類文明ともあろうものが、どうしてこの程度の課題を、いまだに解決できないのであろうか。デフォルトではくっつかず、「ハッ」、と「気」を送ればくっつくようになる、という程度の機能(性能)は、当然必要なのではあるまいか。

 Mさんから、iPhone 3G が届いた [^.^]。これで、バックアップ機を確保できた。やれやれ。

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*2010年09月07日:風邪気味 [/_;]


 昨日から、風邪気味である [;_ _]。油断してしまった。

 症状は、僅かにひとつだけ。唾を飲み込みにくいのだ。喉が、ちょっとひっかかるのだ。ほんのささいな「前触れ」に過ぎないが、これがたちまちエライことに発展しかねないということは、私も重々、承知している..

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*2010年09月08日:医者に行く


 夜間、咳が酷く、眠りが浅い。朝、少し雨。昼、大雨。

 午後半休。咳がきつい。収まっているあいだはいいのだが..医者で薬をもらう。

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*2010年09月09日:「文豪怪談傑作選 幸田露伴集」


 涼しくなった..といっても、朝夕だけのことではあるが。咳も、少しはマシになったかな。

 少し前に読了したのだが、書き忘れていた。「文豪怪談傑作選 幸田露伴集」(東雅夫編、ちくま文庫)。集中の最高傑作は、私見では「対髑髏」である。作者を主人公とする実話怪談の趣向で、山中で出会った女がただ者ではないことと、その“業病”の正体は、読者には早くから見当がつくが、それでもなお、幽玄なムードから凄惨な猟奇絵図に一瞬で変わる幕切れの鮮やかさは、印象的である。東雅夫によれば、近代最初の怪談文芸作品とのこと。

 「新浦島」は、浦島太郎の百代目の子孫が、聖天毘奈耶伽王を召し出して魔道を修めんとする。諧謔を弄する饒舌体が楽しい。ほか、小説からは「土偶木偶」「幻談」「観画談」など。エッセイでは、「それ鷹」で引用されている談(はなし)が、怪談ではないが非常に面白い。ほか、「怪談」など。

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*2010年09月10日:うっかり買うところだった [;_ _]


 桃屋の「辛そうで辛くない少し辛いラー油」は、いまだに品薄である。先日、Oさんのご好意で1個(初めて)入手できたのだが、それは実家の母にプレゼントしたので、相変わらず手元にはなく、探しているのである。

 本日、ふと、楽天の某ショップにアクセスしたら、普通に買えるではないか! 最大12個までで、12個買うと送料無料、とのことなので、迷わずカートに12個入れて、いそいそとクリックしていて..気がついた。単価990円ではないか!

 これは定価は400円しないはず。(300円台の前半だったっけ?)需要が集中すれば値上がりするのは正しい資本主義だが、3倍ではね..大体良く見ろよ、12個で11880円! [;^.^] というわけで、購入中止。いやはや、危なく買ってしまうところでしたよ [;^J^]。もっと普通の値段の店を探すことにしよう。

 それにしても、12個、カートに入れることが出来たということは、ひところよりも需給が緩んできたということだろうか。数ヶ月前、やはり楽天の別の店から「在庫僅少」で出品されたときは、カートに入れるどころか、そもそもサイトへのアクセス自体、不可能だったのだが..いやいや。錯覚してはいけない [;^J^]。値段も見ずにカートに入れるような慌て者は、滅多にいないというだけのことである。[;^.^]

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*2010年09月11日:郵便局のATMでトラブル


 酷暑である。

 風邪の病魔を焼き殺すには、炎天下の日光浴が一番である..というわけで、9:40から13:45まで、湯風景しおり。

 街中に出て、りそなで金を下ろし、チケット屋で新幹線回数券。駅前の郵便局のATMで振り込みを1件..ここで、ケチがついた。

 口座引き落としではなく、現金で振り込んだのであるが、(面倒なので理由は省く、)紙幣を入れ、硬貨を入れた時点で、サービスコールメッセージ [;_ _]。電話をかけると、サービスマンが着くまで、30分かかるとのこと。思わず、「30分!?」、と、聞き返してしまったが、ここでごねてもなんの解決にもならず、解決が遅れるだけなので、呼び出し用の電話番号を伝えて、谷島屋書店に時間を潰しに行く。(それにしても、この時間帯、まだ局内に人がいるはずなのだが。)

 約20分後にコールがあり、ATMまで戻る。サービスマンが投入金額(10100円)を返してくれたので、彼が見ている前で、再度同じ操作を行う。紙幣投入、OK。硬貨投入、OK。受理されて..明細書とお釣りが出るべきタイミングで、再びサービスコールメッセージ。[;_ _][;^.^]凸

 既に振り込み処理はされているらしく、こうなるとここから先は修理作業者の対応外の領域である。再びサービスに電話したところ、確かに振り込み処理はされているが、釣り銭と明細書が出るべきところで、ハードウェアトラブルが起こったとのこと。そしてそれは、今日、この現場では回復できないことらしいのである。

 なかなか考えにくいことではある。なぜなら物理的に、それらはこの機械の中にあるのだから..しかしここでごねても、多分、何の解決にもならない。月曜日に、郵便局の担当者からの連絡を待ち、その後、釣り銭と明細書を受け取ることができるというので、おとなしく、その段取りに従うことにする。

 つまりそれまでは、私が10100円を投入したという証拠も、振り込みをしたという証拠もなく、それらの預り証すら、受け取れていないというわけだ。ここは大人しく引き下がっておくが、通常の商取引では考えられない、飛んでもない状況と言わざるを得ない。

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*2010年09月12日:「画家たちの「戦争」」


 今日も酷暑。朝いちで散髪。

 風邪の病魔を焼き殺すには、炎天下の日光浴が一番である..というわけで、9:10から12:45まで、湯風景しおり。

 「画家たちの「戦争」」(神坂次郎、福富太郎、河田明久、丹尾安典著、新潮社、とんぼの本)読了。実に興味深い内容であった。

Picture

 何はともあれ、本書の巻頭にも掲載されている、藤田嗣治の「アッツ島玉砕」を見ていただきたい。ネット上では、この程度の解像度の画像しか見つけられず、ディテールが判りにくく申し訳ないが..それでも、この異様な迫力は感じ取ってもらえるのではないか。いや、異様な迫力どころではない、この正真正銘の地獄絵図は、まさに「究極の戦争画」としか呼びようが無いものだ。



 以前から、不思議ではあったのだ。これは1943年の展覧会で公開された作品であるが、一体全体、どうして軍部は、このような絵画作品の発表(どころか制作)を許したのであろうか。これはどう見ても反戦絵画であり、戦意高揚どころではないではないか..

 ..これがいかに皮相的な、戦時下の人心を理解できていない、いわば平和惚けした感想であるかが、本書を一読して、よっくわかった。

 「日中戦争期の戦争画にはいくつかの特徴がある。まず、敵である中国兵がほとんど画面に登場しないこと。登場すらしないのだから、画中の敵兵が傷ついたり、死んだりする場面の描写はあり得ない。また傷つかず、死にもしないという点では、日本兵も変わらない。かれらの多くはわれわれに背を向けて奮闘するさまが描かれるばかりで、観客に向かいヒロイックに訴えかける姿であらわされることはまずなかった。(中略)西欧アカデミズムの歴史画めいた戦争画が描かれなかった理由は、つきつめれば、例の日中戦争のあいまいな性格にある。戦争理念を十分共有できない多くの日本人には、中国を心底から悪玉と呼ぶことも、ひるがえって自分たちを善玉と信じることも容易ではなかったにちがいない。こういう心理状態では、悪玉も善玉も、それらしく描くことは難しい。というのも、それが善玉の痛みなら尊い犠牲、悪玉のものであれば因果応報の結果として、それぞれ心地よく読むことができるのに対し、善玉でも悪玉でもない人物の痛みは、ただ不快なものとしてしか受け止めようがないからだ。」(96頁)

 「1942年12月の第1回大東亜戦争美術展で公開された陸・海軍作戦記録画には、もはや日中戦争期のような、戦争を描きこなすことへの気おくれは見られない」(102頁)

 「ただし、下降線をたどったのは現実であって「大義」ではない。「大義」に支えられた物語があるかぎり、たとえそれが悲劇であっても、物語の演出家としての画家の立場は安泰だった」(105頁)

 「そもそも太平洋戦争の物語が始まったときから、日本兵の死は表現上のタブーではなくなっている。(中略)しかも「大義」にのっとった正しい死は、現実の迫害が間近にせまればせまるほど、「殉教」としての輝きを増す」(106頁)..

 ..つまり、この地獄絵図は、ほとんど「宗教画」に近いものだったのであり、その宗教画を必要としていたのは、軍部ではなく、作者でもなく、国民大衆にほかならなかったのである。

 同様のテーマの画集としては、「朝日美術館 テーマ編 1 戦争と絵画」もあり、本書ともども、お薦めできる。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Sep 16 2010
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