2010年06月21日:「SF雑誌の歴史」 2010年06月22日:「未来医師」 2010年06月23日:けっして、ライナスの毛布ではなく、 2010年06月24日:久々に「こうもり」 2010年06月25日:皆さん、寝不足なんですか? 2010年06月26日:ようやく着手:ブレラン全部入り 2010年06月27日:「夢魔のふる夜」目次へ戻る 先週へ 次週へ
先週末、これまで使っていたタジン鍋(外径19cm)を実家の母にプレゼントし、入れ替わりに本日、改めてアマゾンしておいたタジン鍋(外径22cm)が届いた。ふむふむ、外径もさることながら、内径(というより内容積)がひと回り以上大きく、これでだいぶ調理しやすくなりそうだ。
「SF雑誌の歴史 パルプマガジンの饗宴」(Mike Ashley、牧眞司訳、東京創元社)を読了。SF誕生以前の時代から1950年までのSF雑誌の歴史を辿る、資料価値が極めて高い文献である。(えーと、買ったのはいつだったかな。[;^.^])座右に置くほどではない(そこまで頻繁に参照することはない)が、隣室の「参考資料書架」には、常設しておくことにしよう。わざわざ突っ込むのもどうかとは思うが、一箇所だけ不思議な訳文(訳単語?)があったので、備忘までに書き留めておく。あるいは原文(原単語)の問題かも知れないが..第124頁で、「大目玉の怪物」に「バック・アイド・モンスター」とルビを振っているのである。これは変だと思う。
BEM(ベム)が何の略語であるのかについては、2つの説がある。「Bug Eyed Monster(昆虫目玉の怪物)」説と「Big Eyed Monster(大目玉の怪物)」説であるが、私は本来は「Bug Eyed Monster」だったのではないか、と思っている。それは、「Bug」よりも「Big」の方が「簡単な」単語だからであり、言葉が変化する場合、より「エネルギー準位」の低い方向へ変化しやすいだろうと考えているからであるが、まぁ、どちらが正しいとも言えない(正確な語源など、今となってはわからない)というのが、実際のところだろう。Wikipedia を参照しても、
ベム(BEM)は、Bug Eyed Monster(Big Eyed Monsterとも)の略語で、通常「大目玉の怪物」と訳される。
..などと、なんだかねじれた記述がされてるし。[;^J^]
なので、「バグ」でも「ビッグ」いいのだが、「バック・アイド・モンスター」というのは、初めて見た。「大目玉の怪物」へのルビなのだから、単なる誤植というオチかもしれないが..もしかして、後頭部に目玉のついてる怪物だったりして。[;^J^]
目次へ戻る「未来医師」(P.K.Dick、1960、佐藤龍雄訳、創元SF文庫)を、読了。
ディックの長編SFとしては、久方ぶりの邦訳であるが、長編に限らず、ディックの未訳のSFはほとんど残っていないはずである。私は、邦訳のあるディックのSF長短編は(うっかり [;^.^])ほとんど全て読んできてしまっているので、これも(やむを得ず [;;^.^])読んだわけであるが..言うまでも無いことであるが(別にディックに限ったことでもなく)、未訳だった作品にはそれなりの理由があるものである [;^J^]。もしもあなたが熱心なディッキー(ディックマニア)でないのなら、これを読む必要はない..ま、格別の駄作というわけでもないが。[;^.^]
ざっくり言って、過去改変を試みる未来人たちを登場人物とする、時間テーマである。主人公は医師で、この未来社会に(強制的に)タイムスリップさせられてしまう。それはいいのだが..問題は、この主人公自体、われわれ読者の時代(現代)よりも未来社会の住人なのだ。つまり、未来人が、もっと未来人に拉致された、という構図なのである。
つまり、いきなり「のれない」のである [;^J^]。過去と未来とを問わず、タイムスリップものでは、主人公を「現代人」とするのが定石である。(または、読者がよっく知っている時代の「過去人」。)さもないと、主人公の「知識/常識」を共有できず、主人公の「驚き」や「感動」(あるいは「落胆」)に共感できないからである。本作品の主人公は、さらに未来に連れ去られ、その社会の異様なありさま(たとえば、医療行為がタブーとされていることなど)に驚き呆れているのであるが、読者からみれば、どちらも未来人なので、「どっちもどっち」感を、拭い去ることができないのである。[;^J^]
ちょっと触れたように、「医療行為が禁じられている未来社会」に拉致された「医者」という設定が、この作品の根幹であり、主人公(医者)に、読者の時代(20世紀)の水準を遥かに越えた高度な医療行為をさせるために、未来人の医者という設定にしたのかと思われるが、その「高度な医療行為」に、さほどの重要性が無い。実のところ、「医療行為を忘れた」未来社会を効果的に描くのであれば、20世紀の(平凡な)医者をその社会に連れて行き、20世紀水準の医療行為をさせ、その(読者にとっては平凡な)医療技術に未来人を驚嘆させる方が、遥かに効果的である。(ちょ〜定石ではありますが。)
タイムパラドックスの処理なり、未来社会の風景なりの面白さが、そんな設定の「ミス」をカバーしてくれさえすれば、別に問題とするにもあたらないのだが..まぁ、ふつ〜のSFである。私は薦めなかったからね。[;^.^]
目次へ戻るいや、つまり、出勤時に iPhone をポケットに入れるのを忘れて出てしまい、結局、帰宅するまで iPhone を使えなかった、というだけの話なんですけどね。[;_ _][;^.^]
目次へ戻る終業後、勤務先から7キロほど離れた場所にある研究所まで、「レイクサイドコンサート」を聴きに行く。最新鋭の電子ピアノによるソロ(オール・ショパン・プログラム)と、電子ピアノ+弦楽四重奏団のピアノ五重奏曲編成にアレンジされた、同じくショパンのピアノ協奏曲第1番。
研究所から自宅までは、舘山寺街道を辿って11キロ強。現在、通勤時の友としてカーステに(確か20年ぐらい前に買った)「ウィンナ・ワルツ大全集」(DENON 00CO1156〜67、Robert Stolz指揮、ベルリン交響楽団、ウィーン交響楽団)をセットしてあるのだが、今夜はたまたま、いずれもヨハン・シュトラウス2世の「こうもりカドリーユ」や「チックタックポルカ」がかかった。いずれもオペレッタ「こうもり」からのスピンオフ作品(ってゆーか [;^.^]、要するに「こうもり」のメロディーの再利用)だったので、久々に「こうもり」自体を聴きたくなった。
帰宅後、先週末入手したばかりの「こうもり」のDVD(クライバー指揮、バイエルン国立管弦楽団、1986ライブ)をプレイヤーにセット。LDで108回ぐらい観ている公演であるが、LDをかけるのが面倒なので [;^J^] DVDを買い足したのである。やはり、「宴会芸術の最高傑作」だよなぁ、このオペラのこの公演は..
「ホラーM」誌(ぶんか社)休刊、という情報が、ツイッターで飛び込んできた。う〜む、う〜む..これで、高橋葉介の連載掲載誌が半減してしまったわけかぁ..(あとは「ミステリマガジン」だけ。)「幽」とか「サムケ」とかに、単発で描いてはいるのだが..
目次へ戻る5:30頃起床。ネットのニュース(「ネットニュース」に非ず)で、ワールドカップ日本代表がデンマークに快勝して決勝トーナメント出場を決めたことを知った。サッカーに格別の思い入れはないのだが、ここは素直に喜んでおきたい。[^J^]
ちなみに、サッカーに格別の思い入れはないといっても、とにかくこういう(報道の)状況であるから、日本時間で今朝の3:30から対デンマーク戦が行なわれることは、知っていた。知っていたが、もちろん起きているつもりもなかった [;^J^]。大体、私の睡眠時刻は、通常1:30〜5:00ぐらいで、コアタイムは2:30〜4:00ぐらい。だから、3:30スタートというのは、リアルタイム感染観戦としては、もっともありえない時刻だったのである。
ちなみに、サッカーに格別の思い入れはない私ですら、とにかくこういう(報道の)状況であるから、大会前にO監督がボロクソに貶されていたことぐらいは、知っていた。ここはひとつ、明日を担う日本の青少年たちの修身徳育の教科書に、「掌(てのひら)返し」の非常にわかりやすい実例として、2010年6月25日の日本の各紙/各評論家/各ブログのありさまを載せてはどうだろうか? [^.^][^.^][^.^]
目次へ戻る休日なので、早朝ウォーキングは佐鳴湖一周(7.5キロ、約70分)である。10分ぐらい歩いたところで(午前中いっぱいは降らないという予報を裏切って)強めの小雨になってしまったが、こんなこともあろうかと傘を持参していたので、Uターンせずに強行。[;^J^]
7:30に帰宅して、シャワー。9:30過ぎに、小雨の中、湯風景しおりへ向かう。日光浴ができないのに何故? [;^.^] と思われるかも知れないが、毎月25日と26日は「風呂の日」とやらで、10枚綴りの回数券を割安で購入できるのである。
..湯風景しおりのすぐ南側にある「神戸屋レストラン」が解体されているではないか。さすがに驚いた。浜松市民なら、大概、「神戸屋の交差点」と言えば話が通じ、実に便利なランドマークだったのだが..
10:45まで温まったあと、街中に回って、りそな銀行、メイワン谷島屋、浜松駅前ビルヂングのチケット屋で新幹線回数券、ビックカメラ、浜松西郵便局。12:45にいったん帰宅。軽い昼食をとってから、13:30にK歯科医院で定期検診。14:00過ぎに帰宅。
ボックス系の未開封DVD(多数あります [;_ _][;^.^])を少しでも減らそうと、『ブレードランナー』製作25周年記念 アルティメット・コレクターズ・エディション・プレミアム(5枚組)を、開封した。3年前に購入したんだったかな。[;_ _][;^J^]
実のところ、今日は読まなければならない書籍/雑誌/漫画がたくさんあるのだが、「ながら的/BGV的」に片付けられそうな未視聴ソフトを探して、これを発掘したのである。なにしろ内容は熟知しているから、ときどきチラ見する程度で読書等と並行処理できるだろう、と(軽く)みていたのだが..もう、オチは自明だろうが [;^.^]、ジュラP(ジュラシックパーク(第1作))ほどではないにせよ、繰り返し繰り返し観て来た映画であるにも関わらず、またしても画面に目が釘付けになってしまい、ながら処理どころではなく、書籍/雑誌/漫画は、さ〜っぱり、読み進められなかったのであった。[_ _][;^.^]
それにしても、この「全部入り」のパッケージのコンテンツ量は、厖大である。「ファイナルカット」だけでも、オーディオコメンタリーが3バージョン入っているので4回観なくてはならないし、「ワークプリント」にもオーディオコメンタリーがついているから、えーと、えーと、全部で26時間? ..どうやら、この週末は台無しである..[/_;][/_;][/_;][;^.^]
ちなみに、手頃なページが見当たらなかったので楽天ブックスにリンクを張ったのだが、このページの中で、「封入特典内容」欄と「映像特典内容」欄の内容は正しいけれど、「収録タイトル」欄の [Disc1] から [Disc5] までの内容は、大嘘である。(自分でリンクしておいて恐縮ですが。[;_ _])「5バージョン収録」と「5枚組」から、各DVDに1バージョンずつ収録されているのだろう、と「想像して」書いたようだが、残念ながら、全然違う。
ざっくり言って、[Disc1] が「ファイナルカット」、[Disc3] が「劇場版」「完全版」「ディレクターズカット」、[Disc5] が「ワークプリント」(以上、合わせて5バージョン)なのである。どうして、3枚目に3バージョン(合計6時間)も詰め込めているのかというと、各バージョンの共通部分+各バージョンの差分、という収録の仕方をしているからである。(無論、再生に際しては、どれかのバージョンを選ぶだけで、そのバージョンの全体がシームレスに再生される。)ちなみに、[Disc2] がインタビュー集。[Disc4] が、宣材、未発表テイク、その他雑多な資料。この「未発表テイク」では、使われなかったテイクを(作品内の)時系列に沿って並べて、いわば「yet another ブレードランナー」を構成してみせているのだが、これが実に面白い。全然別の映画を観る思いであり、ほとんど「パロディ系同人誌」かとすら思えてしまうが、残念ながら、本物(の没テイクのコラージュ)なのである。[;^J^]
明日、全部観終えるのは..無理だな。[;_ _][;_ _][;_ _][/_;]
目次へ戻る「ブレラン全部入り」は、まだまだ全然、観終わらないのだが [;_ _][;^.^]、ブレランの各バージョン(とオーディオコメンタリー)ばかり繰り返して観ているのもなんなので、下記の文庫本を割り込ませ、読み終えた。
「夢魔のふる夜」(水見稜、1983、ハヤカワ文庫)- 青年期のSFという印象を受ける。「青臭い」「若書き」というニュアンスも多少はこめているが、それだけではない。作者はこの長編の原型作品を、大学在学中に書いているのである。そういう時代(年齢)でなければ書き得ない「清々しい」作品、というものが存在するのだ。
物語のフレームは(ネタばれとなるので)一応伏せるが、ある存在が、時を越えて、ヨハネス・ケプラー、チコ・ブラーエ、ガリレオ・ガリレイらの運命を揺るがす。観測者問題を過去改変と結びつけ、さらに利己的遺伝子という大ネタを絡める。伏線を(全然)回収しきれていないのだが [;^J^]、そんなことは些事である。むしろその「素材の料理しきれなさ加減」がまた、心地よいのである。
目次へ戻る 先週へ 次週へLast Updated: Jul 1 2010
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