2006年11月27日:「のだめカンタービレ」 2006年11月28日:狂風世界 2006年11月29日:「平成よっぱらい研究所」 2006年11月30日:時は移ろいゆく.. 2006年12月01日:ホテルの謎 2006年12月02日:大忙しの日帰り上京 2006年12月03日:狂風世界2目次へ戻る 先週へ 次週へ
「のだめカンタービレ」(二ノ宮知子、講談社コミックスKiss)の既刊16巻は数ヶ月前に購入済みだったのであるが、もちろん積読の山の中に埋もれていたわけである。当たり前なのである [;^J^]。従ってテレビドラマ版も、録画しているだけで観ていない。なぜなら(私の場合)読むのが先だからである。論理的に正確な帰結というほかはあるまい。
しかし今はロジックの正しさを愛でている場合ではなく [;^J^]、このままでは読みも観もしないうちにドラマの放映(全11回)が終わってしまう。終わってから観始めるのは、勝ち負けで言えば「負け」であろう [;^.^]。そこで、先週末からとにかく読み始め、今日、ようやく第9巻まで読み進めた。今回のテレビドラマは第9巻までの内容とのことなので、原作読みはここでいったん止め、引き続き録画の消化にかかる。
確かにストーリーは面白くギャグも秀逸、主人公やわき役達のキャラも立ちまくっている。トータル1400万部(だったっけ)も売れているのは当然である。しかし、この傑作のもっとも驚くべき点は、キャラクター造形でもストーリーでもギャグでもなく、「音楽の描写力」にある。
かつて、「サルまん」(「サルでも描けるまんが教室」(相原コージ、竹熊健太郎、小学館))の「ウケるロックまんがの可能性」の巻では、「音楽まんが(ロックまんが)はやめておけ」、とまでは言わないにしても、「あまり売れない」、と、まずは斬られていた。なぜなら「まんがからは音楽が聴こえてこない」からである。これはまことに明快な理由であり、当時すでに発表されていた「ルードウィヒ・B」(手塚治虫)にしても、「絵(漫画)による音楽の表現」は確かに素晴らしいのだが、「音として聴こえるか」と言えば、それは聴こえては来なかったのである。
サルまんでは、「しかし民族性に根ざした動作を描くことにより、そのリズムが聴こえ、ひいては音も聴こえる」という(これもまたなかなか見事な)解が呈示されていたのだが..言うまでもなく「クラシック音楽」は、この「解」のスコープ外である。それやこれやで、クラシック音楽を漫画で表現しようとしても、あまり良い結果は得られないのだろうな..と、私は長年思っていた。(他のさまざまな音楽漫画は、あまり読んでいないのです。)
さて、「のだめ」だ。何が驚いたかといって、本当に「クラシック音楽の音が聴こえてきた」ことである! 実例をずらずら並べても仕方がないので、2個所だけ。第5巻の第75頁〜第77頁の、「ピアノ協奏曲 第2番」(ラフマニノフ)のイントロ。そして第8巻の第36頁〜第37頁の、「交響曲 第1番」(ブラームス)のイントロ。これらの「漫画表現」には、本当に驚いた。
かくして、「サルまん」(戦後漫画史上ベスト100には入る傑作)は(コンテンポラリーな「教科書」ではなく)「歴史」となり、二ノ宮知子は(ある一点においては)ベートーヴェン、もとい、手塚治虫を完全に乗り越えたのである。
目次へ戻る体調不良につき、休む。午前中はぐったりしていたが、夕方頃、いい感じに風が吹いてきたので、久々にハタキがけの掃除を行う。以前にも書いたと思うが、私の掃除メソッドの基本は「ハタキがけ」であり、(書棚に潰されていない、数少ない)窓と玄関のドアを開け放して風を通し、その風にハタキで舞い上げた埃を乗せて外に吹き飛ばすのであるが..
..親指の腹に水膨れができた [;_ _]。驚くなかれ、「ハタキだこ」である [;_ _]。一体、何ヶ月、掃除(ハタキがけ)をしていなかったんだ? [;_ _][;_ _][;_ _][;_ _][;^.^]
というわけで、掃除機がけもひっさびさなのであるが..よく考えてみると、この掃除機を購入して以来、フィルタを交換した記憶が無い [;^J^]。掃除機を使うたびに、「臭い」とまでは言わないが、なにか臭うし..フィルタの中に、何か生きているものを吸い込んでしまったのだろうか。それは生きているのだろうか、死んでいるのだろうか。あるいは、何かが発生しているのだろうか..
吾妻ひでおの最高傑作「スクラップ学園」の、これまたベスト級のエピソードに、「コタツ王国の巻」というのがある。生徒たちが教室に持ち込んだコタツ群が合体し、巨大コタツになる。その中に逃亡した生徒たちを追ってコタツの中に飛び込んだ教師が目撃したのは、常夏の気候のもとに発達したコタツ王国であった。しかし気温はどんどん上がり、腹に据えかねた女王は太陽(コタツの電熱器)に刃向かおうとするが、まさにそのとき、サーモスタットの神がお隠れになり、世界は暗黒に覆われ、文明は崩壊する..しかし気温が回復するにつれて、再びコタツ王国が生まれ繁栄し..そしていつまでも繰り返されるのであった..
言うまでもなく、SF史上屈指の名作「夜きたる」(アイザック・アシモフ)の、壮麗なパロディである。(アシモフ版では、文明の周期的な崩壊をもたらすのは「数千年に一度の“夜”の訪れ(と、それに伴う“星々の出現”)」である。)驚くなかれ、これほど大規模なドラマが僅か8頁に凝縮されているのだ。1982年当時のプレイコミック誌の誌面は、毎号、これほどの傑作に飾られていたのであるが、閑話休題。
もしも私の掃除機の(何年間も交換していない)フィルタの中になんらかの生態系が発生しているとしたら..その文明の周期的な崩壊をもたらすのは「サーモスタットの神」でも「夜の到来」でもなく、「暴風」なのである。J.G.バラードである。「狂風世界」である。ニューウェーブなのである。
目次へ戻るこれも「のだめ」効果かな、二ノ宮知子の「平成よっぱらい研究所 完全版」(祥伝社コミック文庫)が積まれていた。この作品の存在は知らなかったが、表紙があまりに楽しそうなので、ついつい買ってしまい、さっそく一読..
..うんうん [;^J^] ..うんうん [;^.^]。
こういう作品に納得したり共感したりするのは、人としてどうなのよ [;_ _] という気もするが [;^J^] ..いずれにせよ私の酔態はこれほどまでには酷くない(はずだと思う多分きっと [;^.^])。
目次へ戻る先日の大阪出張で気がついたのだが..大多数のサラリーマンは、スーツに「社章」を付けていないのだね。(浜松で工場まで車通勤などしていると、スーツを着る機会も、スーツ姿のビジネスマンの群衆に遭遇する機会もないのである。)まぁ、大阪ではなく東京・丸ノ内では事情が違うのかも知れないが。
私自身、入社時に社章をもらった(正確には預かった?)はずだが、一度も装着したことはないし..多分、紛失しているな [;^J^]。始末書もんじゃないのかな。[;^J^]
木下順二氏、逝去。享年92歳。
実相寺昭雄氏、逝去。享年69歳。
..
目次へ戻る昨日に引き続き、先日の大阪出張で(改めて)不思議に思ったことだが..
ホテルから外出するとき、フロントに鍵を預けて出かけ、外出から帰ってきたらフロントで鍵を受け取るのだが..本当に私の顔を憶えているのだろうか? 別人が「***号室の倉田です、帰りました」、と、フロントを騙して、私の部屋の鍵をまんまと手に入れ、盗みを働く、という可能性は無いのだろうか?
もちろん、無いのだろう。彼らはプロフェッショナルである。「倉田わたる」を(なんらかの方法で)完璧に同定できるのだろう..しかし、フロントの人間も交替する。私が外出から戻ったとき、初顔合わせのホテルマンから鍵を受け取ることなど、ザラである。例えばカメラで顔写真を隠し撮りしていて、それで照合したりしているのだろうか?
ある程度大きなホテルであれば、そのようなハイテクを駆使することもできようが、小さなホテルでは、人の記憶に頼っているようにしか見えないのだが..
目次へ戻る7:24のひかり。まずは大手町の逓信総合博物館で「ぼくらの小松崎茂展」(12/3まで)。9:00の開館時刻、ジャストである。何度も書いていることであるが、展覧会というのはこのくらいの規模が丁度良い。小松崎茂の作品世界は、まさに私(1958年生まれ)の原風景である。間違いなく、手塚治虫よりも深く刷り込まれている。残念ながら図録は売り切れていた。
丸善(OAZO)と八重洲ブックセンターを大急ぎで通り抜けたあと、総武線で両国へ。江戸東京博物館で「ボストン美術館所蔵 肉筆浮世絵展」(12/10まで)。眼福、眼福。図録も確保。色は随分違うが、まぁ仕方がない。
館内のレストランでオムライスを食べてから、お茶の水に移動。新刊書店と古書店を10軒ほどハシゴしてから、「さぼうる」でバナナジュース。この店、読書には少々暗いのが玉に瑕であるが、雰囲気というか空気とのトレードオフなので、まぁ仕方がない。
引き続き、渋谷。文化村に出向いたところ「スーパーエッシャー展」(1/13まで)は30分待ちの行列。普段ならこのくらいなんとも思わないのだが、今日は「1.既に荷物がかなり重い」「2.屋外ではなく地下なので行列している間に息苦しくなりそうである」「3.あとの予定が微妙に迫ってきている」という3点セットで、パス。1時間少々余ったので、まんだらけとレコファンへ。さらに(これは当初から予定に入っていた)タワレコでCDとDVDと画集をしこたま買い込む。7Fの洋書売場は従来あまり利用していなかったのだが、結構、画集を探しやすいことに今さらながら気付く。
東神奈川に移動して、恩師&旧友と待ち合わせて墓参り。18:30から東神奈川駅前の「たこ八」で忘年会を始めたのだが、なんとラストオーダーが(年末の土曜日だというのに)20:45で、腰を抜かした [;^.^]。商売する気はあるのだろうか。とにかく店を変えて、23:30過ぎにはお開きにして、0:11に横浜駅で「ムーンライトながら」に搭乗。ひと眠りして目覚めたらちょうど浜松駅に着いたところで(本能であろう [;^J^])、タクシーで無事に帰宅。小腹がすいていたのだがこの時刻(3:40)に間食する気にもなれないので、発泡酒を飲んで腹をごまかしてフトンにもぐり込んだ。
目次へ戻る..空腹で目が覚めた [;^J^]。車で出動。朝食は吉野家で納豆定食。浜松西郵便局で払い込み1件。(いまどき、大概の払い込みは自宅でネットでだが、古書等を購入する際、郵便局の(ばるる口座用ではない)振込用紙が同封されてくることは、非常に多いのである。)さらに、クリーニング出し。ちなみに私の行き付けのクリーニング屋は「ジャブクリーニング」というのだが、私が胸の中では「シャブクリーニング」と呼び習わしていることは、ここだけの話だ。[^.^]
いったん帰宅してから、浜松環状線沿いのカーマホームセンターに向かうが、なんと改装中。あらあらまあまあ。仕方がない。ここまで来たのだからと都田テクノまで車を走らせて、カインズモール。ここに来るのは初めてだが..広っ [;^.^]。これだけモノがあると楽しいが..しかし目当ての物件は無い。結局、細江工場向かいのベル21内の小規模なホームセンターで、現品限りの「ブロワー」を買う。
説明しよう! 「ブロワー」というのは、要するに掃除機の「逆」である。月曜日に掃除をしたあと、某所にて「ハタキがけで、文庫本などを傷めそうでいやだなぁ、強風で埃を吹き飛ばしたいものだが」、と、ぼやいたら、「ブロワーというものがあります」、と教えていただいたのである。早速、細江工場の向かいのベル21で、定価?3980円のブロワーが現品限り2780円で売られているのを確認したのだが、もっと大きなホームセンターに行けば、もっと廉く入手できるかも、と思いましてね。(ネットではさらに廉い出物があるのも確認はしていたが、まぁ、足動かして買えるのなら、ネットを使わずに手にとって調べて納得して買うに越したことはないのでね。)
んで、今日は、カーマ空振り、カインズにはたくさんあったのだが、全てもっと立派なゴツい奴で高く、とても六畳間でハタキの代わりに使うようなシロモノでは [;^.^]。ということで、一周回って元に戻って、ベル21で278。
富塚町の「タベルナ」で昼食(タリアテッレ(自家製手打ちパスタ)のポモドーロ(自家製トマトソース))を食べてから帰宅。早速、ブロワー試用。なるほど、強すぎず弱すぎず、丁度良いあんばいだ。確かに物理的に「当てる」ハタキよりは、埃の取れ具合が生温いが、これ以上風力が強いと、本自体が吹き飛ぶなど、さまざまな被害が発生しそうである(というか、既に何件か被害が発生した [;^J^])。普段、ハタキが入らないところの埃を吹き飛ばして風に乗せられるのは、実に気持ちが良い。いい気になって書棚の背後の空間にノズルを差し込んでブローしてやったら、それはそれはエライことに [;^.^]。またちょうどいいタイミングで、風が止まったし [;^.^]。部屋の中がマジでけぶりました。[;_ _][;^J^]
昨日からとりかかっていた「のだめカンタービレ」の録画の消化、ついに追いついた。これで、明日の月曜日から、リアルタイムで観られるぞっ! [^.^]V
それにしても、素晴らしい作品である。オーバーアクション気味の演技を気にする向きが多そうだが、私は全く気にならない。だって漫画なんだもん。(トレンディーなスカしたドラマにしなかったのは大正解。)正直な話、脇役陣には可換な役者も結構いるのだが、主役2名(のだめ役の上野樹里と、千秋役の玉木宏)は、余人をもっては全く代え難い。ほとんどワンアンドオンリーと言って良いほどのはまり役である。キャスティングの勝利である。
ものすごく気の早い話で申し訳ないが [;^J^]「リメイク」が極めて困難なドラマと言えよう。「セーラー服と機関銃」のリメイクには、結局、四半世紀近くかかった(薬師丸ひろ子の呪縛を長澤まさみがうち破るのに四半世紀近くかかった)のだが、「のだめカンタービレ」にも同じ運命が待ち受けているであろう。(近々アニメ化されるらしいが、この「実写版」を越えるのは、容易な課題ではないぞ。)
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