2005年11月07日:訃報は続く.. 2005年11月08日:タリウム事件 2005年11月09日:NEWパンチザウルス 2005年11月10日:「出家日記」 2005年11月11日:謎のシミ 2005年11月12日:フランス暴動 2005年11月13日:「追悼 本田美奈子.」目次へ戻る 先週へ 次週へ
まずい..
出勤前の7時台。どのチャンネルを回しても本田美奈子. 逝去の報道である。一晩眠って治めたはずの悲しみが、ぶり返してしまった。暗澹たる気持ちで出勤する..
..帰宅してメールをチェックしたら..吾妻ひでおファンのIさんの訃報である。癌だったという。正確な年齢は知らないが、多分私より10歳くらい下。ということは、本田美奈子. と同年代である。若い..
数年に一度、吾妻関係のオフで会う機会があるだけであったが、毎年、コミケ前には、「吾妻ひでお 著作リスト」の最新版の提供依頼メールをもらっていた。(フロッピーに収めて、コミケで売るのである。)もう、あのメールも来なくなるのか..実は今年の3月、久々に吾妻ひでおメーリングリストのオフ会が開催され、そこで会えるはずだったのだが..運悪く、FCLAの「お気楽オフ 最終回」ともろにバッティングしてしまって、参加できなかったのであった。
そしてその「お気楽オフ 最終回」もまた、昨年の11月に夭折したMさんを偲んでのものであったのだ。彼女も30台後半だったはず..
目次へ戻る女子高生による、実母毒殺未遂事件。私自身は、テレビのワイドショーなども含めたあらゆる報道の恐らく1%くらいしか見ていないわけだが、見聞した範囲ではどの報道も、「謎だ」「不可解」「精神鑑定を」..
..アホか。
こういうのを、「ステロタイプ」「思考停止」という。大昔には、もっと便利な言葉もあったぞ。「一億総白痴化」というやつである。少しは考えろよ。どこに謎があるものか。とてもわかりやすい事件である。
A.毒物の知識が多少あり、また、それを実験することに熱意のある子どもがいる。B.彼女は毒物を手に入れることができる。C.彼女は母親に対する愛情が稀薄であり、むしろ反感をもっている..A+B+C → 「彼女は母親に毒を盛る」、という答えがでる。全くどこにも謎は無い。
もちろん、「謎だ」という主張の趣旨はわかる。上記のAもBもCも、昔からある当たり前の現象なのに、昔は親を毒殺しようとする子どもはそんなにはいなかったはずであり、だから、「昔とは違う何かが、彼女(あるいは今の時代)にはある」のではないか、というわけだ。それを「謎」と呼んでいるわけだ。
しかしねぇ..「親殺し」なんか、人類史の黎明期からある日常茶飯事なのである。別に何千年も何万年も遡らなくても、この日本でも、つい最近まで「尊属殺人」罪があったのである。これが廃止されたのは、実に1995年の刑法改正時である。(「親孝行のシンボルを廃止するな!」という、聞いていると気が狂いそうになる主張をする反対派たちがいたと記憶する。[;^J^])親殺しが珍しくなかった証拠である。
強いて言えば、ブログによる情報発信かね。これに異様さを感じた人々もいるようだが..こんな便利なツール、100年前にあれば100年前の人々も使い倒したに決まっているのである。切り裂きジャックが何を発信したか、想像するだけでもゾクゾクする。別に人間(人間性)が変わったわけではない。ツールや環境が変わっただけだ。やってることは相も変わらぬ、単なる殺人(あるいは殺人未遂)である。
どこに謎があるものか。
目次へ戻るヤフオクで落札した「NEWパンチザウルス」誌(マガジンハウス刊)の18冊セットが届いた。この短命な週刊誌は、1989年の前半に全部で19号、刊行された。つまり今回入手した「揃い」は「1冊欠」なのである。惜しいところだ。いずれにせよ今日は、内容をチェックしている時間が無い。
この雑誌は、国会図書館を筆頭とする主要な図書館にはほとんど収められていない。現代マンガ図書館に僅かに数冊収められており、その中から吾妻ひでおの漫画が3編、
SUSHI WORLD::3:NEWパンチザウルス:1989/05/23:
これが純愛だ!::1:NEWパンチザウルス:1989/06/20:
コブトリお嬢さん::7:NEWパンチザウルス:1989/06/20:
..が採取出来ていたので、この雑誌の他の号にも何かあるかも知れない、と、長年アンテナを張っていたわけなのである。今回、ヤフオクに(1冊欠とはいえ揃いが)出品されたので、情け容赦なく、それはもう血も涙も無く [;^J^] 落札したという次第なのであった。金(リソース)の正しい使い方。「選択と集中」。自分で言うのもなんだが、オタクの鑑(かがみ)とは私のことを言う。
目次へ戻る「NEWパンチザウルス」誌18冊のチェック完了。吾妻ひでお作品の新発見は無し。今回入手しそこなったバックナンバーがあと1冊あるわけだが、これに掲載されている可能性も極めて低いと推測される。よしよし。これで得心がいった。以前から何度も書いていることだが、「この雑誌には(これ以上)何も無い」、という情報も、極めて貴重な情報なのである。
..というわけで、この18冊、早くも用済みになったのだが..[;^J^] どうしよう。即、転売(再出品)、というのも、なんだか感じが悪いし。とはいえこんな古雑誌、大概どこに持っていっても、ゴミ扱いだし。まぁ、バブル期のムードを今に伝えている風俗情報誌としてそれなりの価値はあるし、いくらか面白い連載記事もあるので、今しばらくは手元に置いておくことにしましょうか。それほど破滅的に場所食うわけではないし。
谷島屋本店に「出家日記」(蛭児神建(元)著、角川書店)を買いに行くが、入荷していない。他店舗の在庫をカウンターで調べてもらったら、メイワン店に1冊だけあるとのことなので、取り置きしてもらい、早速引き取りに行く..この調子では、浜松全域で、一桁しか入荷していない可能性もある。[;^.^](メイワン店と同じフロアの谷島屋コミックワンで、田中圭一を4冊も買ってしまう [;^J^]。全く、予定外の大散財である。)
蛭児神建(ひるこがみけん)の名前を知っているあなたには深く反省していただくしかないが [;^J^]、知らないあなたのために簡単な解説。1980年代(前半)の「ロリコンブーム」の中心人物というか、伝説的カリスマであった。「ハンチング帽、サングラス、マスク、(真夏でも)トレンチコート」、という「あの」変質者スタイルは、彼が発明したものなのである。(ただしあくまでも洒落として。あれは「コミケ」という祝祭空間用の「仮装」だったのであり、ああいう姿で生活(あるいは活動)していたわけではない。)本書は、紆余曲折の末、現在僧職についている蛭児神建(元)の半生を記録した自伝。副題は「ある「おたく」の生涯」。
直接の購入動機は、吾妻ひでおによる後書き漫画、
蛭児神建氏のこと::4::『出家日記』(角川書店):2005/11/01:
..であるが、本文も実に面白い。「ロリコンブーム」の裏側(というか虚実)の生き証人の言葉としても、誠に貴重である。堅気パンピーにもお薦めしたい。
ま、自宅はとっちらかっておりまして。「廃墟」のうちはまだいいのだが、徐々に「ゴミ屋敷」に近づきつつありまして。それだけは避けたいと願っておりまして。(必要なのは、「願い」ではなくて「行動」です [;^J^]。なぜ、掃除できないのですか。[;_ _][;^.^])
さて、その部屋において私がフトンを敷いている、その枕元付近の床の上に紙片が10枚近く置かれている。(散乱しているのでは無いぞ。[;^.^])内容は様々なメモである。読書メモとか、録画予定とか、日記のネタとか、書籍の購入予定とか。
さて、数ヶ月前から気がついていたのだが、それらのメモ用紙のところどころに、油が染みたようなシミができている。何これ? 寝酒をこぼしたのでも、酒肴の油でもない。(私は、その場所(床の上)にはコップや皿を置かない。)涎でもないし、その他の液体の心当たりもない..
今日になって気がついた。床の上のこのあたりのエリアには、ヘッドフォンも置かれている。とあるメモ用紙の上に置かれていたヘッドフォンを取りあげてみたら..メモ用紙の、ヘッドフォンのイヤーパッドが接していた個所に、シミが出来ている! これだったのか!
この製品のイヤーパッドが元々もっている「油分」なのか、私の耳や髪から染み出した油がイヤーパッドに染み込んだものなのかは判らないが..とにもかくにも、謎は解けた。やれやれ。
目次へ戻る8日に非常事態宣言が出て以来、確実に下火に向かっている。もちろん、これで終息するだろう。治安は回復するだろう。(「力」によって強引に回復させられた「治安」が、定義上はともかく内容的に「治安」と呼べるのかどうかはともかくとしてだ。)
ほんの1〜2週間ほど前には、こんな大事(おおごと)になるとは夢にも思っていなかったのであるが..しかし後知恵的に情報を仕入れてみたところ、起きても少しも不思議は無かった事態のようである。しかも絵に描いたような(ほとんど教科書的とすら言える)悪循環である。
フランスならではの同化政策。出自を尊重せず「フランス語とフランス文化を身につけたらフランス人として認めてやる」、という政策が妥当なのかどうかは、私には軽々しく言えない。あまり深く考えたことも無いしね。ただ、その言葉を信じ、その言葉に従って自分たちの固有の文化を捨てて一所懸命フランス人に“なった”のに、結局、フランス人としては認められてこなかったのが現実だとすると..そりゃ、鬱屈するよな。約束が違うと思うよな。
とはいえ、フランス政府(フランス人)が、「同化政策」は誤りであったなどと認める可能性は、ゼロである。そんなことを認めた日には、過去数十年間やってきたことが全部間違いでしたと認めてしまうことになる。あり得ない。
それやこれやで、この問題を解決するためには、最低でも3世代くらいの時間は必要なのではないか。(ざっと100年..)
目次へ戻る「題名の無い音楽会」。今日は予定を変更して「追悼 本田美奈子.」である。この番組には何度も出演しているようで、その抜粋。帰宅してから録画をプレイバックする。
ここ数年の録画から紹介なのであるが、最後に紹介された、この番組への最後の出演(というか、テレビ番組への最後の出演)。放映されたのは今年の1/30であるが、白血病と判明して入院したのは1/13のはずである。つまりこれ以前に録画されていたものだと思われるのだが..
彼女の若々しさ。声の張りと美しさ。彼女自身の美しさ。そして次の目標に向けてのファイトと向上心..言葉を失なう。実際..この放映から僅か9ヶ月後に死ぬなどと、誰が予想できたであろうか?(「ミス・サイゴン」からの「命をあげよう」など、鳥肌ものである。)
何度も録画をプレイバックした。そして、私自身の彼女への評価がブレていないことも確認した。それは..「あと一歩だな」、という評価である。
彼女が「実力派」であることを認めるにやぶさかではない。しかし、あと少し(あと少しだけ)物足りないのだ。まだ未完成だ..しかしこの感想は、「そこらの歌手とは評価基準が違う」ことをも意味している。つまり、この水準まで来ると、評価基準が「下」ではなく「上」になるのだ。「“ハイエンド”までは、まだまだ道のりが遠いぞ..(だから頑張れ!)」、という評価。
だからこそ、悔しいのだ。だからこそ、悲しいのだ。例え夭折したとしても、それが「完成された」歌手であれば、諦めもつく。その人の最高のアウトプットは世に発せられ(世に残され)、それは聴衆に受け止められ、記憶されたのであるから。もって瞑すべしや。
しかし彼女は、未完成だった。発展途上だった。彼女の最高のアウトプットは、まだ発せられていない。誰もそれを聴いていない。それは10年後、20年後に聴けるはずだったのだ..
..もうこれ以上は繰り言になる。やめよう。なに、別に珍しい事件でもなんでもない。「夭折」なんぞは、人類史の黎明期からある日常茶飯事なのである。しかし..
目次へ戻る 先週へ 次週へLast Updated: Nov 22 2005
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