*2004年07月12日:夏オフ企画枠
*2004年07月13日:「俊平1/50」
*2004年07月14日:メモれますか?
*2004年07月15日:「平行植物」とかね
*2004年07月16日:贋物について
*2004年07月17日:妖怪系
*2004年07月18日:“グリセード”とはなんだ [;^J^]
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*2004年07月12日:夏オフ企画枠


 「企画枠」のとりまとめ担当なのである。応募受付は先週7/5に締め切っていたのだが、今日が当選発表。結局、8企画の応募があり、全部当選とした。

 ..楽な仕事をしている。時間オーバーなので「どれかの企画を“落選させる”」という、ヘビーな仕事をしていないのである。(まぁ、「3分間指揮者コーナー」で、6人の応募者から5人を選ぶという、“ヘビーな仕事”をした年もあったけどさ。[;^J^])

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*2004年07月13日:「俊平1/50」


 「企画枠」に当選した8企画のうち、ひとつは、私自身が応募した「魔弾の射手」である。ウェーバー作曲のこのオペラ、もちろん、全曲やる時間はないので、抜粋である。この抜粋の仕方が難しくってさ..

 おかげで、昨日開始する予定だった「歌手公募」が、今夜にずれ込んでしまった。25日の深夜で締め切って、28日の夜に発表する予定。どのくらい、応募があるかなぁ。まぁ、仮に応募が少なくって、独唱曲や重唱曲が3曲程度しか成立しなくっても、実はこのオペラは、管弦楽曲と合唱曲をしっかりやれば、「フレームワーク」としては十分なので、歌い手が余り集まらなくても、十分成立はするのだが..

 イブニングで連載されていた「俊平1/50」(山本貴嗣)という漫画が、いきなり終わってしまった。結局、なんだったの? これ?

 物語は単純で、(といっても、イブニングのバックナンバーは、全部捨ててしまっているので細部はあまり憶えていないのだが、)高校生のひとクラスが、いきなり1/50サイズになってしまうのである。1950年代テーストの、昔懐かしい初期設定である..ただ、このあとがどうも問題で..1950年代テーストではあっても、2004年に描かれていることには変わりはないので、それなりに「現代的」である必要はある。この作品の場合は「科学考証」がそれで、サイズが1/50になってしまうと、水(液体)の振る舞いも運動能力も可聴周波数帯域も全く異なってしまうという状況を、それなりに面白く描いているのだが..

 ..残念ながら、不徹底なのである。例えば、「衣類ごとミクロ化するのは何故か」、とか、「体に付着している垢は人体の一部なのか」、とか、「未消化の(略)とか大腸の中(略)とかは人体の一部なのか」、とかについては、一切の考察が無いのだが、それはそれでいい。そういうルールの作品世界だからだ。「どこまでは嘘をつき(目をつぶり)どこからはマジになるか」、の「界面」がブレていなければ、安心して楽しめるのだ。(漫画に限らず、SFに限らず、全ての「フィクション」について通用する「黄金律」である。)ところが、この作品では、それが「ブレている」のである。

 一例をあげると、最後の1〜2回では、「これだけサイズが小さくなると、時間感覚も早回しになる(「およそ7倍になる」)」という事実が、重要なキーになっており、自分たちの時間感覚(直感)に反して、時計の針がなかなか進まない、というシーンがある。これはOK。しかし、であるのならば、外界の事象は全て、「7倍、スローに」見えるはずである。これが徹底されていない。蟻の集団に襲撃されるシーンでは、別に蟻たちはスローモーションで動いてはいなかった。

 ある時点から(最終回の1〜2回前から)、明らかにギャグが入ってきていて、例えばPCでメールを打つのに、(ひとりの体重ではキーを押すことも出来ないので)数人がかりでキーの上でジャンプするシーンがあるのだが..ここまで、まがりなりにも「シリアス」に進んできた物語の雰囲気、ブチ壊し [;^J^]。こんな方法で「ミスタイプせずに」意味のある文面を書けるかどうか、0.1秒間考える値打ちもあるまい。そしてこの最終回の幕切れがまた、これより「下」を探すのもなかなか困難であろうと思える、最っ低〜、の尻切れトンボ。まぁ、人気無かったからだろうなぁ..当たり前としか言い様がないが。[;^J^]

 そして、この唐突な「最終ページ」を見て初めて気が付いたのだが..この作品って、「監修:柳田理科雄」だったのね。へぇ〜〜、そうか。「こいつの仕事だから、やっぱこんなもんなんだよなぁ..」、と、反射的に納得してしまったことは、素直に認めよう。そしてこれが、「差別意識」にほかならないということも。

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*2004年07月14日:メモれますか?


 ミーティングとか会議とかでなんらかの「報告」あるいは「スピーチ」を聞いている時に、閉口することがある。話の筋道がわからず、どういう結論に連れて行かれるのか、見当がつかない場合である。メモを取れないのである。いや、取って取れないことは無いのであるが、やたらと書き直し(というか書き加え)が多くなる。遡って「矢印」をつけたり、番号をつけなおしたり、インデントの変更..は、いまさらどうしようもなかったり..で、結局、メモを取るのを諦めることになる。

 これを逆手に取って、自分の「報告」や「スピーチ」の事前チェックを行うことができる。頭の中で(あるいは口に出して)練習するわけなのであるが、この時、メモを取る立場になってみるのである。喋っている自分は、構成も結論も判っているのだが、初めてこれを(シーケンシャルに)聞く人が、「メモを取れる」かどうか..「メモを取れる」ように喋ろうとすると、多分、面白みの無い、単純明快な構成に落ち着くだろう。それでいい。仕事は文学ではない。泉鏡花を気取る必要は無いのだ(..とか、唐突に書き逃げてみるテスト [;^.^])。

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*2004年07月15日:「平行植物」とかね


 夏風邪だかなんだかよく判らないが、体調不良で休む。昼間(というか午前中)から寝ていると、レム睡眠がアレするので悪夢また悪夢であるが、例によって記録はとらず、従って、綺麗さっぱり忘れてしまった。

 それはそれとして、午後になって起き出しても、やはりぐったりげっそりである。こんな気分の時は、妄想に逃避するに限る。

 動物園は、昼よりも(客が帰ったあとの)夜が面白いという。多くの(夜行性の)動物たちが、活動を始めるからである。昼間は客に尻を向けてひたすら眠っているだけの彼らも、夜にはその本性を発揮して、野性の徘徊、野性の咆哮が交わされ、そのざわざわした雰囲気は恐いほどだと聞く。

 植物園も、昼よりも(客が帰ったあとの)夜が面白かったりしてね。(夜行性の)植物たちが、活動を始めるからである。昼間は客に尻を向けてひたすら眠っているだけの彼らも、夜にはその本性を発揮して、野性の徘徊、野性の咆哮が交わされ、そのざわざわした雰囲気は恐いほど..だったりして。[;^J^](花博も?)

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*2004年07月16日:贋物について


 ネタが無いので、私が参加しているいくつかのML(メーリング・リスト)のログを漁ってみたら、こんな話題があった。手塚治虫MLでの、数年前の話。

 私がヤフオクで、「ゆかいな大統領」(手塚治虫、富士見書房)という物件を見つけたので、報告したのである。「贋作」である。富士見書房から出ている「手塚治虫」の単行本は全て贋作である、ということは、マニアの間では常識なのである。

 「贋作ではあるが、資料として1冊ぐらい手元に置いておきたいのだが、ウン万円ではねぇ..」、てな感じで話題を振ったのであるが、手塚治虫と非常に近い立場で仕事をされていたNさんから、「倉田さんともあろう人が、何をバカなこと言っているんですか」、と、たしなめられてしまったのである。「せっかくのコレクションがこれ一点で汚れます」「100円の価値もありません」。「富士見書房の(残存している)単行本は全て買い集めて、焼き捨ててしまいたい」とも仰った。

 別に議論する必要も無いので、「そうですねぇ..」、と、その場では引っ込んだのであるが..内心、「ちと、感情的過ぎるのではないか」、と思ったのも事実。「贋作」だって文化資産であるし、少なくとも手塚治虫研究家にとっては、貴重な史料であるはずだ。「手塚治虫」の名前で流布するのは論外としても、「これは手塚治虫の作品ではない」、というくくりで残す必要はあるのでは..と、ここまで書いてきて、今頃になって、やっと、Nさんの真意が腑に落ちた。[;^J^]

 「「手塚治虫」の名前で流布するのは論外としても」..これだ。私は、「富士見書房から出ている「手塚治虫」の単行本は全て贋作である、ということを“知っている”」のだが、こんなことを知っている日本人は、100人にひとりもいない。コアな手塚治虫ファンだけである。だからかつては、この「贋作」が堂々と出回って不当な利益を稼いでいたわけであろうし、現在でも「ヤフオク」に、「手塚治虫の初期の超レア作! 作品リストにも載っていません!」、と、堂々と出品されているわけである。(作品リストに載っているわけがない。手塚治虫の作品ではないのだから。)ま、ヤフオクの場合、売り手が贋作と承知か否か、買い手が贋作と承知か否かは、なんとも判断つかないが。(私は「贋作と承知の買い手」になりかけたのであるし。)

 この状況は、手塚治虫にとって耐え難いものであったろう。(そして、手塚治虫と心情的に「シンクロ」しているNさんにとっても。)単に「不当な利益」をあげられているだけではなく、自分が描いた憶えがない、自分が責任とれない作品が、「自分が描いたことにされてしまっている」、という状況が。いっそそれが優れた作品であればまだしも、多くの場合「くだらない」作品の「作者」にされてしまい、その「作品」で自分が「評価」されてしまっている、という状況が。

 私は、それを実感(同感)できているはずであったのだ。

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*2004年07月17日:妖怪系


 今日からルンルン三連休。まずは7:20のひかりで国会図書館へ。(ここはマリネラか? [;^J^])

 何度も繰り言を言いたかないが、9月に改装が終わるまでは「むっちゃ不便で能率が悪い」システムに悩まされながらも、なんとかかんとか「少年チャンピオン」のチェックをひととおり終え、「少年チャンピオン新人まんが賞」での手塚治虫の「選評」を全て、リストに追加した。「少年チャンピオン」問題は、これでひとまず、解決した。

 「アポロ われらに与えた衝激」(仮面社、69/09/10)は、アポロの月面着陸の前後の、世界各国の著名人、及び無名の人々の言葉のコレクションである。手塚治虫のコメントが2本掲載されているのだが、この書籍への書き下ろしのわけがなく、何かから引用されているのである。しかしながら、引用元に関する情報は、いっさい無い。

 「オールスター花の応援合戦 素朴でさわやかなオリビア(オリビア・ニュートン・ジョン)(コメント)」は、「ザ・ミュージック」という、ティーンエージャー向きの小学館の雑誌に載せられたものであり、ま、落ち穂拾いの類である。これ自体は大したことは無いのだが..この雑誌で驚いたのは、「おとなのロック」という趣旨の特集記事であり、「歳は取っても、ロックだぜ!」、みたいなキャプション付きで、ミック・ジャガーの写真が..

 ..この雑誌..1978年1月号なんですが..[;^J^]

 ..2004年7月現在、ミック・ジャガー、まだ、現役なんですが..[;^.^]

 現代マンガ図書館に寄り、ここに蔵書が無い(のでヤフオク等で購入して調査した)古雑誌を3冊、寄贈。秋葉へ寄って、石丸3号店。横浜の実家へ。

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*2004年07月18日:“グリセード”とはなんだ [;^J^]


 9:24のバスで、Tさん宅。手塚治虫調査の拾遺篇。(いや、ここ5年以上は、「拾遺」なんですが。[;^J^])

 「真田ヒモてん末記」のコピーを見せていただく。ページ数は8ページで確定。出版社が「大衆読物」誌であるというエビデンスが欠けているのが残念であるが、手塚プロのM氏からの頂き物であるらしいので、まず間違いはあるまい。

 「日本発狂」の切り抜きが、本日最大の収穫。「高1コース」の1974年度に連載された作品なのだが、国会図書館等に蔵書なし。多摩図書館の蔵書は、この連載のページのみ、全て切り抜きの被害に遭っている。ようやく、各章と月号の対応がとれた。

 昼過ぎに辞去し、12:41中山駅発のバスで実家に帰宅する。

 今頃になって、1年前に発行された「ファースト・レンズマン」(創元SF文庫、小隅黎 新訳)を読んでいるのだが、面白い文章を見つけてしまった。宇宙船のパイロットが、コンソールのスイッチ群を鮮やかに操作するシーンの“比喩表現”なのであるが..


「主席パイロットはいまやその地位にふさわしい名人芸を披露しつつあった。(中略)彼はキーボードとペダルを、トリルやランやアルペジオ−−ときにはまるでグリセード−−を奏でるみたいに操作して、この超弩級艦の途方もない出力を顕微鏡的な精密さで操り、(後略)」(91頁)

 ..グリセード? [;^J^] 昔の小西訳をチェックしたら、グリサードである。原文は glissade なのか? そんな筈はない。glissando(グリッサンド)のはずだ。ついでに言うと、「ラン」も変だ。日本語にはこんな音楽用語は無い。「走句」(音階の素速いパッセージ)と訳すべきではないかなぁ。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Jul 21 2004 
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