*2004年03月22日:プログレスバーについて
*2004年03月23日:言語道断国会図書館
*2004年03月24日:バッテリー交換
*2004年03月25日:初美さん
*2004年03月26日:「新・電脳なをさん」「座頭市」
*2004年03月27日:「超天才ダリの宇宙」展
*2004年03月28日:「ダリ 全画集」
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*2004年03月22日:プログレスバーについて


 プログレスバーとは、全行程のうちどこまで進行しているのかをユーザーに示し、あとどのくらい待てばいいのか、目安を与えることを目的としている。これが一定のペースで伸びてくれれば理想的。あと何十秒かかるのか(あるいは何分かかるのか何時間かかるのか)が高い精度で予測できるので、ちょっとトイレに行くとか、コーヒーを入れるとか、いっそ食事に行くとか、あるいは(今まさに終わろうとしているので)席を立たない方が賢明であるとか、なんらかの妥当なアクションを取ることができる。実際には、(さまざまな事情により)一定のペースで伸びないプログレスバーも多いのだが、それでも、「あと、どの位の仕事が残っているのか」を知るための目安にはなる。これがあると無いとでは、大違いである。

 ..という観点から見るに、全く役に立たない(使い物にならない)プログレスバーというのが、世の中には存在する。一例を挙げると、NAV(Norton Anti Virus)の「スキャン」のプログレスバーである。(NAVと言っても、種類やバージョンは沢山あるのであろう。ここでは、たまたま私が私の業務用PCの環境で使っているやつを、俎上にあげている。)0%からじわじわ上がり、順調に100%に到達するのだが..そこからが長いのである [;^J^]。測ったことは無いが、もしかしたら、0%から100%に到達する時間よりも、プログレスバーが100%に貼り付いたまま、ビクともしない時間の方が、長いんじゃあるまいか? この場合、このプログレスバーが、(残存時間または残存仕事量)を推し量るための目安としては、なんの役にもたっていないことは自明であろう。

 NAVのプログレスバーは、もうひとつ、小粋なことをやってくれる。Live Update などで、新しいパターンが登録されていることを発見すると、それのダウンロード&インストールが始まるのであるが、この時、プログレスバーが、0%から100%まで到達するとリセットして、また0%から100%まで..を、何度も何度も繰り返すのである。察するところ、「モジュールの数」だけ繰り返しているようであるが..仮にそうであるのならば、残存モジュール数をダウンカウントするべきだ。このせわしないプログレスバーは、なんの目安にもなっていない。

 これらを見ながら、いつも(イライラしつつ)思い出すのは..大学時代にしばしば同乗させてもらった、友人S君の自家用車の燃料計である。それは..半分(約50%)ぐらいまで下がると、そこからいきなりゼロに落ちて、そこからさらに数百キロメートルは走れるのである [;^J^]。S君的には、この、ゼロに落ちたところからが「勝負」であるらしく、ガス欠する寸前のギリギリまで引っ張っては、燃料を補給していた。この(数百キロの走破の)期間、燃料計は、ずーっと、ゼロに貼り付いたままなのである。「勘と度胸(勇気)」の世界らしい..って、なんのための燃料計なんだよ! [;^.^]

 いかりや長介、逝去。実に残念である..

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*2004年03月23日:言語道断国会図書館


 例の、週刊文春の出版差し止め問題について、この日記でも、先週、事件が勃発した段階で 話題にしている が..その時、「驚愕のあまり書き忘れてしまっていた」件があったのだ。それは、国会図書館が、この雑誌のこの号の納本を「受け付けなかった」ことである!「出版差し止め命令が出た雑誌は、発行されなかったものと見なす(ので、納本の対象とはならない)」というのである!

 私は、先週から今週にかけて言葉を失い、まるで金魚のように口をパクパクさせていたのであるが..今朝の朝刊を斜め読みしていたら、「国会図書館で納本を受け付け、閲覧も可能に」、とあったので、「あぁ、やはり最終的にはマトモな判断を取るわけなんだよなー。全く、人騒がせな..」、と、ブツブツ言いながら本文を読んで..またしても仰天!


 田中真紀子前外相の長女の私生活に関する記事を掲載した「週刊文春」の出版差し止め問題で、国立国会図書館は22日、受け入れを見合わせていた週刊文春の当該号を受理することを決めた。23日から閲覧できるようになる。
 文芸春秋側の異議に対して東京地裁が19日の決定の中で、「流通ルートに乗ったものは差し止めの対象外」との見解を示したことから、「納入された本はこれにあたる」と判断した。
 発行された出版物は、法律で同図書館への納本が義務づけられている。同図書館によると、文春側が図書館あてに郵送したのは、16日夜の仮処分決定前だったことから、受け入れと閲覧を決めたという。
(朝日新聞より)

 ..ハラホロヒレハレ ハラホロヒレハレ ハラホロヒレハレ ハラホロヒレハレ..

 法律と規則を厳密に(杓子定規に)適用していることは、よく判った。その限りにおいては、間違ったことはしていない。しかし..しかしね..「図書館というのは、そういうものじゃないでしょ!」

 その時代の情報を記録する、という使命感は無いのか! 後世に対する責任感は無いのか! 出版差し止め命令が出た雑誌の、一般利用者の閲覧を禁止するという判断は、あるいはあり得よう。しかし、その場合でも、書庫には収めておくべきだ。なぜならこの雑誌には、この時代(2004年)の日本において、出版差し止め命令が出されるような記事が掲載されているからである。貴重な史料ではないか。後世の(例えば社会学の)研究者たちが、是非とも参照したくなるような記事ではないか。未来において、(所蔵されている)新聞各紙の記事から、この21世紀初頭の事件を知った人が、当の記事(雑誌)を閲覧することができない。事実関係を調査できない。閲覧できないどころか、そもそもその記録自体が存在しない..これが、日本国の国会図書館のデシジョンであったのである..結果として、受け入れと閲覧を決めたとはいえ、裁判所の上記の判断(「流通ルートに乗ったものは差し止めの対象外」)が無ければ、この雑誌のこの号は、国会図書館的には、日本国の出版史の中で、欠落したままであったのである。まったく、なんということだ..こんな組織に、こんな連中に、われらの知的資産を(未来のために)託さなければならないのか..

 「国立国会図書館のホームページ」には、「真理がわれらを自由にする」、という、素晴らしい言葉が掲げられているのだが..恥ずかしいとは思わないのか..

 ..まぁ、それはそれとして..車検を忘れてたー!! [;^.^] 慌てて調べたら、今月30日で期限切れ! 行き付けのGS(IKKO)に予約の電話を入れ、25日に予備検査、29日の夕方に預けて、30日に処理してもらうことになった。滑り込みセーフである。[;^J^]

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*2004年03月24日:バッテリー交換


 車検目前ではあるが、そういえばもう4年以上、バッテリー交換をしていないことを思い出し、行き付けの「モンテカルロ」で交換してもらう。(IKKOに(車検ついでに)交換させるよりは割安だろう、と判断したのである。)

 どうでもいいが、この三方原のモンテカルロのすぐ近くには、C(仮名)という、ドラッグストアだか食品店だかがあるのだが..その看板には、「手作りサンドイッチ+クスリ」..なんか、すごく不味そうなんですけど..[;^J^]

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*2004年03月25日:初美さん


 書き忘れていたが、この21日に、知り合いに教えてもらった「スカイチルドレン」という中古レコード屋に行ってきたのである。教育文化会館の近く。なかなか和める感じで良かった。無論、LPが中心で、これらについては(再生環境が無いので)ジャケットを眺めて楽しむしか無いのだが、LDやCDも結構あり、クラシックのCDが比較的多いあたり、わたくし的にはポイントが高い。

 イエスのCDも結構あったので、「Gimme More」というライヴ盤を購入し、きのう今日とカーステで聴いてみたんだが..これ、もしかして海賊版じゃないか?[;^J^]

 そもそも「Made in ITALY」というのが怪しい、とか、「INSECT」というレーベル名に見覚えがない、とかいうのは、単なる私の無知かも知れないが..ジャケットの紙質が微妙に安っぽいのはいいとして、PAの調子が時々おかしいし、「And You and I」の歌い出しでジョン・アンダーソンがトチッて、2回やり直しているし..[;^J^]..イエスがOKを出したテイクだとは思えないんだよなぁ..[;^J^]..まぁ、ジャケットのイラスト(牧神)がなかなか良いので、ジャケ買いしたと思えば、全然OK。

 捨てずに溜まっていた、DVD/CD/LDのレシート(数十枚)をチェックしていたら、担当者の名前が「**初美」というレシートが、何枚かあったのだが..コレクションな文脈なだけに、思わず、「初版・美本」、と読んでしまいました [;^J^]。もちろん、こんなんでも、「初物・美人」と読んだりする(かも知れない)鬼畜たちより、100万倍はマトモだと思いますが..もしかして同じですか? やっぱり鬼畜ですか? [;^J^] それは偏見ではありませんか? [;^J^] ..ま、いずれにせよ、さまざまな意味で人格を疑われかねないので、これはここだけの話である。[;^J^]

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*2004年03月26日:「新・電脳なをさん」「座頭市」


 「新・電脳なをさん 1」(唐沢なをき)を入手。昨日が発売日だったのだが、通勤路上のいくつかの書店を探しても見つからなかったので、しょーがねーなー、という感じで、(在庫があることが経験的に判っている)街中の谷島屋本店で確保したという次第。

 ちなみに本書は、谷島屋的には「漫画」ではなくて「専門書」であることに注意。コミック売場ではなく、コンピューター関連書籍売場に置かれているのである [;^J^]。「電脳なをさん 5」の続巻であるが、なんで素直に「6」にならずに、「新」として仕切り直したのかと思っていたのだが..ハードカバーからソフトカバーに格下げ、さらに、4色カラーの頁が無くなっていたのであった。デフレ対策であるということで、やむを得ないが、うーん..残念。

 大好きな「座頭市」(北野武版)のDVDを観る..映画館で(2回)観た時と同様の面白さだが..これ、他のDVDソフトより、やや暗い..というより、コントラストがきつめじゃない? 明るいシーンは十分明るいが、夜などの暗いシーンが、少し見づらい..もしかして、自宅の再生系(特にディスプレイ)のせいかな?

 冒頭いきなり、「セリフの一部に不適切とされる表現がありますが、劇場公開版をオリジナルのまま収録しております。あらかじめご了承ください。」という断り書きが [;^J^]。そりゃそうだよなぁ。あの場面のあのセリフをカットしたり言い換えたりしたら、つや消しだからねぇ。

 これは、見事なまでに、すがすがしいまでに、「パターン」「定型」「紋切り型」を連結してみせた映画である。だから、突っ込みどころはいくらでもある。特に後半。たかが町のヤクザが座頭市を倒すために放つ刺客たちが、なんでまた虚無僧に扮しているのか、とか、彼らは家に火を放っただけでさっさと引き上げてしまい、市の生死についてなんのチェックもしてねーじゃねーか、とか、家を焼かれた、おうめたちが、全然悲しんでも慌ててもいないのはなんなんだよ、とか、しまいにゃ忍者ですかあんたらホントにヤクザですかそれともコスプレですか、とか。私のツボを一番ついたのは、すぐにおうめの家が建て直されはじめることで..「もう、保険が下りたのか!?」(もしかして、この時代には既に火災保険が発達していたのである..とかいう史実があったりすると、今夜の日記は大恥を晒したことになってしまうなぁ。[;^J^])

 しかしもちろん、突っ込みどころはいくらあってもいいし、多少の不整合など問題にならないのが、娯楽時代劇というものである。(突っ込みどころが多ければ多いほど楽しめる、という側面もある。)特に上記の「再建」のシーンで、大工たちの槌音がパーカッションのアンサンブルとなって、最後の祭りにつながっていくシーンの高揚感など、何度リピートして観ても飽きない。[^J^]

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*2004年03月27日:「超天才ダリの宇宙」展


 7:27のバスで出発し、8:05のこだまで東上。熱海で伊東線に乗り換えて、伊東で降りてバスで40分ほど。接続が非常に良く、10:35には、「池田20世紀美術館」に着いた。「生誕100年記念−超天才ダリの宇宙」展である。会期は今月30日まで。当初は、たまには車で遠乗りしようかと思っていたのだが..地図を睨んだ末、断念。東名を降りたあと、道に迷わないわけが無い、と、確信できてしまったから [;^J^]。伊豆半島の南端まで行ってしまったとしても、驚かないね、私は。[;^.^]

 というわけで、新幹線 → 伊東線 → バス、という、堅実かつ軟弱な選択をしたわけなのさ。大体、自分でハンドルを握っていると、道中、本を読むこともできないじゃんか。[;^J^]

 展覧会自体はこじんまりとしたものだが、なかなか面白かった。(油彩画よりも、エッチングやリトグラフ等の方が主体である。)往復11700円の交通費には値したと思う。(そうは思わない人も、大勢いるであろうが。)この美術館の名前は、今回はじめて知ったのだが、常設展もなかなか面白い。配列がある程度「無秩序」であるところがまた、いかにも20世紀的である。

 売店には、「超天才ダリの宇宙」展の「図録」は無かった。かわりに、TASCHEN の「ダリ 全画集」を買う。ほかに、面白そうなフィギュアもあったのだが、散々考えた末、見送った。

 美術館の向かいのカフェでカレーを食べる。そこに置かれているパンフレット類を眺めていて、今さらながら気がついたのだが..伊東って、「ハトヤ温泉」(電話はヨイフロ)くらいしか無いのかと思っていたのだが、さまざまな美術館や工房が満載されている、堂々たる観光地だったのね [;^J^]。知りませんでした [;^.^]。今日は、そんなの、全然日程に組み込まれていなかったので、全部パス。今度また、ゆっくりとプランニングした上で出直しますわ。(その節は、車で移動する方が効率が良いであろうことよ。)

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*2004年03月28日:「ダリ 全画集」


 昨日購入してきた TASCHEN の「ダリ 全画集」(Descharnes, Gilles Neret, 2002, Akase Kazuhiro 訳)のインプレを書いておく。

 とにかく、「全画集」なのである。


「本書は、若干の例外を除いて、およそ知られているダリのすべての絵画作品を収録した初めての全集である。(中略)本書に収録されていない作品は、真贋の点で問題があるか、ダリ本人が自分の作と認めなかったもので、意図的に除外した」(8頁)

 「絵画作品」に限定されていることに注意。かつて秋葉原のミナミの「ダリ美術館」に収蔵されていた宝飾品類が贋作であるわけがないのだが、それらのうちの一部しか収録されていない。また、挿絵、リトグラフ、エッチングの類も、ごく一部だけ収録しているようだ。「絵画作品」とは油彩画・水彩画のことかな? もちろん、収録範囲をそのように定義しているのであれば、それで全然構わない。

 すぐに気がついた「欠落」は、横浜美術館で数年前に見た「朝・昼・晩」の三連作である。これは、今は探す気力が起きないので探さないが、手持ちの画集のどれかに収録されているはずなのであるが、実物を観て、その「駄作性」に唖然としたことを、しっかりと日記に記録している。「1997年08月11日」の記述である。読み返してみると、かなり詳しく呆れている [;^J^]。よほどショックだったらしい [;^.^]。これが本書に収録されていないということは、「贋作であった(少なくともダリが自作と認めていない)」のか、あるいは凡作なので「若干の例外」に括られたのか、いずれかである。また、今回の「超天才ダリの宇宙」展に来ていた、ジラフの6連作も収録されていない。(これもやはり、つまらん作品だとは思っていたが。)

 逆に言えば、少なくとも観るに値する絵画作品は、極力全て収録されている(少なくともそれを目指している)一巻本なのである。実に有用であり、第一級の資料と言える。たったの4000円なので、どこかで見かけたら、購入しておくことをお薦めする。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Mar 31 2004 
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