*2003年06月16日:終わりの日は近い
*2003年06月17日:「綺堂随筆」
*2003年06月18日:闇の中の声
*2003年06月19日:「千夜一夜絵物語」
*2003年06月20日:「東京探偵団」の想い出
*2003年06月21日:血迷うまんだらけ
*2003年06月22日:「クズビデオ49日/G3」
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*2003年06月16日:終わりの日は近い


 午前半休。松田病院で(退院4週間目の)診察。予後良好。さらに1ヶ月後に、もう一度チェックする。今日で(手術・入院後の)通院は2回目。生命保険の通院保証は、(私の契約の場合)手術後120日以内・通算30回以内の分に対して支払われるのだが、もう面倒なので、本日分までで請求することにする。どうせ毎回の診察料と薬代は、合計1000円かそこらなんだし。

 午後出社。仕事中、リブ100(DIASPER)のディスプレイが、一時“ホワイトアウト”したのを目撃する [;^J^]。どう考えてもハード系のトラブルであるにも関わらず、ソフト・リセットで復帰する。全く、ひやひやものである。ディスプレイが劣化している徴候は認められないので、一時的な接触不良か何かか? ならば何故、ソフト・リセットで回復する?

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*2003年06月17日:「綺堂随筆」


 休む。疲労である。昨日は、さしたることはしていない。週末(土日)の放蕩が、今ごろ効いてきたか。[;^J^]

 日曜日あたりから読み始めていた「綺堂随筆」(岡本綺堂、河出文庫)の既刊3冊を、読了する。

 「江戸の思い出」からは、「島原の夢」「思い出草」「昔の小学生より」「鳶」「新旧東京雑題」「西郷星」「温泉雑記」「火に追われて」「十番雑記」「自来也の話」「女学士の報怨」「関羽と幽霊」「発塚異事」など。

 「江戸っ子の身の上」からは、「かたき討の芝居」「虎」「雪の一日」「二階から」「薬前薬後」「蟹」「亡びゆく花」「仙台五色筆」「山霧」「秋」「葉桜まで」「後の大師詣」「苦力と支那兵」「怪奇一夕話」など。

 「江戸のことば」からは、「春の寝言」「新浮世風呂」「鯉」「深川の老漁夫」「怪談一夜草紙」「半七紹介状」など。

 「江戸の思い出」所収の「思い出草」では、既に往来で凧揚げする子供などいない..と語られている。また、同じく「昔の小学生より」では、こんにちでは教鞭の刑など与えようものなら、生徒虐待問題になるであろう..と語られている。そして前者は明治43年、後者は昭和2年の文章なのである。なんとまぁ..かわりばえのしない世相であることよ。[;^J^]

 それにしても、惚れ惚れするほど素晴らしい随筆集である。私も、こんな文章(日記、追想記)を書けるようになりたいものだ..などと書くと、「お前は(こともあろうに)綺堂と張り合う気か!」..と、呆れられるであろうが..目標(お手本)は、高ければ高いほど良いのである。

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*2003年06月18日:闇の中の声


 昨夜の続き。「綺堂随筆」の3冊の中のどの文章だか忘れたが、「蛙の声」についての追憶話があった。私にも、「蛙の声」についての印象的な想い出があるので、書くことにする。(だから、綺堂と張り合う気なのかよ。[;^J^])

 学生時代。私が下宿していた「運河」という名の小さな町は、その名のとおり「運河」を擁していたから、そう名付けられていたのであった。そして私は夜な夜な..というほどでもないが週に2〜3日は、その運河の土手道を、夜中に好んで自転車で走っていた。街灯などひとつもない、人家もまれな、闇の中の爽快なサイクリング..

 ある夏の夜、いつものように、暗い土手道を走っていたら..足元の草むらの中から、突然、「あ」、という声がしたのである!

 危うく、転倒することろであった。もちろん、論理的に考えれば、それは蛙の声でしかあり得ない。(何しろ、地上数センチの高さから聞こえてきたのであるし、周囲に人間がいる気配は皆無だったのだから..)..しかし、それはあまりにも正確な「人間の」(というより「日本人の」)発声であるところの、「あ」なのであった。よしんば、それが「蛙」であることを認めざるを得ないにしても、その蛙には「人間の」(「日本人の」)顔がついているのではないか、という強迫観念に襲われるほどまでに、“正確な”「発声」であった。

 恐かった。真剣に恐かった。なぜなら、それは「人間の顔があるはずがない」場所から発せられた、「人間の声」だったからである。その高さから声をだそうとすれば、首(というより「顎」)から下が地面に埋まっているか、あるいは生首となって転がっているしかないからである。

 後年になって、この時の恐怖を想い出させる作品に、二度、出会った。

 一度目は、田中貢太郎の「篭の中の顔」(「日本怪談集」(種村季弘編、河出文庫)等に所収)。なんとも不思議なムードの小説であるが、床面の高さぎりぎりの篭の中に置かれた顔..

 二度目は、山岸凉子の「千引きの石」(「わたしの人形は良い人形」(文春文庫)所収)。序盤、体育館を外から見た時、その外壁の地面の高さすれすれの場所に開いている「穴」に、人間の顔(のようなもの)が、一瞬見えるシーン。

 特に前者には、ボッシュの幻想絵画のイメージに通ずるものがあるが..これらを読む度に、私の耳には、あの禍々しい「あ」が、響いたものである..

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*2003年06月19日:「千夜一夜絵物語」


 帰宅したら、先日、某書店に発注していた「千夜一夜絵物語 第1巻」が、首尾良く当選して届いていた。

 バートン版にもとづく全10巻の「漫画」であり、大場正史監修、という由緒正しいもの。東京漫画出版社発行、「構成・絵」が、木村仁と、みきそのこ。この漫画家たちについては、良く知らない。(出版社についても。)1968年初版発行。

 むろん、「成人向」漫画であるが、やはりエッチシーンの描写の精度 [;^J^] は、こんにちの水準よりは、相当甘い。もちろん、原作が原作であるから、やることはやっている [;^J^] のだが、そっちの角度から、もう少しちゃんと見せてくれという..いやいや。[;^J^]

 大場正史の「まえがき」が、時代を思わせて(?)面白い。


 「千夜一夜物語」は、8世紀から9世紀にかけて、絢爛たるサラセン文化をおこしたアラブ人の大きな遺産のひとつである。
 この物語のもつ妖美な詩情の世界に魅せられたわたしはその翻訳に半生を賭けてきた。それはアラブ人の性愛生活の素朴で明朗の描写にいちばんひかれたからだと思う。
 彼らはキリスト教徒やユダヤ教徒と違ってセックスを罪悪視しない……だからこの物語には罪の意識をもたずに官能的な快楽を追求してやまない好色的人間が数多く描かれている。このように有能な享楽主義者でもあったアラブ人の生活基調は、アラー(神)と女にあると云いたい。
 「千夜一夜物語」が、このたび東京漫画出版社から成人向絵物語として発刊されたが、視覚にうったえる印象的な表現法は、親しみやすく活字と違った楽しさがあり、おもしろいアイデアだと思う。
 ともかくタブーに近いこの種の仕事にうちこんだ関係諸氏の情熱に敬意を表したい。

 ..タブーねぇ [;^J^]..私は、1968年時分には小学生であり、当時は少年漫画しか読んでいなかったから良くわからないのだが、当時の漫画界って、それほど清澄だったか? [;^J^](単に、大場正史が、当時の漫画界・劇画界を知らなかっただけだ、というのが正解だろうが。)

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*2003年06月20日:「東京探偵団」の想い出


 細野不二彦の「東京探偵団」(単行本(少年ビッグコミックス)の初版発行日は、1986年〜1987年)のファンである。いまでも、年に一度くらいは読み返している。

 去年か一昨年に文庫化されているが、それに掲載されていた作者のあとがきが、感慨深かった。「万能のカード..劇場型犯罪..あのバブルの時代の香りがプンプンする..」(大意)、というものである。まさにそのとおりだ。これは、バブルの時代が、バブルの世相が、生み、育んだ作品なのである。

 超一流の傑作か、というと、違うと思う。しかしB級でもない。少年漫画の伝統に則った直球ストライクの、そして、1980年代という煌びやかな時代でなければ、決して生まれ得なかった佳作であり、あの時代に咲いた一輪の花(あるいは一本のワイン)として、後世に伝える価値は、絶対にある。

 つまり..バブルは、無駄ではなかったのだ..

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*2003年06月21日:血迷うまんだらけ


 「まんだらけZENBU 19」(オークション特集号)を読んで、つくづく呆れ果ててしまった。「めぞん一刻」の原画が出品されているのだが..


この作品は出品者のご希望で画像は公開いたしません。
内容は高橋留美子氏「めぞん一刻」カラー原画です。
もちろんメインは響子さんです。
絵柄的には文句なし… のものです…ですが人それぞれお好みがあるでしょうから落札された方は実際にご覧になった後
ご不満があればキャンセルが出来ます(理由は聞かせて頂きます)。

..(中略)..

200万円からスタート!!

 ..あほか。

 本当に漫画文化(あるいはオタク文化)に貢献しようと考えている人間が、こんな愚行に及ぶであろうか。「漫画だろうが玩具だろうが、良いものは良いし、良くないものは良くない。偏見を持たずに正しく価値判断をして、世界に広め、後世に残すべきだ」..これが、この業界(漫画業界・オタク業界)に関わる人々全員の共通認識であるかどうかはともかくとして、少なくともまんだらけの「社是」に等しいものであったはずだ。この素晴らしいテーゼをどのように曲解すれば、「「覆面オークション」というギャンブルの胴元」、などという解が導きだされるのであろうか。

 初心に返れ! 立ち位置を間違えるな! 日本が世界に誇る漫画文化・オタク文化を、スポイルするな!

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*2003年06月22日:「クズビデオ49日/G3」


 滅多にネットサーフィンをしない私だが、何かのはずみで「クズビデオ49日」というページに迷い込んでしまい..はまってしまった [;^J^]。あぁぁぁ、私の大好きな「ガメラ3 邪神覚醒」が、ぼろくそ に..[;^.^]

 彼が言っていることには、ほとんど全て同感なのである、いや実際まったくのところ [;^J^]..(とはいえ、このエンディングに対する彼の評(「投げ出しているだけだ!」)には、賛成できない。このエンディングは、「これしかない!」という決定的な「幕切れ」なのである..という私の評価だけは、譲れない。)

 実際問題..巫女くずれやゲーム作家ふぜいが、わけのわからんご託を並べていたり..「マナ」は許すとしても「宝剣」はあんまりだとか..最大のクライマックスシーンで、怪獣たちも駆けつけたヒロインたちも、びくともせずに棒立ちだとか..でもね、そういうシーンはね、「見ないの!」[;^J^] 自然に視線や注意力がそれて、「気にならないものなの!!」[;^J^][;^J^] 「頭の中で、ナチュラルにフィルタがかかってしまうものなの!!!」[;^.^][;^.^][;^.^] 「見えているのに見えていない」という、関口巽状態というか..(某作品のネタばれになりかねないので、以下略 [;^.^]。)

 (しかしそんな私もただ一個所、渋谷壊滅のあの凄まじい大虐殺シーンの最後に、ガメラが少年を「助ける」くだりだけは、理解できない。何度観ても、頭の中が真っ白になってしまう。そこまでの展開と辻褄が合わないのだ。あそこだけ、別の映画になっている。なぜカットしないのか、監督を小一時間、問い詰めなくてはならない..)

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Jun 25 2003 
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