*2003年06月09日:軽微な不具合/眼球譚
*2003年06月10日:シベオフ仕込み/コントラバス
*2003年06月11日:手塚関係、色々確定
*2003年06月12日:闇に浮かぶもの
*2003年06月13日:業務用メーラ切り替え/贔屓の漫画家たち
*2003年06月14日:シベリウス・オフ
*2003年06月15日:「「奇譚クラブ」の人々」/「レンズの子供たち」
*目次へ戻る *先週へ *次週へ


*2003年06月09日:軽微な不具合/眼球譚


 午前半休。聖隷三方原病院で眼科検診。

 前回の人間ドックの眼底検査で“異状”が検知されていたので、再検査というわけだ。結果として、異常なし。要するに強度の近視による変形?であって、緑内障その他の病変の原因(あるいは徴候)ではないとのこと。やれやれ、ひと安心。

*目次へ戻る


*2003年06月10日:シベオフ仕込み/コントラバス


 今週末のシベリウス・オフでは、当初、シンセでハープ・パートだけを担当する予定であった。(交響曲第1番と、「トゥオネラの白鳥」)..が、どうやらコントラバス奏者の参加がなさそうだということで、コントラバス・パート(場合によっては、どうように参加者が少なさそうなチェロ・パートも)の代奏(あるいは増強)を担当することになった。

 ということで、仕込みを変更することになった。これまで、シンセ(Fantom−S)を、ハープで“独占”する予定だったのが、同時にコントラバスやチェロのパートも奏することになったわけで..(以下、専門的子細は省略する。)

 気がかりなのは、チェロと(特に)コントラバスの“ピッチカート奏法”の音である。現在、私が所有している音色増設ボード(SRX−06)でも、まずまずの音色は出るのだが、“ベスト・サウンド”とは言えない。この音がFantom−Sの実力(の限界)だと思われるのも、癪である..ということで、当日は某所から、“(現時点での)ベスト・サウンド”が出る増設ボード(SRX−04)を、一時的に借りることにした。結果(評判)が良ければ、改めて購入することにしよう。

*目次へ戻る


*2003年06月11日:手塚関係、色々確定


 某書店から、「現代の探検」(全9冊、山と渓谷社)等が届く。これは、手塚治虫の短文とカット、


あなたの中の無人島(アンケートとカット)::1:現代の探検 No.6 現代人と無人島:71/10/01

 ..を採取するためだけに発注していたものである。これだけのために、9千円..我ながら、豪儀なものである。[;^J^]

 数日前に別の書店から届いていた、「古代への幻視」(梅原猛、中沢新一、アルファ・アート)を読了。これは、


古代への幻視(日本文化デザイン会議載録)(座談会)(梅原猛、大須賀勇、中沢新一氏)::47:「古代への幻視」(アルファ・アート出版):88/08/10

 ..を採取するためだけに発注していたものである。これは1500円だから、さほど財布は痛まなかったが..[;^J^]

 ..ま、本書の中には、手塚発言以外にも、興味深い話題がたくさん含まれていたので、抜き書きを転載しておこう。


アイヌにとって、この世がプラスの世界だとすれば、(あの世として)反対側にマイナスの世界があり、マイナスの世界というのはこの世とあまりかわらない(132頁)。

「生と死」の問題を考えていくと出会う「再生」という思想がなかったら、人類文化は存在しなかった(梅原)(138頁)。

「(梅原)アニミズムが日本の神道の根底にあって、仏教も日本に入ってそういう土着の思想に影響され、アニミズムに変質してしまった。釈迦仏教は本来ヒューマニズムというかな……、人間中心的だ」「(中沢)植物には命がないと言いますものね」(166頁)。

永劫回帰という思想は、遺伝子の法則に忠実である。終末論というのはどうも納得できない(梅原)(184頁)。

「(中沢)同じ様に、人間を殺したら、魂を解放するために相手を食べてあげないといけないのじゃないですか」「(梅原)原始社会の考え方はそういうことなんだ。だから食肉を肯定する。日本人は人を訪ねるときに、なぜ土産を持って行くかと言ったら、あれは代償品で、それなしに人を訪ねると食べられちゃう。だから土産を持って行って、これを代わりに食べて下さいという」(198頁)。

「(梅原)日本は農耕文明の国と言われるが、私によれば狩猟採集の文化の強く残った国です。そして牧畜文化は日本に入らなかった。それは自然保護という視点から見ればよかったことと思うのです」(210頁)。


 しばしば情報を送って下さるE氏からの情報で、以下が確定(あるいは新発見)。これらは今回の更新に反映させる。


対談 まんがの魅力 −手塚治虫 VS ヨシトミヤスオ−(対談)::42:「マンガ漫画の魅力」(清山社):78/12/10
推薦文(見返し)::1:「日本の古典」(暁図書出版):82/05/01
キングコングとチャップリンはアメリカ映画の永遠のスター(エッセイ)::1:「KINGKONG 2」プログラム(松竹株式会社):86/12/20

 以上の他、最近購入した「図説 鉄腕アトム」(森晴路、河出書房新社、ふくろうの本)にも、新情報がたくさん掲載されているのだが、なかなかまとめ切れない。来週の更新に反映させられるかな。

*目次へ戻る


*2003年06月12日:闇に浮かぶもの


 某所で気がついた。最近私が着用しているズボンは、“ブラックライト”(紫外線)を浴びると、不気味な紋様(?)が浮きだすのである [;^J^]。そこそこ不規則なので、何かを浴びたか汚したか..と考えるのが、まずは妥当であるが、ところどころ妙に規則的で意味内容を伴う図形になっているのが、不気味である。例えば右腿の外側に浮き出しているのは、これは誰がどう見ても、歪んだ髑髏模様..[;^.^]

 そこからの帰り際。傘が紛失している [/_;]。まだじゃかじゃか降っているというのに、参ったなぁ..(まぁ、どうせタクシーで帰るつもりだったけど。)あれほどボロくて特徴的な傘(握りのあたりを針金で補修していたりする)を間違えて持ち帰るわけが無いので、これは確信犯で盗まれたのであろう。(あまり、客種のいい店じゃないしねぇ。)しゃあない。どうせボロボロだったんだから、あまり未練はない。早急に買い直そう。

 (ブラックライトを浴びせられて、客種が悪くて、帰る頃には(バスが終わっているので)タクシーを使わざるを得ないような店とは、どういう店であるのか..などと、余計な詮索をしなくてもよろしい。[;^J^])

*目次へ戻る


*2003年06月13日:業務用メーラ切り替え/贔屓の漫画家たち


 先日も書いたかな。今の今まで、会社での(業務用の)メール環境は、UNIX上のMHだったのだが..ついにたまりかねて、ネットスケープ・コミュニケーターに移行した。

 順番に説明しよう。なんで、これまでMHにこだわっていたのか。メール本文がUNIX上のテキストファイルなので、非常に作業効率が良いのである。何しろ、日常業務の大部分が、つまるところ、UNIX上のテキストファイルの処理なので、いちいちWinとの間でファイルをやりとりしたくないのである。

 しかるになぜ、MHから(泣く泣く)Winのメーラーに乗り換えるのか。SPAMを棄てるのが、MHでは(やや)手間がかかるからなのである。Subject や From、To だけで判断して棄てる場合は、さほど効率は変わらないのであるが、時々は本文も(念のために)見て..などということをすると、総経過時間とタイプ数が、かなり多くなってしまう。この欠点を到底看過しきれないほど、SPAMが激増している、ということなのである。やれやれ。(なにしろ、毎朝、始業前の15分間を、夜間に届いたSPAMの廃棄に浪費している始末なので..)

 閑話休題。

 某氏から質問されたので、この場を借りて回答することにする。「新刊が出たら即購入して即読了する漫画家は誰か?」。

 吾妻ひでお、諸星大二郎、高橋葉介、とり・みき、唐沢なをき、岡崎二郎、芦奈野ひとし、鶴田謙二、山田章博、島本和彦、鄭問、浜口乃理子、倉田真由美。((超)寡作な人が多いので、非常に助かっております。m[_ _]m [;^.^])

 条件付きで、いしいひさいち。(再編集ものについては、内容をざっとチェックして見送ることがある。)極めて不本意 [;^J^] ながらこのステータスにはまってしまっているのが、上野顕太郎、野中英次。この両名については、気がついたら全単行本が揃ってしまっていたので(だって寡作なんだもの [;^.^])、いまさらどうしようもなく、腐れ縁が続いているのである。[;^.^]

*目次へ戻る


*2003年06月14日:シベリウス・オフ


 東京・等々力(東急大井町線)で、久々のFCLA演奏オフである「シベリウス・オフ」。演奏するのは、「交響曲 第1番」「交響詩 トゥオネラの白鳥」「交響曲 第2番」「ヴァイオリン協奏曲」「交響曲 第7番」「カレリア組曲」「交響曲 第5番」「交響詩 フィンランディア」である。(これを半日でやるのである。[;^J^])

 8:49のこだま。等々力には昼前に着き、前回の「オランダ人」オフの時と同じカフェで昼食。定刻の12:45少し前に会場に出向いたら、既に設営が始まっていた。

 「持参のPA」を使わないのは、ほとんど、この会場のみである。(会場に、立派なPAシステムがある。)ということは、こちらからみると、手慣れない状況であるわけだ。会場スタッフと相談しつつ、大汗かきながらセッティング。

 ..大汗かいた理由は、私の「見込み違い」がいくつか明らかになったからである。いちいち細かいことは書かないが、要するに事前の押さえの不足。「なんとかなるさ」体質の報い。最悪、Miさんに持ってきていただいたサブ鍵盤が“使えない”事態になるかと焦ったが、そこまでは至らず、持ってきていただいた機材は、全て使えた。ただ..本来私が狙っていた仕事量の、1/3ぐらいしか、させられなかった。[;_ _]

 「交響曲 第1番」と「交響詩 トゥオネラの白鳥」における主要業務は「ハープ・パート」であるが、それに加えてコントラバス・パートも。この2曲が終わったあとは、シンセはコントラバスに専念する。もっぱらMoさんに弾いてもらったが、私の技量でも弾けそうなところは、私も手を出した。(鍵盤は2台あるので。)とりわけ、「交響曲 第7番」は、Moさんが降りてしまい、シンセ・コンバスとしては、私ひとりで弾くことになったのだが、(書き忘れていたが、コントラバスの欠乏をチューバ奏者のNさんが埋めており、シンセ・コンバスは、基本的にはチューバ・コンバスとユニゾンで弾いていたわけだ、)これは実に気分が良かった。なにしろ、シベリウスマニアの端くれである私の視点からみて、この曲は、シベリウスの最高傑作である。その低音を、ずっと支えることができたのであるから。(終盤の細かい音符は、自主的に割愛させていただきました。[;^J^])

 いつになくオンタイムで進んだオフは、いつになく撤収も早く、自由が丘駅駅前の二次会会場への到着も早く、おかげで入れて貰えなかった [;^J^]。まだあと30分もあって、外は雨だっつーによっ! [;^J^]

 私を含む数名はマクド(だっけ?)の2階で時間をつぶしてから、改めて2次会会場へ。飲み放題といいつつ、飲み物がスムーズに出てこないところがイライラさせられたが、最終的にはビールと白ワインを十分いただいてから、ながらに乗るべく、22:55頃に退出した。ながらは品川駅を23:53に発つので、全く楽勝な時刻である..

 ..が、プランとしては、自由が丘駅で東急大井町線に乗って、大井町へ、そこからJRで品川駅へ..というシンプルなものではあるが、自由が丘駅にはさまざまな路線が集中しており、正しく東急大井町線に乗るのは至難のわざである..というわけで、I氏が東急大井町線のホームまで案内して下さった。(確かに、各路線のホームが錯綜している、難解な状況であった。)私は東急大井町線の大井町方面に乗ることができたのであり、I氏には、いい仕事をしていただいたといえる。あとは、私の責任である..

 ..で、ここで多少、理解しがたい事態に至るのであるが..気がついたら、やはり東急大井町線の「自由が丘方面行き」に乗っているのである [;^J^]..終点の大井町駅で降りずに、そのまま逆方向に引き返す電車に乗り続けていたのであろうか?..などという詮索をしている場合ではないので、次の駅(どこだったか失念)ですぐに降り、ただちに大井町駅行きに乗り直す..結論から言うと、ほぼ23:53に大井町駅に着いた。ながらは、23:53に品川を出たはず。あと1本の差で、間に合わなかったわけだ。

 ..いまさらどこぞのホテルに泊まるのも癪なので、以前も、同じ状況でやったとおり、品川で夜明かしすることにした。まず、アンナミラーズへ。2:30過ぎに河岸を変えてロイヤルホストへ。(ロイホに直行せず、3:00で閉まるアンミラにわざわざいったん寄るところが、ポイント。これによって(さまざまな意味で)疲れを癒すことができるのである。)

 5:30頃にロイホを発って、品川駅へ。JRで東京駅へ。6:15の新大阪駅行きのこだまに乗って、浜松へ。

*目次へ戻る


*2003年06月15日:「「奇譚クラブ」の人々」/「レンズの子供たち」


 ..というわけで、8:30過ぎに帰宅して、昼まで寝る。

 久々の午後起床(といっても、12時半かそこら)は、とても快適..といっても、肉体的には決して快適ではない。人間は、昼間起きて夜間眠るようにできているので、こういう不自然なことをしても、体は喜ばないのである。喜んでいるのは、不自然で不健康な行為に及んでいること自体を興じている不健全極まりない私の思考回路である [;^J^]。いーじゃん、たまには昼間から堕落頽廃しようよぅ。[;^.^]

 というわけで、昼から読書。(読書というのが、けっして、健やかな趣味ではないということが、これでわかるであろう。[;^J^])

 「「奇譚クラブ」の人々」(北原童夢、早乙女宏美、河出文庫) - 手軽な資料として貴重。あまりこういうSM嗜好は無いのであるが [;^J^]、絹川文代、大塚啓子、梨花悠紀子らの緊縛姿の美しさには驚いた。三島由紀夫、川端康成らも含めて、当時の多くの人々を(秘かに)魅了したのも、むべなるかな。

 「レンズの子供たち」(Edward E. Smith、小隅黎訳、創元SF文庫) - いまさら説明不要。昔とは違う読み方をしてみようと試みたが、結局、同じように楽しんでしまった。ただ、最後にキムボール・キニスンを(キニスンファミリーが総力を結集して)異次元から救出するエピソードのみ、蛇足に感じられた。このシーンをアピールする必然性はわかるので、つまりは、キムを異次元に放り出す手続きに不備があるということか。(かつて、多くの少年たちが、「バルタン星人」や「ケムール人」に“本気で”なりたかったのと同様、かつての私は、「プルーア人」に“本気で”なりたかったというのは、ここだけの話にしておいていただきたい。[;^J^])

*目次へ戻る *先週へ *次週へ


*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Jun 18 2003 
Copyright (C) 2003 倉田わたる Mail [KurataWataru@gmail.com] Home [http://www.kurata-wataru.com/]