*2002年08月05日:下北沢散策
*2002年08月06日:「MIDIファイルは楽譜といえるか?」
*2002年08月07日:自家用車→バス→タクシー
*2002年08月08日:顧客の“耳”
*2002年08月09日:夏休み前日
*2002年08月10日:Nさん資料第17便/オンド・マルトノ/マン・レイ
*2002年08月11日:「長い年月」
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*2002年08月05日:下北沢散策


 夏オフ明け。例年、アフターオフに参加しているのであるが、今年の夏オフは特に疲労度が高く、今日一日歩き回る元気も無かったので、パス。といって、朝いちで浜松に帰るのも後泊した甲斐が無いので、夕方まで、都内でホケラ〜っと時間を無駄遣いすることにする。

 ..というわけで10時過ぎに、神保町の三省堂の2階の茶店で、アイスコーヒーとホットサンドで宿酔いを醒ましつつ、ニフにつないだら..Mさんからお誘いのメールが来ていた。ダラダラしたお誘いらしいので [;^J^] 乗ることにする。11時頃にPHSで連絡を取ってから、13時頃に下北沢。Tさんと3人で、結局、ミニアフターオフである。

 下北沢散策である。「STUDY ROOM」という店に、小一時間以上はまる [;^J^]。「“大人のための”子どもの理科教材」ですか? 単なるぬいぐるみ(但し題材は、蜘蛛やら恐竜の卵やら)とかもあったけど、懐かしの地球独楽とかスーパーボールとか各種万華鏡とか。

 薄暗い茶店で延々だべってから、古書店やフィギュア店をハシゴする。なかなか面白い街である。気がついたのは、妙な高低差があること。商店街の中に坂があるというだけではなく、道の標高と店の標高が違う。それどころか、さほど広くもない店の中にすら坂がある。

 こだまで浜松へ。(本日は、代休取得済みであった。)

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*2002年08月06日:「MIDIファイルは楽譜といえるか?」


 先日、「無味乾燥なMIDIファイルは、パート譜(あるいは総譜)再現手段として使える」、という話題を紹介した。それに関連して、この事例とは全く次元が異なるが、「MIDIファイルは楽譜といえるか?」という議論が、2年半ほど前にネットニュースで展開されていたのを思い出した。

 手元に残っていたのは、この議論のほとんど最終段階になって口を出した、私自身の発言のログだけなので、正確な経緯を思い出せないのだが..要するに、doi 氏という方から、「MIDIファイルには、なんら自由度が無いので、楽譜とは言えない(そこに演奏家の魂を込めることが出来る楽譜ではなく、これ以上魂を込めることが出来ない、演奏し終わったものの静的な記録である)」、という主張が呈示されたわけである。現実の(レガシーな)楽譜に依って「演奏」する時の「自由度の高さ」を考えれば、この主張は実にもっともなことであり、私はとりあえず(内心)賛同していたのだが..

 ..この主張に対する(主としてコンピューター・ミュージック畑の連中からの)反論がいくつか出されたものの、(良くあることだが)噛み合わない。噛み合わない以上、論破出来ない。doi 氏はますますブイブイ言わせてくる..こうなると、本質的には doi 氏に賛同していながらも、私は doi 氏を論破したくなってしまった、というわけだ [;^J^]。「娯楽としての議論」、という奴である。

 ..という経緯を念頭に置いて、この議論における私の最初で最後の発言を、全文引用するので読んでみていただきたい。(私はこの一撃で、doi 氏を撃破してしまったのである。)

 これはまた、私の(“論破するための”)論理展開の典型例でもある。私を叩きたいと思っている人は、この事例を研究しておくことを、お薦めする。[;^J^]


From: kurata@rinc.or.jp (Wataru Kurata)
Newsgroups: fj.rec.music.classical
Subject: Re: MIDIファイルは楽譜といえるか?
Date: 1 Mar 2000 09:37:21 GMT
Message-ID: <89ioch$1kg$1@inetc.rinc.or.jp>

 倉田わたる です。

In article <DOI.00Feb29190617@pc6071.abr.affrc.go.jp>
    doi@letter.or.jp writes:
> 現時点の私の考えでは、
> 「楽譜は「再生」用のデータとしても「演奏」用の
> データとしても使えるが楽譜を楽譜たらしめているのは後者の性質である。」

 MIDIファイルは、演奏の大部分を、「再生操作者」には介入できないところまで決定してしまっており、「再生操作者」の「音楽的解釈」を容れる余地がない、(従って、その「再生操作者」は「演奏者」とはいえない、)という主張と読んで、よろしいでしょうか?

 だとすると、「MIDIファイルは、演奏の大部分を、「再生操作者」には介入できないところまで決定してしまっており、」という前提に、議論の余地があります。

 MIDIファイルは、物理的な音響を、一意に記述していません。それどころか、どういう楽音(楽器音)でなるかすら、記述していません、MIDIファイルに書かれているのは、「音色番号」だけです。

 GM/GS/XG等の規格に則った運用をすれば、その「音色番号」は「楽器名」に、一意にマッピングできますが、その場合でも、「ピアノ1」「ピアノ2」「チャーチオルガン」といった、極めて抽象的な定義でしかありません。それらがどのような音であるかは、MIDIファイルの記述の「対象外」なのです。(そして同じ規格の製品であっても、鳴り方は同じではない−−良く似てはいる−−ことは、言うまでもありません。)

 ましてや、上記の規格に則っていないMIDIファイルであれば、それこそ、音色(楽器)は、「再生操作者」の責任で、全て用意(調達、調整)しなければなりません。

 (また、この記事では深入りしませんが、MIDIファイル再生中の、「再生操作者」による(音色を変化させる)各種の操作(干渉)を禁止しているものでもありません。)

 ここに、「再生操作者」の、「音楽的解釈」が入る余地があります。実際、ある特定のMIDIファイルを与えられて、「これがなんとかまともに鳴るようにしよう」、と、苦心惨澹することは、しばしばあります。トランペットのアタックが遅い、バイオリンが暗い、ビオラが前に出過ぎている..上記の各種規格の範囲内では、それほど大規模な調整はできませんが、それ以外のMIDIファイルであれば、徹底的に「楽音再生環境(楽器群)」にテコ入れします。この作業には、「再生操作者」の「音楽的解釈」が入らざるを得ません。(楽器の調整をしたり、その類の楽曲を得意とする奏者に交代させたり..という意味で、指揮者の仕事に良く似ている..と、いつも思っています。)

 MIDIファイルが、「再生操作者」の介入の余地無く決定しているのは、基本的には、「発音のタイミング」と「その強さ」に過ぎず、(その「強さ」も、単なる127段階の抽象的な数値であって、デシベル値ではなく、)それだけ決められても、出てくる「音楽」を決定することは出来ないのです。

 従って、「音楽」を最終的に決定するのを「演奏」行為と呼ぶとすれば、MIDIファイルは「演奏」用のデータ(素材)であると言えましょう。

> 「楽譜は「再生」用のデータとしても「演奏」用の
> データとしても使えるが楽譜を楽譜たらしめているのは後者の性質である。」

 つまり、楽譜を楽譜たらしめている性質を持つ、ということになります。


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*2002年08月07日:自家用車→バス→タクシー


 今夜は部署の宴会。(しばしばあるケースなのだが)会社から会場まで送迎バスである。つまり、宴会が終わって会社に戻ってきた時点で、酔っぱらっている。さて、どうやって自宅まで帰るか..いつもいつも悩ましい。

 多くの場合は、(こういう日は)自家用車で出勤せず、バスで出勤することにしている。宴会が終わって、会社に戻ってから、会社直近のバス停から帰宅すれば良い..しかしこれはバクチでもあるのだ。なぜなら会社直近のバス停から自宅方向(というか、浜松駅方向)への終バスは、21:36だからである。宴会会場から送迎バスで会社に戻ってくるのがこれより遅いと、帰宅の足が無くなる。

 それで今回は、朝は普通に車で出勤した。「21:36までに会社に戻って来れれば、車は会社の駐車場に置いておいてバスで帰宅し、翌日、バスで出勤する」。「21:36までに会社に戻って来れなかった場合は、酔いが醒めるまで車の中で眠り、3時か4時頃、車で帰宅する」..完璧である。

 結局、宴会会場(奥山の「きじ亭」)からは、会社に21:25に戻って来れた。プランAに従って、バスで帰宅(..つーか、そのまま浜松の街中まで乗り越して、飲み直してからタクシーで帰宅 [;^J^])。

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*2002年08月08日:顧客の“耳”


 ..というわけで、バス出勤。帰りの足は、自家用車。

 どこの世界でもあることだが、ペーパースペックに頼る人は多い。音響関係機器の場合、f特が32kだとか、44.1kだとか。自分の耳で判断出来ないから、数字に頼るのであろう。それ自体は悪いことではないが..世間に流布している「ペーパースペック」には、「ミスプリ」や「デマ」も含まれていることに、要注意。

 また、シンセサイザー業界のユーザー層(の一部?)には、現在主流の「PCM方式」を卑しみ、「DSPによる(疑似)アナログ方式」を尊ぶ風潮があり、それはそれで構わないのだが、上記の風潮(というか気質)が主流をなしている、とあるBBSで、あるシンセサイザーが「DSPによる(疑似)アナログ方式」なのか「PCM方式」なのか、聴きとれていなかった例など。

 なんだかなぁ..と、正直思うが..しかし絶対に忘れてはならないのは、「彼らは顧客(候補)なのだ」、ということなのである。

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*2002年08月09日:夏休み前日


 明日から夏休み。ということで、15時から大掃除..というほどのことではないが、机の周囲で廃棄できるものを廃棄する。

 ..えらくたくさん、ありました [;^J^]。なんで普段から、廃棄できないんかなぁ〜。

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*2002年08月10日:Nさん資料第17便/オンド・マルトノ/マン・レイ


 1ヶ月も前に届いていた、Nさんからの手塚治虫関係資料第17便を、ようやく整理する。「サボテン君」、「スーパー太平記」など、少年画報関係。他にも、別冊少年マガジン掲載のエッセイ(コメント)など、掘れば掘るだけ、いくらでも出てくる、としか言いようがない。

 車で動く。15:10、クリエイト浜松着。浜松少年少女合唱団の演奏会で、合唱自体にはさほど興味は無かったのだが、オンド・マルトノとテルミンの演奏(ソロと、合唱の伴奏)が聴けるのである。(奏者、坪内浩文氏。)

 オンド・マルトノの音を聴けるCDは、いくつか持っているのだが、(メシアンのトゥーランガリラ交響曲とかね、)生演奏で接した音の印象は、かなり違う。従来、「基本的にサイン波系」と思っていたのだが、それよりも「ささくれだった」成分が耳につく感じ。共鳴線等によるものか。

 16:45にコンサートが終わってから、徒歩で駅前バスロータリーへ。チケット売場で、明日の東名バスのチケットを確保。

 車で、浜松市美術館へ。マン・レイ写真展。これだけまとまって観られると、壮観である。

 いったん帰宅してから、バスで街中へ出るために、徒歩10分のバス停に着いたところで、PHSを自宅で充電中だったことに気がつき、取りに帰る。結局、バス停まで都合徒歩30分..このクソ暑いっつーによ。[;^J^]

 飲んだあと、久々に赤ちゃんへ寄る。明日は早いので、ほどほどで切り上げて徒歩で帰宅。

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*2002年08月11日:「長い年月」


 自宅を発つ直前に気がついた。鞄の取っ手の付け根が一個所、裂けている。荷重が全面的にかかる場所ではないとはいえ、普通に持っていれば、確実に傷口が開いてゆく..なんで〜? [/_;] 買ってから、まだ4ヶ月しかたっていないのに。安物だったと言われればそのとおりかも知れないが、(確か、5千円前後だったはず、)この鞄、気にいってるのに [/_;]。まだ一度も使っていないポケットも、たくさんあるのに。[/_;]

 大体、この一個所以外は、なんの問題もないのだ。買い換えるのはもったいなさ過ぎる。とはいえ、修理に出したら、おそらく購入価格以上の修理代がかかる..自力で縫い合わせるなどの補修をすることは、考えない方がいい。前にも似たようなことをやって、とどめを刺してしまったし..買い直すのが、一番賢いアクションだろうが..確かに、連日、重い荷物を詰めて持ち歩いていたが..それは鞄の本来の使い方でしょ。キャパをオーバーしていたとは思わんぞ..

 ..と、めそめそ泣きながら、(取っ手の付け根にショックを与えないよう、そっとぶら下げながら)バス停へ。(時間もなく、慌てていたので、肩掛けストラップがあることをすっかり忘れていた。どこぞにしまい込んだままだ。しばらくそれで凌ごうか..)

 浜松駅前のバスロータリーに7:40頃に着いて、8:05発の東京行き超特急に乗り換え。

 事故渋滞に2回巻き込まれる。1時間少々遅れて、霞ヶ関に13:00過ぎ。中野まんだらけに14:00少し前に着く。手塚治虫関係MLの、まんだらけ当選品受け取りオフなのである。

 私の戦果は、エレキングのバッジと、「SFマガジン 2」(ホームラン文庫、東考社、発行年月日不明)。後者は、早川書房の「SFマガジン」とはなんの関係もない、関一彦という貸本劇画家の個人作品集である。「B級貸本のサンプルも、少しは手元に置いておきたいな」、というのが購入動機。(系統だったコレクションを始めると、数百冊は集めなければならないのだが、そんな気持ちも金も置き場所も無いのである。)

 これがなかなか面白い。稚拙な絵の劇画3編。うち2編は凡作もいいところだが、「長い年月」という短編のみ、抜群の傑作!..それも道理、これは「火星年代記」(レイ・ブラッドベリ)集中の名作中の名作、「長の年月」の、ベタコピーなのである [;^J^]。そんなことはどこにもひとっことも、明記されてはおりませんがね。(良く見たら、扉に「構成 関一彦」と書かれている..自分のオリジナルではない、と(バレた時のために)予防線を張っているのかも知れないが..しかし、「構成」もブラッドベリそのまんまだっつーの。[;^J^])

 新宿に回り、伊勢丹大古本市で、2冊。横浜の実家へ。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Aug 15 2002 
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