*2002年02月11日:Nさん資料、第13便
*2002年02月12日:怪奇静電気男
*2002年02月13日:パチスロには距離を置く
*2002年02月14日:大阪出張
*2002年02月15日:ランボオ
*2002年02月16日:漫画三昧
*2002年02月17日:匿名考
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*2002年02月11日:Nさん資料、第13便


 仕事の山が片づくまで、何もかもぶん投げていたのであったが、先週、その山をようやく越したので、たまりに溜まっていた宿題を、大車輪で片付けなくてはならない。

 先月18日に受け取っていた、Nさんからの「手塚治虫関係資料・第13便」を、ようやく整理。「おれは猿飛だ!」や「双子の騎士(原題:リボンの騎士)」の予告編など。

 手塚治虫に関する「要調査案件」は、まだ900件近く残っているのだが、中でも特に気になっているのが、1950年代初頭の「冒険王」誌、1950年代の「漫画王」誌、1960年代の「少年画報」誌、及び1974年度の「高1コース」誌であり、これらが一部しか確認できていないために、「冒険狂時代」、「ぼくの孫悟空」、「マグマ大使」、及び「日本発狂」のデータのかなりの部分が、未確定のまま残されているのである。

 今回のNさんとのやりとりの過程で、Nさんの知人に「少年画報」誌のコレクターがいらっしゃることがわかり、どうやら「マグマ大使」問題は、解決の曙光がほの見えてきたと言えそうである。

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*2002年02月12日:怪奇静電気男


 午前半休を取り、某病院へ。

 夜は、例によってこだわりやまのカウンターで飲食していたのだが..ふと、髪をなでつけると、“スパイシーな(としかいいようがない [;^J^])”感触。何故か髪が“こわく(固く)”なっており、これを押さえつけると、掌も頭皮もチリチリと気持ち良い。つい面白くて5分ほども、押さえつけてはチリチリ、押さえつけてはチリチリ、と遊んでいたのだが..ふと気が付いて、洗面所に行って鏡を見てみたら..わはは、これは大笑い。[;^.^]

 左半分の頭髪が、完全に「水平展開」している。頭頂に手をかざすと、スッと直立する。理科の教材だ。怪奇静電気男。何故これほどの静電気を帯びているのか、理由を述べよ。(制限時間3分。)

 ..カウンターの、私が座っているコーナーには、乾燥した温風がエアコンからまともに吹きつけて来るのだが、そのせいかしら?

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*2002年02月13日:パチスロには距離を置く


 浜口乃理子のファンなので、ついうっかり、「う゛ぁーじんパチスロ」(白夜書房)などという本を買ってしまったのだが..著者のファンだからと言って、その著作をなんでもかんでも買うのは賢明ではない、という好例。なにしろ私はパチスロを知らない(一度も遊んだことがない)ので、このマンガのかなりの部分が、意味不明 [;^J^] なのである。

 まぁ、これを機会にパチスロに手を出してみる、という考え方もある。しかしこれは数年前に、会社の(今では別の部署の)先輩に聞かされた話なのであるが..パチンコやパチスロを趣味とする彼は、「我々は、一週間前の1万円の勝利の記憶を糧として、昨日の10万円の負けを忘れることが出来る人種なのだ」と説いた。この言葉は、私の胸を打った。

 それは例えてみれば、「1985年の優勝の追憶を糧に、今日も生きて行くことが出来るタイガースファン」なのであって..つまり、この世の(甘美な)地獄なのである..

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*2002年02月14日:大阪出張


 早朝に自宅を発って、大阪出張。(いつもの癖で、浜松駅で危うく上りの新幹線に乗るところだった。[;^J^])使命はもちろん秘密だが..新製品絡みだということ位は、書いても差し障りはあるまい。

 全く土地勘が無いのだが、新大阪駅からJRで大阪駅まで一駅、そこから大阪環状線(同じくJR)で一駅、ということで、これなら楽勝、と全く油断をしていたのだが..

 大阪環状線は、意外に本数が少ないのである..いや、本数はあるのだが、快速がやたらと多く、ひとつ隣りの駅に行くための各停に乗るために、2本も見送らなければならなかった。これは誤算。(お陰で、微遅刻をしてしまった。)

 「環状線」というと、どうしても、乗り慣れている「山手線」のイメージがあるのだ。山手線では(夜も更ければ別だが)「待つ」ことなど、ほとんど無い。わざわざ時刻表など見ない。「ホームに行けば、乗れる」のである。(特に、京浜東北線と併走している区間では。)先入観であった。反省。異郷に旅する前には、ちゃんと「乗換案内」その他で調べておかなくては。

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*2002年02月15日:ランボオ


 時代舎で購入した「ランボオ全作品集」(粟津則雄訳、思潮社)を、数日前から読んでいる。ランボオを読むのは、実に26年ぶりである。

 正直なところ、さほどの感銘は受けない。高校生時代に「地獄の一季節」を読んだ際の読書カードには、何やら(さすがに恥ずかしくて引用できないほどの)熱狂的な賛辞が書き連ねられているのだが..

 ..もしかして、歳か? 「詩」に対する感受性を、失ってしまったのか? ..慌てて、コウルリッジの「老水夫行」や、ポオの「大鴉」などを読み返してみて..安心した。変わらぬ感銘。背筋を走る戦慄..どうやら、一時的にだか永続的にだかは判らないが、私とランボオは“外れて”しまったらしい。仕方がない。

 ..時を置いて(26年後に?)また読んでみるか。「母音」「酔いどれ船」「飢餓の祭」「天使と子供」などは、(今読んでみても)比較的感心する。

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*2002年02月16日:漫画三昧


 浜松西郵便局で、不在配達届を受け取っていた「まんが王 1970/11月号」と「少年画報 1965/7月号」をゲット。これらはS堂から購入したもの。次に、ヤマト運輸の営業所に車を走らせ、同じく不在配達届を受け取っていたK書店からの購入物件(文庫本11冊)をゲット。帰宅してから、早速データチェック。

 「まんが王 1970/11月号」は吾妻物件、「少年画報 1965/7月号」は手塚物件。後者によって「マグマ大使」のデータが一部精細化されたが、重要なのは前者。これによって、「二日酔いダンディー」の初出データが、全て確定した。

 まず、単行本「二日酔いダンディー」(マガジンハウス)には、全18エピソード中15エピソードが収録されているが、この本には詳細な初出データは記載されていないことを述べておこう。

 これまで、「まんが王」の1970/7月号、1970/夏休み大増刊号、1970/11月号、1970/12月号の4エピソードが、初出誌未見であった。(これらは全て、単行本に収録されている。)このうち、1970/7月号、1970/夏休み大増刊号の2エピソードについては、(煩雑になるので詳細は省くが)さまざまな証拠から、単行本の第2エピソード、第15エピソードがそれである、と確定できる。問題は、1970/11月号、1970/12月号の2エピソードであり、これらが単行本の第6、第7エピソードであることは確かなのだが、その「順番」の証拠が無かったのだ。普通に考えれば、(単行本のその他のエピソードは、基本的に発表順に並んでいるのが判っているので、)単行本の収録順に従って、第6エピソードが 1970/11月号、第7エピソードが 1970/12月号、と推測できるし、内容的にも、第6エピソード → 第7エピソードの順につながっているように見える。しかしこれらは、あくまでも状況証拠に過ぎず、断定は出来なかったのだ。

 今回入手した 1970/11月号には、第6エピソードが掲載されていた。これで決まりである。1970/12月号 に掲載されているのは、単行本の第7エピソードだ。

 さて、全て“確定”したのだが、では残る 1970/7月号、1970/夏休み大増刊号、1970/12月号の初出誌は見なくてもいいのかというと..もちろん、そんなことは無い。どれほど確度が高かろうとも、“推測”は“推測”に過ぎない。(ここでは仮に“確定”と呼んではいるが。)事実を知るためには、現物に当たるしかない。どれほどの時間と費用がかかろうとも。

 夕方からは天狗へ。今ごろになって、先月(というか前回)発売分の「コミック伝説マガジン」と「イブニング」に、カウンターで目を通す。

 後者はアベレージの高い雑誌だが、この号では、特に「サトラレ」が素晴らしい。(この作品にはいずれ必ず、(「サトラレ」のミューテーションとしての)「サトル」が登場すると予想しているのだが、あなたはどう思う?)

 ..と、カウンターでマンガ雑誌を読んでいたら、ウェイトレスのIさんが、「マンガがお好きなんですか?」、と話しかけてきた。そこからの短いやりとりで、彼女が手塚治虫の大ファンだということが、たちまち判明。宝塚の手塚治虫記念館に何度も足を運んでいるし、1998年にアクトシティで開催された「手塚治虫展」では、最終日にポスターを何枚も剥がしてきたという猛者 [;^.^]。早速、私のページのURLを教える。

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*2002年02月17日:匿名考


 以前も書いていることではあるが..

 私は、「“匿名の発言”は相手にしない」と言うよりは、「“匿名の発言”は“差別”している」のである。

 まず、「匿名」の定義をしておこう。「本名」の署名があれば、もちろん匿名ではないし、いわゆるペンネーム(ハンドルネーム)の署名であっても、そのペンネームなりハンドルネームなりに「特定の人格(人間存在)」の裏付けがあるのならば、それは「匿名」ではない。「特定の人格(人間存在)」へのリンクが無い(切れている)場合、それを「匿名」と呼ぶことにする。

 また、あらかじめ念を押しておくが、ジャーナリズムの「記事」の多くは「匿名」であるが、それはこの場の議論のスコープ外である。個々の記事に「署名」が無い場合、その記事については、そのメディアが文責を負っているからである。

 さて、「差別」に戻るが、どのくらい「差別」しているかと言うと..例えば、とある「署名されている発言」の内容に、大変感心したとする。しかしそれと「全く同じ内容の発言」が「匿名状態」であった場合、私は後者を、頭っから相手にしない。というか、ある発言(書き込み、投稿など)が「匿名状態」であることが判明した時点で、いきなり読み飛ばす。さらに言えば、メールであろうがニュースであろうが掲示板への書き込みであろうが、匿名であるか否かを(時間の無駄を省くために)最初にチェックする。(で、匿名であれば、いきなり読み飛ばす。)「内容」は問題にならない(評価の俎上に登らない)のである。

 どうして、「匿名の発言」が、それほど嫌なのか。

 「我が身を鑑みて」、である。

 私自身が「匿名の発言」をすることなど、考えられない。そして私が「匿名では書かない理由」から、彼らが「匿名で書く理由」を演繹したとき..その「(「匿名で書く理由」の)卑しさ」に、胸がむかついてしまうのだ。

 だから、ここで念を押して置くが、この「嫌気」は「私が匿名では書かない理由」を前提としている。その意味において、普遍性が無い。それを承知の上で、以下を読み進めて欲しいのだが..

 では何故、私は「匿名では書かない」のか。

 「私が書く文章」は「私の著作物」だからである。私自身の著作権を主張するためである。

 言い換えると、私は「私の著作物」として、署名付きで世間に公開出来ない文章など、(1989年のネットニュースデビュー以来、インターネットとパソコン通信には)ただの一行も書いたことがないのだ。それは、「「2001年宇宙の旅」の真相」や「新・ベルリオーズ入門講座」のような、良く知られていて、ある程度規模的にもまとまっているものに限らない。例えば、この「廃墟通信」の日々の日記のどれひとつとして、「倉田わたるの著作物である」、と、胸を張れないものはない。中にはくだけた文章や、そこまで(しょうもない)私生活をばらしますかぁ、というものもあるのだが、「名前を伏せたい」文章は、ひとつもない。全て、私の(倉田わたるの)人生の一部として、どこに出しても誰に読まれても恥ずかしくない、誇れるものばかりである。「聖レイ」のエロ劇画を集めて喜んでいるくだりなど、姪が読んだらどんな顔をするだろうかと思わないでも無いが [;^J^]、彼女にたいしても恥じるところはない。(それに、「聖レイ」のコレクションを作り上げていた日々の記録は、それなりに貴重な(残す価値のある)ドキュメンタリーでもある。)

 「文章」を書くというのは、そういうことだ..と、私は思っている。私にとっては、これが常識なのだ。だから「署名」をする。常に本名とは限らないが、必ず署名をする。

 だから、「署名されていない文章」というのは、(私にとっては)上述したような「想い」も「決意」も「誇り」も無い文章なのだ。考えてもみて欲しい。そのように推測される文章を読む理由が、あるであろうか?

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Feb 20 2002 
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