*2001年10月15日:楽興の時
*2001年10月16日:看板考
*2001年10月17日:テロの時代
*2001年10月18日:Nさん資料、第11便
*2001年10月19日:なめんなよシマンテック!
*2001年10月20日:「空想交響曲」
*2001年10月21日:カーを2冊
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*2001年10月15日:楽興の時


 確か、1995年の春のことではなかったかと思うのだが..私が、ニフのFCLAのオフに出始めたばかりの頃、オフの打ち上げで都内で飲んでいたとき、隣席に座っていた(アマオケの指揮もする)Nさんに、興味深い話を伺った。ウェーバーの「魔弾の射手」序曲の、冒頭の振り方ついての話である。

 シロウト目には、別に難しくもなさそうな音楽である。弦楽器が弱音からクレッシェンド・デクレッシェンドする持続音主体のイントロが数小節。そして、弦楽器がピアニシモでゆっくりと流れる伴奏音型の上に、弱奏ホルンの四重奏が始まる..

 「難しくもなさそう」どころではないのはホルン奏者たちで、特にトップ奏者に「弱奏」を指示すると、「必ず外す」、と、Nさんは仰る。元々ホルンは(特に高音部で)音を外しやすい楽器であるが、それに加えて、イントロ・弱音・ほぼソロ、というプレッシャーがかかる..

 「だから、ここではメゾフォルテで吹かせるんですよ」..私は、ちょっと驚いた。譜面ではピアノなのに、メゾフォルテで吹かせるのか? 作曲者の指示と異なるではないか..

 ..しかしそれが、演奏の現場というものなのである。音楽的に良い結果が得られるのであれば、楽譜の指示に「一言一句、逐語的に」従う必要は無いのだ。私自身、高校二年生までは「演奏の現場」にいたのだが..しかしそれは「吹奏楽部」であり、特にコンクールの課題曲・自由曲で、「音楽的に良い結果を得るためには、楽譜の指示に必ずしも従わない」、などという判断は、あり得ないのであった。

 その後も、FCLAの演奏系のオフへの参加を重ねるにつれて、こういう「楽譜の指示に(必ずしも)従わない」ケースの経験も、重ねてきたのである。無論、プロなら別。しかしアマチュアが音楽を楽しむためには、楽譜を絶対視する必要は無いのである。音楽に限らず、さまざまな「趣味」に..場合によっては「仕事」にも適用できる知恵ではないかと思うが、いかが?

 ..という想い出話の裏を取るために、「魔弾の射手」のDOVER版の総譜をチェックしてみたら..ガーン! 冒頭の弦楽器群には「pp」と明記されているのに、ホルンパートには強弱記号が無い! 大概どんな演奏を聴いてもピアノ乃至メゾピアノなので、そのように指示されているものだとばかり、思いこんでいた! ..まぁ、Dover版の信頼性がどの程度か、という話にもなるのだが..奥が深い..[;_ _]

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*2001年10月16日:看板考


 私の通勤経路にある館山寺街道沿いの「養老の瀧」が取り壊され、「売り地」に転落したのは、もうかなり以前のことである。その後、一向に売れないようで、いつまでたっても「売り地」の看板が立っている。

 まぁ、主要街道沿いとは言え、駅やインターからさほど近いわけでも無いし、土地の形が(高低差もある)変則的なもので使いにくそうだし、加えてこの不況である。まぁしゃあないな、しかしどうせ売れないのなら更地などにせず、廃墟のまま朽ち果てさせておいて欲しかったな..と、身勝手なことを呟きながら、朝夕、通り過ぎていたのだが..

 ..いつの間にか、看板が増えている。約4枚。内容は全部同じで、「売り地」である。しかも東西南北を狙っているならまだしも、ほぼ全部同じ方向を向いている。気持ちはわかるが、広告効果は、ひとっつも変わらんと思うけどなぁ [;^J^]。はっきり言って、看板代が無駄だ。いっそ、10枚、20枚と増えてくれれば、それはそれで名所になるかも知れないけどね。

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*2001年10月17日:テロの時代


 私がこの日記を書いている時点では、炭疽菌をばらまいている犯人グループが、同時多発航空機テロの犯人グループと同じである(または関連がある)という証拠は、示されていない。脅迫状の文面など、いかにも関連がありそうに見えるが、しかしそんな文章は世界中の誰であっても書くことが出来るので、これだけでは証拠にならない。

 しかし、関連があろうが無かろうが..この「ふたつのテロ」の「連鎖」は..(不謹慎だと怒られることを承知で書くが、)あまりにも“鮮やか”過ぎる。映画でも、こうはいくまい。航空機自爆テロをリアルタイムで見て、「映画かと思った」、と、世界中の人が思ったし、それもそうなのであるが..それよりむしろ、あの、これ以上は考えられないほど派手で荒唐無稽な“大破壊”テロと、それに引き続く、実に地味で忍びやかで秘やかな“郵便物”テロ..

 ..全く性質が異なる、2種類の恐怖の組み合わせ。

 世界を(特に合衆国を)不安に陥れるのに、これほど効果的な段取りは無い。「大破壊テロ」“のみ”の繰り返しよりも、陰険な「郵便物テロ」“のみ”の繰り返しよりも、また、「郵便物テロ → 大破壊テロ」という連鎖よりも、遙かに神経にこたえるのだ。「大破壊テロ → 郵便物テロ」というプランは。

 いったい、誰が演出しているのだろう? ハリウッドにこれだけの才能がいないことは、確かである。これほどの「恐怖美」を生み出せる才能が存在しないことは..

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*2001年10月18日:Nさん資料、第11便


 午前半休を取り、Nさん資料の第11便を整理する。

 今回のポイントは、


イラスト::2:「総会ガイド」No.10(日本医師会):82/12/05

 ..である。これは長らく、


第21回日本医学会総会(イラスト)::?:日医ニュース:82/12/05

 ..としてリストアップしていながら、“?”が付いているとおり、日医ニュースの該当号(及び前後の号)をチェックしても見つけられないまま、ずっと棚上げになっていたものなのである。掲載誌が間違っていた、というわけ。といっても、今回、「総会ガイド」No.10 自体が送られてきたわけではなく、これに手塚治虫のイラストが掲載されていることを告知している(日本医師会発行の)パンフレットを、いただいたのである。さて、国会図書館だ。

 この件(第21回日本医学会総会がらみの仕事)については、先日のEさんからのメールにも関連情報があり、(総会が開催されたのは1983年である等)いくらか前進していたのであるが..私の根本的な勘違いとして、「日本医学会総会」というのは、毎年開催されていると思いこんでいたのだ。実は、4年に一度の大行事であり、そのための準備が数年前から進行しているのであった。煩雑になるのでここでいちいち示すことはしないが、本件に関する調査データの年度が、どうも食い違う..と、悩んでいたのである。

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*2001年10月19日:なめんなよシマンテック!


 「Norton AntiVirus 2001」を使っている。データベースの LiveUpdate サービス(1年契約)が、もうあと1ヶ月以内に期限切れになるし、この機会に「Norton AntiVirus 2002」にアップグレードするべきである。優待アップグレードサービスのメールも、暫く前に頂いている。

 忙しさにかまけて放っていたのであるが、さすがに期限切れも近いということで、そのメールに記載されていたURL(http://Shop.Symantec.co.jp/CampaignLogin.asp)に飛んで、そのメールに記載されている「アクセスキー」を入力してクリックすると、http://Shop.Symantec.co.jp/CampaignList.asp に飛ぶ..

 ..Netscape Communicator が固まり、強制終了も出来ず、Windows を終了させることも出来ず、やむを得ずハードリセット → スキャンディスク..

 ..とまぁ、過去一週間ほど、一日に一回、こういう段取りを踏んできた、というわけだ。


 なめんなよ、お前らのウェブページはウィルスか、こらっ!!


 時間帯をずらしたり、Java を ON したり OFF したり、いろいろしてみたのたが..もしかして私のリブ100は Win95 だけど、そのせい? まさかね。上記のURLとアクセスキーを、別のPC(例えば、Win98SE 機である Clarimonde)で試すことは可能だが、それをやったが最後、2002 は Clarimonde にダウンロード&インストールされてしまい、リブ100に(正当に)インストールし直すのは手間ではないか、と、危惧されるわけだ。

 ま、こうなったら、しゃあない。通じるかどうかわからんけど、電話 {and|or} FAXでアップグレード処理を行うしかあるまい。(メールの受付窓口はなさそうである。ウェブが使えない、という事態を想定していないのか?)ぶっさいくー。

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*2001年10月20日:「空想交響曲」


 積読の山から1冊片付ける。数年前に、確か三軒茶屋の古本屋(「2階のマンガ屋」でも「喇嘛舎」でもない)で購入したと記憶する書籍である。

 「空想交響曲 −幻想文学者の音楽ノート−」(Marcel Schneider、加藤尚宏訳、東京創元社)。

 これが結構、面白い。フランスにおいて音楽が文学から受けてきた迫害(というか無視というか軽視というか)の証言集でもあるが、どこの国でも事情は似たようなものだろう。当然ながら、フランス事情に重きがおかれているので、ベルリオーズに対する言及も多い。数ヶ所、抜き書きしておこう。


 「音楽の探究と、他の芸術分野ですでに成し遂げられている探求との間には、二十年から五十年の開きが見られる。猛々しい破壊者の、超空想家ベルリオーズが『幻想交響曲』を作曲したのは、やっと、シュトゥルム・ウント・ドランクのドイツ作家たちによる、あの熱狂的演劇のおよそ五十年後だった。ドビュッシーはマラルメの二十年後輩であり、シェーンベルクの十二音技法は、絵画の野獣派や表現派の実験に、ほぼ二十年遅れる」(24頁)。

 「仏教が、ライトモチーフの使用に一層偉大な効果を与えているのである」(33頁)。

 「ブーレーズとシェローはいちばん安易な方法に走った」(51頁)。

 「むしろ彼(シューベルト)の場合驚くべきことは、こんなにも乏しい材料から神話が生み出されているということである」(65頁)。

 「マックス・エルンストとアンドレ・マッソンは、こっそりこれを聞かなければならなかった。それというのも、音楽は本質的に超現実的ではあり得ないし、意義もなければ役にも立たないということで、アンドレ・ブルトンが音楽会に行くことを弟子たちに禁じたからである!」(89頁)− ここで言及されているのは「フィンガルの洞窟」であるが、これは(エルンストが重要な役で出演する)映画「黄金時代」のイントロで使われていたと記憶する。つまり、あの音楽は、エルンストが選んだものだということか?

 「ところが困ったことに、彼(ベルリオーズ)はぴりぴりした神経の持ち主で、その苛立った鷲のような風貌の下に不幸な意識を隠していた。失敗のことしか彼は覚えていないのである」(102頁)。

 「ドビュッシーのヴィジョンは夢見させるのである −− 目に見させるのではない!」(206頁)。

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*2001年10月21日:カーを2冊


 最近は、2週間に1日しか休んでいないような気がするなぁ。とにかく、久しぶりにまるまる一日休むことにした..つまり、朝っぱらから酒を飲んでも支障は無いわけであるので、そのようにする [;^J^]。

 ジャックダニエルを、ジンジャーエールで割ったり、ホットミルクで割ったりしつつ、午前中は読書。

 昼には、近所の(徒歩数分の)遠鉄ストアの駅弁大会で、北海道系の駅弁を買ってくる。ちなみに私には、駅弁大会では北海道系の駅弁を買う傾向がある。全国の駅弁が集まっている中から慎重に選ぶのだが、どうも、北海道(あるいは北国)系が美味しく見えるのである。要は、イクラ・鮭・ウニが好きだということなのだが。

 ..で、美味い駅弁をつまみに酒を飲みつつ、読書の続き。

 本日読んだのは、ディクスン・カーとカーター・ディクスン(同一人物である)、各1冊。随分沢山読んできたのだが、積読の山の中に未読が(歴史物を中心に)まだ20冊ほども残っているのである。(ちなみに、いまだに入手出来ていない単行本が、ポケミスとハヤカワ文庫、あわせて6冊ある。)といっても、今日読んだ2冊は、いずれも歴史物ではない。

 ディクスン・カー名義の「悪魔のひじの家」(1965、白須清美訳、新樹社)。

 「晩年の最高傑作!」という帯の文句は、もちろん誇張気味の売り文句としても、それはそれとして、「密室からの犯人(あるいは幽霊)の消失」を、手際よく処理している。ムード良し。往年の最高傑作群の「デーモン」は感じられないが、読んで損することは無い。

 カーター・ディクスン名義の「かくして殺人へ」(1940、白須清美訳、新樹社)。

 これは傑作! このファルス的なユーモア(というかギャグ)と恐怖の絶妙なブレンドこそ、カーを読む喜びである。メイントリック(意外な** ← 一応、伏せる)は、それは確かに60年以上前に書かれたものであるから、こんにち的な視点では「伝統芸」に属するタイプかも知れないが、しかし新しければ(前例が無ければ)いいというものではあるまい。古典落語は今でも通用する..どころか、中途半端な新作よりも遙かに面白いのである。

 出色なのは、繰り返し差し挟まれる、とある掛け合い漫才?で..これが(舞台となっている)「映画撮影所」の異常な(非日常的な)風景描写として、絶妙なのだ。(喜劇的な)オチも引き受けており、計算も完璧。これは再読・三読に値する。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Oct 24 2001 
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