2001年07月09日:今年度最後の日比谷図書館 2001年07月10日:天下の凡演 2001年07月11日:最近読んだ書籍から 2001年07月12日:B級の世界 2001年07月13日:ヤフオクに出品して 2001年07月14日:5Gですか.. 2001年07月15日:「イメージの博物誌」目次へ戻る 先週へ 次週へ
実家前のバス停から8:23のバス。まず日比谷図書館へ。この8月から来年3月まで耐震工事で閉館になるので、おそらく今年度中は、今日が最後の機会になる。
Nさん資料のデータ不明部分を埋めていく作業が中心。少年マガジン、少年サンデー、マンガ少年、少女フレンドなど。少女フレンドは、Nさん資料の第8便で届いた「リボンの騎士 原作(絵 北野英明)」の初出年月日の裏付け調査である。受け取った時点では、
リボンの騎士 原作(絵 北野英明)::93:少女フレンド:67/05/30,67/06/06,67/06/13,67/06/20,67/06/27,67/07/04
(但し、掲載号は1週間ずれている可能性あり)..と、推測していたのだが、実は2週間ずれていた [;^J^]。正しくは、60/06/13 から 60/07/18 までである。
神保町では、三省堂と中野書店で数冊ゲット。現代マンガ図書館では、手塚治虫関連と吾妻ひでお関連の拾遺。
早めのひかりで浜松へ。帰宅したら、Nさんからの手塚治虫資料第10便が届いていた。
目次へ戻る先日購入した「ファウストの劫罰」(ベルリオーズ)のフルトヴェングラー盤を、聴いてみたのだが..
..これがもう、なんというか、全然ダメダメ。彼の残したベルリオーズ作品の録音は、本盤以外には「ラコッツィ行進曲」が2バージョンあるだけだったと記憶するが、確かにそれだけの理由はあったわけだ。完璧に適性が欠如している。
例えば、「農民の合唱」や「兵士と学生の合唱」が、実に“重苦しい”のである。彼は、この音楽作品のプランが、全く理解できていないのではないか。これらのピースでは、若々しい生命力が弾け跳ばねば、意味が無いのだ。農民たちの若々しさは、老境のファウストの諦念(寂しさ)と鮮やかな対比をなし、兵士と学生たちの若々しさは、魔法によって若返ったファウストの(もうひと花咲かせてやるぜっ! という)“若々しさ”を巻き込んで盛り上がって行く。このダイナミズムが、フルトヴェングラーには理解できなかったのだろうか。
再び聴く価値のある盤ではないが、フルトヴェングラーが、出来もしないベルリオーズを手掛けた挙げ句、このざまだ..というサンプルとして、手元に置いておくことにする。(やな性格だ。[;^J^])
目次へ戻る「新耳袋 現代百物語 第六夜」(木原浩勝、中山市朗、メディアファクトリー)。既に惰性で買っているだけ。20話を含む最終章には、いくらか恐いエピソードも含まれてはいるのだが..編者たちは「稲生物怪録」になぞらえているが、その水準には遠く及ばないし、長くてしつこい分、だれるだけである。この類の怪談は、(場合によっては、何が起こったのか気が付かない程度にまで)短く切りつめられているのを、最上とする。
「唐沢なをきのうらごし劇場」(唐沢なをき、メディアワークス)。暇つぶしには好適である。いちいち出典に遡って裏付け調査をしていない分、資料的価値はいまいちであるが、もとよりそれを目指した本では無い。
「ルクレツィア・ボルジア(上)ルネサンスの妖精」(中田耕治、河出文庫)。下巻は、まだ読み終えていないのだが..
チェーザレは、ヴァン・ヴォークトいうところの「暴力的人間」であり、コリン・ウィルスンなら、特殊な関心の対象にするはずの「アウトサイダー」の一人といってよい。(213頁)
コリン・ウィルスンはともかく、ヴァン・ヴォークトを引用するか? 普通? [;^.^] それとも、私の知らない(別の)ヴァン・ヴォークトなのか?
いやいや、もちろん、“あの”ヴァン・ヴォークトなのである。そもそも中田耕治は、日本の翻訳SFの黎明期である1950年代から60年代にかけて、「ドノヴァンの脳髄」(カート・シオドマク)、「宇宙の眼」(フィリップ・K・ディック)、「宇宙島へ行く」(A・C・クラーク)、そして、「虎よ、虎よ!」(アルフレッド・ベスター)を翻訳したという、前科功績の持ち主なのである。(後年、「モンスターブック」という、ヴァン・ヴォークトの短編集も訳出している。)
なかでも、「虎よ、虎よ!」は、衝撃的であった。内容も内容だが、その、熱っぽい、力強い文体! 私は長きにわたって、中田耕治の名前を、何よりもまず「虎よ、虎よ!」の翻訳者として、認識していたのである。確か、伊藤典夫がどこかでこの翻訳を取りあげて、「いささかそそっかしいところはあるにしても、とにかく迫力がある」云々、と述べていたはずである。要は、誤訳が散見されるということなのだろうが、それはそれとして(そんなことは瑕瑾に過ぎない)名訳である、と、伊藤典夫も認めていたのである。
目次へ戻る「野望の王国」(作:雁屋哲、画:由起賢二)が、日本文芸社のGコミックス(数年前から流行っている、雑誌とも単行本ともつかない中途半端な体裁のシリーズのひとつ)で、復刊され始めている。(「野望の王国」を知らない人でも、「サルでも描けるまんが教室」(相原コージ、竹熊健太郎)なら、ご存知なのではあるまいか。あの主人公たちのキャラクターデザインの元ネタである。)
この、(絵的にも物語的にも)異様な迫力に満ちた雄編を知らない人は、一度は読んでおく方がいい。「作者は大真面目に力を込めて描いているのだが、(少なくとも現代の)読者にはギャグとしか思えない」、という意味では、(本来の意味での)「トンデモ本」であるとも言える。私ですか? いや、もういい。一度読めばたくさんです。[;^J^]
先日、神保町の三省堂で買ってきた「大江戸怪奇画帖 −−完本・怪奇草双紙画譜」(尾崎久彌、国書刊行会)を読む。1930年に出版された書籍の復刻版で、当時は官憲の検閲を恐れて削除されていた図版も、全て復元されている。いわゆる「合巻」の怪奇的挿絵の集大成であり、もとより「全集」ではないのだが、ここに収録された123構図で、ほとんどのパターンは尽きているとのこと。つまりこれで全貌が一覧出来るわけであり、非常に便利である。
初版では(自粛して)削除されていた図版、というのは、おおむね「血みどろ」系のものである。無論、こんにちの目から見るとさほどのものではないのだが、とはいえしかし、かつての酒鬼薔薇事件のような猟奇的残虐事件の直後であれば、たとえ現代であっても、雑誌に掲載することはためらわれるかも知れないが。
惚れ惚れするほどの「B級美」である。芸術かガラクタかなどという議論も虚しくなるほどの、生命力である。「野望の王国」もまた、この末裔なのだ。
目次へ戻るヤフー・オークションに出品し始めて気が付いたことが、三つある。
まず、“なかなか売れない”。[;_ _]
私が出品しているのは全て書籍であるが、なかには、ごく早い段階で、妥当な価格で落札されるものもあるのだが、「どうして、これに買い手がつかないのだろう? こんなにお買い得なのに?」..と、首を傾げてしまうものの方が多い。「開始価格が高すぎるのではないか」とか、いくつか理由が考えられないでもないが、本質的には、「まだまだマーケットが小さい」のだと思う。その本を探している人は(全国に)大勢いる筈なのだが、ここにあることに気が付かない(ヤフー・オークションの存在を知らない/知っていても手を出していない)のだ。IT時代という言葉こそ踊っているが、日本においては、インターネットはまだまだマイナーなメディアだしね。
次に、“全く、元が取れない”。[;^.^]
1000円以上で落札されればまだしも、文庫本が100円や200円で落札された日には、それの梱包・発送にかかる手間賃で、完全に足が出てしまう。(これはまぁ、最初から判っていたことであるが。)
最後に、“しかし元が取れようが取れまいが、売れると実に嬉しい!”\[^O^]/
丁寧に埃を取ってクリーニングし、プチプチマットで梱包し、切手を貼り宛先を書いて、郵便局に持参する。まるで元が取れていない手数だが、しかし私はこの発送作業自体が、楽しくて嬉しくて仕方がないのだ。これは面白い発見だった。
私自身のために、嬉しいのではない。“売られて行く本のために”、嬉しいのである。
私が出品している書籍は、ほぼ全て間違えて買ってしまった本であり、つまり、これまで全く読まれていなかったのだ。これではその本が、あまりに可哀想ではないか。それが、(読みたいと)望まれて買われて行くのである。
これは、古書店に売る状況とは、全く異なる。無論、古書店が買ってくれたということは、古書店が価値を認めてくれて、マーケットに再デビュー出来た、ということなのであるが、しかしその古書店が、その本を読んでくれるわけではない。長期間売れなければ、結局、読まれぬままに廃棄されるかも知れない。
それに対してヤフオクで売れた時は..「おぃ、お前、読んでもらえるぞ! よかったなぁ.. 大切にしてもらえよ.. 綺麗に、綺麗にして送り出してやるからなぁ..」..こういう気持ちで、うきうきしながら、梱包するのである。(この時点では既に、元が取れてる取れてないなどという“邪念”は、完全にどこかに行ってしまっている。)娘を嫁に出す父親は、あるいはこういう心境になるのであろうか?
(..まぁ、ヤフオクでも、業者の方が(読むためではなく転売目的で)落札されることもあるのでしょうが。)
目次へ戻るひぇぇ、「大容量5GBのPCカード型ハードディスク発売」ですか。実売推定5万円前後。48Mのコンパクトフラッシュを持ち歩く時代じゃ、なくなっちまったなぁ..
Nさんからの手塚治虫関連資料第10便の整理。今回は少な目である。レコードジャケットのイラストなど。
目次へ戻る天狗に行くついでに、有楽街のヴィレッジ・ヴァンガードで、平凡社の「イメージの博物誌」というシリーズから見繕って、「アトランティス伝説」と「魔術」を購入する。
実は、このシリーズの存在自体は相当以前から認識していながら、これまで立ち読みしたことすら無かったのである。改めてラインナップを眺めてみたら、「占星術」「神聖舞踏」「夢」「霊・魂・体」..という具合に、「異端系」(「サブカル系」)を広く浅く(ヴィジュアル的に)カバーしていて、便利である。少なくとも34巻出ていて、平均2000円位。ざっと立ち読みしてみたところ、図版が良い。また、各巻の著者はほとんど未知の人ばかりであるが、翻訳者には、澁澤龍彦、種村季弘、松山俊太郎、中野美代子、荒俣宏、と、人材が揃っている。このシリーズは、信頼できそうだ。
従来無視していた理由は..多分、新紀元社の一連の、いささか底の浅い入門書的シリーズと、混同していたのである。あれもあれで便利なのではあろうが、どうにも買う気になれないんだよなぁ。
天狗で安ワインを飲みながら、とりあえず「アトランティス伝説」に目を通してみたところ..「錚々たる翻訳者のラインナップ」と書いた舌の根も乾かぬうちにこう書くのもなんだが、この翻訳者(舟木裕)は、なんなんだ? 原文と照合したわけではないから断言出来ないが、訳文には多分、問題はないと思う。しかし..あまりに「もの」を知らなさすぎる。ハガードの小説「彼女」って、何さ? “She”の邦訳タイトルは「洞窟の女王」だぞ。「デニス・フィートリー」、てのも、なんだかなぁ。普通は、「ホィートリー」だと思うんだが。呆れたのは、とあるUFO映画のスチール写真につけられたキャプションで、「第三種接近遭遇」(1977)..[;^.^] 何も私は、万人が「未知との遭遇」という映画を観てなきゃいかんとは言わないが、(つまらん映画だしね、)しかし、この手の本の翻訳者が、誰が見てもひとめでそれと判るスチール写真に邦題をリンク出来ないのは、問題である。一応、本職の翻訳・著述業らしいのだが..
ま、しかし欠点はそのくらいだ。これが2000円相当の買い物かどうかは、人によって判断が分かれるとは思うが、レーリヒの絵画など、珍しい図版が多数収録されているので、良しとする。訳文の問題については、同時に購入した「魔術」(澁澤龍彦訳)で、十二分に口直しできるはずだ。(翻訳テキスト自体は、数年前に澁澤龍彦翻訳全集で読んでいるが、図版付きで読むのは、今回が初めてなのである。)
目次へ戻る 先週へ 次週へLast Updated: Jul 18 2001
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