*2000年08月07日:夏オフアフターオフ
*2000年08月08日:アジマポスター、ゲット
*2000年08月09日:「G−taste 4」
*2000年08月10日:難問・奇問
*2000年08月11日:「あるフィールドワーカーの呟き」
*2000年08月12日:伊勢丹大古本市/「七色いんこ」等調査/エルンスト展
*2000年08月13日:そして盆休み
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*2000年08月07日:夏オフアフターオフ


 今日はもちろん、代休取得済み。昨夜は(記憶は無いものの [;^.^])無事に、ときわホテルに帰っていた。

 8時をだいぶ回ってから、シンセとリュックを担いでチェックアウト。日暮里駅前のいつもの喫茶店、「ニュートーキョー」でモーニング。9時半頃に腰を上げて、山手線で東京駅へ。

 銀の鈴待合所の大型コインロッカーが全部塞がっていて困惑したが、手荷物一時預かり所が(臨時に)オープンしていたので、助かった。シンセとリュックを預けて手ぶらになると、体が浮いてしまい、歩きにくくて困った [;^.^]。漫画では良くあるシチュエーションなのだが、本当にフワフワと空中に浮き上がってしまうのである。

 10時にここで、夏オフアフターオフの待ち合わせなのである。結局集まったのは、ここでは4人。(途中からひとり合流して、最終的には5人。)

 体力・金力ともに消耗し尽くした夏オフの翌日なので、欲張らず、ゆったりと軽く流すのが、例年のコンセプト。今年も、近場でゴロゴロすることにする。積極的な目的地も無いので、成り行きで銀座方面へ。

 新橋で降りて、まずは銀座ヤマハ。地下の楽譜・音楽書売場で、めいめいのテリトリーに散って、時間を潰す。

 特に欲しい楽譜も無かったので、書籍類の背表紙を眺めていたら、目に留まったのが「まんがで楽典 −オルゴールランドを救え!−」(田村玲子、全音楽譜出版社)。世に(というか日本に)掃いて捨てるほどある“まんが***”の類であるが、このジャンルに、ほとんど全く興味の無い私としても、「まんが」と「楽典」の組み合わせが物珍しく、つい、手に取って、中程のページを開いて..立ちくらみしてしまった。[;^J^]

 いわゆるファンタジー世界で、古代ギリシャ風の草原で、古代ギリシア風の青年が、古代ギリシア風の少女と犬たちに話しかけているのだが..


「つまりね、根音と第五音の音程が完全5度か増5度か減5度かの違いや、根音と第三音が長3度か短3度か等の違いによって、三和音のタイプがそれぞれ長三和音、短三和音、増三和音、そして減三和音に分かれるんだよ」

「う〜ん、なるほどネ」

 ..「悪い竜の魔法によって、動物の姿に変えられ、音楽の記憶をも奪われた、オルゴールランドの人々」(前記の“犬”たち等)に、「音楽を想い出させる」ための会話なのであるが..こんなんで、音楽を想い出せるかっ! 頭の痛くなるような理屈を説明しとらんと、歌でも歌って聴かせんかいっ!!、と、(何故か日本の英語教育の問題点を想起しつつ)激昂してしまった。[;^.^]

 作画水準も製本も、もろに同人誌クラス..というより、これより優れている同人誌は、星の数ほどあるであろう。天下の全音楽譜出版社が、何故、こんなものを出版しているのか、謎である。もちろん、購入する。[;^J^]

 楽器フロアをしばらく冷やかしてから、ソニービルへ。ほとんど全館、「ぼくの夏休み」(という名前だったと記憶しているが..PS2の新作ソフト)のプロモーション状態。少し遊んで見たが、PS2はおろかPSにも触ったことの無い私は(以下略)。カーナビコーナーで、最新のカーナビでソニービルから滝野川会館(夏オフ会場)までの経路を検索してデモ走行をさせるまで、みんなで大汗をかいてしまった。まだまだ、マニュアルレスでサクサク使える水準には、到達していないようである。

 あとは、地下に潜り、すいている店を見つけて、ビールとパスタ(等)。3時頃に流れ解散。

 私はそのまま、手ぶらで神保町に移動し、三省堂で「山尾悠子作品集成」(国書刊行会)と「妖怪図巻」(同)と「書物の王国 16 復讐」(同)と「日本ミステリー事典」(新潮選書)を買う。この4冊だけで1万8千円もする。夏オフで散財し尽くしているので、当然、カード払いである。しかも、たった4冊なのに、えらく重い。今は身軽なので平然としているが、もちろん、後先考えていない。

 コミック高岡で、「電脳なをさん」第3巻。浜松の主要書店の店頭には、並んでいないのである。基本図書がこういうことでは困る。この他、「怪」第9巻、日野日出志の復刻本などに手が伸びかけたが、浜松で問題なく買える本まで、ここで買うことは無い、と、さすがに理性が引き留めた。

 東京駅へ。手荷物一時預かり所でシンセ(右肩)とリュック(背中)を引き取り、左手には書籍をぶら下げて、重力と戦いながら、こだまに這いずり込む。

 比較的早い時刻に浜松着。タクシーに乗る前に、駅前の天狗で人心地着く..予定だったが..[;^J^]

 カウンターで、隣りに座っている男女が、「宗教(神様)談義」である。参った [;^J^]。それも、冷静な議論状態では無く、キリストに“救われた”女性が、“理性的な”男性(明らかに彼女の恋人)を、説得している(かき口説いている)のである。「私もね、“本当のこと”を知ってしまった以上、黙っていることはできないの!」「大きな、大きな愛を、知ったの!」..

 ..もちろん、私は、ここで宗教論をするつもりは無い。それは“日記”でサラサラ、と“書き逃げ”するようなものでは無い。しかしやはり気になったのは、(いつでも気になっているのは、)彼女のいうところの「大きな、本当の愛」の持ち主は、他の宗教の信者や、宗教心を持たない人たちに対しては、「大きな愛」を与えないのである。男性は、彼女を“いたわり”つつも、そこを指摘するのである。なぜ“いたわる”のかというと、彼女は残念ながら、(恐らく、まだ“目覚めた”ばかりで、神学を学んで理論武装していないので、)それに答えることが出来ないからである。だから、泣き出すのである..男性も困惑しているが、私も隣りで、とても困ってしまった。[;^J^]

 ついでに、もう一言だけ。彼女の最大の拠り所は、「私は、救われたんだから!」、という、その素晴らしい体験なのであるが..私の知己に、いわゆる「セミナー」で「救われた」人が、いる。彼は、本当に幸せそうであった。

 人が「救済」されるためには、それはキリスト教である必要も、その他の宗教である必要も、無いのである。人は、セミナーでも救われるのである。(無論、「仕事」や「家族」にも、救われるであろう。)だから、「救われた」という体験を振りかざしても、それはなんの証拠にもなっておらず、なんの説得力も持ち合わせていないのである。

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*2000年08月08日:アジマポスター、ゲット


 ヤフー・オークションで競り落とした(というか、入札者は私しかいなかった)ポスターが、会社に届いていた。

 吾妻ひでおがイラストを描いている、SRAの宣伝(会社紹介)ポスターで、恐らく、1985年頃のもの。なぜなら、この絵は、「ひでお童話集」(アクションコミックス、Hideo Collection 1、双葉社、1984/12/09)のカバーイラストをベースにして、キャラクターを差し替えたものだからである。

 「夢の国のアリス1 夢はわたしたちのテクニカル・フィールド」というタイトルが付いている。「2」以降もあるのだろうか? 別の漫画家・イラストレーターが担当したのだろうか?

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*2000年08月09日:「G−taste 4」


 「G−taste 4」(八神ひろき、講談社)を買う。最初のうちは上品 [^.^] なフェチ漫画だったのに、巻を重ねる度に、お下劣になる一方である。トホホ [;^.^]。

 ま、いいけどさ。作者もあとがきで、「もうなんだか後戻りできないって感じである」と書いてるし、これはこれで結構なものではある [;^J^]。

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*2000年08月10日:難問・奇問


 「過去15年間の日本の首相の名前を、順番に記せ」。

 私は、即答できない [;^J^]。時間をかけても、満点を取れる自信は無い [;^J^]。実際問題、こんな細々とした有象無象の名前を、覚えてられるわけ、ないわなぁ。ざっくり言って、何の役にも立たなかった連中だし。

 それよりも、「アブラハムはイツハクをもうけ、イツハクはヤアコブを、ヤアコブはユダとその兄弟たちを、ユダはタマルによってペレツとゼラを(以下略)」(新約聖書、共同訳)、とか、「ドンドンはドンドコの父なり。ドンドンの子ドンドコ、ドンドコドンを生み、ドンドコドン、ドコドンドンとドンタカタを(以下略)」(バブリング創世紀、筒井康隆)、とか、「神武綏靖安寧懿徳孝昭孝安孝霊孝元(以下略)」、とかの方が、遙かに役に立つというものである。

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*2000年08月11日:「あるフィールドワーカーの呟き」


 今日から夏コミ。実は未だかつて、コミケ会場に足を運んだことは無いのだが、ここ数年、吾妻ひでおML、及び手塚治虫MLの同人誌に、ネタ(主としてリスト関係)を提供する、という形で、参加している。

 今回、手塚治虫MLの同人誌「ショートアラベスク VOL.2」に掲載したエッセイを、ここに全文、載せておく。題して、「あるフィールドワーカーの呟き」。



 最近読んだ、2冊の本の話題から始めよう。


 「楽園考古学」(篠遠喜彦、荒俣宏、平凡社ライブラリー)。約40年間にわたって、ハワイのビショップ博物館でポリネシアの調査研究に携わってきた、太平洋考古学の第一人者、篠遠喜彦博士の生涯と業績を、荒俣宏が対談形式で取材したもの。私は迂闊にも、全く知らなかった。ハワイからポリネシアからイースター島まで、南太平洋の島々を駆け巡って、数多くの遺跡を発掘し、復元し、南太平洋考古学を組み立てた、スケール雄大な生涯を送った日本人がいたことを。実に気持ちの良い、晴れ晴れとした読後感。特に学生諸君には、必読と言っておきたい。(「“手塚治虫漫画全集”解説総目録」に「三つ目がとおる」の「解説」を追加する前に、これを読んでおくべきであった。)

 「緑の魔界の探検者」(小学館、地球人ライブラリー)は、スタンリーの「How I Found Livingstone」(1872)の抄訳であり、中央アフリカ奥地に消息を絶ったリビングストンを探しに行く冒険行の、有名なドキュメンタリー。アフリカ人の描き方(というか、彼らに対する接し方、考え方)には、こんにちの視点からは問題点も感じられるが、その迫力は、今なお色褪せていない。(これも、「ジャングル大帝」の「解説」を書く前に、読んでおくべきではあった。)

 上記2冊の共通項は、“フィールドワーク”である。探検者が現場で採取してきた「事実」を認めず、机上の空論をもてあそぶだけの“書斎派”の学者たちが、どちらの書でも、手厳しく批判されている。


 さて、ビブリオグラファ(書誌学者、目録編纂者)にとっての“フィールドワーク”とは、なんであろうか。

 それは、初出誌調査であり、古書の収集であろう。

 “現場(書店、古書店、図書館等)”に足を運んで、“現物(初出誌、単行本等)”に直接当たり、“事実”を取材することであろう。

 無論、「ビブリオグラファたるもの、フィールドワークをしなければ、ダメだ」、と言っているのでは無い。上記の2冊(「楽園考古学」「緑の魔界の探検者」)は、フィールドワーカーの立場から書かれているので、「現場に出ない、書斎派の長老学者」たちに対して批判的であるが、この“批判”は“条件付き”のものである。「地に足のついた、フィールドワーカーが集めてきた“事実”」を無視して、机上の空論を展開するから、批判されているのであって、「“事実”に立脚した理論を組み上げて行く」書斎派は、必要なのである。「フィールドワーカー」の視点は、事実に直結しているが故に、宿命的に“虫瞰的”にならざるを得ないところがある。“鳥瞰的”な(一歩退いたところで、大所高所から総合的に判断する)書斎派の学者たちは、絶対に必要なのだ。要は、役割分担なのである。ビブリオグラファについても、同じ事が言える。


 手塚治虫の“フィールドワーカー”たちによって(、または彼らの集めてきた資料を元に)作られた優秀な文献が、いくつもある。「手塚治虫エンサイクロペディア」、「手塚治虫の軌跡」、「手塚治虫マンガ大全」、「手塚治虫全史」、「手塚治虫キャラクター図鑑」、等など..そして、これらのどのひとつを取ってみても、完璧なものでは無いのである。

 例えば、(俎上にあげやすいので、)私自身が作成した「“手塚治虫漫画全集”解説総目録」(以下、「総目録」)を例に取ると、これは、こと初出データに関しては、私の知る限り、いかなる文献よりも精度が高く、正確である。(何年も前にフィックスしている出版物と、絶え間なく更新しつづけている「総目録」とでは、そもそも公正な比較にならないのであるが。)では、「総目録」だけあれば、他の資料はいらないのか。無論、そんなことは、全くない。「総目録」の最大の欠陥として、画像データが、一切欠如していることがあげられるし、また、登場キャラクターに関する情報も、含まれていないのだ。だから、他の資料で画像やキャラクターリストなどの情報を追いつつ、初出データに関しては「総目録」で補い、裏をとる、などの使いこなしが必要になる。

 これら(互いに補完しあい、そしてしばしば矛盾しあう)複数の資料を組み合わせ、照合し、そこから新たな発見や思考を紡ぎ出すのは、“書斎派”たちの仕事なのである。


 私は、“フィールドワーカー”である。

 もしもあなたも“フィールドワーカー”ならば..同志である。(あるいはライバルかも知れないが。)共に地べたを這いずって、“事実”を拾い集めて行こう。

 もしもあなたが“書斎派”ならば..私たち(“フィールドワーカー”)の調査結果を是非とも利用して、新たな研究成果を発表していって欲しい。それが、私たちの存在意義なのだ。

 そして、もしもあなたが、“フィールドワーカー”でも“書斎派”でもない、一介のファンであるのならば..あなたこそ、私たち(“フィールドワーカー”と“書斎派”)が、その仕事を捧げる“読者”なのである。楽しんで欲しい。私たちが丹精した“果実”を、心ゆくまで味わって欲しいのだ。それこそが、私たちの願いなのである。


Last Updated: May 31 2000
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*2000年08月12日:伊勢丹大古本市/「七色いんこ」等調査/エルンスト展


 7:25に飛び起きて、8:06のひかり。10:00の開店時刻を過ぎること数分に、新宿伊勢丹着。恒例の、大古本市である。

 ..ちょと待て、当選しすぎだ [;^J^]。こんなのは予定外である [;^J^]。しかもどうやら、くじ運が強かったと言うよりは、競合無しの無投票当選が多いような。みんな、頑張って買わんかいっ! ..ということで、カード払いである [;^J^]。会場では自粛して、追加購入は4冊のみ。もちろん、まとめて浜松へ配送である。

 現代マンガ図書館。「プレイコミック」(「空気の底」)「少年チャンピオン」(「七色いんこ」)を中心に、初出誌情報チェック。要するに、全集に収録されている短編(及びエッセイ)であって、全ての従来リストにおいて、初出誌情報が一致していた作品群である。「初出誌情報に最も信頼が置ける」一群であって、これまで、調査を後回しにしてきたのだが、いよいよこれらの(だめ押し的な)調査を、本格的に開始したという次第。さすがに、本日チェックした範囲では、従来リストの情報の誤りは、見つけられなかった。

 “全集に収録されている短編(及びエッセイ)であって、全ての従来リストにおいて、初出誌情報が一致していたもの”以外の作品のチェックも、まだまだ続いているし、この範疇の作品では、従来情報の誤りも、いくつか発見した。(その作品は、実は存在していなかった、というパターンなど。)

 東京駅に移動して、東京ステーションギャラリーで「マックス・エルンスト 彫刻・絵画・写真 − シュルレアリスムの宇宙」展。堪能した。

 エルンストの作品自体は、従来、何度も展覧会で観てきたが、そのほとんどが絵画やコラージュなどであって、彫刻作品をまとめて観るのは、今日が初めてであった。画集などで良く知っている作品も、多数出展されていたのだが、実に素晴らしい。

 魔術的で..原始的で..しかも高度に知的で、洗練されていて、ユーモラスなオブジェ群。20世紀が生んだ、最高の遺産のひとつだと思う。(SFファンでないと解らないかと思うが、「ホシヅル」を“前後に”押し潰したような、可愛い奴もいた。)改めて思ったのは、レオ・リオーニの「平行植物」(工作舎、ちくま文庫)の原イメージは、このエルンストの彫刻群ではないか、ということである。ものがものだけに説明しにくいのだが、例えばリオーニの「“夢の女王”ツキノヒカリバナ」を想わせる造型が、いくつもあるのだ。形態は全く異なるのだが、雰囲気がそっくりなのである。(「夢のバラ」という作品も、あるんだぜ!)

 そして、とにかく、可愛いのである。思わず、(散歩していて道行く犬や猫とすれ違う時に、誰もがするように、)にこにこと笑いながら手を振ったりしてしまう。(変な目で見られたのは、心外である。)

 10月1日までやっているので、機会があれば、どうぞ。東京駅の赤煉瓦の建物の中。月曜休館。

 横浜の実家へ直行。

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*2000年08月13日:そして盆休み


 朝から雨。肌寒い。終日、読書。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Aug 16 2000 
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