2000年06月26日:心を込めて字を書こう 2000年06月27日:突然の、震え 2000年06月28日:嵐とワイン 2000年06月29日:あるいは黒猫 2000年06月30日:SF中のSF 2000年07月01日:限定解除とか 2000年07月02日:「想いは、漂泊」目次へ戻る 先週へ 次週へ
ネットニュースで拾った、毎日新聞掲載の面白いネタ。島根県平田市の市役所で、「パソコンノーデー」が実施されるとか。(いつまでアクセス可能かは知らないが、毎日新聞のウェブページで「島根県 平田市」で検索すると、出てくるはず。2000.06.21 版である。)
市役所内の作業は、すっかりPCベースに移行しているのだが、「行政は人間相手の仕事なのに、パソコンやワープロに向かってさえいれば仕事をしていると勘違いしている若手職員が多い」とかで、市長命令で、週に一度PCの使用が禁止される。(その日は、会議室の予約も出来なくなる。)
上記の理由が本当ならば、週に一度の「パソコンノーデー」では筋が通らない。何故、全面禁止にしないのか。「パソコンの停止で業務に支障がでる住民基本台帳や会計システム、情報公開システムなどは(パソコンノーデーの)対象から除外する」、という、中途半端さ。
また、パソコンノーデーに関わらず、稟議書作成はPCもワープロも禁止。全て手書きに改められる。これは、
太田市長は「若い人は手で書く癖がない。気持ちを込めて書くことも大事だ。またパソコンやワープロで書かれた文章には誤字・脱字が多い」とも指摘。自らもパソコンを愛用しているが「依存し過ぎ」との反省から思い立ったという。
..との理由による。(自分ひとりが無能だとは思いたくない、という、その限りにおいては普遍的な心理状態を、素直に告白している、と、評価できる。)
もちろん、職員は猛反発しているのだが..“暗君”のお守りも、仕事のうちである。どれほど能率を低下させようとも倒産もリストラもあり得ない、競争社会の蚊帳の外の役所だからこそ、出来ることでもある。
まぁ、稟議書について言えば、(パソコンノーデーでは無い日に)PCで下書きを仕上げておいて、(およそ仕事にならない)パソコンノーデーに、(他にやることも無いだろうから)硯で墨をすって、半紙に毛筆で書いていればよろしい。(その日は、市民の血税を使って、みんなで書道教室にかよう、というのは、どうか。)横文字の稟議書ならば、鵝ペンでもいいでしょう。
目次へ戻る午後3時過ぎ。突然、関節が痛み始めた。最初に異状が現れたのは、左足の甲(正確には、第一関節群)であり、歩行が困難になった。
次に、指がこわばり始めた。動かないのだ。仕事にならない。氷のように冷たい..思いっきり摩擦してやると、いくらか動く..脚が震え始めた..
..つまり、これは..発熱だ。なんでまた、いきなり?
..などと、原因を考えている余裕は無い。とにかく、体温計のある総務部へ行こう、と、思い立ったのだが..私がいる開発部と総務部の間には、製造ラインがあり、そこの室内温度は、数度低く設定されている。ガタガタ震えながらラインの入口まで辿り着いた私は、室内から吹き出して来る“極寒の冷気”に、文字どおり、脚がすくんだ..半袖から剥きだしになっている腕の表面は、既に人間の肌では無く、鳥類の肌。横隔膜の痙攣が止まらず、歯の根が合わない。
とはいえ、ここで立っていても遭難するだけなので、両腕で上半身を抱えながら、怪訝な目を私に向けている作業者たちの間を、一気に走り抜けたのであった。
総務部に備え付けられているのは、電子式の体温計だということを、忘れていた。カーブを測るとかで、数秒間で測定できる体温計なのだが、私はこれを全く信用していない。体感温度とかけ離れた結果を出すことが、珍しくないからだ。水銀式の体温計と、測定値が3度ほど違うことも、珍しくない。
測定結果は、36度8分。完璧な常温である。嘘だっての。体感体温は、39度以上だ。
寒冷地獄を再び突破して、開発部に帰る。じきに定時になるので、早退もせずに端末(PC)の前で、ヤマネ状態で1時間。
辛うじて運転は可能なコンディションだったので、とにかくいつものT外科へ。ここでも電子式体温計。こいつが(例によって)36度台の数字でも出したら、暴れてやろうか、と、半ば朦朧としながら考えていたのだが、38度4分。私の体感体温よりも、なおも1度近くは低いが、まぁ、この数字が出せればよしとするか。
発熱以外の(風邪の)症状がいっさい無いので、医者としても首をひねっていたが、とにかく注射と解熱系の薬。
注射が効いたか、就寝前には、熱はあらかた下がっていた模様。
目次へ戻る昨夜は、23:30に就寝したのだが、おかげで、起床時間は1:00過ぎである。一体、私が何をしたと?
いまさら眠くは、全く無いのだが、起きて、何か生産的なこと(読書とか、リストのメンテとか [;^.^])をする元気も無い。寝酒を飲むには遅すぎる(不健康すぎる)時刻である。
悶々としつつ、朝になる。いつしか、嵐。
いくらか寝汗はかいたようだが、既に熱は下がっている。(注射と薬による、一時的なものかも知れないが。)とはいえ、万全の体調、という自信も無い。嵐の余韻が残っているし、出社中にハンドルを握ったまま、体調が急変するという可能性もある。
ということで、念のために休暇を取る。(まぁ昨日、「多分、明日は休むから」、と、伝えてはあったのだが。)
とはいえ、空腹。小降りになった隙を見計らって、Nへ朝食を食いに行く。Nで食後の読書をしつつ、ぐったりと静養しているうちに、洒落にならない降り方の、大嵐となった。ガラスに叩きつける、大粒の水滴群。しかし室内は、快適なエアコンで別天地である。
安全地帯で鑑賞する嵐や台風ほど、心和むものは無い。嬉しくなってしまって、ワインのボトルを1本注文。ガラスの外の嵐を愛でながらゆっくりと飲み干しつつ、読書にふける..
目次へ戻る浜松市内には、事実上“地下街”が無い(各ビル個別の“地下商店街”しか無い)のだが、いくつかの主要な交差点には、“地下道”は、ある。
“十”字路の下に潜る“X”字型の地下道で、4つの角に出る出口が、それぞれ歩道の向きに沿って2方向に分かれているので、合計8つの出入口があることになる。
とある交差点の地下道の、とある出入口から入ろうとしたら..コンクリートで封鎖されていた。完全に塗り塞がれている。そこから先は工事中なので、反対側の出入口を使ってくれ、という看板。仕方がないから、その角に出ている、もうひとつの出入口に回り込んで、地下に降りたら..先ほどの(地上側がコンクリで封鎖されていた)階段が、地下側からも、コンクリで塗り固められていた。
地下側の掲示によると、工事箇所は、そのコンクリの壁の“向こう側”なのである。つまり、工事箇所は(地上から見ても地下から見ても)その短い階段以外にはあり得ず、しかも、その階段の途中には、別の出入口などは、無いのだ。全く無意味に、階段のみ、(その中に空間を残したかどうかは知らないが)コンクリートで封鎖したことになる。
いったい、誰の死体を塗り込めたんだ!?
目次へ戻る今月25日に発売されたSFマガジンを、パラパラと読む。今月号は、ヴァン・ヴォークトとスラデックの追悼号だが、スラデックは、未訳短編が4本も掲載されたのに、ヴァン・ヴォークトは、「拠点」という短編の再録だけである。これも決して悪い作品じゃないのだが、「ヴァン・ヴォークトの最高傑作!」との惹句付きで再録されると、戸惑ってしまう。彼の他の(“ギラメク”ばかりの)絢爛たる作品群を知らない若い読者に、「これが最高傑作? ..過去の人だから、仕方がないか」、と、読み流されてしまうのではあるまいか..
..と、悲憤の涙を流しながら、彼の代表作のひとつである「武器製造業者」を手に取り、表紙を開いて、登場人物一覧を見てみたら、その最後に..
「蜘蛛族 宇宙を支配する不死の超生物」
これだ、これだよ! これがSFさ!
「サイバー」も「ナノテク」も「ジェンダー」も「フェミニズム」も「エコロジー」も、出る幕じゃ無いっての! 小賢しげな現代SFのお前らが、「宇宙を支配する不死の超生物」に勝てるか!
先日、「(確か講談社文庫の乱歩シリーズの口絵を描いていたこともある)高橋葉介」と口走ってしまったが、高橋葉介が描いていたのは角川文庫、と、Hさんからメールで指摘された。トホホ、またしても。例によって記憶だけで書いたとはいえ、自信満々だったのだが。
目次へ戻る今日は、上京して国会図書館で調査する予定だったのだが、宿酔い気味で早起きがきつかったので、やめる。
こんなことなら、今日のミューフェスのチケットを買っておけば良かった。(ミューフェス(ミュージックフェスティバル)とは、R社の社員の、社員による、社員とその家族のためのフェスティバル(コンサート)である。今日は国会図書館、と、前から決めていたので、パスしていたのであった。)まぁ、頭が重いときには、音楽は拷問効果をもたらすこともあるので、これはこれで正解だったかも知れないがねぇ。
グロッキー気味でもリストのメンテは出来る(“業”と書いて“カルマ”と読む)ので、浜松中央図書館へ。
手塚治虫の全作品リストの、初出誌との照合調査だが、これまではあくまでも条件付きであった。即ち、「初出誌が読める状態である限り、全て読む。但し、全集に収録されている作品であって、全集に記載されている初出データと、その作品を記載している“従来の諸リスト”に於ける初出データが、全て“曖昧性無く”一致している場合は、これを除く」、というものである。(“従来の諸リスト”が何であるかは、「“手塚治虫漫画全集”解説総目録について」を参照のこと。)逆に言うと、上記の“但し”以下のアンド条件がひとつでも成立しない場合は、これを片端から閲覧してきた。
他と食い違う初出データがひとつでもあれば、(多数決で解決したりせずに)初出誌を読む。全ての初出データが一致していても、それが「62/01 - 62/12」というような曖昧な形式であれば、初出誌を読む。全てのデータが曖昧性無く一致していても、それが全集に収録されていない作品であれば、(例え他の単行本に収録されていて、それを私が読んで(所有して)いる場合でも)初出誌を読む..
とはいえ、この「除外条件」はなかなか強力で、約600点(「ブラック・ジャック」を含めると、800点以上)の作品(エピソード)が、初出誌調査の対象外、と、されて来たのだが..
本日、この条件を解除した。
つまり、手塚治虫の全作品リストの、初出誌との照合調査は、「初出誌が読める状態である限り、全て読む」、という、極めてシンプルで力強くて判りやすいモードに、移行したわけである。(覚えにくければ、「人生を投げている」モード、と、記憶していただければ、結構。)
まぁ、除外(正確には後回し)していたのも理由はあるのであって、単純に、優先順位の問題だったのだ。「全集に収録されている作品であって、全集に記載されている初出データと、その作品を記載している“従来の諸リスト”に於ける初出データが、全て“曖昧性無く”一致している」場合は、そのデータは(親亀子亀問題は重々承知の上で)さすがにミスは少なかろう、と、一応はみなせるからである。それらの裏を取っているよりも、遙かに優先度の高い案件が、文字どおり山積みになっていたからである。範囲指定でしか明らかでなく、その期間のどの号に掲載されたのかが判らない、とか、その作品の頁数がわからない、とか、そもそも実在するのか否かが疑わしい、とか。これらを確定することこそが、火急の案件だったのである。
それらが全て片づいたわけでは無いが、さすがに先が見えてきた。「初出誌が読める状態である限り」、という、究極の制約条件の方が、効いてきた。
そこで、前記の条件を解除して、これまで「初出誌調査」を「封じてきた」作品群のチェックを、全面的に開始した、という次第である。(実際には、少しずつフェイドインしていたのだが。)
地元の浜松中央図書館の蔵書数は、もとより、国会図書館とは比較にならないのだが、それでも、主要な新聞の縮刷版くらいはある。そこで、朝日、読売、日経等の調査を行ったところ..早速、問題点が見つかった。
未来へ(エッセイ)::2:読売新聞:85/08/31:別巻10 392
..が、見当たらない。代わりに、
日本未来学会 国際シンポジウム 第2日「心の風景」セクション(栄久庵憲司、広中平祐、杉浦康平氏)::1:読売新聞:85/08/31:0
..が、掲載されていた。「未来へ」は、内容的には、このシンポジウムでの発言(の要旨)らしく思われるのだが、上記「心の風景」セクションでの発言内容とは、全く異なるのである。念のため、このシンポジウムの前後の数日間に渡って、読売新聞縮刷版をスキャンしたが、見つけられなかった。
新聞には難しい面があり(地方により時刻により内容が全く異なることが珍しく無い)、「未来へ」が、同紙に掲載されていない、と、断定することは躊躇われるので、“?”追加の刑に処すこととした。
また、図書館に出かける前に、自宅で調べられることは調べておこう、と、「リュウ」「SFマガジン」「別冊奇想天外」などの、手持ちのバックナンバーとの照合を行ったのだが、実はここでも、問題がひとつ生じていた。
アニメ映画と心中する(対談)(石ノ森章太郎、松本零士氏)::28:リュウ Vol.7:80/09/01:別巻6 388
..は、確かに同号に掲載されているのだが、全集に収録されている“対談”(正しくは“鼎談”なのだが、分類の種類の数を押さえるために“対談”と記している)の方が、かなり長いのである。このコンテンツは、どこから湧いてきたのであろうか? エッセイ等を、単行本収録時に加筆することは珍しくも無いが、対談(鼎談)で、そんなことをするだろうか? この3人の他の鼎談と、合体させたのではないだろうか?
..とまぁ、軽く当たってみただけで、これだけの成果が出たのであるから、(「ブラック・ジャック」を別にしても)残り約560件、まさに“宝の山”である。(← このメンタリティを維持するのが、コツなのだ。)
谷島屋書店を散策していたら、「画集」(というか「画文集」)のコーナーに、「たればんだ」と「たれごよみ」。そりゃ、確かにそういう分類になるんでしょうけどね。[;^J^]
目次へ戻る..昔(20年以上前?)のSFマガジンの裏表紙の広告のコピーである。確か、メガネの広告だったかな。
誰しもそうだろうが、私も、少年時代には放浪に憧れたものだった。普通は、小学校か中学校くらいで、そういう「子どもっぽい」夢からは“卒業”するのだろうが、誰よりも子どもっぽい私は、高校生か、あるいは大学生になっても、その想いを保ち続けていたような気がする。(今はどうかって? 野暮なことは、聞きなさんな。)
小学生時代の私は、「家なき子」に憧れていた。30年くらい昔に(ジュヴナイル向けにアブリッジされていたのであろう版で)読んで以来であるから、完全に記憶違いをしている可能性もあるが..確か、主人公の少年は、フルートか何かを道端で演奏して金を稼ぎつつ、放浪を続けていた、と、思う。
このコンセプトに、とことん、はまったのであった。「音楽でメシを食いながら」、という“かっこよさ”もさることながら、「必要最低限の物だけ身につけて」、という“かっこよさ”に、憧れたのである。
早速、私は、家出の支度をした。(机上で。)必要な物資は、何か。ハンカチ。鉛筆。肥後守(ひごのかみ=小刀)。磁石。ロープ。コップ。財布。お気に入りのビスケット。忘れちゃいけない「少年探偵手帳」..
こうして、ワクワクしながら、楽しい家出グッズのリストを作っていた私は..しかしすぐに、重大な暗礁に乗り上げてしまったのだ..
..それは、「本」である。
どれだけ切りつめ、必要最小限に冊数を絞ろうとも、常時手元に無ければならない本が、どうしたって、30冊以上。
「30冊以上の本」と、「身軽で気楽な放浪姿」を、合理的に両立させる方法を、私はどうしても思いつけなかった..
..かくして、私の「漂泊の想い」は、「本」に潰されたのであった。
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