1999年12月13日:私のDOS環境 1999年12月14日:伊勢丹大古本市の目録 1999年12月15日:S堂からの目録 1999年12月16日:散財は続く 1999年12月17日:「吾妻ひでおの不自由帖」 1999年12月18日:「不自由帖」データ整理/「渚にて」 1999年12月19日:洗車/USB/エヴァ目次へ戻る 先週へ 次週へ
私にとっては、GUIはあくまでも「アドオン」の環境であり、本質的にはインターネットでブラウジングを行うためにある。もちろん、画像ブラウザ(ACDSee)やメールソフト(Becky!)、ログブラウザ(NIFPWIN)など、DOS環境では不可能な(不可能に近い)アプリケーションや、同類のDOS版ソフトよりも便利で使いやすいGUI用アプリも多々あるのであって、それらはもちろん、こだわり無く使っている。(このWebページ自体、基本的にはGUI環境で見てもらうことを想定しているのだし。)
しかし、日常的な作業は、ほとんど全てDOS窓(フルスクリーン状態)で行っている。なぜかというと、その方が遙かに作業効率が高いからである。特に(多数の)テキストファイルを処理する作業など、とてもじゃないが、GUI環境などではやっていられない。(そこまでいう)私が、日常的にどういうDOSコマンドを使っているのか、紹介しておこう。
vzibm、vzfpUNIX起源の基本フィルタ
私に取って「PC環境」とは、ほぼ「Vz常駐環境」に等しい。これほど便利で小回りが利く(テキストベースの)環境を、他には知らない。WinやDOSの(再)インストールをした時、まず行うのが、Vzを走らせることである。これが動いていないと、何をする気も起こらないからだ。(vzfpとは、vzのファイラを支援する小物ソフトで、別に大層なものではない。)
jgawk、sed、trRCS
これらが無いと、「手塚&吾妻用スクリプトについて」で説明したような、(GUI環境ではそもそも不可能な)テキストベースの大規模作業(書式変換&ファイル生成)が出来ない。(なまじこれらを使い込んでいるものだから、perlに移行していなかったりする。我ながら、怠惰になったものだ。)画像や音声を含まない(文献整理などの)データベースの構築も、jgawk(と、後述する検索ツールの組み合わせ)だけで十分である。また、こんな大仕掛けな仕事だけでなく、ちょっとした表を作ったり書式変換したりする用途にも、これらが最適。(実は、日常的に一番頻度が高いのが、こういう、ちょこちょこっとした作業である。)
ci、co、rcs、rcsdiff、rlogアーカイバなど
RCS(Revision Control System)というのは、テキスト系汎用に使える、履歴管理システムである。(最近は、バイナリも扱えるという噂を聞いたが。)これの利用頻度は、「極端に」高い。文書やリストを作成する時に、少しまとまった変更を加えるたびに、どんどんチェックインし、いつでも、その時点の文書(やリスト)に戻れるように保険をかけながら、作業している。どこかで間違えた変更をしてしまったことが、ずっと後になってから判明しても、安心だからだ。これはロッククライミングで、ハーケンを打ち込み、カラビナを掛け、これにザイルを通しながら登るようなものだ。このように「安全確保」しながら作業をするのは、仕事でもプライベートでも、当然のことだと思う。(最近では、同じ目的で、CVSというシステムが使われることが多いと思うが、これは多人数のプロジェクトにおける履歴管理に適しているものであり、個人ベースの「安全確保作業」には、小振りで小回りが利くRCSの方が向いている、と認識している。)
gzip、lha、lhmtnv、lhsort、pkunzip、pkzip、tar、uudx、uuexその他のUNIX系基本ツール群
zip系のツールは、DOSで使う頻度は減った。zipファイルを取得する機会がWin環境に限られてきたからで、その場合はWinのツールで(デスクトップで)解凍する。uudx、uuexは、UNIXのuudecode/uuencodeのDOS版。これも、緊急時にしか使わないかな。日常的に使うのはgzipとtar、それにlhaで、これらについては説明は不用だろう。もっとも使用頻度が高いのがlhmtnvで、これはlhaで圧縮されたlzhファイルのブラウザであり、圧縮されたファイルを直接読んだりメンテしたりするもの。私はDISK自体の圧縮は、(クラッシュ時にリカバリ出来なくなる可能性が極めて高いので)行なわず、細々としたファイルは、自分でlhaアーカイブしているのだが、それらを読むとき、いちいち解凍するのは面倒だからである。(同じ用途のソフトがWin環境にもあるのは知っているし、試用もしたが、“手触りの良さ”という点で、lhmtnvには及ばないのである。)lhsortは、lzhファイル内のファイルの順番をソーティングするもの。
cat、cmp、cp、diff、find、grep、head、ls、mv、nkf、patch、rm、sort、tail、touch、uniq、wc、whichDOS起源のソフト群
これらについても、いちいち説明しない。nkf(文字コード変換フィルタ)は、UNIXの標準コマンドではないが、大概のシステムには入っていると思う。
batcp、calc、diskuse、ftree、jhd、marucopy、qkc、vchain、ygrep、zcopy特筆すべきもの
batcpは、BATファイルをCOM化するツールで、必須。どういうわけか、私の環境では、BATファイルを直接実行すると、DOS窓が飛んでしまうのだ。batcpでCOM化すると、問題ない。謎である。
calcはUNIXのbcに相当する。jhdはファイルダンプ。ftreeはファイルトゥリーで、読んで字のごとし。diskuseはUNIXのdu相当。qkcは Quick Kanji Converter で、昔のnkfはいささか処理速度が遅かったため、文字コードと行末コードの変換のために、これを導入した。ygrepはUNIXのegrepの代わりに導入した多機能grepだが、それほど使用頻度は高くない。zcopyは、xcopyを多機能にした定番ツール。
marucopyは、フロッピーディスクのディスクイメージを、そのままバイナリファイルに変換するもの。起動ディスクのバックアップなどに重宝する。vchainは、FATチェーンの表示などを行うもので、これはプライベートよりも、業務で使う機会の方が多い。
acd、daijisen、vfatbak、xtr、zf
acdについては、「2年前の日記」参照。広大なディレクトリトゥリー空間の中を、自由自在にジャンプ(チェンジディレクトリ)するツールであって、これによって、「ディレクトリスタック(pushd、popd、dirs)」がお払い箱になった。多分、cdコマンドをタイプする回数の10倍近く、このコマンドをタイプしている筈である。(もちろん、常駐Vzのエイリアス機能で、aの一文字である。)
同様に、使用頻度が極めて高いのがdaijisenで、CD−ROM版「大辞泉」(携速98によって、ハードディスクに常駐している)を、DOSのコマンドラインから検索するツール。これは、「データベースを持ち歩く」の回で紹介した。やはり辞書は、(出先であっても)手の届くところになければ、駄目である。
vfatbakは、DOSで便利に使っているツールというよりは、DOSで起動して、ハードディスクを(例えばWin環境ごと)まるごとバックアップするツールである。(もっときめ細かいバックアップ/リストアも出来るのだが、当面のところ、こういう使い方だけをしている。)これによって、HD入れ替えの際などに、Winを再インストールする必要が無くなった。
xtrは、Webページに載せる文章を書く際には、あまり用が無いツールだが、DOS環境で整形された文章を書くために、かれこれ10年以上も使っている。
ネットニュースやメールでは、行末がガタガタした(一行の長さが一定しない)文章を、非常にしばしば見かけるが、私にとっては、とても読みにくいものである。私は、行末が揃った文字面が好きである。例えば、「“手塚治虫漫画全集”解説総目録」に含まれている(プレーンテキスト版の)「解説」から引用する、以下の例ような。
実に内容豊富な章である。終章に向けての壮大な伏線である「夢の山」 ももちろんであるが、それよりも印象的なのは、「人間に飼われた者がどん なにずるくひきょうになるか…」という、パンジャの言葉である。家畜に堕 した動物たちに対する、明快な拒絶。ここにジャングル大帝の厳しさがある。 また、レオは決して家畜だった訳ではない(人間たちの友人格であった)が、 半ば飼われていたことも事実であって、パンジャの言葉は、彼を野性へ引き 戻すベクトルとなって、物語全体のダイナミズムを作り出している。
(等幅フォントではなく、プロポーショナルフォントで読んでいる人には、行末が崩れて見えているだろうが。)
xtrは、非常に豊富な機能とオプションを持っているが、基本的には、このような「箱形」の字面を作るためのものである。(私は、この機能しか使っていない。)蛇足だが、行末が揃っている字面が好きなのは、(詩集などを除く)普通の書籍の字面が、そうなっているからである。あなたがこの文章をブラウザで見ているとすれば、やはりほとんどの場合、行末は(適当に禁則処理されて)揃っているはずだ。つまり、日本語の字面としては、行末が一直線に揃っているのが基本なのである。
zfは、非常に強力な「曖昧検索」コマンドである。「大文字/小文字の違いを無視」は言うまでもなく、「全角/半角の違いを無視」、「ひらがな/カタカナの違いを無視」、「カナの大文字/小文字の違いを無視」、「濁点、半濁点を無視」、「旧字でもマッチ」、「スペースやタブを無視」、「様々な括弧の違いを無視」、「外来語の様々な表現に対応(例えば「ヴァ」と「バ」、「トゥ」と「ツ」がマッチ)」、「その他、カンマと読点とピリオド、ハイフンとマイナスと長音など、同じ意図で混同(誤用)されて用いられる可能性のある文字や記号の違いを無視」、「2行に分かれていてもマッチ」、「1字違いでもマッチ」、(まだあったかな、)とにかく、非常に様々な「書き癖」に対して、良くマッチするのである。もちろん、grep(一族)のように、タグジャンプ対応形式で出力してくれるので、zfでざっと検索してから、常駐Vzのタグジャンプ機能で、さくさくとファイルビジットをすることができる。
これらによって構築されたDOS環境の生産性の高さは、実は“定常的には”オーバースペックに近い。普段は文章を書いているだけだからであり、言うまでもなく、書いている時間よりも考えている時間(、さらにそれよりも、煮詰まって暇つぶしをしたり遊んだりしている時間 [;^.^])の方が長いからであるが、しかしその場合でも、VzとxtrとRCSとacdとdaijisenとzfは、必須。そして、手塚治虫と吾妻ひでおのリストの“確実な”メンテナンスとなると、これだけの環境が、絶対に必要なのである。例えば(あまりの使いにくさに廃棄した経緯がある)accessなどを使っていては、これらのリストの“品質”を、現在の水準に保つことは出来ないと思う。
以上のDOSツールには、古いものが多い。5年前ならば新しい方で、10年以上昔のタイムスタンプを持つものも、少なくない。「時代を越えて使用に耐えうる、良い道具」というのは、これらのことを指す。尊敬に値する、超一流の道具職人たちが作ったのだ。私は一ユーザーに過ぎないが、これらの道具を使うに相応しい、これらの道具を使って一流のアウトプット(コンテンツ)を作り出す、一流のユーザーでありたい、と、願っている。
目次へ戻るK書店から目録が届き、一読。特にめぼしいものは無い。
新宿伊勢丹大古本市の目録が届き、一読。とある書店から「週刊アンポ 1〜15号(揃)(昭和44年〜)」が3万円で出ているのを発見し、大いに迷う。手塚治虫の未見作品が収録されている雑誌だからである。
機動隊が来たら……::?:週刊アンポ:70/04/28:0
が、それである。無論、国会図書館で探したのだが、この雑誌の終刊号(手塚作品の掲載号)のみ、欠本していたのだ。最初から無かったのか、盗まれたのかは、判らない。
この作品が、何かの単行本(作品集)に再録されているのを見たことが無いし、この雑誌自体、滅多に古書市場に出回るものではない。また、今後、最終号のみ売りに出されることがあるとも、思えない。高かろうが安かろうが、この機会を逃すと、この作品を読む機会は、もう、無いかも知れないのだが..
..値段だけの問題では無いのだ。この作品が「読める(手に入る)」と確信できれば、決断しやすいのだが、その保証は、実は全く無い。確かに「(揃)」と書かれている。しかし、「切り抜き」や「落丁」が「無い」とは、書かれてはいないのだ。書かれていなければデフォルトで完本、などというルールは、存在しない。
迷いに迷った末に、見送ることにした。今の懐具合では、この3万円は出せない。12/25〜12/30の会期中、横浜に帰省する予定の12/29に会場に寄るつもりだが、その時にまだ売れ残っていれば、あるいは気が変わる可能性も、ゼロではないのだが..
しかしいかにも悔しいので、別の書店から売りに出ている、EXPO’70(日本万国博覧会)の「外国パビリオンのパンフなど、ダブリなし、約63点」と、同じく「国内パビリオンのパンフなど、ダブリなし、約55点」を、注文する。(“約”、というのが不気味である。数えられない状態なのだろうか? “1点”としてカウントするのが憚られる状態のものが混ざっているのだろうか? [;^J^])計、5万3千円である。(ちょっと待て。[;^.^])さて、当選するでしょうか。
目次へ戻るS堂から目録。(このシーズンには、連日、どこかの古書店から目録が送られてくる。)この店は他店に比べて、概して値付けが高いのだが、この目録によると、1965年の「少年」誌が、意外に廉い。N書店の抽選結果が判明するのが明日なので、そこでの当選具合を勘案して判断することにする。(1965年以前の「少年」誌は、1966年以降とは異なり、付録をかき集めなければ連載作品を通読できないのが難点なので、いまいち元気が出ないのだが。)
体調がすぐれず、本日深夜の更新は見送る。廃墟通信の準備は出来たのだが、手塚解説2冊分を書き上げて推敲をしている時間が無いのだ。(正確には、朝5時くらいまでかければ可能だと思えるのだが、それに耐え得る体調では無い。)
目次へ戻る「まんが王倶楽部」に発注していた3冊が、届いた。(新本である。)「課長バカ一代 1、2」と「山田章博全集 1 おぼろ探偵帖」。後者は、確か全20巻の予定だと記憶しているが、第2回配本は来春の予定。ゆったりとしたペースで刊行していくつもりらしい。「まんが王倶楽部」はクレジットカード引き落としなので、支払いに行く手間が無いのがいい。
N書店に抽選結果確認電話。1966年の「少年」誌を4冊、申し込んでいたのだが、3冊当選である。計3万5千円。来週前半の納本になる見込み。(ここには、郵便振替で送金しなければならない。)さて、S堂の方はどうしようか..
目次へ戻る「まんだらけZENBU 5」を購入して、その広告頁で「吾妻ひでおの不自由帖」が18日に発売されるのを知ったのが、11日。(最近、まんだらけのウェブページをチェックしていなかったのだ。)土曜日だったので代金を振り込めず、振り込み(予約)をしたのが13日の月曜日。で、予想より早く、本日、納本された。
全て単行本未収録作品であり、90年代の、いわば「空白の時代」を埋める作品集である。詳細は「作品リスト」参照。(← 説明の都合上、ここに書いたが、本書のデータ整理が終わって作品リストが出来たのは、2日後のことである。)連載作品が必ずしも全話収録されていないなど、やや中途半端な印象も受けるが、ファンは必携であろう。限定1000部なので、あなたがこの日記を読む時点まで売れ残っているかどうかは、知らないが。
一点、不覚を取った(、というか、不覚を取っていたことが明らかになった)。
「モノ・マガジン」に、1992年に短期間連載された、「Dr.あじまのどーしました?」は、全て把握しているはずであった。私の認識では、4コマ漫画を4回連載、計4本。本書に掲載されているのは6本で、最後の1本は、明らかに今回の描き下ろし。問題は最初の1本(サブタイトル「ソムリエ」)である。図書館で初出誌からコピーした4本の、2本目以降には、「2」「3」「4」(正確には丸付き数字)と、作者の手書きで回数が記入されている。1本目には記入されていない。この状況で、全4本だと判断してしまった私が、甘かったか。連載回数の記入されていない「第1回」の「前」に、もう1話、あったということか? いずれにせよ、直ちに図書館で調査だ。
目次へ戻るまず、散髪。続いて、浜松中央図書館。昨日書いたとおり、「Dr.あじまのどーしました?」の調査であるが..雑誌は3年で捨てるとのこと。1992年のモノマガジンは、最早ない。以前、「Dr.あじまのどーしました?」のコピーを取ったのは、確か浜松中央図書館だったはずで、つまりそれは1995年以前だったということか..もう少し最近だったような気がするが、まぁいいや。なんにせよ、ここには既に無い。国会図書館に行くしかないか。年内に調べようとすると、もう、12/24に有休を取って行くしかないが..そこまですることもないか。どのみち暇な日なんだが。[;^J^]
「吾妻ひでおの不自由帖」のデータを、「吾妻ひでお 著作リスト」に組み込むべく、作業を開始するが、これが大変な手間である。「単行本未収録作品」のファイルから「単行本 ア行」のファイルに切り貼りすればいいだけじゃねぇか、と思った人がいるとしたら、甘い。タイトル・サブタイトルが変更された作品が少なくないので、コメントの書き換えと追加が、大量に発生したのである。また、「発表年代順全作品リスト(簡易フォーマット版)」の、各作品のエントリには、収録単行本として「吾妻ひでおの不自由帖」を追加しなければならず、「発表年代順全作品リスト(詳細版)」の各作品のエントリには、タイトルが変更されて収録された場合、その情報を追記しなければならないのである。また、今回、新たに収録された(従来、未収録であった)作品も、いくつもある。多数のファイルを(関連付けさせつつ)大量に書き換えなければならないので、不注意な作業をすれば、切り貼り時の編集のミスで、1行や2行(1作品や2作品)、簡単にロストしてしまう。
RCS、diff等を存分に使い、慎重に作業を進め、なんとか16時までに作業を終える。(追加コメント等も含む)新規データに、タイプミスの可能性が無いとは言わないが、少なくとも、編集ミスによる情報の欠落は、いっさい発生しなかった、と断言出来る。テキストベース(DOSベース)の作業ツールが完備しており、私はそれらを使いこなしているからである。
16時になってしまったので、完成したリストと(手元に確保してある)各作品の初出誌・コピー・切り抜きとの最終照合チェックは、明日に回す。
16時までに終わらせる必要があったのは、まだ観ていないレンタルビデオの、返却期限が今日だからだ。“レンタルビデオで観る「こんなメジャー映画をまだ観ていなかったのか」シリーズ”、「渚にて」である。
例のカーテンのシーンだけは、(何故か)記憶にあったのだが..しかし、遙かな昔に原作を読んだ時にも思ったのだが、人類が、こんなにも静かに美しく滅びて行けるものだろうか。誰ひとり、自暴自棄にならず..(あ、レースしている科学者は、それに近いかも。[;^.^])
最後には無人となったクラブで、もはや額縁の傾きも直さず、自分自身の為に葡萄酒を注いで飲み、自らキューを突く執事が、印象深い。提督が秘書に、「どうして恋人とデートしないんだい?」などと聞くが、昔は良かった。今では、こんなことを言った瞬間に「セクハラ」である。左遷である。告訴である。(某現職知事のことは念頭に置いていないので、誤解無きよう。告発内容が事実であるならば、論外である。)
「人類よ、(核戦争による滅亡を回避するための)時間は、まだある!」、というメッセージがナマに打ち出されるラストシーンは、映画全体の品格の高さ(というより“詩情”)から、いささか浮いており、“不粋”であると感じたが..この映画の公開当時(1959)には、(偶発)核戦争の恐怖とリアリティは、現在とは比較にならないほど大きかったのだ。
目次へ戻る11時頃までかかって、「吾妻ひでお 著作リスト」に追加したところの、「“吾妻ひでおの不自由帖”のデータ」の、照合チェックを終わらせる。
行きつけのガソリンスタンドの、無料洗車券の有効期限が明日までだったので、洗ってもらいに行く。ここで洗車してもらうのは初めてである..というか..そもそも..1985年の春に、最初の車を買って以来、ガソリンスタンドで洗車してもらったことって、ただの一度も無かったんじゃないか..?
..どころか。
..そもそも、ただの一度でも..自分で車を洗ったことって、あったっけ..?
..それはともかく。[;^.^]
げろげろ、左後ろのタイヤに針金が刺さっているって [/_;]。脇から刺さっているので、修繕できない。今すぐ空気が抜けることは無いにせよ、早急にタイヤを買い換えないと。年末って、本当に物いりだなぁ..ま、確かにひびも随分入っているし、そろそろ換え時ではあったか。
ROM(Read Only Member)どころか、完全なDOM(Download Only Member)になっている、ニフのFTOSHIBAのリブレット関係会議室だが、珍しく拾い読みをしていたら、気になる情報が。USBカード(PCカード経由のUSBインターフェイス)の件である。
ちょっと、背景説明をする。
以前、リブ100用の「ポートリプリケーター」(まぁ、大がかりなI/Oアダプタみたいなものである)を、探していたことは書いたっけ? これは既に生産完了品で、結局、手に入らなかった。リブ100に標準添付されているI/Oアダプタ(シリアル、パラレル、外部ディスプレイなどの端子が出ている)とどこが違うかというと、一番大きいのは、USB端子が付いていることである。つまり、リブ100では、ポートリプリケーターを接続しないと、USBが使えないのだ。
リブ100を買った時(98年4月)には、このことは問題にしなかったし、ポートリプリケーターを買う必要も感じなかった。当時は、USB接続の周辺機器など、ほとんど無かったからである。(ポートリプリケーターが、実に不細工で大きなものである、というのも、購入意欲が全くわかなかった原因であった。)
今でも実は、あまり必要を感じてはいないのだが..たまに、USB機器を接続したくなることがあるのだ。そして今後は、こういう機会はどんどん増えてくるだろう..
しかし、リブ100ではポートリプリケーターを接続しないとUSBが使えないし、これは既に生産完了。これに加えて、確か去年、やはりFTOSHIBAの会議室で、「USB I/Fは、原理的にPCカードでは実現不可能」という発言を読んだ記憶があるのである。(それが正しいかどうかを判断できる知識は、無かった。)以上より、「け、いいわい、いいわい、USBなんか、使わんわぃ!」(正しくは、「使わない」ではなく「使えない」)、と、いじけていたのである。(以上、背景説明、終わり。)
さて、気になる情報と言うのは..リブ100で使えるUSBカード(PCカード)の件である。実働している。なんだ、(ぶっ細工で、大きくて、しかも生産完了のポートリプリケーターを入手しなくても)USBが使えるのか。但し..Win98。(私の環境は、まだWin95なのである。)ふぅん。おっと、続報。95でも使えるというカードの情報が。ふぅん..
現金なもので、急に、USB機器に対する興味がわいてきた。但し、飛びつくことはしないし、その必要もない。USBは、まだまだ出始めの規格である。相性問題がやたらとある。リブ100+それらのカード、という組み合わせが、どの程度世間的に通用するものであるか、全く判らない。しかし先の楽しみは増えた。
おやまぁ、エヴァ(貞本義行版)の第5巻が、今ごろ発売されてるぞ。仕方が無いので、買う。[;^.^](ふつぅ、そ〜でしょ。[;^.^])いや、私は好きですよ、このバージョンも。
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