*1999年08月02日:アフターオフ
*1999年08月03日:「学者とは..
*1999年08月04日:古書カタログ
*1999年08月05日:「人形地獄」
*1999年08月06日:携帯が奪うもの
*1999年08月07日:プライドについて
*1999年08月08日:ダリ展
*目次へ戻る *先週へ *次週へ


*1999年08月02日:アフターオフ


 ときわホテルを9時前に発ち、東京駅・銀の鈴へ。夏オフ参加者によるアフターオフである。シンセ等の大荷物をコインロッカーに入れ、朝食(うどん)を食べて、待ち合わせ時刻の10時を待つ。

 参加者は、私を含めて計5人。どこに行くかなどの事前の予定も打ち合わせも(考えも)、なぁんもなし [;^J^]。その場の雰囲気と勢いで、新宿へ。

 南口付近でお茶しながら、計画を練る。とにかく月曜日というのは、最悪なのである。美術展の類が(休館日で)ほぼ全滅。すぐ近くの三越で開催されている「ダリ展」はオープンしているが、参加者のひとりのNさんが既に観ているので、いちおう外す。せっかく新宿に来たのだから、いまさら渋谷や池袋に移動せず、この日をこの街で消化したい..とすれば..

 ..都庁のビルに登ろう!

 多分、こんな機会でもなければ、一生、あのビルの展望台には登るまい。実に的確で論理的な結論である。

 無論、徒歩。途中でキンコーズ新宿南口店に(見学のために)寄る。

 「キンコーズ」とは、コピーショップのチェーン店。諸般の事情で名前だけは以前から知っていたのだが、実際に立ち寄るのは、私は今回が初めてであった。

 吃驚仰天してしまった!(体面を守るため、平然とした表情をしていたが。)こんなに綺麗で立派な店(というよりオフィス)だったのか! パンフを読むと、全世界で900店舗以上とか。頭の中で組み立てていたイメージが、轟音と共に崩壊した。

 「ガラスの引き戸の掘っ建て小屋の中に、旧式のコピー機が2〜3台と、木製の机がひとつ」。これが、「キンコーズ」に対して抱いていた私のイメージである。(ボロい“掘っ建て小屋”の“チェーン店”に、どうして、都内だけでも数ヶ所以上の支店を持つだけの資本があるんだ?という疑問は、確かに感じていたが。)省みれば、この“イメージ”は、15〜6年前、私がまだ在学中だった時分の東京理科大学理工学部の敷地内のコピー小屋の記憶、そのものである。この事例は、人間の想像力の限界の本質を、示している。

 (備忘として記す:デジカメ(スマートメディア)プリントアウト装置のプリント速度は、1枚平均1分58秒。但し、11cm×8.5cm、解像度(画素数)失念。印刷品質良好。)

 どこか怪しげなパソコンショップ(Mac系)に寄ってから、都庁へ。なんと、展望台も休業日であった。(こういう情報は、ぴあ(東京Walkerだったかも)には、載っていない。少なくとも誰も気が付かなかった。)仕方がないので、初台へ向かう。(その前に、都庁1Fロビーの一角で上映されている、東京都の統計情報紹介映画を、しばらく見物していく。これは実にわかりやすい。CGの使い方も的確で、良くできている。わざわざ見に行くほどのものではないが。)

 初台。つまり、東京オペラシティ見物である。(都庁ビルに登れなかったので、近場で高そうなビルを探した、というのが真相。)ここも私は初めて。50何階だか忘れたが、とにかく最上階までの高速エレベーターは、さすがに速い。私は鼓膜が弱く、僅かな高低差ですぐに耳がおかしくなってしまう。(会社から帰宅する際、車で坂道(257号線)を登るのだが、これだけのことで、もう耳がおかしくなってしまう始末。)そのため、エレベーターに乗ると、すぐに唾を飲み込む癖がついているのだが、なんと、気圧の急激な変化のせいか、唾を飲み込めない [X.X]。

 展望台ではないが、高いところの窓から都庁方向を見物。地下に下りて、イタめし。パスタがうまい。

 食後、同じく地下にある「手塚治虫ワールド・エンターテインメントスクエア」をひやかす。要はグッズ(を中心に、書籍やビデオ等も)のショップである。全然期待していなかったのだが、案外面白い。

 ブラック・ジャックのデザインの財布を買う。「お金が儲かって縁起がいい [^J^]」というつもりだったのだが、後になって、間違いに気が付いた。正しくは、「稼いでも稼いでも、掘っ建て小屋」。

 東京駅で流れ解散。Nさんと秋葉へ寄り、チチブ電気と若松通商。Nさんとも別れてから、石丸でシベリウス1枚。17:10のこだまで浜松へ。

*目次へ戻る


*1999年08月03日:「学者とは..


 ..専門分野の洋書を、月に3万円以上買う人のことである。(但し国文学者を除く。)」

 これは、筒井康隆の言葉である。出典失念。「みだれ撃ち涜書ノート」だったかも知れないが、いずれにせよ、15年以上前の文章であることは間違いない。(さすれば、「3万円」は「5万円」くらいに読み替えるべきか。)

 もちろん、そのこころは、「学者たるもの、インプットに金を惜しんでいるようでは失格」、「(楽に読める)日本語に翻訳されるのを待っているようでは論外」、ということである。(月に3万円以上買えば学者である、と言っているのではない。為念。)

 サラリーマン、自営業、その他の職業についても、言えることであろう。それが「洋書」や「3万円」とは限るまいが、自分が(自分に)どういうインプット・投資をしているか..(どこで間違えたか、朝礼風のまとめになってしまった。すまん。)

*目次へ戻る


*1999年08月04日:古書カタログ


 そういうシーズンなのか、各古書店からカタログ類が送られてくる。この2週間で、10冊近い。「少年」誌、「少年パンチ」誌、サンワイドコミックスなどの探求本を、何冊か発見する。問題は、くじ運だ。

*目次へ戻る


*1999年08月05日:「人形地獄」


 「人形地獄」(ムロタニ・ツネ象、サンコミックス)が、D書店から届いた。

 この本は、先週末(夏オフに出発する直前)にS堂から届いたカタログに、1万5千円で掲載されていた。確かに探していた本ではあったが、1万5千円では高すぎる。そこで(逆上して [;^J^])直ちにBizseekの「探求本」に、「希望価格:5千円以下」で登録したのである。

 すると翌日直ちに、D書店から「5千円で売るよん」というオファーが帰ってきた、という次第。(夏オフ初日の晩に、ホテルでメールをゲットした。)反応が良すぎる。もしかして店頭に、もっとやすぅく出していたものかも知れない。3千円でも十分買えたのかも。S堂の「1万5千円」に惑わされたか [;^J^]。まぁ、しゃあない。資本主義的駆け引きだ。

 「人形地獄」は、表題作を含めて4本の短編を収録している。私はそれらを全て、1970年頃に雑誌で読んでいる。初出誌は恐らく「ぼくらマガジン」だったと思う。

 特に、「人形地獄」。数年前に、SFマガジンのコラムで唐沢俊一も取り上げていたと思うが、この一種異様な「洗練された」エログロ趣味は、こんにちのマンガ雑誌には求め得ないものではなかろうか。(それは、こんにちのマンガの表現の「どぎつさ」や「あられもなさ」とは、全く次元を異にするものなのである。)私は少年の日の(性的)興奮を、再体験したかったのだ。そしてそれは、叶えられた。

 もう1冊。3軒茶屋の2階のマンガ屋のウェブページで見つけて、うっかり注文してしまった「ななこSOS」の「ぬりえ絵本」も、届いた。500円。さて、これをどうしたものか [;^J^]。

*目次へ戻る


*1999年08月06日:携帯が奪うもの


 最近読んだ4コマ漫画なので、多分、いしいひさいちだと思うが..(例によって、内容に関する記憶の混乱は、大目に見ていただくとして、)離れ小島かどこかで、本土との連絡船の便がとぎれたか何かで、とにかく帰れなくなってしまったのである。おとなたちが慌てふためき、SOSを発信できないので、狼煙(ノロシ)をあげようとしたりしているそばで、子どもたち(小学生)は、携帯で自宅に電話。近頃のガキは可愛くねぇっ、という、まずまずのオチ。

 ま、この場合は、そこは「孤島」ではないし、本来「遭難」する予定もなかったのだから、いいとして..

 ..もしも「孤島」に「探検」に行くんだったら..絶対に、携帯なんか持っていくんじゃねえ!!..と、私は叫びたい [;^J^]。

 以前から何度か書いていると思うが、携帯電話やインターネット端末は、距離感をぐちゃぐちゃにしてしまう。「旅」において何よりも大切な「Sense of Distance」を、スポイルしてしまう。無論、「安全」を取るなら「ひも付き(携帯付き)」旅行に如かず。こればかりは、自己責任で判断していただく他ないが。

 (「どうせ孤島は“圏外”だよ」、と、つぶやいた人は、あとで体育館の裏に来なさい。)

*目次へ戻る


*1999年08月07日:プライドについて


 掲示板でもMLでもニュースグループでも会議室でも、どこでもいいが、議論が荒れると、必ず「茶々」が入る。それはそれでいい。(必ずしも「邪魔」とは限らず、ケースバイケースなので、「良い」とも「悪い」とも言えない。)

 不思議なのは、それらの「茶々」のうち、「一定の割合(しかも、かなりの高率)」で、「わざわざ下卑た書き方をしている」ものが、含まれていることである。どうかすると「幇間(たいこもち)」の言葉遣いで書かれていることすら、ある。これは一体、なんなんだ?

 「クール」だと思っているんだろうか? 「馬鹿」にしか見えないのだが。

 そして、こういう下卑た文章の場合、文頭 and|or 文末で(これは100%に近い確率で)「野次馬として発言させていただきますが」、「茶々にしかならないかも知れませんが」、などの定型句で、逃げを打っている。「取るに足りない私の文章(と私自身)を、どうか攻撃されませんように..」という、おまじないだ。言われんでも、捨て置くわい。

 本当に、不思議だ。

 どんな人間にでも、プライド(自尊心)はある、と思っていたのだが..自分(に対する評価)を低めていることに、気が付かないのかな。そんなものは、意に介さないのかな。

 無論、放置である。私には、彼らの人格と人生を救う義理は、無い。

*目次へ戻る


*1999年08月08日:ダリ展


 今日は地区の「資源回収」の日。色々あって、ここ数ヶ月間、出し損なっていたのだ。数ヶ月分の新聞紙と(ビール等の)アルミ缶を、集積所まで車で運ぶ。(備忘:アルミ缶を潰す道具が無い場合、踏みつぶすよりも手で「折り曲げる」方が、効率が良い。)

 9時過ぎのこだまで上京。まず、新宿三越で「ダリ展」。

 ..改めて、「色彩」の鮮やかさに感嘆。どの本で読んだのか忘れたが、「ダリは、人間の色彩感覚に対して、絶対的な信頼を置いているのではないか」、と、書いている人がいた。どういうことかというと..例の、「私が“赤”だと思っているこの色彩は、他の人にも、私が思っているところの“赤”に見えているのだろうか? もしかすると、私が“青”と認識している色に見えていて、それを「赤」という言葉で呼んでいるのではないだろうか?」、という、誰もが一度は「はまる」疑問。ダリは、こんなことは全く、考えてもいないのではないだろうか? という論である。

 例え話的な表現ではあるが、わかりやすく面白いと思うのだが、如何?

 新宿まで来たのだから、と、中野まんだらけへ。収穫無し。4Fの古書店で、1冊。三軒茶屋か渋谷にでも足をのばそうかとも思ったが、ま、暑いし。

 ということで、これ以上の寄り道はせずに、早々に横浜に帰省。

*目次へ戻る *先週へ *次週へ


*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Aug 11 1999 
Copyright (C) 1999 倉田わたる Mail [KurataWataru@gmail.com] Home [http://www.kurata-wataru.com/]