1999年07月05日:「済」について 1999年07月06日:子どもの本を破壊してはいけない 1999年07月07日:「ブレードランナー」異聞 1999年07月08日:光瀬龍、死す。 1999年07月09日:「髑髏城」 1999年07月10日:ROAD7に移行する 1999年07月11日:「妖神グルメ」目次へ戻る 先週へ 次週へ
部署で資料整理を行っている。長い期間にわたって、何度か担当が変わりつつ、結局まだ整理しきれていない(電子化できていない)書類等なのだが..
「済」というハンコが押されているものが、ある程度の量、ある。オッケー。これは処理済みなのだろう。ところで、誰が、どういう処理をしたんだい [;^J^]?
別の種類の「済」マークが押されている資料もある。「受領」だったりすることもある。日付があったりなかったり。概して、処理者の記名は無い。「済」マークの押された資料は一式、データベースに入力済み、というのなら、そのデータベースを引き継げばいいのだが、そのデータベースの内容と「済」マーク資料群が、イコールでない。
せっかくのマークも、これでは使えないのである。
中途半端なデータベースをメンテするのは、かえって遺漏の危険がある。現在のデータベースは参考資料にとどめることにして、各資料に押された「済」「受領」等のマークも全て無視して、最初からデータベースを作り直した。
従来のマークは(それはそれで何か重要な情報を維持しているかも知れないので)そのまま消さずにおいておいて、私が処理してデータベースに入力済み、という意味で「倉田:1999/07/05」というマークを貼ることにした。これで少なくとも、後にその資料を見た人が、処理者と処理日までは追跡できる。(無論、その「氏名:年月日」マークが何を意味しているのか、というドキュメントを、誰もがアクセスできるところに用意しておかなければ、同じことである。)
目次へ戻る私は、本を大切にする家庭に育った。置き場所のない書籍を古本屋などに処分することはあったし、古紙回収に出したこともあったと思うが、両親は、書籍を屑籠に捨てるようなことはしなかった。
ただ一度だけ、本が「破壊」されたのを、目の当たりにしたことがある。
小学生の時のことである。私は宿題もせずに、「ぼくら」か「少年」の付録の「怪人/妖怪事典」か何か、30ページくらいの小冊子を読みふけっていた。
母は怒った。
そして、私からその小冊子を取り上げると、目の前で引き裂いたのである。
この時のショックは、30年たった今でも、忘れられない。本が裂ける音が、いまだに耳の底に残っている。
これが、私のトラウマとなった。このとき以来、私は本を捨てられなくなった。
だから、(子どものいる読者も多いと思うが、)子どもの本を粗末にしてはいけない。子どもの本を捨ててはいけない。そのショックは生涯消えず、私のように、病的に書籍を大切にし、書籍に埋もれる生活(性格)破綻者に..(..どこで論理展開を間違えたかな。[;^J^])
目次へ戻るまた現れたよ、半可通。
ニフティのSF系フォーラムで、「ブレードランナー」の、例の「タンホイザー・ゲート」についての質問。「それはワーグナーの『タンホイザー』のことです。『タンホイザー』には、巨大な門が出てきます」。出てこないんだよ。
「『タンホイザー』の、巨大な門」という、完全に誤った(しかし、いかにもそれらしい)「説明」は、数年前にfjニュースグループで読んだと記憶する。多分、発言者は異なるだろう。(その時にも、すぐに別の人から「『タンホイザー』には、『門』なんか出てこないよ」、と、フォローされているのだから。)どうして、こういう風説が流布するのかな..(「巨大な門」を舞台装置とする演出は、存在する(存在した)。しかしそれは、「ブレードランナー」以後のことである。また、これら半可通な方々が、「タンホイザー」の「新演出」の舞台写真を見ているとは、思えないのである。)
..と、舌打ちしながらフォローの書き込みの用意をしていたのだが、驚いたのは、別の人のフォロー。ヴァーグナー云々については触れず、それよりも、このロイ・バティの最後の言葉の、元ネタらしきものを見つけた、というのである。
従来、私が理解していたところによると、(「メイキング・オブ・ブレードランナー」(Paul M.Sammon、品川四郎訳、ソニー・マガジンズ)の214頁によると、)前半の「人間には信じられないようなものを」から「暗闇に輝くCビーム(日本語字幕では「オーロラ」)」までが、脚本家(デイヴィッド・ピープルズ)の創作で、後半の「思い出もやがて消える」から「死ぬ時が来た」までが、ロイ・バティ役のルトガー・ハウアーの即興によるものである。同書の記述からは、そう読める。
ところが、FSF3フォーラムの7番会議室の1354番で「ROCKY 江藤」氏が紹介されたところによると、「スプートニク」(スプートニク協会+ジョアン・フォンクベルタ著、菅啓次郎訳、筑摩書房)に、これとほぼ全く同じセリフがあるのである。(以下、上記書き込み経由で、同書の139ページから引用)
「とてもあんたたちに信じてもらえないようなものを見たのだ。
オリオン座よりもむこうで、炎に包まれた船団を攻撃する。
タンホイザー門の近くの暗がりで、D交戦が眩く輝くのを、おれは見た。
こうしたすべての瞬間は、雨に涙が流されるように、時の中に失われてゆく。
もう死ぬときがやってきた」
1967年に軌道上で行方不明になり、存在を抹殺されたソ連の幻の宇宙飛行士を扱った本である。「BOOK WEB」の検索結果から惹句を引用すると、
帰還なき宇宙旅行。米ソ宇宙開発戦争の最中、一人の飛行士と一匹の犬が、宇宙の暗闇へと密かに葬り去られた。ロシア政府の周到な隠蔽工作により歴史から抹消された恐るべき事件とは?動かし得ぬ証拠と共にその全貌に迫る、戦慄の超ノンフィクション。
上記のセリフは、彼が宇宙で見た夢の描写である。
彼が宇宙に姿を消したのは、「ブレードランナー」よりも遙かに以前であるが、「スプートニク」の原著の発行が、それより前か後かは、BOOK WEBでは判らなかった。仮に後だったとしても、この宇宙飛行士の交信記録そのものを引用しているのであれば、それは1967年のことである..
たれぱんだの絵本を書店で見つけて、買ってしまう。「1300円もするの〜? [/_;]」と、半べそをかきながら、しかし一瞬も迷わずに。
「だいだれぼっち」と「渡りたれぱんだ」は、知らなかった。勉強になった。
目次へ戻る感慨無量である..(..なんと、氏を送るに相応しい想いであろうか..)
目次へ戻る積読の山の底から「髑髏城」(ディクスン・カー)を発見。一読する。
うんうん、やはり、秘密の通路と隠し部屋がない古城なんて、クリープを入れないコーヒーみたいなもんだよねー。(意図的に“古い”形容をしております。)
思い出すのは、遙かな昔にみた、TV映画。タイトルも何も全然憶えていないが、確か(主人公が相続した?)古城を探検していて、隠し部屋を発見したのである。隠し部屋といっても地下室ではなく、(外からは見つけにくい)大きな窓もあり、陽光も差し込んでいるのである。そしてその部屋を埋め尽くしていたのは..古書、古文書の山..(探検好きな読書少年の、究極の夢である。)
目次へ戻るROAD5で、なんの不満も無かったのだが、ニフが今秋にこれを廃止するというのだから、仕方が無い。ROAD7用のログインマクロなど整備して、試運転する。(ニフ経由でインターネットする予定は無いので、ハイパーロードに用は無い。)
悪くない。
昔、ROAD7を使ってみたときには、ニフからbyeしてもなかなか電話が切れないなど、非常に印象が悪かったのだが、これなら実用になる。さて、テレホーダイの番号を切り替えないと..
目次へ戻る積読の山の底から「妖神グルメ」(菊池秀行)を発見。一読する。
あまりの面白さに、ぶっ飛んでしまった。
ご存じ無い方も多いだろうから説明すると、これはいわゆる「和製クトゥルー神話」である。そして、クトゥルーやヨグ・ソトトに対抗するのが、天才料理人の「イカモノ料理」なのである..
..絶対、まともな小説のわけがない。あなたもそう思うでしょ? [;^J^] ところがどっこい。素晴らしい「スピード感」と「重量感」と「軽やかさ」。原子力空母カール・ビンソンと「ダゴン」の戦闘シーンの迫力たるや、物凄いものである。
これ、映画化に最適なんだけどなぁ..というか、アメリカで(英語で)発表されていたら、たちまち映画化されたのではあるまいか。B級C級映画にされてしまった可能性も、低くはないが。[;^J^] こういうネタに、ぱっと飛びつけない日本映画界の、だらしなさ。
もっとも、アメリカ人に作らせても、結局駄目だろう、という想いもある。クトゥルー神話を題材とするアメリカ映画はいくつもあるのだろうし、それらのことごとくを観ていないのだから、迂闊なことは言えないのだが..
..「“神”としての“怪獣”」という概念が、「ハリウッド」には、理解できないのではあるまいか?(「アメリカ人」には理解できない、とまで言い切る自信は無い。ラヴクラフトはアメリカ人であるのだし。)日本の「怪獣映画」のテイストが、絶対に必要だと思うのだ。(米海軍の協力は、必要だが。)とはいえ、最大のSFXシーンは、「調理シーン」ではあろう。[^J^]
目次へ戻る 先週へ 次週へLast Updated: Jul 14 1999
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