*1999年06月28日:「こうもり」のパート譜
*1999年06月29日:気配りについて
*1999年06月30日:誇りについて
*1999年07月01日:蚊の武士道を問う
*1999年07月02日:「黒魔術の手帖」
*1999年07月03日:「ローランの歌」
*1999年07月04日:ハープパートについて
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*1999年06月28日:「こうもり」のパート譜


 広島のMさんから、「こうもり」のパート譜一式が届いた。かなりの重量である。

 既にメールで知らされていたことではあるが..書き込みが凄い [;^J^]。それも、奏法や表現の書き込みばかりでなく、「delete」や「go to」が多いのだ。「ここからここまで、カーット!」「ここまでジャーンプッ!」。

 あちこちカットして上演するのが通例である、オペレッタならではのことなのであろうが..代々このパート譜を受け継ぎ、このパート譜で練習を重ねるオーケストラならともかく、夏オフで、このパート譜で「初見」「一発合わせ」で演奏することは、不可能に近いのではあるまいか。リハの時間は、いくらか取れるが、これは歌手との打ち合わせで、ほぼ使い切ってしまうはず。

 「修正(というか注意書き)」をするしかないように思える。借用したパート譜に書き込むわけにはいかないので、いったんコピーを取り、その上に蛍光ペンか何か、とにかく目立つ色で、「この書き込みは“無し!”」「この書き込みは“イキ!”」等など、「メタ」な注記をする..

 この作業は、パート譜の調達責任者である私がやるべきではないか、と、(いったんは)考えたが、よく考えれば、実際に棒を振る指揮者でなければ出来ないことである。パート譜に書き込まれているとおりにカットすべきか、その書き込みは無視してカットせずに演奏すべきか、は、書き込みの「読みやすさ」も勘案して、慎重に決定しなければならない事柄である。私には出来ない。

 ということで、パート譜一式、「こうもり」の指揮者として選定したC氏に送ることにした。

 このパート譜のセットには、声楽(独唱、合唱)の譜面が含まれていなかった。一瞬、(かなり)慌てたが、落ち着いてヤマハ銀座店に電話して、解決。ボーカルスコア(ピアノ伴奏譜)は、国内版も輸入版もあり、国内版は回転が早く、注文すればすぐに入荷する由。声楽陣には、適当な版を買ってもらうことにする。(版による内容の異同は、大いにありうる。どこかのタイミングで、照合チェックをかける必要があるかも知れない。夏オフまでに、解決しておかなければならない問題である。)

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*1999年06月29日:気配りについて


 ネットスケープは、(IEでも同じかと思うが、)閉じる前に最後に観ていたページを、次に起動した時に、最初に開く。便利である。

 なんらかの事情で、あるページを(ネスケごと)慌ただしく閉じるのは、良い。(休憩時間にどんなページを観ていようが、構うまい。)しかし、そのことを忘れてしまうのは、良い考えではない。

 仮に忘れてしまったとしても、衆人環視の中、(あるいは上司と共に、あるいは女子社員(複数)の前で、)ネスケを再起動する前に、思い出すべきである。

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*1999年06月30日:誇りについて


 ネット上の議論において、「死に体」となった側(大抵の場合、一個人)が、ほとんど例外無しに取る行動様式がある。それはもう、見事なまでに共通しているのである。

 偽悪ぶる。精一杯の皮肉を言う。詭弁を弄し始める..つまりは、「毒をまき散らして」「皆を辟易させる」作戦なのである。それによって(「場を荒らす」ことによって)、自分の「負け」を、うやむやにしてしまおう、というわけだ。

 私は構わん。見せ物として面白いからだ。しかし、(死(に)体となって、毒ガス(腐敗臭)をまき散らしている)あなたのために、一言だけ忠告しておきたい。

 あなたは、自分の文章を、自分の子どもに読ませることができるか?

 自分の家族に、恋人や友人に、読ませることができるか?

 それは、自分の歴史のひとこまとして、誇りを持って語れる文章か?

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*1999年07月01日:蚊の武士道を問う


 車を運転している最中に、蚊に襲われる。こういう成り行き(巡り合わせ)になったこと自体は、仕方がない。

 しかし..しかし..信号待ちしている間は、どこかに隠れてしまい、いざ動き出して、高速走行に移ってから、おもむろに腕や脚を襲い始めるなんて..

 ..こ、こ、こんな卑怯な話があるか! [/_;] 正々堂々と勝負せんかいっ!! [/_;]

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*1999年07月02日:「黒魔術の手帖」


 数日前に届いていた、某共同古書目録に、澁澤龍彦の「黒魔術の手帖」が2点掲載されていたのを発見したのは、昨夜(深夜)のことであった。A店では初版が1万円、B店では四版が3500円。しくった。出遅れた。自宅にはFAXが無いので、朝まで発注出来ない。(両店とも、メールアドレスが掲載されておらず、メールで注文を放り込めない。)

 朝いちで会社のFAXから発注。(私用通信である。これはここだけの話だ。[;^J^])

 昼休みに電話をして、当落を確認。当選である [^O^]。(ちなみに、初版のA店に発注したのであった。当然のことである。)

 私は、決して澁澤龍彦のコレクターではない。基本的に、その必要が無い。全集も翻訳全集も購入して通読しているので、彼の書いたほとんど全テキストを読んで所有しているわけなのだから。

 しかし、どうしてもオリジナルを所有しておきたい、という書物もある。全集では「図版」がしばしば大幅にカットされている、という事情もある。(例えば「幻想の画廊から」は、「美術出版社」版と「青土社」版を、それぞれ入手している。)

 「黒魔術の手帖」は、どうしてもオリジナルを購入しなければならない、決定的な書物のひとつであったのだ。これで積年の課題が、ひとつ片づいた。

 ちなみに、私が「澁澤龍彦」のコレクターになりたくない理由は..「澁澤龍彦」というのは、「古書オタク」のターゲットとして、(ほとんどこれ以上は考えられないほど)最上のものらしいからである。

 まず、「著作数が多い」。次に、「べらぼうに多すぎる訳ではない」(全てを集めることが、物理的空間的金銭的に不可能ではない)。さらに、「装丁の美しい書物が多い」(「黒魔術の手帖」も、その例である)。加えて、「入手困難な稀覯本も、いくつもある」(探索意欲をかき立てる)。そして最後になによりも、「内容が面白い」。

 これらの理由から、澁澤龍彦コレクターが全国に何人いるか、ちょっと見当がつかないほどであるらしい。

 そのような群像に身を投じることを良しとしない美学は、ご理解いただけることと思う。

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*1999年07月03日:「ローランの歌」


 「シャルルマーニュ大帝の12人の騎士の名前を調べて欲しい」という、上司からの指示。(勘のいい人には、理由が察せられたかと思うが、ここでは説明しない。)すぐに判りますよ、と、まずはリブ100に常駐している平凡社の世界大百科で検索するが..わからない。じゃあ、と、インターネットで検索をかけるが..これでも出てこない。12人のうちのひとりが「ローラン」であることは判っているので、「シャルルマーニュ AND ローラン」で検索すると..ワインのウェブページばかり出てくる。[;^J^]

 ..ここまでが、昨日のあらすじ。

 大見得を切った以上、わかりませんでした、という報告は、あり得ない。図書館へ。

 シャルルマーニュを人名辞典の類から追っていっても、「12」という数字すら、出てこない。考えてみれば「シャルルマーニュ大帝の12人の騎士」というのは、ほとんど伝説上の存在なのであって、つまり「真田十勇士」と同じレベルなのだから、この(正史からの)アプローチは、そもそも外していたのであった。文学から攻めなくては。

 じゃあ、これしかないでしょ、と、文学全集の書架から「ローランの歌」をピックアップして、23年ぶりに再読。(拾い読み/飛ばし読みする予定だったのだが、あまりに面白いので、結局、全部読んでしまった。)いるいる。ローラン、オリヴィエ、チュルパン大僧正..

 しかし、どうもおかしい。12人同定出来ない。「12人衆」という言葉は、あちこちに出てくるのだが、その度に列挙される騎士の名前の組み合わせが、毎回、微妙に異なるのである。そもそもほとんどの箇所では、「12人」言及されていない。時には10人、時には13人..

 読み方がよほどボケなのか、どこか読み落としているのか、あるいは(大量の)脚注のどこかでフォローされているか、と、なんども頁を繰り直すが、どうしてもわからない。そこで(フランス文学の)書架を再度スキャン。

 「ローランの歌と平家物語」という書名が、琴線にヒット。この中から見事に、「ローランの歌では12人衆の名前は確定していない」という文章を、ゲットした。さらに、「12人衆は、架空の存在である」「12人衆は、ローランの歌にしか現れない」という言質も取った。つまり、私の行った調査は、これで必要十分であるということだ。

 上司に、この書籍を「証拠書類」として提出すべく、借り出した。

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*1999年07月04日:ハープパートについて


 「ダフニスとクロエ 第2組曲」のスコア(総譜)を、ヤマハで購入。夏オフのオケ枠で、正式に選曲されたのである。

 推薦したのは私であるが..わはは、これは参った [;^O^]。ハープ2台、チェレスタ1台が同時に演奏する箇所が(数ヶ所)ある。

 これはどうしても、MIDI鍵盤が3台必要である。(シンセは、私のXP−50だけでいい。これの音源に3パート分演奏させて、鍵盤は、XP−50自身のものと、外部の2台のMIDI鍵盤を使う。)まぁ、これの手配はなんとかなると思うが..問題は、鍵盤奏者数が足りるかどうかだわなぁ [;^J^]。

 帰宅してから、ハープパートの練習。誤解しないでいただきたい。私は「ダフクロ」のハープパートは弾かない(到底、弾けない)。そうではなくて、夏オフ後、秋に開催される「さまよえるオランダ人」オフの、ハープパートの練習なのである。こちらは(相対的に)遙かに優しいのだが..

 ..あ、あ、あ、暗譜できないっ! 高々数十小節なのにっ! どうなったんだ、私の記憶メカニズム! もう、これまでなのか? あとはこのまま、死ぬまで(加速度付きで)転げ落ち続けるだけなのかっ!?

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Jul 7 1999 
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