*1999年05月17日:「着メロ」について
*1999年05月18日:携帯しない理由
*1999年05月19日:白昼の幻視
*1999年05月20日:スキャナー修理状況確認
*1999年05月21日:少年朝日年鑑について
*1999年05月22日:ASTIオフ@J2
*1999年05月23日:いわゆる午前様
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*1999年05月17日:「着メロ」について


 携帯の「着メロ」というやつは、一般に実に不細工である。超安い(お手軽な)発音回路による、目一杯安っぽい音質と、まずは最低ランクとしか言いようがない(使用者の)音楽センスの相乗効果で、(本人はどうだか知らないが)周囲の人間としては、聞き苦しいことこの上ない(..これで、読者のうちの500人くらいは、敵に回したであろうか。[;^J^])。どんな名曲も名メロディーも、あんな音質と(徐々に強圧的にクレッシェンドしてくる)シチュエーションで聴かされては、台無しなのである。

 昨日も街を歩いていたら、後ろからいつもの着メロ..おや? 少し雰囲気が違う。

 「無調音楽」なのである。しかも音質と乖離しておらず、音楽的と言えるほどだ。

 ちょっと感心して振り返ったら..茶肌&高下駄&メロン髪&唇ピアスの、コギャルであった。[;^J^] 大っ嫌いな人種なのだが、この時ばかりは、たのもしく思ってしまったことである。

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*1999年05月18日:携帯しない理由


 昨日に続いて携帯の話。

 私はいまだに携帯もPHSも持っていない。いやもう、全く、いまだに持っていないのである。高校生の9割が持っている(らしい)いまどきに。なんと情けないことに。

 私だって、最先端の技術革新について行きたいと思っている。携帯がTV電話機能すら持ちつつある、この時代にあっては、当然のことだ。

 しかし、持てない。というか、買う理由が無いのである。使う機会が、月に一度くらいしか無いからだ。一日のほとんどの時間は会社か自宅におり、どちらにいてもインターネットに、則、接続している。街中でも、少し見回せばグレ電はある。しいて喫茶店の中で接続しなければならない、という理由が無い。(あ、私の場合、電話はデータ通信としての利用が98%以上で、音声機能には、ほとんど用が無い、ということを言い忘れていたかも知れない。[;^J^])

 この状況では、携帯やPHSを持っていても、本当に、月に一度くらいしか使わないと思う。となると、問題は、基本料金である。

 月に一度しか使わないにしては、高すぎる。とてもじゃないが払えない。有線の電話を解約して、携帯(またはPHS)だけにする、という選択肢もあるのだろうが、そこまで踏ん切りがつかない。携帯は遅いしPHSは使用場所が(比較的)限られる。

 私が望むのは、プロバイダで言うところの「完全従量制」のような料金体系である。基本料金は1000円以下とし、その代わりに通話料は、1分50円程度に、割高にする。これが私にはベストマッチなのである。

 こういう料金体系が用意されれば、すぐにでも買うのである。むざむざ、私というユーザーを逃がしているのだ。他にもこういう人は、大勢いるはずである。どうして「基本料金激安&通話料激高」というメニューを用意しないのか、本気で不思議だった。マーケティングリサーチをしていないんじゃないか?

 ..今日、突然、理由が判ってしまった。

 このサービスに飛びつくユーザーは、月に一度しか通話しないユーザーである。

 全く、銭にならんのである。

 最初っから、私は、相手にされていないのであった。

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*1999年05月19日:白昼の幻視


 疲れていたのだろう。面白い幻視が訪れた。

 ディスプレイをボワーッと眺めていたら..「字」と「背景」が逆転した。

 私のウェブページでは、字を白っぽく、背景を暗くしているが、その「字」の「白い色」が、「窓から差し込む陽光」に、「背景」の「暗い色」が、「窓の(アールヌーボー風?)鉄格子」になった。例の「杯」と「向かい合う顔」の「反転だまし絵」みたいなものだ。

 「文字」を見つめていると、やがてその「意味」が解体し、意味不明な「図形」にしか見えなくなってしまう、という経験は、多くの方がお持ちだと思う。(私は、しばしば「な」を認識できなくなる。)しかしここまで徹底的に「文字」の「意味」が「剥奪」されたのは、初めてのことである。

 なかなか気持ちよかった。仕事に飽きた、あなたにお薦め。(仕事中にウェブページを“視て”いたわけではない、と、フォローしておく。)

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*1999年05月20日:スキャナー修理状況確認


 スキャナーの再々々々(もはや回数を憶えていない)修理に、手間取っている。ノイズが出ている証拠のCD−Rもつけたから、症状は確認できて、私と問題点は共有できていると思うのだが..

 というわけで、キヤノンに確認電話。なんとまぁ、CD−Rに収めたサンプル画像の中のノイズの線は、CRTでは、ほとんど見えないそうである。全く見えないわけではなく、私が添付ドキュメントで、ここに線が見える、と指示した場所には、部屋を暗くしてCRTも選別するなどすれば、確かに線は見えるらしい。つまり、問題点の共有は出来ている。ただ、症状の現れ方の程度が、全然違うようなのだ。リブ100の液晶画面では、くっきり見えるのだが..

 しかし、考えようによっては、確かにデータ中に「ノイズ」は入ってしまったのだとしても、再生環境を工夫すれば、それが全く見えない状況もある、というわけだ。別に一生、リブ100(あるいは液晶)を使い続けるわけではない。私のねらいはあくまでも、画集の劣化の「時間を止める」ことである。

 担当者は、視認しにくい症状に悩まされながらも、(なんとかして、この微かな線を消そう、と)ベストを尽くしてくれている。今度返されてきたら、もう、それを受け入れることにしよう。

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*1999年05月21日:少年朝日年鑑について


 長年、目にしていないが、「少年朝日年鑑」は、今も刊行されているのだろうか。私が愛読していたのは、30年近くも昔のことなのだが。

 高度成長の末期だった当時、その内容は、まことに景気のいいものであった。「自動車」「アルミ」「鉄鋼」「家電品」等などの生産量や消費量について、「日本は世界で第二位」「第三位」といった統計結果やグラフが、ずらり、と並ぶのである。「第一位」というのは、ほとんど無かったと思う。大抵、「二位」か「三位」。「第一位」は無論、ほとんどの場合、米国であった。少年・倉田わたるは、これらの統計数字に鼓舞されて、まことに健全で前向きな、未来志向と上昇志向を育んでいたのである。(そしてこれらは、今なお消えていない。多分、一生、消えないだろう。三つ子の魂、百まで、とは、良く言った物である。)

 当時は別に異様とは思わなかったが、今になって振り返ってみると、おやおや、と思う記述も多かった。印象的だったのは、「パルプの消費量」についての説明である。


「パルプの消費量は、一国の文化のバロメーターと言われています。日本はまだまだです」..

 ..つまり、(国威発揚のためにも、)もっとじゃんじゃん、パルプを消費しましょう! と言っているのである。オイルショック以前とはいえ、全く、隔世の感がある。

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*1999年05月22日:ASTIオフ@J2


 いつもより一時間遅いひかりで上京。10時前に秋葉原に着き、(まだ大概の店は開いていないので)ちょっと散歩して時間をつぶしたあと、ヤマギワソフト館でCD−ROMを探すが、目当ての「シソーラス」では、これといったものが見つからないので、パス。(予め、サーチエンジンで「シソーラス&CD−ROM」で検索してみてはいたのだが、数百件ヒットしてしまって、絞り込みを放棄してしまっていたのだ。[;^J^])「角川」の「類義語辞典」のCD−ROM版があったので、これはいいかも、と思ったが、3万円もする。試しに買うには高すぎる。何か良いシソーラスをご存じの読者がいらっしゃったら、ご一報を。使用目的は、もちろん、文書書きの補助である。もう少し語彙を増やさないと..(というより、正確には、語彙を思い出せるようにしないと..)いや全く、情けない。[;^J^]

 「現代用語の基礎知識」の類もないかと探したが、ない。新しめの語彙は「平凡社世界大百科」「広辞苑」「大辞泉」あたりでは、どうにもならないのである。

 この辺は、書店で探す方が正解だったのかも知れないが..ヤマギワソフト館なら、ポイントカード使えるしさ。(金に目が眩んでいる状態。[;^.^])

 石丸電気でベルリオーズの3枚組を買い、神保町まで歩いて、「KAWADE夢ムック 手塚治虫」「西遊妖猿伝 第10巻」(諸星大二郎)「遠くへ行きたい 第3巻」(とり・みき)などを捕獲してから、田園都市線で二子新地へ。

 多摩川の河原で、fjのJ2オフ(ジンギスカンパーティー)である。これに間借りする形で、サブセットとして、ASTI(吾妻ひでお追跡委員会)のオフが行われるのである。

 前回は雨もよいだったが、今日は薄曇りの良い季候。集まったのは6人。(J2全体では、100人弱?)ビールとワインと酒に酔い、薫製や鶏の酒蒸しなど、さまざまな料理に舌鼓を打ち、馬鹿話やその他の話に花を咲かせる。記憶が定かでないが、麻雀もしたような気がする。(河川敷で。)

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*1999年05月23日:いわゆる午前様


 昨夜は、21時半頃の最終新幹線には結局間に合わず、23時40分のムーンライトながら。新幹線に間に合う時刻に、多摩川河川敷を辞去したはずなのだが、二子新地から東京駅まで、難しい経路を辿ったのであろうか? ポケットには、不思議なチケット(二子新地から二子多摩川経由で等々力までの回数券が、10枚以上)が残っているし..まぁ、いいや。[;^J^] ながらには無事に乗れたんだし。

 浜松着は3時30分。日曜日早朝なので、やっているはず、と、あたりをつけて有楽街へ。やってたやってた、贔屓にしている(週末しか出ない)ラーメンの屋台。大好物の「ニンニク卵入りラーメン」を喰っているうちに、空が白んで来てしまった。[;^J^] タクシーで帰宅。

 昼頃まで、酒とニンニクの香りに包まれて爆睡。

 起きたら鼻風邪気味。どうも、多摩川河川敷でも居眠りしていたらしいしなぁ。しゃあない。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: May 26 1999 
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