*1999年05月10日:きわめて正しいメール
*1999年05月11日:「いらかの波」
*1999年05月12日:悪文と闘う日々
*1999年05月13日:「スカ」を読み込んだ日々
*1999年05月14日:「幻想文学大事典」
*1999年05月15日:手塚邸を訪問する
*1999年05月16日:S書店/「グレイベアド」
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*1999年05月10日:きわめて正しいメール


 G社のP誌から、「“手塚治虫漫画全集”総目録(osamu-1.lzh)」「全作品発表年代順リスト(アニメを除く)(osamu-3.lzh)」を、付属CD−ROMに収録したいので、許可していただきたい、というメール。

 もちろん承諾するが、なんと珍しいことに、この許諾依頼メールは、「締め切り(14日)までに返答なき場合は、許可が得られなかったとみなして、収録せず」、というのである。初めてのケースではあるまいか。感心した。(この類のメールは、ほとんど常に、「期日までに返答無きは、承諾とみなす」、なのである。しかも大抵、その期日までに2〜3日しか余裕が無い。)

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*1999年05月11日:「いらかの波」


 確かここ数週間以内の朝日新聞の記事だったはずなのだが、ひっくり返しても出てこない。記憶違いでは無いと思うが..

 「将来、何になりたい?」という、(多分、小学生か小中学生を対象とした)アンケートの結果。

 なんと、第一位が「大工」であったのである。これには驚いた。

 「スポーツ選手」でも「歌手」でも「スター」でも「飛行機のパイロット」でも「医者」でも「弁護士」でもなく、である。無論、これらも大切な職業であるのだが、それにしても「大工」とは。

 大工になれば、極端な高収入を得られる可能性は、ほぼなくなるが、そのような金銭的な「夢」よりも、手に汗して「後の世に残る」「もの」を作りたい、というのである。21世紀における日本の栄光は、約束されたも同然である。

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*1999年05月12日:悪文と闘う日々


 仕事の内容は書かないことにしているが、愚痴くらいは書かせてもらおう。

 ある人(ある部署)から受け取る指示メールの内容をかみ砕いて、(自部署の事情に合わせてブレイクダウンして、)200人弱のメンバーに通達しなければならない立場なのだが..その「指示メール」の内容が、時として理解不能なのである。

 日本語になっていない。論理構造が無茶苦茶。視点がふらつく。主語が無い。要するに、とりとめのない思考の覚え書きに過ぎないのである。

 人の振り見て我が身を直せ。私だって(あなただって)時には、こういうはた迷惑な文章を書いていてるかも知れない。それを事前に防ぐ、簡単な工夫をお教えしよう。

 軽く英訳してみるのである。

 実際に訳さなくてもよい。和英辞典を引っぱり出す必要はない。自分の書いた文章を英語に出来るかどうか、という視点で読み直してみるだけで結構。

 例えば、主語(すなわち、その「アクション」をとるべき主体)が曖昧である箇所は、すぐに洗い出せる。一度、試してみられてはいかが。

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*1999年05月13日:「スカ」を読み込んだ日々


 少年時代に“購入”したマンガは、何故、傑作ばかりなのだろう?

 少年時代に“購入”したレコードは、何故、名曲ばかりなのだろう?

 無論、(大人になった今よりも、遙かに)貧乏だったからだ。月に何冊も(何枚も)買えなかったからだ。だから、買うべきマンガ(レコード)を、事前に徹底的に精選し、無駄な買い物をしないように、スカを掴まないように、心を砕いたからだ。

 しかし、それだけではない。

 今よりも遙かに情報の少ない時代だったのだ。どんなに事前に調べたとしても、スカを掴まないわけがない。なのに、その「スカ」を「スカ」として認識していないのは、何故か。

 貧乏だったからだ。月に何冊も(何枚も)買えなかったからだ。だから、購入したマンガ(レコード)が「スカ」だったとは、思いたくないのだ。必死になって読み返し聴き返し、そのマンガ(レコード)の美点を探したからだ。(そして、どんな「スカ」にも、光る点のひとつやふたつは、必ずあるものなのだ。)だから、少年時代に購入したマンガやレコードは、全て傑作なのである。

 今は、いっぺん読むなり聴くなりして、ピンと来なければ、そのまま放置するか捨ててしまう。(従って全く記憶に残らず、どうかすると、のちに同じものを買い直すハメに陥ることもある。)他に、読み切れない/聴き切れない/観切れないほどの、書籍やCDやLDを抱えているからだ。スカにつきあっている暇はないのだ。

 「スカ」を「救済」するための努力をする必要が無い今の方が、無論、遙かに幸福な状態なのである。しかし..

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*1999年05月14日:「幻想文学大事典」


 紀伊國屋から、「幻想文学大事典」(ジャック・サリヴァン編、高山宏・風間賢二 日本版監修、国書刊行会)が届いた。二段組752頁の分厚い書物である。

 パラパラと拾い読みして、驚嘆(しばしば爆笑)してしまった。これは、面白い!

 この書名(「幻想文学大事典」)は、二重の意味で不正確である。

 まず、(例えば)トールキン、エンデらが、欠落している。つまり、包括的な「幻想文学」の事典としては(全く)使えない。

 次に、これは「文学」の事典ですら、無い。その守備範囲は、文学のみならず、映画、音楽、絵画、イラスト、建築、テレビ・ラジオ番組などに及んでいる。

 原題名は、


“The Penguin Encyclopedia of Horror and the Supernatural”

 つまり、 「恐怖」と「超自然」の百科事典なのであった。(“Penguin”は“Penguin BOOKS”に由来しているのかな。)

 特徴的な項目名をサンプリングしてみよう。「文学」カテゴリーは省略して、まず、映画。「エクソシスト」「エイリアン」「雨月物語」「カリガリ博士」「吸血鬼」「サイコ」「シャイニング」「鳥」「蠅男の恐怖」など。

 絵画・イラストでは、「ターナー」「ベックリン」「ゴヤ」「ビアズリー」「マーティン」「ブレイク」「フューズリ」「フィンレイ」「フラゼッタ」など。(ボッシュ、エルンスト、ダリ、モロー、ルドンらは、外れる。)

 作曲家では、「アイヴズ」「ヴァレーズ」「ジョン・ウィリアムズ」「ヴェーベルン」「クセナキス」「シェーンベルク」「シューベルト」「ショスタコヴィチ」「スクリャビン」「ストラヴィンスキー」「ドビュッシー」「バルトーク」「ブリテン」「プロコフィエフ」「ベルリオーズ」「ペンデレッキ」「マーラー」「ムソルグスキー」「メシアン」「ラヴェル」「ラフマニノフ」「リゲティ」「リスト」など。(ヴァーグナーは、含まれない。)

 「リスト」の項目から、引用してみよう。(本書629頁より)


 ハンガリーの作曲家、ピアニスト、作曲家、指揮者。19世紀の革新的な作曲家の一人であり、特に悪魔性と死のイメージを追求した作品に優れる。トーン・ポエム(音詩)、ピアノ協奏曲、合唱曲、夥しいピアノ曲の傑作を残した。ヴァーグナー他、当時の前衛作曲家の擁護に努める。カリスマ的な演奏家として、また国際的な名士として、パリ、ヴァイマール、ローマに居住。

 リストの業績は多岐にわたるが、その大部分において彼は魔王の招来に精根を傾けた。第1の「メフィスト・ワルツ」“Mephisto Waltz”(1861)はリストの作品中でももっとも馴染みの深い部類の曲であるが、その標題から、ヴァイオリンの名手であったパガニーニと悪魔の幻影が二重写しになる。パガニーニのヴァイオリンはまず調弦で始まり、やがてグロテスクなワルツを出現させる。リストとパガニーニはともに悪魔と契約を交わしたと噂されたが、その技巧に見られる炎のような激しさを考えれば、故なき伝説とも言えまい。ファウスト伝説はリストの音楽の重要な題材であり、彼はファウストに関する独唱曲および合唱曲、前出以外の二つの「メフィスト・ワルツ」、大作『ファウスト交響曲』Eine FaustSymphonie in drei Charakterbildern(1857)を作曲している。『ファウスト交響曲』はベルリオーズの「幻想交響曲」Symphonie Fantastique に見られる悪魔主義と自己パロディを回顧すると同時に、ヴァーグナーのライトモティーフ(示導動機)の着想を促した。

 しかし、これらすべての作品も、ピアノと管弦楽のための死の舞踏(1849、改訂 1853、1859)に比べればいささか見劣りがするほどだ。これは西洋音楽史上、終始恐怖の感覚を伝えてくる作品の出現を代表しているといえる。…(後略)


 ..[;^O^]

 「ラヴェル」(本書612頁より)。


 フランスの作曲家。印象主義者としてはもっとも「古典的」な人物であり、その音楽にはすみずみまでポーの美学理論が浸透している。ラヴェルの『夜のガスパール』Gaspard de la nuit(1908)は恐怖音楽の中でももっとも催眠的なピアノ曲のひとつで、…(後略)


 ..[;^O^][;^O^]

 「マーラー」(本書559頁より)。


 ウィーンの作曲家。ウィーンが輩出してきた交響曲の偉大な書き手たちのしんがりとなり、ロマン主義からモダニズムへの橋渡しを行なった重要な人物。

 マーラーの九つの壮大な交響曲(および未完の第10番)は、張りつめる恐怖のために暗い影を宿し、その多くがベルク、シェーンベルク、ショスタコヴィチらの病んだ音楽を予見している。時としてマーラーは心ゆくまで微かな震えを表現してみせる。その例として、交響曲第4番(1900)のスケルツォで死神が弾くとされる音程の狂ったフィドルや、交響曲第1番(1888)の葬送行進曲に表れる、作曲家本人が言うところの「不気味な色あい」の用法が挙げられる。極度に拡大された彼の作品の中には、パニックの様相を呈するものもあり、交響曲第2番(1894、通称「復活」“Auferstehung”)の第1楽章では轟きわたる不協和音が聴かれる。

 マーラーは最大限の激しい情熱をもって、純粋に宇宙的な恐怖を解き放つ。例えば交響曲第10番のアダージョにおける、ベルクの音楽に似た絶叫。また、作品を通じて霊感に満ちた交響曲としては、第6番(1904)および第7番(1905)が挙げられる。前者では死についての観相がハンマーの非情な連打によって締めくくられ、後者では幻想的な「夜曲」“Nachtstucke”の楽章がおぼろげで謎めいた曲想を奏でる。マーラーはかつて「交響曲は世界のすべてを包括しているべきだ」と述べた。その世界の大部分が闇と恐怖をはらむことを彼は知っていたのである。


 ..[;^O^][;^O^][;^O^]

 つまり、(当然といえば当然だが、)全て「恐怖」と「超自然」に引き寄せて書いているのである。

 さらに、テーマ・エッセイとして「悪魔」「コミック」「昆虫と蜘蛛」「日本映画」「宿命の女」「B級映画」「ホラーとSF」「ロマン派」「オペラ」など、54項目。

 中井英夫が夢想していた“幻想百科全書”は、これに(やや)近いものだったかも知れない。(無論、中井英夫は「恐怖」と「超自然」にフォーカスするなどという、野暮なことはしなかったろうが。)

 (私に一言の断りもなく [;^.^])こんな面白い本を、好き勝手に編集したやつらが、羨ましくてならない。当分、枕頭の書は、これで決まりだ。

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*1999年05月15日:手塚邸を訪問する


 7時14分のひかりで国会図書館へ。「関西新聞」「小説サンデー毎日」「ひろしま」「国際交流」など、とことんマイナーな調査をする。「手塚ファンmagazine」の作品リストを照合・マージする過程で浮かび上がってきた、未知の作品、あるいは、データの矛盾のチェックである。

 11時20分に国会図書館を飛び出して、池袋へ。ここで手塚治虫MLのメンバー(10名少々)と落ち合って、西武池袋線で清瀬駅へ。駅前の喫茶店で軽く食事してから、徒歩15分ほどの手塚邸へ向かう。

 MLのメンバーで、生前の手塚治虫氏と関係の深かったNさんが、コーディネートして下さったのである。

 ごく普通の住宅街の中のお宅である。庭の緑が深い。平均的な日本人の住宅よりは(だいぶ?)広いと思うが、(もちろん、客間等、ごく一部の部屋におじゃましただけなので、あくまでも推測だが、)けっして、「豪邸」じゃあない。が、掃除が大変だろうな、とは思った。(1DKの一人住まいを、たかだか月に一度しか掃除しない男の言うことじゃないか。 [;^.^])

 手塚悦子夫人から、色々とお話を伺った。あまりこと細かに公の場に書くべきこととも思えないので、印象に残った一言だけ。「今でも、時々、夢に見ます。(夢の中でも)いつも、仕事をしています」..

 手塚治虫の(最後の)私室にも案内していただく。一同は、書棚やオーディオやレコードラックや窓からの風景に目を奪われていたのだが、「その、床の染みが、腹這いになって原稿を描いていた跡ですよ」、の言葉に、すざざざっと、周囲に引いて、写真をとったり、そっと触ったり。[;^.^]

 フェチ入ってるとは思ったが [;^J^]、確かに、この「染み」には、物凄い迫力があった。そこに(疲れ果てて)横になって描いている手塚治虫の姿(その寝ている方向と姿勢)が、幻視できたのである。

 夕方に辞去して、車で30分ほど走り、新青梅街道沿いの「自遊空間」という24時間営業の「まんが喫茶」へ。要するに宿泊施設がわりである。

 これが実に不思議な店であった。

 まんが喫茶としては蔵書が少なすぎる。雑誌も含めて3万冊と看板に書かれていたが、到底信じられない。「開架」の書棚に並べてあるのはごく一部で、多くは「閉架」の書庫に蔵書しているというのならばともかく、まんが喫茶でそんなことをするとも思えないし、「蔵書目録」にも、そんな数は載っていない。軽くチェックした範囲でも、例えば手塚治虫は、全集+10数冊程度。吾妻ひでお、高橋葉介、諸星大二郎、とり・みき、唐沢なをきらが、全滅。

 インターネットとゲームとビデオ鑑賞が、追加料金無しでやり放題、というのが、ポイント。もちろん、ビデオの在庫もゲームの在庫も少ないのだが、確認した範囲では、ゲームは持ち込み自由なので、ビデオもそうなのであろう。(もちろん、マンガも。)その関係で、近頃のまんが喫茶によくあるような、ソファーを並べるなどした、豪華なゆったり空間の演出、という感覚が全く無く、図書館の勉強席のように、となりの席と「干渉」しあわないように「ついたて」が完備され、各自の狭い空間で、マンガを読むなりビデオを観るなりゲームするなりインタネットするなり食事するなり。「ふたり席」も多いので、カップルで時間をつぶすこともしやすい。

 つまり、時間つぶしのツールを、たくさん用意しました、というコンセプトらしい。以上は1Fのことで、今回我々がしけこんだ2Fは、畳敷き。グレ電が無いのが遺憾だったが [^.^] 寝具も用意されている。洗面所には使い捨ての歯ブラシ、ひげ剃り、櫛、が完備されている。

 2Fは「貸し切り」ではなく、(罪もない [^.^])一般人も数人いたので、適当に気を使ったが、それはそれとして、深夜まで、食事や飲み物を取り寄せながら、互いに持ち寄った珍しい作品を読み合ったり、プレゼント交換をしたり、MLで作成予定の同人誌の打ち合わせをしたり、だべったり。大体3時頃には、全員雑魚寝したようだが、同人誌の打ち合わせは、朝まで続いていた(らしい)。

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*1999年05月16日:S書店/「グレイベアド」


 8時半過ぎに、「自遊空間」を発つ。交通の便が良いとは言えないので、今後、利用する機会は無いかも知れないけれど、不思議な店もあるものだ、と、面白く思ったことである。詳細は略すが、プライスは安い方。

 そして、実に「はやっている」店なのであった。インターネット回りの設備投資等含めて、(たとえ客が多くても)経営は楽ではないと推測されるが、頑張って欲しい。

 ここで解散して、私は、Tさん、Yさん、Fさんと八王子のS書店へ。マンガの在庫に独特の色合いのある、面白い店である。今回、マンガでは収穫は無かったが、画集を7〜8冊、購入した。

 八王子駅に戻って、流れ解散。現代マンガ図書館 → 神保町、と、いつもの経路で東京駅。こだまで浜松へ。

 H氏からメールが届いていた。オールディスの「子供の消えた惑星」という傑作SFは、今では入手困難かも知れない、と、先日書いたのだが、これは昨年末、「グレイベアド」と改題されて、創元SF文庫から復刊されている、とのことである。グッド・ニュースである。未読の方には強くお薦めする。もっとも、破滅テーマといっても「ドンパチ」は皆無なので、そういう嗜好 [^.^] のある方には、無理強いはしない。

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: May 19 1999 
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