*1998年09月07日:どんどん猿化する
*1998年09月08日:猿も木から落ちる
*1998年09月09日:猿は立ち直る
*1998年09月10日:ある義憤
*1998年09月11日:DVD−RAMを検討する [;^J^]
*1998年09月12日:「悪魔(デイモス)の花嫁」
*1998年09月13日:「星がわれらを待っている」
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*1998年09月07日:どんどん猿化する


 午後、会社の窓から、素晴らしい虹。滅多に見られないような、完全な二重の虹で、しかも驚くほど明るいのだ。内側の虹は、300メートルほど離れた丘の手前から“立ち上がって”おり、背後の樹木が、見事に染め分けられている。“接地ポイント”が、ほとんどはっきり特定できるほどで、そ..そこに行ってみたい [;^.^] という、イソップ童話(だっけ?)の蛙の気持ちが、良く判ってしまった。[;^J^]

 http://www.kakaku.com/ で、CD−Rドライブの相場をチェックしてから、帰途、OAナガシマに寄る。一番廉い通販よりは高いが、2千円位しか違わない。送料を考えると、下手するとトントンである。トラブルが発生した場合のフォローを考えれば、地元のショップで買うに越したことはない。早々に、機種を絞り込もう。PDのストックは、今夜中にも切れそうだし。

 帰宅。どんどん画集からスキャンする。もはや完全に猿状態である。

 BOOK BOX からメール。Bizseek に登録しておいた探求本リストへの反応である。「ウルトラマンG」。島本和彦の残存4冊中、特に入手困難だと思われていた物件である。有り難いありがたい。

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*1998年09月08日:猿も木から落ちる


 買うと決めれば、アクションは早い。(こらえ性が無いとも言う。)会社でアスキー誌を読んで当たりを付けておいた数機種のうち、店頭価格がもっとも廉かった、TEACのCD−R55Sシリーズにする。型番の末尾がAとBと2種類あり、これは同梱ソフトの組み合わせの違いらしいが、どうせ凝ったことはしないのだし、価格は一緒だし、いずれにせよ優れもののソフトらしいので、どちらでもいい。さらに型番にKが含まれるか否かで2種類。計4種類。Kの方が廉くてコンパクトである。結局、CD−R55SKBを478(+外税)で購入。

 帰宅してから、いそいそと開梱。なるほど確かにこれはコンパクトだ。年中、机代りに使っているコタツの上は、極めて狭いので、これは重要なポイント。リブ100と、ベストマッチである。[^J^]

 で、コネクタだが..変わってるね、これ。セントロの50ピンよりも大きい。少なくとも、手持ちのSCSIカード(から出ているケーブル)とは直結できない。まぁ、こんなことはSCSIでは、日常茶飯事である。変換コネクタを、明日、OAナガシマで買ってくればいいのだ。しかし、小さい方は2(3?)種類あるのは把握しているが、こんなに大きなコネクタとの変換コネクタ、置いていたかな? ..それと、電源だが..

 ..ACじゃないのかな? こんなコネクタに刺さるACケーブルなんか、持っていないぞ。2Pでも3Pでもない。オスのピンが真っ直ぐ4本並んでいる。これではまるで、内蔵ハードディスク..

 ......

 ..内蔵..

 ......(開梱してから、ここまで、約100秒。)

 ......(明日に続く)

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*1998年09月09日:猿は立ち直る


 昨夜は、精神(とプライド)の危機を、不貞寝によって乗り切った。昼休みに、会社からOAナガシマに電話。返品・交換出来るか否かは、どの程度の開封状況であるか見てみないと判らない、という、もっともな話。CD−R本体とマニュアルと、オマケのCD−Rメディアを、それぞれポリ袋から出しただけなので、まず大丈夫だとは思うが..

 ということで、帰途、OAナガシマで、同じファミリーの外付け用CD−R(CD−R551SB)に、差額で交換してもらった。柔軟な対応に感謝!(通販にしなかったのは、正解であった。[;^J^])

 帰宅してから、PDに取りためてあった画像データを650Mぶん集めて、1枚焼いてみた。「4倍速&テスト書き込み付き」で、53分。

 この作業の前後、リブのレスポンスがとてつもなく重くなったので、非常に不安になったが、リブ100のふたつのスロットに、東芝のSCSIカード経由でPDと、アダプテックのSCSIカード経由でCD−Rをつないでいたのが、原因だろうと思い至った。普通は、デイジーチェーンするよな。[;^J^]

 ちなみに、なぜ“不安に”なったかと言うと..

 書き込みソフトをインストールする時に、IE4.*をインストールしていなければ、どうたらこうたら、というチェックボックスが出たからである。もちろん、そんなもの はインストールしていないので、適当に Next を押して先に進んだのだが..インストールが終わってみたら、エクスプローラ(IEにあらず)の振る舞いが、少し変わってしまった。トゥリー画面がスクロールする時に、軽くアニメーション(というほどでもないが)するようになったのである。「ヌルッ」という感覚だ。

 たまたま今日、会社で初めて(後輩社員が使っている)Win98を見ていた。一見して95と変わらないが、右クリックでメニューを出すときに、「ヌルッ」と、気色悪い(まるでMacのパロディのような)アニメーションをする。それを思い出してしまったのだ。

 「あぁぁ! Win98のコードに犯されてしまったに違いないっ! だからこんなに重たいんだっ! とり返しのつかないことになる前に、すぐにリフォーマット/95の再インストールをしなくてはっ!!」

 (..これって、ごく健全で常識的なリアクションだよね?)

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*1998年09月10日:ある義憤


 「「金田一少年の事件簿」事件」は、フェイドアウトしてしまったようだが、風の噂に聞くところによると、盗用自体は、相変わらず続いているらしい。(伝聞情報であることを、お断りしておく。私はこの漫画が(ネタバラシが恐いので)読めないのだ。)

 島田荘司は、「この問題は民事訴訟に発展する」とまで憤っていたようなのに、(そしてどうやら、誰の目にも盗用は明らからしいので、訴訟になれば勝ち目はありそうなものなのに、)どうして、うやむやになってしまうのか。考えられる理由は、ふたつある。

 まず、講談社の意向だ。「金田一少年の事件簿」は、今や同社のドル箱であり、「少年マガジン」をして「少年ジャンプ」の王座を奪わせしめた、立役者である。それに対して島田荘司は、ミステリ部門のスターなのではあろうが、売り上げは一桁か二桁違うのではなかろうか。講談社として「どちらを守るか」ビジネスライクに判断すれば、答えは自ずと明らかだ。島田荘司に対して、「大人の対応」を求めたと想像するに難くない。

 もうひとつは、仮に訴訟沙汰(に準ずる騒ぎ)になれば、島田荘司の受ける被害が、(恐らく、利益を遥かに越えて、)甚大である、ということだ。なぜなら、「金田一少年の事件簿」が盗用したことを立証するためには、みずから、「自分の作品の詳細なネタバラシを公表しなければならない」のである!

 PDとCD−Rをデイジーチェーンすると、うまくいかない。両方をきちんと認識してくれない。IDもターミネータも、ちゃんと設定しているつもりなんだがな。

 そこで、昨夜同様、SCSIカード2枚刺しで試してみたら、ノープロブレム。しかも昨夜のように、極端に重くなることもない。まぁいいや。もう0時回ってるし、2枚目の焼き込みをセットしておいて、寝よう。

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*1998年09月11日:DVD−RAMを検討する [;^J^]


 目が覚めたら、まだ2時かそこらである..おぉ、CD−Rの焼き込みが、異常終了している。これが噂の、CD−Rの書き込みエラーか。これで私も一人前だ(意味不明)。

 取り敢えず眠いので寝直して、5時頃に再度起きてから、別のメディアをセットして、焼き込みのリトライ。さすがにもう眠くないので、積読を片づけるなどしつつ53分。今度はOK。もしかして、寝たらいかんのか? 見てなきゃならんのか? [;^J^]

 先週の日記を読んだMさんからメール。DVD−RAMを薦められる。不勉強な話だが、CD−Rしか眼中になかったので、ほとんど研究していなかった。(いや、CD−Rのことも、ほとんど調べていなかったんですけどね。[;^J^])言われてみると、素晴らしいスペックである。容量やビット単価もさることながら、他のメディアとの互換性が尋常ではない。早まったかな。

 とはいえ、DVD−RAMドライブにも出来ないことはあるのであって、それは、CDメディアへの焼き込みである。(いまや)世界中?どこに行っても読めるメディアであるCD(−R)を焼けるCD−Rドライブには、捨て難い価値がある。これは絶対、無駄な買い物ではなかった。DVD−RAMドライブはCD−Rメディアを読めるのだから、今はCD−Rメディア資産を増やしつつ、DVD−RAMのハード&メディアの価格が(さらに)軟化するのを待つ、というのは、妥当な戦略だと思える。

 ちなみに私は、CD−ROM(CD−R)は、「現代のカセットテープ」だという印象を持っている。メディアの廉さ、丈夫さ、そして、どこででも読めるという心安さ。実際、友人から、プライベートな録音をもらう時も、「DATは持ってない? じゃあ、CD焼いとくから」と言われることが、しばしばある。DATよりもMDよりも、CD−Rの方が、通用力が強いのである。

 さらに余談。15年以上?前に、CDが普及し始めた時、これで「海賊版」業界は壊滅する(アナログ盤と違って、設備(工場)を持たない素人が作れるようなものではない)、と、喧伝されたものだったが..きょうび、アナログ盤をプレスする方が、遥かに高価で難しいわな。[;^J^]

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*1998年09月12日:「悪魔(デイモス)の花嫁」


 フォルテピアノの音の準備はともかく、歌う方の準備がさっぱり進まない「荘厳ミサ」オフ。あと2週間しかない。スキャン猿している場合じゃないんだが(誰か私を止めてくれ [;^.^])。

 「荘厳ミサ」で思い出したことがある。この話は、まだ書いていなかったと思う。

 「悪魔(デイモス)の花嫁」(池田悦子原作/あしべゆうほ)という漫画があった。ずいぶん古い作品だ。たしか、全巻は読んでいないはずだが、きちんと完結しているのだろうか? 悪魔と女神の兄妹相姦を基調とする連作短編で、どのエピソードも救いの無い暗さに彩られていた。印象的だったのは(ほぼ全ての)エピソードの作劇法で、クライマックスの訪れが早く、長いエピローグの末にフェイドアウトして行く、その、女性的なカーブである。

 基本的に、私はこの作品のファンであった。しかし、ひとつだけ、どうにも許し難い「台詞」があったのだ。

 どのエピソードか覚えていないが、年末の話。たしか最初のコマで、物語の本質とは全く関係の無い、ただの導入の独白なのであるが..コンサートホールから出てきたヒロインが、こんなことを言ったのである。


「やはり、ベートーベンの交響曲第九番《荘厳ミサ》は、素晴らしいわ」

 ..クラシック音楽に詳しくない人のために解説すると、「交響曲第九番」と「荘厳ミサ曲」は、全く別の作品なのである。共通点は、ともに最晩年の代表作であり、しばしば並び称されることがある、ということ。そして、両方とも「合唱作品」である、ということ。といっても、「第九」に「合唱」が登場するのは、第4楽章だけであり、「荘厳ミサ曲」では合唱は出ずっぱりなのであるが、とにかく、このために「交響曲第九番」は、一般に「交響曲第九番《合唱つき》」と呼ばれている。

 ここで、池田悦子は混同(誤解)してしまったのだ。「交響曲第九番」の“正式”な通称は「交響曲第九番《荘厳ミサ》」なのであって、世間では一般に、これを“易しく”略して「交響曲第九番《合唱つき》」と呼んでいるのだろう、と。(実際、「第九」の第4楽章の中間部では、いかにも「ミサ曲」的な雰囲気になるのであるし、その意味でも、なまじ「聴いて」いるが故に、混乱したのかも知れない。)

 そして、張らなくてもいい見栄を張ってしまったのだ。「ひとつ私は、そういう“俗称”ではなく、世間の多くは知らないであろう“正式”な呼称である《荘厳ミサ》と書いてやりましょう。うわっ偉そう! かっこいい! スノッブ! みんな目を丸くするわ!」..

 ..この、彼女の心理の流れは、純然たる私の推測であるが、恐らく正鵠を射ていると思う。それにしても、漫画家も、編集者も、編集長も、誰一人として気がつかなかったのである。誰かが気づいてあげていれば、彼女は余計な恥をかかずにすんだのに..

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*1998年09月13日:「星がわれらを待っている」


 「荘厳ミサ」オフは、26日の土曜日。新幹線のある時刻には終わらない。一泊するにしても、横浜の実家に寄るには遅すぎる。どこぞのホテルに泊まるにしても、翌日曜日には、これといったテーマが無い。(国会図書館は閉まっているし。)ホテル代がもったい無い。ということで、久しぶりに深夜の「ムーンライトながら」で浜松に帰ることにして、そのチケットを買いに行く。既に禁煙席は満席であったが、ま、仕方が無い。

 OAナガシマでCD−Rを20枚購入し、DVD−RAMにチェックを入れる。この店には、ハードもメディアも、まだ1品種しか置かれていないのだが..ドライブは、松下のLF−D100Jが798。メディアは5.2Gが3280円。ドライブが598まで降りてくれば、“買い”か。

 帰宅してから、しこしことスキャン。今日は、ソコロフ&レオーノフの画集「星がわれらを待っている」である。

 ソコロフ&レオーノフと聞いて、ピンと来たあなたは、立派なオールドSFオタクである。[^J^]

 これは、ソ連(当時)の宇宙SF画集。SF画集といっても、画家のひとりであるレオーノフは、(当時)現役の宇宙飛行士でもあって、すなわち、宇宙空間での写生画(あるいは、宇宙空間での実体験をベースとした、リアルな想像画)をも、豊富に含んでいる。その意味で、まことに画期的な画集であった。

 これは、SFマガジンの1970年11月号で特集された。(万博の終り際である。)さらに1972年2月号では、第二画集「星への道」も、紹介された。1973年2月号にも、特集記事がある。(1972年7月号から12月号にかけて、表紙も飾った。)これらのグラビア頁を読んで(見て)、ときめきにときめき、あこがれにあこがれた私は、(確か)神保町のナウカ書房を探し出して、そこで第一画集の「星がわれらを待っている」を購入したのである(と、記憶する。実は、ナウカに行ったのは、その時が最初で最後であり、場所も店構えも全く覚えていない。本当に行ったのかどうか、もはや自分でも疑わしいくらいなのだが、他の店でこの画集が買えたとも思えないので、恐らく確かにナウカ書房に出向いたのだろう)。「星への道」は、入手できなかった。30年近く昔の、しかも旧ソ連の画集である。もはや手に入るまい..

 この画集が発行されたのは、1967年。ピンと来たかな? そう、「革命50周年記念出版」なのである! 中央に1917と印刷された、真赤な第1頁と、同じく1967と印刷された、やはり真赤な最終頁。画集全体の構成は、世界に冠たるソ連の宇宙開発からスタートして、太陽系開発、恒星への進出、知的生命体との出会い、そして遥かな深宇宙(超宇宙)への跳躍、という、気宇壮大なもので、後述する全てのエッセイとキャプションに、英語の対訳が付され、キャプションについては、独・仏・西(スペイン)、三ヶ国語の別刷りが折り込まれている。そう、これはまさに、ソ連の国威発揚という使命を担った画集なのであった。

 にも関わらず驚くのは、その印刷の悪さ [;^J^] である。概してピントが甘く、時々、赤と緑の版がずれたりしている。いい加減な出版物ならばともかく、国策で出版されたのである。それで、この水準かよ..と呆れて奥付けをみたら、なんとフィンランドで印刷されている。[;^J^] つまり、この印刷の悪さは、ソ連の印刷工場の責任ではないのだが..裏を返せば、この程度の水準の印刷ですら、ソ連国内では出来なかったということになる。[;^J^]

 ま、それはともかく。[;^J^]

 特定のストーリーは存在しないのだが、絵の「舞台(題材)」には、はっきりとした流れ(すなわち、地球から超遠宇宙へ)がある。

 第1章は「地球周辺の軌道上で」。以後の全ての章も同じだが、冒頭に、このテーマについて考察する、科学者のエッセイが置かれている。娯楽指向のSF画集ではなく、実にまじめで硬い、ほとんど学術的な画集なのである。(旧式の)ロケットの発進シーンから始まって、宇宙ステーションの建造を中心とする、軌道上での開発風景。宇宙飛行士であるレオーノフの作品は、このセクションがもっとも多く、純然たる空想画が中心となる後半のセクションでは、ほとんどソコロフの作品ばかりになる。この章の最後の頁に置かれているのは、軌道上の宇宙ステーションからの月ロケットの発進シーン。(以後の各章も、最終頁には必ずこのように、次の章へ「ジャンプ」する絵が置かれている。この構成が、実にかっこいいのだ。)

 第2章は「月世界で」。月着陸シーンからはじまって、月面基地の建造を中心とする、月面風景と、月の自然の驚異の数々。最終頁には、惑星探査ロケットの、月面からの発進。

 第3章は「惑星への道」。まず、火星へ向かうロケットの絵。これは「宇宙への序曲」(A.C.クラーク、ハヤカワSF文庫)の表紙にも採用された、素晴らしい作品である。そして、火星、金星、土星の衛星、冥王星の、開発・探検風景。最終頁には、冥王星から発進する、恒星探査船..

 第4章は「星々と銀河の間で」。この章が、全編の白眉である。青い恒星、あるいは二重星のそばを通過する光子ロケット。異星の惑星での驚異的な自然現象。そこをフライバイする、人類の探査ロケット。幻想的な生命体..最終頁には、恒星間に浮かぶ“人類以外”の何者かによって建造された、構造物。

 第5章は「知的生命と出会えば」。エイリアン(というより、エイリアンの都市)との接触。最終頁には、異星の文明を調査する探検隊。

 第6章は「無限のかなたへ(そしてその先は?)」。空間は歪み、時を超え、“Closed Space”へ侵入し、そしてついには、反宇宙へジャンプする..

 ..以上の、駆け足の内容紹介から、ある程度察せられたかも知れないが..

 ..古い。とにかく、古いのである。[;^J^] 恒星間ロケットが、ラム推進ではなく光子ロケットであるのは、時代が時代だから仕方が無いとしても(若いあなたは、「光子ロケット」をご存知でしたか?)、あらゆるセンスが古いのである。地球人のロケットにしても、月面都市にしても、異星人の建造物にしても、例えば同時代の「鉄腕アトム」のデザイン感覚に、遥かに及ばない。

 改めてそういう目で画集全体を見直してみると、どこに取り柄があるのか、判らなくなる。[;^J^] メカはダサい。オリジナリティも乏しい。エイリアンや異星都市が、もう絶望的にダメ。(というか、エイリアンを描けないので、逃げている。)アメリカのエムシュやパウルの水準は、もとより求めないとしても..(素晴らしいと思えるのは、(原色に近い)素朴な色使いの鮮やかさである。)

 単に、個人的なノスタルジーで入れ込んでいるだけじゃないのか?と問われても、即座には否定できない。しかし..この、生真面目なダサさは、ある意味で当時のSFの中核的なイメージであったと思うのだ。現在どころか、1970年当時ですら、絶対に最先端ではなく、古色蒼然としたものであったが、それ故に、安心して身を落ち着けることのできる世界..

 象徴的なのは、「冥王星から発進する光子ロケット」である。恒星間ロケットが、冥王星から発進する理由は、全く無い。地球よりも冥王星の方が、他の恒星に近い、というのは、ただの錯覚である。これは、日本からアメリカ(あるいは、月)に行くために、八丈島のさらに南の、不便極まりない無人島を中継基地とするようなものだ。こんにちの現代的なSFでは、こんな馬鹿な設定はしない。

 しかし..そういう理屈は理屈として [^J^] 恒星間ロケットは、冥王星から発進しなくては、話にならない。それが「正しい」SFというものだ。繰り返すが、これは、大昔のSFではそのように書かれていたが故のノスタルジーでは、無いのだ。「距離感」の「演出」の問題である。一番近い恒星まで、光の速度でも4.3年かかるのである。この絶望的な距離を、読者に「認知」させるために、まず、太陽系の最外縁の冥王星まで、苦労して辿り着き、そこまでの距離感を十分に読者に叩き込んでから、実はここまでの距離は、これからの旅程に比べれば、移動していないも同然だったのである..と、示すことによって、読者を「愕然とさせる」。これが、古くて「正しい」SFであったのだ..

 ..というわけで、読者諸君が入手しようと思っても、まずは不可能な画集の紹介であった。ただの自慢話である。羨んでいただきたい。[^J^](SFマガジンの上記バックナンバーで、片鱗はうかがえると思う。)

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*解説


MASK 倉田わたるのミクロコスモスへの扉
Last Updated: Sep 17 1998 
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